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産まない選択(山口智子)、子どもを持つ覚悟と障害、養護施設について [人生・生き方・生活・人間関係]

山口智子の「産まない人生」宣言で考える 子どもを持たない選択した女性にも優しい社会について
https://news.careerconnection.jp/?p=20978より一部転載。

【「産めるうちに産んでおけ」が世間の声。自分の意思で産まない「選択子無し」は少子化に悪影響、エゴイストと囁かれて立場が弱い。

そんな中、子どもを持たない人生を選択したことについて「一片の後悔もない」と言い切った女性がいる。女優の山口智子だ。

31歳で俳優・唐沢寿明と結婚した山口は、現在51歳。世間では子どものいない彼女に「仮面夫婦」「不妊治療に通っているのでは?」などとの憶測が飛び交っていた。しかし、山口は今回のインタビューで、子どもについてこうキッパリと言い切っている。

「私はずっと、子供を産んで育てる人生ではない、別の人生を望んでいました。今でも、一片の後悔もないです。人それぞれ、いろんな選択を持っていいはず」

「産んでからの後悔」については誰も語らない

山口は「もちろん、子供を持って初めてわかる感動もあると思います」としつつ、「でも私は、自分の選択に微塵の後悔もない」と強く語る。彼女には「夫(唐沢)としっかり向き合って、二人の関係を築いていく人生」こそが幸せなのだと。山口のこの発言は「潔い!」と、ネット掲示板「ガールズちゃんねる」で反響を呼んだ。

「こんな風に言い切るのは勇気がいるよね。産まない女性にたいして世間はとても厳しいから」
「きっぱりそう言い切れる山口智子と、それを理解して寄り添う唐沢寿明いいなー」

また、「特に称賛されまくる話ではない」としながらも「でもこういう考えや選択が普通に選べる世の中になっていいと思う」という声や、「子供のいない人生を肯定する風潮が広まりすぎると日本が終わっちゃうよ。それもどうかな…」と危惧する声もあった。

「産めるうちに産んでおかないと後悔するよ」と人は言う。あの岡本夏生も、マツコ・デラックスもそんなことを言っていた。子どもを産むということは"未来につなげるべきバトン"であると。

それは、わかる。わかっている。しかし「産んでからの後悔」については誰も言わない。産んでから後悔が発生することはあり得ないのだろうか。そして万が一あったとしても、そこは誰も責任を取ってはくれないのである。なぜなら子どもを産むという行為そのものこそが、無条件で「良いこと」とされているからだ。

「俺たちは未来の納税者を育てているんだ」に絶句
「『俺たちは未来の納税者を育てているんだよ』と(兄に)言われたときは、ぐうの音も出なかった」

そう、ソレ言われたら役立たずでスイマセンとか、申し訳ないなと感じてしまう。やはり「結婚したら子どもを産む」がスタンダードで、それ以外の生き方は主張しにくい社会だ。

「なぜ子どもを作らないのか」と真顔で聞いてくる人たちは、本気で疑問に思っているのだと思う。なぜなら、その問いかけのベースには「女だったら産みたいに決まっているのに」という考えがあるからだ。

しかし、断言しよう。筆者もそうであるように、全ての女が無条件で出産欲があるわけではない。マイノリティかもしれないが、「産みたくない女」や「産みたいのか産みたくないのかわからない」という女も確実に存在する。

そしてそう思う女の背景には、生まれ育った家庭環境や、母親との確執がある場合が多い。だからこそ「もう散々遊んだでしょ?」等のお門違いの説法にはウンザリで、わかってもらえないだろうなァという諦めと疎外感もある。

事実、山口智子も「私は特殊な育ち方をしているので、血の繋がりを全く信用していない」「私はずっと"親"というものになりたくないと思って育ちました」と語っている】

転載終わり。

障害を抱えた子供を責任もって育てる覚悟があるかどうか、これが一番重要では、と思った。
相当な覚悟が持てないなら、子どもは『産まない』『つくらない』『持たない」でいいのでは、と。
(つくる。もつ。という言葉は使わないほうがいいだろうが、適当な言葉が見つからない)
なので「産めるうちに産んでおけ」には反対。夫婦ともに覚悟をもたないといけない問題だと思う。

きれいごとはなしで語ります。
出産前に分かることもあるけれど、出産後に分かる障害もあり・・・まあ、発達障害はその一例。率も多いし。

もちろん、障害のある子を抱えても、家族一丸となって、協力し合い、家族愛で解決しているお宅も多いだろうけれど、中には、ダンナが逃げて、お母さん一人が抱え込み、辛い思いをするケースとか、どうしても子供を愛せないと悩んだりする親御さんとかいるようだ。

