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コミュ力と友だちがいないことについて [人生・生き方・生活・人間関係]

女性の視点から見て、彼氏に「同性のお友達がいない、もしくは少ない」というのは、わりとネックになりそうな気がする。
「友だちがいないのは、人間的にちょっとおかしいのでは、性格に難があるからなのでは」と警戒心が働き、「同性の友だちの数」を気にする人もいるんだとか。
要するに、同性の友人から好かれている=人間的に安心、人間ができている、という判断材料にするようだ。

友だちいないと、なんだか「人間失格」みたいな・・・あるいは「犯罪者予備軍」「問題人物」にされそうな・・・
友だちいないと(少ないと)、肩身狭くて、コンプレックスにさいなまれそう。悪ければ、いじめの標的にされる。

そして反対に「お友だちが多い=コミュ力高い=人気者=人間関係スムーズ=できた人間=よって人脈が広い、お仕事ができる」と。
私もそう思いがちだった。

そこで・・・「なるほど、そういう見方があるか」と思った漫画家・須賀原氏の発言を紹介。

https://twitter.com/tebasakitoriri/status/608820371500834818
転載

【「コミュ力」って一般には、友達が多いとか異性によくモテるとか会社で部下・上司にウケが良いとか営業トークがうまくて成績が良いとかそんな感じの能力なのかな。でも家に帰ると親と険悪だったり妻(夫)と仲悪かったり子供に嫌われてたりしないのかな。だって外ヅラにはエネルギー使うでしょ】

【コミュ力って要するに外で猫をかぶって社交辞令のやり取りが出来るかどうかってことのような気がします。自分に興味のないこと(お天気とか、話題のスポットとかそういう当たり障りのないこと)にもソツなくついていける人のことですよね】(ほかの人のコメント)

【その程度の能力だと家庭ではすぐに底が知れますよね】

転載終わり。

ああ、たしかに・・・友だち多い男性って、それだけ「おつきあいにエネルギーかけている」ということで、そういう男性を夫に持った奥さんは、わりと不満を持っていそうだ。

だって、「おつきあい」を優先するってことで、家庭のことより「お友達とのおつきあい」が上位になっている場合がけっこうありそう。
家事育児分担よりも、「外の人とのおつきあい」である。
時間もお金も、そっちにまわされてしまう。

でも、本当のコミュ力って、家庭の中でこそ問われるのかもしれない、とふと思ってしまった。

家庭の中でも、話し合いで妥協点を見つけ、お互い、不満を募らせないよう、うまくやっていく力って、必要だよなあ。これこそが本当のコミュ力かも。

なので、「パラレル~」の静也君=「プライオリティ」のセイヤ君は、家庭では奥さんである理沙ちん=リサちんと上手くやっていっているので、案外、コミュ力あるのかもしれない・・・いや、上手くやっていくには相性もあるだろうけど。
そしてこの場合、お友だちがいないからこそ、上手くいっているのかもしれない。
何しろ、静也君=セイヤ君はお仕事終わったら早々に帰るし、休日も家にいる。
なので家事もやってくれるし、エネルギーを家庭に、奥さんに注いでくれるのだ。
ま、そんな旦那さん(いつもいつも家にいる)をうざいと言う奥さんもいるかもしれないけど。家庭放置、家庭をほとんど顧みないよりはいいかも?

ま、一方で、家庭は奥さんにすべてお任せ、その代わり、ダンナさんは家庭のことに口出ししない、というやり方で上手くいっているご夫婦もいるけれど。
こちらはコミュ力というより相性になるのかな。

まあ、とにかく、主人公として「お友だちがいないって、どうよ?」と思っていたけど、必ずしも「同性の友だちがいない=コミュ力がない=人間性に難がある、劣る=お仕事もできない」という図式が当てはまるとは限らないようだ。

むしろ「お友だちが多いダンナさん」も、いろいろ問題があるかもしれない。
で、外ではコミュ力あり、仕事も上手くいっているのに、家庭の中では奥さんや子供とまるでコミュ力がなく、疎外感を感じている男性も意外と多いのでは、と。

そんなことを思ったのでした。
・・・・・・・・・・・
余談

うむ、ようやく「日の丸街宣女子問題」「有田氏VS富田氏」から離れたか、と思ったそこのあなた。

しかし、まだまだ気になる。
そんな中、こういうサイトの記事を目にしてしまい、いろいろ考えさせられたので、感じたことを書いておく。

https://note.mu/mig_21ssmt/n/n9b423eec5fb5

在特会元会長の桜井氏(有田氏とカウンターが一番敵視している人物)が、日比谷公会堂で講演会をするそうだ。
で、こんなことが書かれていた。

以下、転載。

【「それに伴って在特会も初めてデモに参加する方たちを呼び込もうというより、安心して出てくださいということで、私たち全力で守ります」

「そして日之丸街宣少女にあった妨害が本当にあるのか、そして私たちが死ね・殺せと怒鳴っているのか、肌で感じていただきたいなと思っております」

「いわゆる反ヘイトのグループの人達って、レイシストって私たち呼ばれてますけど、そういう人達とちょっとでも共感すると仲間はずれにしたりとかね、総攻撃してくるでしょう。仲間内でですよ。これ左翼特有らしいんですけど、すぐねぇハブられるんですよ」】

転載終わり。

今、在特会って「殺せ」などの『問題発言』(プラカードに書くことも含め)してないのか?
仮にヘイトスピーチ規制法ができた場合、過去の発言は問題にはならないはずだ。(問題にすれば事後法で裁くことと同じになり、現代の民主主義国ではありえない)
発言にさえ気をつければ、そのまま在特会は存続できるってことになる。

※けど、どういった発言がヘイトとなるのか、単なる悪口も許されない? じゃあ、どこから悪口になる? 在日外国人のみ、悪口を言ってはいけない? なんだかおかしい。やっぱりヘイトの定義づけは難しい気がする。

悪口と言えば、「ゴキブリ発言」は有田氏もしたのだし。「キモオタ死ね」はヘイトにならないのか。などなど。
そう、有田氏側も悪口は普通に発しているよね?

そしてもし、現在、在特会が過激な発言(殺せなど)なく、在日や韓国、北朝鮮への批判、政治的発言で集会やデモを行っているんだとしたら、ヘイトとは呼べない。仮に、これをやってはいけない、となると、それこそ憲法違反になる。

んで、気になったのはこの箇所。

【反ヘイトのグループの人達って、レイシストって私たち呼ばれてますけど、そういう人達とちょっとでも共感すると仲間はずれにしたりとかね、総攻撃してくるでしょう。仲間内でですよ。これ左翼特有らしいんですけど、すぐねぇハブられるんですよ】

共感、歩み寄りこそ、解決への第一歩になるのに、カウンター側はそういったことは認めない?

って、これはあくまでも「在特会側の一方的な広告」なので、カウンター側の反論なしに鵜呑みにしようとは思わないけど。

カウンター側も在特会に対し、ただの悪口ではなく、些細なあげ足取りではない説得力のある反論、証拠(昔の画像や動画ではなく、今現在の在特会のデモの様子)を持ってこないと、なかなか信用を得られないだろう。
ただ「信じるな」「騙されるな」「相手はレイシスト」「こちらは正当だ」と訴えるだけじゃ、説得力に欠ける。

もしも、今現在の在特会が暴言も吐かず、なんら問題ないとするならば、「やり方を変えた今現在の在特会と関係を持つ人たち」をレイシストと呼ぶのは乱暴かもしれない。

そして、どの程度の悪口からヘイトになるのか? 『殺せ』は誰でも問題だと思う、が、「出ていけ」だと、沖縄では在日米兵が言われているし、「死ね」はカウンターも言っているし、有田氏は「キモオタ死ね」のイラストをアップした。(デモであればプラカードということになる)・・・

「在日死ね」はダメで、「オタク死ね」はOKというのも、納得できない。「オタクは趣味だから、変えられるでしょ、死ねと言われたくなければオタクをやめればいい」とは乱暴な理屈だ。

というわけで、歩み寄ることできず、話し合いで解決も不可能、相手と同じような振る舞いをし、挑発しあい、大人の対応ができなかった有田氏含む一部左派・・・

左派って「歩み寄ろう、話し合いで解決しよう、挑発にのるな、大人の対応をしよう」って外交については言うけれど・・・それがいかに実現が難しく、場合によっては不可能なことか、こういったことでも身に染みたはずだと思うのだけど・・・
だって、こんな小さな団体相手に、日本人相手に、歩み寄り=交渉ができないのだから。

有田議員が蓮池透氏から「何もしない政治家」と言われたワケが分かる気がした。在特会やネトウヨ相手にこうなんだから、北朝鮮相手に何かできるはずもなく、結局、何もしなかった・・・んだろうな。

(ネトウヨと十把一絡げにして申し訳ない。いろんな人がいることは百も承知。ここでいう「ネトウヨ」とは世間が思っている「粗暴な言葉を吐く人」ということで。私も粗暴で感情的な言葉を吐く人は左派であろうが右派であろうが苦手だ)

・・・・・・・・・
やっぱり疑わしい有田氏。印象操作している? (証拠があるようだ・・・)

https://twitter.com/ikaryakuchan/status/608865799516725248
転載。

有田芳生議員
【法務委員会が終りました。1月から5月末までに行われたヘイトスピーチデモは20件。昨年同時期には60件だったと警察庁が答弁しました。法務省の「ヘイトスピーチ、許さない。」を改ざんしたものはネット上で8件、削除要請し、ほぼ凍結されたと人権擁護局が答弁しました】

他の人の発言
【参考人は「ヘイトスピーチデモは20件」とは答えていませんよ。「右派系市民グループのデモ」と答弁しています】

https://twitter.com/ikaryakuchan/status/608886234627178496
【有田芳生センセイは右系のデモ全部に「ヘイトスピーチデモ」というレッテル貼り。
ヘイトスピーチデモと発言しているのは有田さんだけです】

転載終わり。

ヘイトスピーチは拡大解釈され、そのうえでヘイトスピーチ規制法が通れば、右派系のデモが標的になるだろう。
ヘイトの定義があいまいだ。悪口=ヘイトでもないのだ。しかし有田氏を見ていると、在日コリアンへの悪口のみ「ヘイト」にされる危険性がある気もする。そして「批判」もしづらくなるだろう。「言論の自由や表現の自由も脅かされかねない・・・非常に問題のある法案だ。

※富田氏が作成した「ヘイトスピーチ規制法」への懸念、反対理由が描かれたチラシ
http://at9-bloods.but.jp/DL/hatepanf.pdf

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有田芳生議員が標的にする「日之丸街宣女子」>国会議員が一個人の漫画家を弾圧? [社会・ニュース]

「日の丸街宣女子」関連の記事はもう終わりにしようとしていた矢先、またまた有田議員がネタを提供・・・
で、結局、取り上げることに。

これはもう当分、終わりそうもない?
有田議員、わざとこの問題を引き延ばしている? 逆に「日の丸街宣女子」を宣伝することになるのは自覚しているはずだよね?
ここまでくると、在特会とそれを支持する者たちとカウンター側との対立を煽り、お祭り騒ぎにしているだけのように思う。

では話題となった有田芳生議員の発言

転載

【サンデー毎日に「トキワ荘 ヘイトスピーチ騒動顛末記」が掲載されています。http://mainichibooks.com/sundaymainichi/  『日之丸街宣女子』のようにグロテスクな差別煽動コミックを描く作者を、漫画の聖地に招く企画に抗議が殺到するのは当然のこと。『街宣女子』はすでに差別街宣の象徴です】

転載終わり。

まず・・・
これを「言論・表現の自由への弾圧」とみるか、それとも「言論の自由である抗議という正当な手段」で、富田氏のイベントをつぶしたのか、の問題だが・・・

私は、【主催者が、富田氏とその作品を「差別煽動者、差別煽動作品」と冷静に判断されて、とりやめたのであれば、言論弾圧ではない】と思うが(その代わり、主催者に『富田氏とその作品を差別扇動者・差別作品とした理由』を問いたい)・・・
もしも、主催者の意に反し、そうせざるを得ない圧力がかかったんだとすれば、言論弾圧である。