児童養護施設にいる子供は、孤児は1割にも満たない。ほとんど両親、片親がいる。

虐待で保護されるケースも多いようだ。

つい、この前、児童養護施設にいる子どもは3万人と聞いたけど、朝日新聞によると4万6千人になっている・・・(ただ、自立支援施設なども含まれるのかな。自立支援施設は昔でいう教護院)

で、2割が発達障害などがある子供だという。

施設に預ける親の事情は人それぞれだけど、障害を抱えた子供を育てられないとして、施設にやってしまう人もいるかもしれない。

虐待するよりは、施設に預ける(悪く言えば捨てる)ほうが、まだマシだろうけれど。

もち、障害を抱えた子を育てる親の方も辛い。
「親よりも早く死んでくれ」と願ってしまうのだ。
心配で障害のある子を残せないだろう。発達障害の場合、国の支援などほとんど受けられない。将来に希望など持てない。それが現実。

それでもまだ思ってくれる親がいれば、まだいい。
親から捨てられた児童養護施設にいる発達障害の子は、18歳になったら施設を出て自立をしなくてはいけない。追い出されるのだ。最悪、犯罪に巻き込まれたり、犯罪に利用されたり。

なので、発達障害含め、障害を抱えた子を育てる覚悟があるか、これは重要だと思う。とくに男性は、そういうこと、あんまり考えないだろう。

だから男性にも問いたいのだ。障害を持った子が生まれた場合、奥さんと協力して最後まで責任もって育てる覚悟があって、それでも子どもが欲しいですか、と。

現実問題、奥さんと障害持っている子供を捨てる人も割といると聞くから。
捨てるまでいかなくても、家にあまり帰らない、仕事に逃げる男性もけっこういるだろう。

記事にある「未来の納税者」・・・
自分のところには健常児が生まれると信じているみたいな、そんな男性が多いんだろうな。
障害を抱えた場合も考えてほしい。
そのうえで、夫婦で話し合い、決めればいいと。


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ラクに生きたい [人生・生き方・生活・人間関係]

前回、ちきりんさんのブログ記事を引用したけれど、
そのちきりんさんの本を読んだ。勝間和代さんの「断る力」と同じくらい参考になるところが多かった。



一番共感した、アマゾンでのほかの人のレビュー紹介。(ほかにも、辛口レビューがあったが、わりとすべてのレビューに同感した)
以下レビュー編集転載
・・・・・・・

僕自身が本書の生き方を実践しているので、10年前には少数派(変わり者)と言われた考え方をよくぞ代弁してくれたと共感しました。

その一方で、併せて、誰もがこの働き方を実践できるわけではないことに警鐘も鳴らしたいと思います。
安易に鵜呑みにして不幸になる人たち(勘違いする人たち)が頻出しないように。

ライフデザインに関する論客たちの共通点はみな高学歴者であること。学歴無関係のノマドエバンジェリストがなかなか現れないのが日本の現状。

残念ながら、エバンジェリスト(搾取する側。高学歴者。自分をメディア化する能力に長けた人)⇔信奉者(搾取される側。世間知らずの学生や若者の中で、就職できない人や、就職することを不安に思っている人たち)の構造があるように感じてなりません(「デジタルな香りのする貧困ビジネス」)。

いみじくも勝間和代さん(慶応、早稲田大学院)もこう言ってました。
「資本主義とは、賢くない人から賢い人へお金が流れるしくみ」

追記)
『自殺対策白書』などの統計によれば、その多くは45歳から64歳までの無職の男性。
なぜ彼らが死を選ばざるを得なくなったかは、会社から切り離されたことで人的資本を失ったからです。
中高年の転職が事実上不可能な日本では、サラリーマンが無職になることで毀損する人的資本の価値は1億円を超えると言われ、
その損失を取り戻すことは二度とできないのです。

ちきりんさんのように40代で二度目の人生を歩めるのは、"事実上"ほんのひと握りであること、
あえて歩むとなると、日本では非常に大きなリスクが伴うことを覚悟すること、
あらためて警鐘を鳴らします。

「起業そのものに反対なのではなくて、誰もが起業をめざすことには反対。リスクが大きすぎるから。
能力があれば起業するのはいいと思う。しかし、普通の人が気分だけで起業をめざしても、結局、誰かに使われるだけで終わりかねない。
起業自体はある意味誰でもできる。難しいのは、継続的に利益を上げていくこと。人脈も経験もない若者ではなおさら」・・・古市憲寿(慶応、東大大学院)