ちなみに、この件について、私が「言論弾圧じみたこと」があったのだろうと推測した理由はこの点だ。

○富田氏を「干せ」「つぶせ」という言葉が飛び交っていたこと。
○主催者が、富田氏に無断で「早すぎる中止決定」をしたこと。富田氏に何の連絡もなしに中止決定する主催者側の異常な振る舞い→相当な圧力、冷静な判断ができないほどの何かがあったのでは、と推測される。
○後日、主催者と会ったとする富田氏の、それらを臭わせた発言内容は以下の通り。

https://twitter.com/A_T_GUN/status/605515700023656449より転載

【昨日、件の「紫雲荘ワークショップ」の方々と会って参りました。
会合の中身は何も言えないけど再確認。
今回の事は完全に「輩のゴロマキ」ですわ。まるきり拙作の拡大版。】

転載終わり。

もちろん、言論弾圧じみた行為というのは、カウンター支持者が私に指摘した通り、私の推測と主観でそう思ったということだ。
前のほうの日記では「言論弾圧」と断定した書き方をしたが、このことについては訂正します。

正しくは「言論弾圧じみた行為と推測される」であり、【私の主観】でこのブログ記事は書かれてます。当然ですね。

しかし、いちいち、こういうことを但し書きしないといけないのも疲れる。
「些末などうでもいいこと」のようにも思う。

それでも訂正しておきます。
「言論弾圧が行われた」→「言論弾圧じみたことが行われたと推測される(ハヤシの主観)」です。

そして、危惧するのは、これだけ圧力がかかれば、主催者側は権力者である国会議員に睨まれたくないので、不本意な証言を強いられるかもしれない点だ。

国会議員である有田氏など権力者がバックについているカウンター側は完全な強者だ。

さて、それに対するカウンター側の言い分(および有田氏も、そう思っているのだろう)はこうだった。
「抗議は言論の自由」
「触法してない正当な抗議。言論弾圧ではない。問題があったなら警察へ訴えればいい」
「言論弾圧だと言うのは客観性がない、あなた(ハヤシ)の単なる主観」

ハヤシの反論。
「ならば在特会のデモも触法してないから正当であり、言論の自由である。在特会のデモがおかしいと訴えるそちらも主観で捉えているということになる」
「そちらが在特会のデモをおかしいと訴えているのと同じく、こちらも、カウンター側のやり方がおかしい、疑問を持っているということ」
「カウンター側が触法してないから正当と言うのであれば、在特会も正当ということになる」
「在特会ものやり方もおかしいが、カウンター側もおかしい」

これを見ていた第三者の意見。
【言い争いの争点がどうでもいい】
【問題の本筋置き去り】
【もはや言葉尻の取り合いでしかなくなってるような言い争い】

すでに「問題の本質」置き去りで、単なる「あげ足取り」になっている・・・そのとおりである。
※これについては、こちらにて・・・http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-04


カウンター側が
「在特会を何とかするために、触法しない程度の抗議をしている。ある程度過激になるのは仕方ない。正当な行いだ」
とするならば

在特会側も
「自分たちの主張を広く訴えるために、触法しない程度に主張している。目立つために過激な言葉を吐いている。正当な行いだ」
と言えてしまうのだ。

実際、在特会の過激な発言は人の目を引き、有田議員などが騒ぎ立て、マスメディアも取り上げ、在特会は有名になった。
「日の丸街宣女子」も有田氏のツイッターでの発言で一挙に有名になった。

有田議員がやっていることは裏目に出ているのだけど、自覚がないのか、それとも、そういったことをわざとやり、対立を深めるように持って行っているのか?

有田議員は「相手を屈服させること」に熱を上げているだけに思える。
問題の本質は「なぜ、在特会のような団体が生まれ、大きくなり、支持者が増えているのか」だ。

単に「右傾化したから、日本が差別社会だから、ネトウヨが増えたから、自信のない人たちが間違った愛国心にすがり、結果、在日を敵視するようになったから」ではないだろう。

右傾化したのではなく、中国の脅威と言う現実問題を突き付けられ、現実に向きざるを得なくなった。
韓国が異常な反日だから、韓国を母国とする在日コリアンに警戒心を持つ日本人が多くなった。北朝鮮については、言わずもがなである。
そして、もし「間違った愛国心にすがっている結果、在日を敵視するようになった」というのであれば、なぜ、それが在日コリアンなのか? 在日外国人はほかにもたくさんいる。在日コリアンがターゲットにされた理由のひとつに、「かつてあったという税の優遇」(在日優遇策)や、左翼が仕掛けた「数万人と言われる朝鮮人の強制連行説」のウソなど、いろいろあるのではないか。

こういったことを無視している限り、たとえ在特会をつぶしても、第2第3の在特会が生まれるだけで、彼らの敵意は在日コリアンへ向けられる。
けど、有田議員はじめ一部左派は、おそらく本質に向き合おうとはしないだろう。己を100%正当したいがため、絶対にこれらのことを認めないだろう。

カウンター側も今のやりかたを反省しない限り、第三者からは「在特会とどっちもどっち」と思われたままだろう。けど、おそらく「在特会をつぶすための正当な行為」として、今のやり方を貫くのかもしれない。

なので、この対立はずっと続くと思う。

・・・・・・・・・

さて本題。
国会議員がなぜ、ここまで「ひとつの漫画作品」にこだわり、悪しざまに言い、言論弾圧じみた行為(私の主観ですが^^;)を煽動するようなことをしたのか。
異常に思える。

まず、作品中、差別表現がない。

富田氏のイベントをつぶした抗議は法的に何の問題もなく、正当な手段だと言うのであれば、在特会のデモも、法的に何の問題もない正当に行われたものとなる。

その触法しないデモ側を擁護し、カウンター側を悪く描いた漫画「日の丸街宣女子」は、もちろん「公平な視点で描かれた漫画ではない」かもしれない。
しかし、フィクションとはそういうものだ。

何度も何度も引き合いにして申し訳ないが、はだしのゲンは「日本軍を過度に悪く描いた漫画」であり、公平な視点で描かれたとは言えない作品だ。

「こいつは悪だ」と作家側が思えば、そう描かれてしまうのだ。

それなのに、なぜ「日の丸街宣女子」のみをここまで標的にし、表現の自由を規制するかのような言動を、権力を持った国会議員がされるのか、異常に思う。

そして、有田議員に「日の丸街宣女子」および富田氏を批判する資格があるのか?