・・・・・・
転載終わり。

[「第2の人生を40代で始めよう」というちきりんさんだけど・・・
まあ、やっぱ万人向けではなく・・・ちきりんさんのように40代で、第二の働き方(転職、会社を辞める)ができるのは、扶養家族がいないこと、ローンがないこと、など条件があるだろう。

それと「市場感覚を身に付けろ」ということについて。
ごもっとも^^
でも「個人が市場で評価される」「価値を生み出すことができる」って大変なこと。
なので、評価された人は逆に「第二の働き方」へ転身してもいいのかも、と思ったりする。
評価されたなかった人は、そのままでいたほうが・・・

市場で評価される、自分の価値を見極める・・・
個人が市場体験するには、市場を学ぶには・・・ネットの場合、例えば、ブログでどれくらいアクセス数が稼げるか、ということで、ちきりんさんのブログには月に20万の人が訪れ、200万アクセスあるという^^
ほか、ツイッターでどのくらいのフォロワーがあるか、FBでどれくらいの「いいね」がとれるか、ユーチューブの再生回数など。
これら万単位でないとお話にならないんだようなあ・・・

※ちなみに当ブログのアクセス数は雀の涙。つまり市場価値は全くなく、私は価値を生み出すことはできていない、ということだ^^;

市場で評価されないということは、消費者が求めているものを理解できていない、自分のもつスキルや技術、感覚は時代遅れになっている、ビジネスにはならない、ということで、ごもっともと思うと共に、これから生きていく人は大変だな、とも思った。

市場に求められている人ってそれくらいいるんだろう?

少なくとも私は求められていない、価値を生み出すことはできていない。卑下しているのではなく、市場においては「自分はいらない人」だと思っている。そして市場において、自分は求められていないことは認知できるのだけど、じゃあ、どうしたら市場に求められるようになるのかが分からないので、私は【賢くない人間】に入るだろう。

ただ【資本主義とは賢くない人から賢い人へお金が流れる仕組み】だというので、せめて「賢い人へお金をとられないようにしたい」とは思っている^^
しょせん、悪あがきだけど、たとえば【賢い人の本】は買わない(ほか【賢い人】が催すセミナーとか、そういったものにお金を使わない^^;)、本の類は図書館で済ませる、つうか、今はネットで無料でいろんな人の記事を読めるわけで、あえて「お金を出して買いたいもの」ってない。

賢くない人間の生き方・・・そりゃ、もう賢い人に騙されないように、警戒するしかないね^^;とりあえずケチに生きよう。

【賢い人】は、「自分の投資にお金を使うべき」「こうすれば成功する」「こうすれば恋愛できる、彼氏彼女ができる、結婚できる」「こうすればお金儲けができる」「こうすれば幸福になれる」などと言って、自分が催すセミナーとか、本を買わせようとするけれど。

おっと話を元に戻そう。

世界がこれからどうなるかという考え方は参考になったし、人生に対する考え方も賛同しているのだけど・・・
要するに自由を求める(=やりたいことをやる)のであれば、あまり多くのものを持たないほうがいい、そこには「子ども」も入るのかもな、と思った。

逆に子どものために、我慢してやりたくない仕事もやる、企業で働く人もまた偉い、立派だとも思う。

けれどどう生きるかは人それぞれ。
「立派な生き方」が正しく、幸福になれるとも限らない。

ちきりんさんも言っていたけど、日本は「耐えることが美徳」という倫理観を持っているため、苦労することが尊い、苦労から逃げてはいけない、と「苦労する生き方」を良しとする風潮があり、「できるだけラクして生きること」をわがままとし、悪いことだとするけど、それは違うのでは、と私も思う。社会に迷惑をかけなければ、何でもアリだと。

できるだけラクしていいのだ、やりたいことやればいいと。やりたいことならば苦労とは思わないし、要は人生、自己満足を得られるかどうかだな、と。


※参考までに、ちきりんさんのブログ記事。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120117
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120114
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120119
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120201



そこで気になった本を見つけた。(以前テレビで紹介されていたっけ)
できるだけラクに生きようということで。



以下転載。
・・・
持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない (幻冬舎単行本)