有田氏は「キモオタ死ね」というイラスト画像をご自身のツイッターでアップした。

※参照http://www.honmotakeshi.com/archives/42730789.html

※有田氏がツイッターでアップした画像。
79a77861.png

有田氏が「オタクへのヘイトに加担した」と言うと、おおげさな、と思う人もいるだろう。
では「オタクヘイトイラスト」の言葉を変えてみよう。

「キモオタ」を「キモい在日」に変えたら、どう思う?
そんなイラスト写真を、国会議員がツイッターでアップしたら・・・
とたんに「差別だ」「ヘイトだ」と世間は大騒ぎになるだろう。

そして、これが有田議員ではなく、もしも与党の議員(自民党議員)だったら…これはもうテレビ、新聞が騒ぎ立てるだろう。

「キモオタ死ね」なら良くて、「キモい在日死ね」はダメ?
これこそ差別では?

こういった二重基準がある限り、問題は解決に向かわないだろう。有田氏は信用されないだろう。

むしろ、有田議員が騒ぐことによって、反有田派やネトウヨが反発し、ハヤシのような「有田氏に疑問を持つ者」もこうして反応し、ますます溝が深まるだろう。対立は激化する。

そして、この騒ぎに第三者は「うんざり」「単なるお祭り」「お互い、プロパガンダ戦争しているだけ」と冷めた目で見ているのだ。

在日コリアンを「差別されている被害者」とみている人も案外少ない気がする。
国会議員が味方に立ち、カウンターと呼ばれる人たちの暴力行為も正当化する。テレビや大手新聞などマスメディアも在特会の異常な言動は取り上げるが、カウンター側の暴力性はあまり取り上げない。つまり在日コリアン側には大きな力を持つ味方がたくさんついている。

在特会のほうが弱小で、弱い立場だ。

そういった国会議員である有田氏およびテレビ大手新聞などマスメディアも味方につけている強者のやり方に対し、ますます在特会を支持する者やネトウヨ、有田氏やマスメディアに疑問を持っている者たちが反発する。

有田議員も問題の本質に目をつぶり、単に在特会、および在特会側の視点で描かれた「日の丸街宣女子」とその作家である富田氏を目の敵にし、攻撃しているだけのように思う。

どちらかを完膚なきまでにつぶさないと、終わらないだろう。
ただ「完膚なきまでにつぶされる」のは、弱小である在特会のほうだろう。けど憎悪を消すことはできないし、ますます憎悪を煽ることになるだろう。

そして「完膚なきまでにつぶす」には、相当の法改正が必要で、その法は「言論統制」「ちょっとしたことで警察がしょっぴくことができる警察権力の拡大」「国家権力の拡大」につながるかもしれない。

もちろん、有田議員の望む法規制は「在日外国人のみ(在日米兵は除く)を守る法規制」なのだろうが。

ちなみに、有田議員は、実は差別感覚に疎い人だと思う。
もし差別や蔑視問題について真剣に考えている人であれば、「キモオタ死ね」という画像はアップしない。アップしたとしても「キモオタ死ね」の部分は隠すか、見えないように配慮するだろう。

※有名な話ではあるが、蓮池透氏に、「有田氏は何もしない政治家」と言われていた。
https://twitter.com/aikoku_dainihon/status/351743788479287297/photo/1

もしかして、「ヘイトスピーチ規制法」は有田氏のポーズ? ただ在特会側とカウンター側の喧嘩を煽っているだけじゃないの?
だって、誰がどういう基準で、「それはヘイトスピーチだ」と決めるの?

「ヘイト規制」は中韓への批判デモが許されなくなるとして、保守派は警戒しているだろう。ヘイト規制が出版物にまで及んだら、言論統制に発展する。

また場合によっては、米軍基地反対の過激なデモも規制対象に入るだろう。これは左派にとっても困るはずだ。

それに『在特会レベル』なことを、みんな、けっこうやっているのだ。
有田議員の「ネトウヨ死ね」画像に、「ゴキブリ駆除」発言。
かつてのメディアがオタクに対し「気持ち悪い、気違い、抹殺しろ」と煽っていたこと。
カウンター側も「死ね」発言を連発していること、など。

みんなの心に『在特会』があるんだぜ。
だから一般の第三者からは、ハヤシも含め「どっちもどっち」と思われている。呆れられているし、ま、「あんたらで勝手にお祭り騒ぎしていな」と冷めた視線を向けられているのだ。

第三者から見たら、ハヤシ含めネトウヨ全般も、有田議員もカウンター側も、在特会も同じ穴のムジナに見えていることだろう。


ところで、なぜこの問題にハヤシさんはこうも粘着しているか?って。
有田氏や左派が仕掛ける「ヘイトスピーチ規制法案」に不信感を持っているからだ。不信感をもっている理由は今まで語った通り。

そして、言論統制および表現の自由の規制にもつながるおそれがある。
だって差別表現のない「日の丸街宣女子」を、有田氏は『表現の自由を逸脱している』と言っているのだから。

「こいつは差別主義者だ」とレッテル貼られれば、その作品に差別表現がなくても、その作家は粛清される可能性もあり・・・それって中国や北朝鮮または戦中の日本ではないか・・・

そう、在特会も富田氏も触法していない。
そもそも富田氏の漫画に差別表現がない。漫画はフィクションであり、ウソを描いてもいい、一方的な視点で描いてもいいのだ。どの漫画家もやっていることだ。

もはや、国会議員が一個人の弱い立場の漫画家を標的に「弱い者いじめ」をしているようにしか思えない。

※もちろん、これはハヤシの主観で記事を書いてます。同じように有田議員も主観で、富田氏の作品を「差別を煽動する」と問題視し、「表現の自由を逸脱している」と言っていることになるのです。
そして客観的事実は「許可を取って行われている在特会のデモも富田氏も触法していない」つまり「正当に行われた言動、表現」なのです。

ハヤシも有田議員も主観で発言している。
在特会のデモ、富田氏は触法していない=客観的事実。

あとは、皆がどう思うか、ですね。
有田氏が考えているヘイトスピーチ規制法は不公平なことになりそうだ。(と思う。ハヤシの主観)