僕はいわゆる「真っ当」な生き方から逃げて楽になった――

もっと自由に、伸び伸びと。
京大卒・日本一有名な“ニート”が提唱するこれからの生き方。

・生きるのがつらそうな人がこんなに多いのはちょっと変だ。
・「正社員にならねば」「結婚しなければ」「子どもを作らねば」「老後に備えなければ」「貯金しなければ」……「こうあらねば」が人を追い詰めている。
・お金があればみんな幸せになるんだろうか?
・いや、お金で解決できるのは、うまく稼げる一部の人だけだろう。
・生きるのが苦しくなったときは、世間の価値観や周りの意見にとらわれずに「自分が何が好きか」という感覚をしっかり持つことが大事だ。
・僕の場合は好きなものはインターネットだった。ずっと嫌々ながら勤めていた会社を辞めて、それ以来八年間定職に就かずふらふらとした生活をしている。
・会社や家族やお金に頼らなくても、仲間や友達や知り合いが多ければわりと豊かに暮らしていけるんじゃないだろうか。
・生きていく上で大事なのは他者との繋がりを保ち続けることや社会の中に自分の居場所を確保すること。
・いわゆる「普通」とされている生き方以外にも、世界には生き方はいくらでもある。
・今はもう終身雇用で何十年も雇われるのを目指す時代でもないし、家庭を持てばその中で何十年もずっと安定が続くと安心できる時代でもない。
・だから、仕事がしんどくなったら数カ月や数年しばらく休んだりとか、元気が出たらまた社会に出て働いたりとか、
一緒に暮らす相手も状況に応じて柔軟に組み替えていったりとか、そういうのを流動的に選べばいい。
・世の中は「三歩進んで二歩戻る」くらいの感じで少しずつしか変わらないけど、確実に少しずつは変わっていく。

・・・・
転載終わり。

テレビでこの著者のことは知っていたけど、改めて・・・こんな生き方もあってもいいよなあ、と思った。
まあ、歳をとり、体力なくなり、ちょっとしたことで疲れ、耐性がなくなったので、よけいにそう思うこのごろ。

この方の本は読んでないけど、↑目次だけ読めば、だいたいの内容は分かる・・・^^;


そして、ちきりんさんの本を読んで、これからは良くも悪くもグローバル化で、大変な時代になっていくなあ、と。

国内では格差が話題になるけど、世界の視点で見れば、先進国と中進国、発展途上国の格差がなくなりつつあり、グローバル化というのは、そういうことなのだと。

発展途上国並みの低賃金で働くことになる。それが本当の同一賃金同一労働。・・・というか、それじゃあ、もう日本では暮らしてはいけない。
なので企業は人件費の安いところへ進出。
海外で働くのも当たり前、日本国内ではなかなか仕事がない。
よほど優秀でないかぎり、あぶれて、落ちこぼれていく。

で、年功序列終身雇用がなくなり、実力だけで評価される企業では・・・若い時は優秀でも、歳を取り、体力が衰え、若い感性についていけず、順応力も落ち、結局、クビを切られることにもなる。40代50代で「いらない」と言われることも多くなるだろう。

けど「落ちこぼれの概念」が変わればいいだけのこと。
そのヒントが、このPhaさんの本にも隠されているのかもしれない。

バリバリ働けるのは若いうちだけ。年功序列が崩れれば、よほど優秀でない限り、体力や順応力が衰える40代50代は使い勝手が悪い。
当然、その波に乗れない人も大勢出てくるわけで、そんな人がこれからどういうふうに暮らしていけばいいのか・・・
正社員、結婚、子ども、老後・・・こういったものから自由になれれば、ラクになれる人もけっこういるのかもしれない、と思ってしまった。

男性の場合も、もし、さほど夢中になれない面白くない仕事でキツカッたりすると、どうしても奥さんに当たりたくなるだろう。とくに奥さんが専業主婦だったり、育休で仕事が休みの場合、「お前は気楽でいいよな」と皮肉も言いたくなるかもしれない。しかし奥さんは奥さんで大変。とくに子どもの世話は厳しい。実は自由な時間などほとんどない。休日は、夫に育児を手伝ってほしいが、夫は休日くらい休まないとやってられないだろう。
けど、奥さんにしてみれば、休日に自分勝手に自由に過ごすダンナが許せないだろう。
お互いギスギスし、ストレスだろう。

それでも、子どもという扶養家族がいなければ・・・どうしても仕事がキツく、自分に合わなければ、やめることができる。ハードルはぐっと下がる。奥さんも働きに出られるし、何かとお金がかかる子どもがいなければ、低収入でもやっていける。

相手のことがどうしても気に入らなければ、子どもがいなければ離婚もそう難しくはない。
自由(選択)の範囲はぐっと広まる。

もちろん、世間でいう「まっとうな生き方」をしている人は偉い、立派だけど・・・そういう生き方が合わない人もけっこういるのだ。多様な生き方ができることこそ、社会の豊かさを表していると、ちきりんさんも言っていた。

辛抱し耐えた先に幸福になれればいいけど、そうとも限らず、悪ければ心身が病んでしまうかもしれない。

男性も、ほかは犠牲にしてでも子ども優先でいけるのか、問われるかもしれない。
キツクて、さほど面白いと言えない仕事についていて、のんびり見える配偶者が癇に障る場合=ストレスを感じる場合・・・結婚(というか子どもを持つこと)は向かないかもしれない。

なので、結婚にさほど積極的ではない人もわりといるのだろう。
けど、それでいいのだと思う。


・・・もしも年収400万で子持ちで、賃貸か、もしくはローンを背負っていたら・・・おそらく自分の小遣いは月5万あればいいほうだろう。悪けりゃ2~3万だ・・・そこに昼食代も入っているのか? あるいは奥さんのお弁当? でもお弁当はたいてい「まずい」し、決まりきったおかずになるから、昼食くらい自分が食べたいものを、と思う。仕事もキツクて、さほど面白くもなく(面白い仕事などそうそうないだろう)、昼食も不味いものを食べなきゃいけなくて、休日も自由時間が制限され、自由に使えるお金も微々たるもの・・・

私が男性の立場だったら、やはり、考えてしまう。

それでも老後のことが心配で・・・老後のためを考え、家族を持ち、今をガマンするという生き方を取るか(ただし、子どもが、老後の面倒をみてくれるとは限らない)
それとも、今やりたいことを優先するのか・・・


もちろん、老後のためということではなく、本当に好きな人と一緒になりたくて結婚し、子どもが欲しいと心の底から思えれば、それは「今やりたいこと」であり、上記にあげたこれら「ガマン」のことなど、どうでもよくなるだろう。


あるいは・・・仕事はさほどキツクなく、これといった趣味もなく、食事もどうでもよく、外でのおつきあいもなく、お金も使わない、休日もこれといってやることもなく、子どもの世話ができますっていう人であれば、家族を持つことはそれほど苦にはならないかもしれない。奥さんがのんびりしているように見えても、癇に障らないだろう。家族を持ったことで、幸せを感じ、生きがいを感じ、幸せな人生を歩めるのかもしれない。


ただ、歳をとると、体力も気力も落ちるから、若い時はキツクなかったこともキツクなっていくから・・・子どもを持つなら若いうちに、とは思う。男性も歳をとってからだと、子どもが障害を抱えるリスクは高くなる。できれば男性も20代のうちに。

子どもを大学まで行かせるなら、めちゃくちゃ教育費がかかるだろうし、そのうえ、ローンを抱えるとなれば、年功序列が崩れていく今、稼げるのは若いうちだけ、になるかもしれない。40代50代でリストラにあうかもしれない。親の介護も重なる可能性もあり、子育てと重複すれば、かなり厳しいことになる。男性でも、子どもが欲しい場合、30代での結婚は遅いかも。

などと考えさせられてしまったのだ。
「自分が本当に欲しいモノ以外は、何も持たない生き方」「自分が生活できればいい程度の収入でラクに生きる」・・・そんなのも、ありかもな、と思ってしまった。

グローバル化の競争に背を向ける生き方ができるといいよね。だって競争、過酷そうだもの。


・・・・・・・

○ちきりんさんのお金の使い道についてのチェック

10年以上のローンは組まない。長期になればなるほど、利子もすごい額になる。(10年後の社会はどうなっているか、わからない。どんな識者でも予想を外すことが多い)
大半の保険は不要で、公のもので充分。(高額療養費制度がある)

そう、この高額療養費制度では、住民税非課税の世帯は1か月35400円が上限だ。一般の人は87430円。高額所得者(月収53万以上)は15万5000円が上限。

よくテレビドラマなどで、子どもの高額な医療費(手術台が数百万円とか)のために重犯罪を起こすという話をみかけるけれど、日本国内の保険適用の手術であれば、費用は上記に示したように支払わなければならない医療費の1か月の上限が決まっている。