※富田氏が作成した「ヘイトスピーチ規制法」への懸念、反対理由が描かれたチラシ
http://at9-bloods.but.jp/DL/hatepanf.pdf


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ツイッター(不快なら外していただければと) [人生・生き方・生活・人間関係]

ずっと「日ノ丸街宣女子」関連で、在日ヘイトやオタクヘイトについて、有田議員の件、言論・表現の自由や言論弾圧について、カウンターCRAC支持者側とのやりとり、とまあ、全部で12本記事を書いている・・・

さすがに「日ノ丸街宣女子」関連では書きつくした感じがする。飽きたという人もいるだろう。

よく書いたと自分でも思う。ヒートアップした面もあり、人によっては不快な気持ちにさせてしまったかも。その辺は反省しているが。

特にツイッターでの「CRAC支持者とのRTコメントでのやりとり」は、第三者のフォロワーから見たら、うざかったみたいで・・・(そりゃ、興味ない人から見れば、どうでもいいことだろう^^;)

けど、ツイッターってフォローしている人の数で違うだろうけど、すごい速さで大量の情報が流れ去っていくから、RTでやりとりしようが、リプでやりとりしようが、どっちでもいい、と思っていた・・・汗

ここんとこの気遣いがなかったのは申し訳なく思うけれど・・・

というか、相手=CRAC側がRTコメントしてきたので、軽い気持ちでRTで返し、相手もRTで返したんで、しばらくRTでのコメントのやりとりが続いてしまった。
そのあと、リプになった。んで、なぜか、後の方で、また相手がRTで返したんで、こちらもRTになった^^;

正直、2chの罵詈雑言は気にならないが、匿名ではない多少つながりがあったフォロワーの人の「CRAC側とハヤシとのやりとりが不快だという趣旨のつぶやき」はなかなか厳しいものがあるね^^;

ただ、目障りで不快であれば、これからもこういったことが続くだろうから、フォロー外してくれたほうがいいかも、と思った。

私からフォローを外したところで、向こうが私をフォローしてくれている限り、私の発言はフォローしてくれている人の画面に表示されてしまう・・・かといって私からブロックするのも違うし・・・

これからも、ファロワーに気遣いながら、ツイッターできないと思う。

なので気遣いが必要なSNSやFBでは、活動していない。
ブログとツイッターが自由気ままに書けるツールと考えていた。
(ツイッターも休む時は長く休んでいた)

で、私はこういったことを話題にしてしまう。
まず個人的な生活や日常などはつぶやかない。
ほぼ、自分の作品や記事の宣伝か、プロパガンダ的内容になってしまうだろう。これにうんざりしている人は外してほしいのだ。

ま、これはどう捉えようが自由だし、そういうふうに見られていたのかと、目が覚めた気分にはなったけど。

が、これもRTやりとりで、第三者の目に触れたから、第三者の意見を聞くことができたともいえる。そして、他の人からも助言を得た。(私にはあやふやだった「言論弾圧になる定義」について)
RTやりとりしていなかったら、これら第三者の発言はなかったかもしれない。
だから、RTやりとりも、無駄ではなかったとも思う。

たしかに「日ノ丸街宣女子関連の話」は興味ない人から見ればどうでもいい話だ。何度も話題になれば、うんざりする人もいるだろう。けど、話題に参加しろと言ってるわけでもないし、スルーすればそれですむ。ツイッターはそういうツールだ。

けど、私個人はかなり興味が持てた問題だ。

長々とやり取りが続いてしまったものの、お互いがかみ合わない主張をしたところもあったけど、言い争ったという感じもなく、自分としては考えも整理できたところもあったのだが・・・(疲れたけど^^;)
ブログのネタになるな、とは思って、続けてみた。

私をフォローしているがために、そのやりとりがフォロワーの方々の「ホーム」に表示されてしまうことについて、全く気にもしてなかった。

が、最初、相手がコメントRTで返すので、自分もRTで返してしまい、RTとリプの違いもあまり考えず、適当にしていた。
というか、フォロワーの第三者のことなんて考えてなかった。

興味なければ無視すればいいこと=見なきゃいいと思っているし、目に映るのも嫌であればフォローを外してくれればいい。そうすれば私のコメントやRTは表示されない。

こちらもRTとリプの違いをあまり分かっていなかったのは申し訳なく、フォロワーのホームに表示されるかどうかなど、頭になかった・・・ここは猛省。ネット音痴ですね^^;

ツイッターって、ものすごい数の情報が早々と流れ去っていくし、(フォローしている数で違うだろうけど)
そんなにCRAC側と私のPTコメントやりとりを不快に思っていたとは想像すらしなかった。乱暴な言葉づかいもしてないし、相手の方も言葉遣いも丁寧だった。いわゆる罵詈雑言の応酬はしてないので。

ツイッターでのつながりは、お互い、いつでも切れる無関係の人だけにしておけばよかった・・・後悔。
ちょっとでも個人的関係があった人がいると気遣いが必要になるのか・・・そこはFBやSNSと同じなのだな。
やはり匿名ばかりでつながれる(いつ切ってくれてもOK)ところのほうが、性に合っているなと思った。

コメント欄は閉じていて交流ないけどブログが一番、自由で気楽だね^^;

不快だというつぶやきも、もちろん「正直な感想」であり、そうつぶやくのも自由だけど、
なら、フォロー外してくれていいんだけどな・・・と思ってしまったのだ^^;(これも自由な感想ね)

こっちのコメントを見せないようにするにはブロックするしかない。けど、そこまで私が気遣う必要もないだろう。

ただ、RTとリプ・・・長くやりとりするならリプで。
ツイッターでのマナーということになるのかしら。ここんとこ疎くてごめんなさい。

直にメッセして「切ってくれていいよ」とは言いづらいので、ツイッターのつぶやきとブログで、自分の考えを書いておきました。

基本、自由気ままに。最低の気遣いはする(誰が見ても不快になる罵詈雑言は避ける)けど、それ以外の気遣いは無用と考えている。自由な発言の場であり、やりとりがかみ合わず、お互いの主張の応酬になってしまうことも多々ある。

ネットは、基本、不快だったら見なきゃいい。
もちろん、不快であったという感想をつぶやく自由はある。
それに対するこちらの応えは、不快な気分にさせて申し訳なかったけど、これからもあまり気遣いすることないだろうから、不快な思いをさせることになる。だからフォロー外してくれて構わない、ということなのだ。

お互い気遣いなく自由にやっていこう。


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在日蔑視とオタク蔑視 [社会・ニュース]

あまりに長くなったので、「在日蔑視とオタク蔑視」の記事をこちらに転載編集しました。
・・・・・・・
6月4日
前記事http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-01からの続きです。

【差別やめろ、と訴える側にも、己の言動が問われる。
そこに二重基準があれば説得力に欠ける】

と今回の「日の丸街宣女子」問題で思った。

ちなみに私の記事が2chで取り上げられ、いたく皆を刺激したのは、この部分だったようだ。


【CRAC代表は過去発言で「オタクを馬鹿にしていた」そうだ。
在日を馬鹿にしたら差別で、オタクは差別にならない?