なので、この程度の額で、重犯罪というリスクを冒すかなあ、と、いつも不思議に思うのだ。動機として、しっくりこないのだ。(あと、子どもにかかる医療費だと、助成がけっこうあるのでは? 地方自治体によっては中学まで無料だったりする)

ただ、病気にならずとも、やっぱり子どもがいると、お金が本当にかかる。ここをケチるのは、親としていかがなものか、という思いも働いてしまうだろう。

教育費、おけいこ事、ほかの子どもとのおつきあいがあり、ゲーム機やゲームソフト、ケータイやスマフォをもたせることにもなるだろうし(ないと仲間外れにされたりするかも)、夏休みには旅行にも連れて行ってあげたいだろう・・・
子どもがいるいないで、経済格差が生まれる気がする。お金の支出がまるで違ってきてしまうから。

そういうことでも「子どもをもつのが当たり前の生き方」から、「子どもをもつか、もたないか、選択する生き方」になるのかもしれない。

子どもが本当に欲しい人は、いろんなものを我慢できるだろう。
我慢できない人は、そこまでして欲しくない、ということなのかもしれない。

無理にいろんなものを持とうとすると苦しくなってくる・・・子ども、不動産、クルマ・・・周りに流され、世間の価値観に合わせて、いろんなものを持ってみたものの・・・幸せになれるとは限らない。ストレスだらけの人生になるかもしれない。

と、ちきりんさんやPHAさんの記事を読んで、思ってしまった。



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不幸な結婚 [人生・生き方・生活・人間関係]

「あまり幸せそうじゃない夫婦・鬱的な話」を読んだり、見聞きしたりすると、不幸タイプの夫婦もわりと多いかもしれない、と思ってしまう・・・そんな「鬱的物語」で、心に残ったのが、窪美澄氏の短編集「雨のなまえ」の中の「記録的短時間大雨情報」だ。

 内容はこんな感じ。

 パート主婦、平穏でありさえすればいいと毎日暮らしているが、夫の浮気発覚。慰謝料を請求すると、しかし夫は開き直り、暴力をふるう。思えば、流産した時も優しい言葉一つかけてくれなかった夫。しかし子どもを連れて出ていくこともできなあった。その勇気がないという理由。(パートでは食べていけないし)

『同じ屋根の下で暮らし、生活を共にし、子まで成した人間に、暴力を振るわれている』
『夫が自分にとって味方なのか、敵なのかそれすらも見極める力も余裕もなかった』
『夫がいて、子どもがいて、家族と言うパッケージはそのままなのに。なぜこんなに濃くてどろりとした孤独を感じるのか』

 というような文章にうなってしまった。

 同時に下重暁子の「家族という病」を思い出し、その売れ行きに・・・家族がいても、孤独な人は孤独というか、独身よりよほど孤独なのかもなあ、と。
 この本が売れているということは、家族問題で苦しんでいる、幸福を感じられない人が多いのでは、と。

 で、この「記録的~」の物語の主人公は、夫の母の面倒も見る羽目になる。やがて義母は痴呆症に。
 夫がこのことに向き合ってくれるのか、主人公は義母のことを問うが・・・夫はそのことに触れず、「出張だから」といって逃げる。

 主人公は、夫とはもう心を通わせることはないことを思い知るが、それでも夫と別れることなく、この生活を続ける。
『澱んだ水たまりのような女』と主人公は自分を評する。

 と、こんな感じの話。その間に、パート先の若い男に淡い思いを抱いたり、しかし、見事に振られ、周囲からも『エロババア』と白い目で見られ、とまあ散々。
 淡々と鬱展開、救いや希望は全くなし。

 でも、こういう夫婦もいるんだろうなあ、とも思った。淡々としているだけに、夫婦や家族の描写に妙にリアリティがあった。

 ということでハヤシは窪美澄氏に注目している。心理描写や情景描写に惹かれるものがある。「よるのふくらみ」は面白かった。こちらも恋愛、家族ものだけど、こちらは救いがある^^;
 ほか有名どころは「ふがいない僕は空を見上げる」「晴天の迷いクジラ」など。


 さて、もうひとつ「これはひどい」と思った夫婦の話について。
 ・・・2013年2月号の小説新潮(図書館から廃棄処分される雑誌として、もらった。なので古い)の柴門ふみさんの「大人恋愛塾」の、『相談室』コーナーみたいなところに書いてあった話。
 実話なのか、話を盛っているのか、作っているのか、演出しているのかは分からない。

 妻が癌を患っているのに、夫は同窓会へ出席し、そこで再会した元同級生と恋仲に。癌が進行し、妻が苦しんでいる中、夫はその女性と旅行に行ってしまう。それが発覚し、妻は半狂乱に。

 ちなみにこの夫婦。それまで、別に夫婦仲が悪かったわけでもなく、長年連れ添った一般的な夫婦だという。

 いやあ、なんだか・・・やはり自分勝手を通り越し、冷酷な夫だと思ってしまう。

 せめて妻が亡くなってから、いくらでもおつきあいはできたでしょうに。
 妻が苦しんでいるときに、よく楽しめるな。
 妻はもう死ぬので、新しい女捜し。妻は用済み、といったところか。

 ちょっと、ぞっとしてしまった。いや、それまで特に仲が悪かったわけでもないのにだ。まだ家庭内別居していたとか、離婚寸前だったとか、なら分かるのだけど。

 縁あって、長年連れ添い、子までなし、家族として一緒に普通に生活してきて、そういった情のかけらもない仕打ちができるとは・・・そういう人間もいるんだな。

 そして、妻の方は亡くなった。
 世を去る間際、長年連れ添った伴侶から、これほどの冷酷な仕打ちを受けるなんて、自分だったらやはり耐えられない。こんな惨めな人生があるだろうか。ものすごい孤独感だ。

 自分をすべてを否定された感じ。憎悪と孤独と悲しみと怒りと、そんな黒い気持ちを抱えながら死ぬのである。たまらないなあ。

 死の間際に、家族であった人間から、これほど『どうでもいい人間』扱いされる場合もあるのか・・・と、ちょっと驚いた。もちろん、柴門さんが話を作っている可能性もあるけど、実話という体裁をとっている。

 ※これについて、夫側の擁護論として「妻に先に死なれて独りぼっちになるのが怖かったから」「弱い人間だから」とあるが、これって全く自分のことだけしか考えていない、死に行く妻のことはどうでもいい、ということになり、やはり冷血人間としか思えない。妻側に何か相当な落ち度(=さんざん夫に嫌がらせをしてきた。自分も浮気しまくりだった、など)があったわけではないのに。

 長年連れ添った死の間際の配偶者をないがしろにするくらいならば・・・人生のやり直しがきくときに、別れてあげるべきだったかも・・・というか、せめて「あなたには全く情のひとかけらも感じません。利用価値があるから一緒にいるだけ。単なる家政婦と見ている。離婚は面倒だからしないだけのこと」と伝えてあげるほうが親切だよな、と。

 もちろん妻は、子どももいるし、経済的に自立できない場合、仕方なく結婚生活を続けるかもしれないが、夫に期待を抱かずにすむ。自分は家政婦だと割り切り、夫の裏切りも仕方ないと思える。
 そういう生き方が嫌なら、思い切って離婚するか・・・そういったことを選択できる。

 いや、男の人だって、保険金掛けられて殺されたりするケースも、ごくごく稀だろうけど、あるのだから、男女共に気をつけないといけないのだろうけれど。お互い様だね。

 ま、こういう話を聞くと、西原理恵子氏が言っていたように「専業主婦人生は博打のようなもの」「リスクが高い生き方」であり、危険な生き方かもしれない。
 別れたくても別れられず、死んだような人生を送ったり、人間扱いしてくれない人と一つ屋根の下でずっと暮らす不健康な生活を強いられることになり、不幸な人生を歩むことになりそう・・・

 孤独死のほうが、ずっとマシ。

 ところで、柴門さんも、夫である弘兼さんに散々浮気されたらしい(おまけに家庭を顧みない)けど、結婚を続けている。柴門さんは経済力があるにも拘らず離婚は考えていないと言う・・・なので、いろんな考えの人がいるのだろう。(柴門さんの場合は、同じ漫画家として弘兼さんを尊敬しているのだろう、たぶん)

 ま、奥さん側だって・・・「亭主元気で留守がいい」(お金さえ家庭に入れてくれればそれでOK。あとは夫が何をしようが自由)という人もたくさんいそうだし。
 それならば、夫が浮気しても、家庭を顧みなくても許せるのだろう。
 こちらが病気で苦しんでいるのに、夫が新しい女性を見つけ、そちらへエネルギーを注いでも、仕方ないと思えるのかもしれない。

 それが嫌な場合(若い人は嫌だろう。世代で考えが違うと思う)・・・間違って結婚してしまったら、人生のやり直しがきくうちに、別れたほうがいいよな。

 ・・・そういえば二谷友里恵さんも、お腹が痛くて苦しんでいるのに、当時、夫であった郷ひろみさんはゴルフへ行ってしまい、友里恵さんは自分で救急車を呼んだんだっけ。

 意外と冷たい夫(または妻)はいるのかもしれない。
 相手が病気になった時、「面倒だな」とチラッとでも思ったら、その人とは結婚してはいけないよな・・・間違って結婚してしまったら・・・うう~ん、相手に情がわかない程度で、離婚はできないのかな?