(というと、出自は変えようがないが、趣味は変えられると反論するんだろうが、馬鹿にされたくなかったら趣味を変えろ=生き方変えろはある種の強制だよね?)

結局、正義とはそんなもの】


要するに、在日を差別するな、と訴え、富田氏をつぶそうとしていた側も、オタク蔑視発言をしていた、このことについてどう思う? 

ということを投げかけたのだが、
この掲示板で書きこみをしている人の中には・・・

【オタクを差別していたから、在日差別をしてもいい、というのか?】
【オタク蔑視は差別ではない】
【こいつ(ハヤシ)は差別する権利がある、と言っている】

と、「ハヤシは差別容認している」と持っていきたかったようだ。

オタクを蔑視することは、差別にあたらないにしても、いかなる人への蔑視もしてはいけないだろう。
在日であろうが、オタクであろうが、女性であろうが、容姿(ハゲ、チビ、ブス、デブ、豚、ブサメンなど)が残念な人であろうが(美の基準云々の話はおいておく)・・・

けど「オタク蔑視は差別ではない。先天的なものと後天的なものを一緒にするな」などという意見も見られた。
「オタクは嫌われないよう努力すればいい」など。

※しかし「何を持ってオタクとするか」は私も感覚的にしかとらえられない。世に言われているオタクとは「漫画、アニメ、ゲームにのめりこんでいる人」と定義されている気がするが・・・

※嫌われないよう努力しろ、というのは、たとえば「いじめ問題」で、いじめられるほうに問題がある、と言っているようなもの。もち、嫌われない努力は必要だろうけど、ならば外国で暮らす人も、郷に入れば郷に従う、その国民に好かれるよう努力しろ、と言われてしまうだろう。

皆、自分の【悪】の部分は認めたくないんだな、とも思った。

「ああ、たしかに、自分もそういった蔑視発言をしていた。反省しよう。だから、皆もやめようよ」というふうには、なかなかならない。

これって、日本の歴史観の議論にも似ている。

「過去に、日本だけが悪いことをしたのか? ほかの国もそれぞれ同じくらい悪いことをしてきたよね」
と言うと

「だから、悪いことをしていいというのか? 
「日本がやってきた悪を正当化するのか」
「日本がやってきた悪を認めたがらない歴史修正主義者」
と批判する。

「みんな悪いことをしたのだから、みんな反省しよう」
とはならないのだ。

今回の2chを見て、同じ構図だ、と思った。

「オタク蔑視したよね? あなたも同じようなことしたよね?」
と突っ込めば、

「だから在日を差別していいというのか?」
「差別主義者」
と返ってくる。(もちろん、ごく一部だろう)

2chのコメントにもあったが
「なぜ(差別や蔑視を)皆でやめよう、とならない?」と。

差別反対を訴えながら、実は自分も差別(蔑視)をしてしまっていることがある・・・(それは私も含めてだ)
なので、皮肉を込めて「正義ってそんなもん」と書いたのだ。

2chのコメントに「なぜ正義がでてくるの?」といった発言もあったが
二重基準があるうちは「正義」は掲げられない。

在日蔑視をやめろ、という訴えている側に、「でもオタク蔑視はOK、女性蔑視OK、容姿が劣る者への蔑視OK」があれば、それは正義の訴えとはならず、多くの人の賛同を得るのが難しくなるだろう、ということだ。

同じ構図で、
「富田氏が在日蔑視をしている」と富田氏の人間性を批判した高遠るい氏のエロ漫画がやり玉にあがった。(私も話題にした)
高遠るい氏の漫画が、女性を性的玩具にしたような女性蔑視に当たるような内容の作品だったからだろう。
他者を批判すると、「じゃあ、あなたは? 蔑視していない?」と返されてしまう。

蔑視や差別をなくすというのは、かなり難しいことかもしれない。
差別や蔑視をやめろと訴えている側も、ほかの属性に対して差別や蔑視を行っている場合がわりとある。

しばき隊=CRACが、一般の人たちから「在特会と同じ。どっちもどっち」と思われているのは、そういうところがあるからではないだろうか。

「差別をやめさせるためには何をしてもいい、というのはテロリストと同じ思考だ」というほかの人の意見をツイッターで見かけた。

一方、一般の在日コリアンの方の中立的なツイート発言を見たことがある。
彼らは自分たちのことも反省したり、韓国の姿勢を批判したりしている。
そういった反省の姿勢を見せる在日コリアンに対しては、右派系の日本人も受け入れ、右派は攻撃したりしていない(私が見た少ない例だが)

日本人は反省している人に弱い。

在特会のデモは、許可を得て、いちおう法に則って行われている。(個別の暴力事件については、警察が介入し、処理している)
彼らの活動をやめさせるには、それを規制する法整備を、となるだろう。
が、それと引き換えに、ゴミやトイレ問題などで地元住民に迷惑をかけている過激な沖縄の米軍基地反対デモも規制されるかもしれない。

万が一、こちら「米軍基地反対デモ」が規制対象から外れれば、「不公平だ」と怒りの声が上がり、ますます在日への憎悪が膨らむだろう。

在日への蔑視発言についても、すべての人に対する蔑視発言をやめよう、としなければ説得力にかけるが、現実問題、こちらも法的規制や罰則を設けなければ、難しいかもしれない。

言論統制への危険性と引き換えに、これを望むのか、ということになる。

しかし、在特会は有名になってしまったな。
なぜ大きくなったのか? 
「日本が右傾化したから。ネトウヨが増えたから」というだけではないだろう。
というか私も「ネトウヨ」だとしたら、私程度の考えの人はけっこう多いと思う。

在日特権(優遇政策、過去にあったのかも含め)についても、テレビで徹底討論すればいいと思う。
もちろん討論参加する者の人選が偏らないように。
今はネットがあるから、偏りがあれば、すぐに露見し、ますます溝は深まるだろう。

と、こう書くと「ハヤシは差別容認派だ」と思う人もいるのかもしれないが。

これで私も一部の左派と在日から敵視されるようになるのかもしれない。
すると、やはり私も普通の人間だ。そういった属性にいる人たちを警戒するようになる。
こうやってお互いの敵視(敵意)は広まっていくのだろう。

これこそ在特会の思うつぼという気もしないでもない。

今回のことで「差別の拡大解釈」を身を持って知った。
私も一部の人からは「差別主義者・差別容認派」とされてしまったらしいから。

で、2ch「こいつ(ハヤシ)の弱みってないのか」というような書き込みがあったりして、脅し効果としてはなかなかだ。

正直びびった。
なので、富田氏はすごいな、と思った。

法的規制がなくても、言論弾圧はけっこう簡単にできてしまうものかもしれない。

ちょっとした団体が圧力をかければ、都合の悪い人物を黙らせ、制裁を加えることができることがある・・・のかもしれない。

それでもネットがあるので、完全に黙らせることは難しいだろうけれど。
とまあ、そんなことを考えさせられてしまったのだ。


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CRACカウンター支持者とのやりとり>「日ノ丸街宣女子」問題で [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

6月7日
※追記していたら、長くなったので、「在日蔑視とオタク蔑視」の部分はhttp://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-07-2に移動させました。

追記「お詫び」

カウンターCRAC支持者側とのやりとりはツイッターで行ってました。
その際、おそらく、そのことを言っているのだろう「第三者の意見」を要約してアップします。

【言い争いの争点がどうでもいい】【問題の本筋置き去りの罵り合い】
【もはや言葉尻の取り合いでしかなくなってるような言い争い】
【見てるほうが寒々しい気分になってくる】

罵り合いをしている自覚はなく、わりと冷静に議論?した気でいました。(ちなみにCRAC側も私もそれなりに丁寧な言葉でやりとりし、罵詈雑言の類はありません)
ただ「言葉尻の取り合い」という指摘はもっともです。問題の本筋も置き去りになっていたかも。
ということで、ここは反省します。

が「言論の自由、言論弾圧って何だ?」「自由はどこまで許されるのか」というのが、とりあえずの争点だったのかしら。
(このへんもあやふやといえばあやふや。けど、私側としては整理できた部分もあり、CRAC側にもお礼を言って、やりとりを終えた)

いや、難しいものですね。
議論していると勘違いしている当事者より、遠くから見ている、こういった第三者の感覚が一番正しいのかも。
あとから、こういった意見があったことを知り、恥ずかしながら冷や水浴びました^^;

それでも、この反応が「ごくごく一般の人」の感じ方なのかも。
「右も左もうんざり」ということで、私もすっかり「ネトウヨ認定」され、私のようなの立場(在特会にも反対だけど、カウンター側のやり方にも反対)を含め、在特会もカウンター側も、寒々しい人たち、と。これが遠くからみている全くの中立の人たちの感想なのでしょう。

そもそもツイッターのような短文ツールで、こんな難しいこと(言論の自由、言論弾圧の定義)を議論できるはずがありません。

SNSとFB同様、ツイッターのほうも、やりとり(議論にもならない無駄なこと)は自重し、宣伝と拡散目的でのみ使用していきます。
RTコメントと、レス(リプっていうの?)との使い分けも適当で、フォロワーである第三者にどう表示されるかなど、あまり意識してませんでした。
(交流の場ではないブログが一番、第三者に不快な思いをさせないで済む安全ツールかな^^;)
不愉快に思った方、申し訳ありませんでした。

・・・・・・・・・
他、追記。

http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-07-1
有田芳生議員の、オタクへのヘイト加担について。

オタクに対する、かつての一部メディアの在特会並みのヘイト
http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-07

・・・・・・・・・・
6月6日

「日之丸街宣女子」について、カウンター側支持の方(=在特会、「日之丸街宣女子」および作者である富田氏を批判する方)とハヤシとの間でやりとりがあったので、紹介します。

私の言い分【富田氏のイベントがつぶされた=言論弾圧じみたことがあった】に対する相手の言い分はこうだった。

※言論弾圧と断定するような言い方は正しくなかったと、ここは反省します。「言論弾圧じみた、もしくは言論弾圧につながる動き」と訂正します。ここは「カウンター支持側の方」とのやりとりで気づかされた点です。


相手の意見、要約
【富田氏はイベントにふさわしくないと抗議することも、言論の自由の行使。よって言論弾圧ではない】

私の意見
【言論の自由を無制限に認めるのであれば、在特会も言論の自由の行使をしていることになる。あなたたちはそれを「おかしい」と抗議しているのでは?】
【在特会のやり方と同じく、カウンター側のやり方に疑問をもっている。なので言論弾圧じみた行為があったのでは、と考えている】

というわけで、相手は「富田氏のイベントをつぶしたことは、抗議=言論の自由を行使しただけ」で、つまり正当性があるとし、言論弾圧でも何でもない、という主張。

まず言論弾圧の定義として、ほかの方の発言があったので転載します。そういえば、私も「言論弾圧の定義」についてはあいまいだった。

転載。
【言論弾圧でないための最低条件。

批判に対して作家側の意見の表明の機会が担保されること。
その上で主催者側が客観的に冷静に判断できる環境が担保されること。】

転載終わり。

その上で、「カウンター側のやり方に疑問をもった根拠」を私は提示した。

○CRACなどカウンター側の、富田氏を干せ、つぶせ、という言葉がネット上で飛び交っていたことで、脅しにも似た言動が見られたこと。しかし、罪が成り立つほどの言動でもなく、そういうことでは「言論の自由」と言われてしまうが、ならば在特会のやっていることも言論の自由になってしまう。

○イベント主催者側が、富田氏に無断で中止決定するという尋常ではない行為をした
=冷静な判断ができていなかったと推測される
=なぜ客観的冷静な判断ができなかったか
=主催者が恐れをなすような行為が行われた可能性があるのでは?

○その後、富田氏が主催者側と会合し、その時の発言内容から、主催者側がどういう状態だったか、少なくとも「富田氏を問題人物を判断したから中止した」とは受け取れなかった。

富田氏のツイート発言
https://twitter.com/A_T_GUN/status/605515700023656449

転載
【昨日、件の「紫雲荘ワークショップ」の方々と会って参りました。
会合の中身は何も言えないけど再確認。
今回の事は完全に「輩のゴロマキ」ですわ。まるきり拙作の拡大版。】

転載終わり。

ということで、イベント主催者側にかなりの圧力がかかったと思わせられる発言だった。(もち、富田氏側視点の発言だ)

しかし、相手方は、富田氏はツイッターで自由に発言しているし、言論弾圧など受けていないと主張。
が、イベントをつぶし、漫画家の仕事を奪おうとする圧力は、富田氏を黙らせる可能性があった。

だが、相手は「不当な圧力ならば、業務妨害の罪で訴えればいい」と発言。

が、資金もないだろう小さな団体にとってそれは現実問題として難しい。

同じく在特会のデモも法に触れてないので訴えられない。
けど、反在特会側=カウンター側は有田議員などが支持しており、大きな力もあり、在特会と戦う力もある。

一方、小さな団体は黙るしかないし、圧力があれば、それが意に沿わなくても屈してしまうだろう。

「言論弾圧、およびそれに似た行為」をどう捉えるか、という問題だ。

しかし、法に触れる行為ではないので、相手方は「正当な抗議活動。言論の自由の範囲内」という。

が、それならば在特会のデモも現段階では法に触れる言動をしていないので、正当な言論の自由を行使している、と在特会の行為も認めなくてはいけなくなる。

※在特会のデモ言動も、カウンター側も言動も動画で見たことがある。動画の印象では「どっちもどっち」

「在日に対し【殺せ】などの言葉が飛び交うデモはおかしい」と相手側は以前から主張。私も在特会は支持していない。おかしいと思うし、ここは同意している。

しかし私は、カウンター側のやり方にも疑問を持っている。それは上に示した通りだ。

が、相手方は「それは単なるあなたの主観でしょ」と言うので、「ならば在特会のやり方をおかしいと思うのも主観である」「主観と主観のぶつかりあい」と答えたのだが、相手は違うという・・・

もはや言葉尻を捉えた堂々巡りとなり、これ以上、やりあっても平行線なので、ほかの人がどう思うか、どの考え方、見方に理があると捉えるか、それでいいじゃないか、と私は思い、当ブログにも記載することにした。

もちろん、「イベントに富田氏を採用するな、という抗議は言論の自由の範囲内で、法に触れる行為ではない」と思う人もいるだろう。

いろんな考えの人、意見の人がいるだろう。

「在特会も法に触れる行為はしていない(言論の自由を行使しているだけ)ので、在特会の言動も正当である」
「いや、在特会はおかしい、法の不備だ」

こういった意見があるのだから、同じく・・・

「カウンター側(CRACなど)も言論の自由を行使しているだけ。正当である」
「いや、カウンター側も在特会と同じくおかしい」

と思う人もいる。

そもそも差別の定義があいまいだとも思う。
そして、在特会と関わりを持っているという富田氏の漫画が、カウンター側の標的となり、イベントつぶし問題にまで発展した。

その中で、ハヤシはこう考えると、問題提起の意味も含め、ブログで記事にしているに過ぎない。
賛否両論あっていいと思う。カウンター側支持者をつるし上げるのが目的でもないし、「ハヤシさんが間違っている。イベントつぶしは言論弾圧でもなく、正当な言論の自由を行使した結果だ」と思う人もいるだろう。

要はイベント主催者側が、抗議を受け、富田氏はイベントにふさわしくない、と自ら判断したのか(・・・ならば、イベント主催者側に差別の定義を問うことになる)、あるいは恐れを抱き=圧力に屈し、意に沿わないけど、中止にしたのか(言論弾圧に近いことをされた)、だろう。

主催者側の中止決定はあまりに早すぎた。
常識的に考えれば、問題となった富田氏と話し合い、それで決定するのが筋だが、それもせずに中止表明をした。(せざるを得なかった? それほど凄まじい抗議や脅しに近い抗議があったのだろうか?)

これを言論弾圧行為とするか、正当な抗議行為と見るか、だ。

けど「こいつは差別主義者だ」とレッテルを張られ、徒党を組んだ団体が「正当な抗議活動だ」と言って、つぶしにかかる、というのは恐ろしい。

差別主義者の定義もあいまいなのに、富田氏に対し、それをやったカウンター側への恐怖を感じる。
そして、出版社や編集部にそれをやられたら、死活問題だ。

「境界のないセカイ」が、人気があるにもかかわらず、クレームがくるかもしれないと編集部側が連載中止にしてしまった(作者側の言い分による)のだから。

「言論弾圧につながる動き」と見たのは、こういった理由からだ。

・・・・・・・・
では、カウンター側支持者とハヤシのツイッターでのやりとりをリンクしておきます。

RTでのコメントから始まり、それからレスになったり、またコメントつきRTになったりと、話の筋道が、一部、あちこち行ってますが、
コメントRTは、こちらを参照 
https://twitter.com/kiga2hon

レスの応酬・・・カウンター側を支持する方とハヤシのやりとり。
https://twitter.com/kiga2hon/status/606460423060078592
https://twitter.com/kiga2hon/status/606711274278252544

※ここで「やりとり」をブログに転載していいかどうかを訊いたが、それについては答えてもらえなかった。
しかし、ツイッターという公の場で発言しているのだから、紹介してもかまわないだろうということと、「抗議であって弾圧ではない」という主張も紹介し、あとはそれぞれが考え、自由に受け取ればいい、と。それが公平だと思うので、リンクしました。

これを見て、カウンター側を支持する方、ハヤシのほうがおかしい、間違っていると思う人もいるかもしれません。でも、それでいいのだと思います。それが言論の自由ですよね^^;

https://twitter.com/kiga2hon/status/606851139468787712
https://twitter.com/kiga2hon/status/606732309291614208

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