 
 さて、そこで、こんな記事を目にした。

・・・・・・・・・
https://cakes.mu/posts/10324より一部転載。

女性のいわゆる『30歳の壁』を目前に駆け込み結婚をする友人はたくさんいたの。
でもね、相手を『職業』『収入』などのスペックをチェックして選んで決めた結婚は絶対にうまくいかない。29歳とかで駆け込んでも、結局31歳くらいで女性から離婚する。早いでしょ? 女は一度『違う』って思ったら早いの。まだ間に合うからって、子供ができる前に別れちゃうのよ

女性には2パターンいるの。

①とりあえず一回さっさと結婚してみる、失敗したっていいじゃん

②「この人」と決めて一生添い遂げたい

残念だけれど、①が8割の女性。②は2割しかいない。

このどちらのタイプになるかは、「両親のラブラブ具合」に依存しているだそう。
親が仮面夫婦だったり、離婚しちゃっているような場合だと、①「失敗したっていいじゃん」パターンになる。
でも、仲睦まじくいい歳していちゃいちゃするような両親の元で育つと、②「一生添い遂げたい」になるそう。

・・・・・・・
転載終わり。

まあ、でも「子どもができる前に離婚」というのは分かる気もする。男性にとっても、合わない人と一生を共にするのは苦痛では、と。

子どもができると責任が生じるし、そう簡単に別れることはできない・・・
つきあっているだけじゃ分からないことも多く、実際、一緒に暮らしてみないと・・・って、これは女だけじゃなく、お互い様なんじゃないだろうか。

ただ、子どもがいなくても、そう簡単に離婚はできないと思う。相手が同意しなければ、わりと時間を取られる。
この「記事」が言うように、とりあえず軽い気持ちで結婚して、やっぱり離婚したいとなっても、思い通りにはいかないかも。そのうち、出産適齢期を過ぎ、後悔することになるかも。

なので、本当に①が8割もいるのか? とも思う。ま、離婚のハードルが下がっているのは確かなんだろうけれど。

けど、②の考えだと、なかなか結婚に踏み切れないかも。「一生添い遂げる」つもりだと、男女共に「この人でいいのか?」と迷うだろう。
迷うくらいの相手ならば結婚しないほうがいいのかも? 


こんな相談を目にした。
【「適齢期過ぎているし、周りの目も気になるし、とりあえず、ここいらで手を打っておこう」と結婚してから、本当に好きな人が現れ、その人も自分に好意を持ってくれている、その人と一緒になりたい。けれど今の妻が嫌いというわけでもない。ただ離婚するなら、子どももいないし、早いほうが、とも思う。どうしたらいいだろうか】というような内容。

いろんな人が様々な意見や答えを言っていた。
『新しい人と結婚し直しても、うまくいくかどうかは分からない。今の妻を大切にすべし』
『結婚生活を続けるのは今の奥さんに失礼。子どもができないうちに離婚してあげるのが親切』

私は「離婚」に一票。
もち、奥さんが離婚に応じるかは分からないけど、子どもがいないうちであれば、奥さんもやり直しがしやすい。

ま、結婚を機に、奥さんが仕事を辞めていたり、それでなくても奥さんの経歴も『数か月~1年で離婚・バツイチ』となるので、奥さんのその後の婚活に支障が出るかもしれないので、かなりの慰謝料を払って、ということになるだろうけれど。

慰謝料を払うのが嫌、もったいない、と思うのであれば、その「新しい女性」のことはそれほど好きではない、そこまでして一緒になりたいとは思ってない、ということでもある。

けど、今の奥さんにこれといって不満がなくても、いつかはちょっとした不満は出てくるだろうし、その時、「本当に好きだった人と結婚していればなあ」と後悔するだろうし、その後悔は奥さんに伝わるだろう。
その後悔と不満は奥さんを傷つけ、しかし、その時にはお互い『やり直し』は難しく、不幸な状態をずっと続ける可能性もあるような気がする。
もち、『好きな人への思い』は単なる一時の気の迷いで、今の奥さんを大切にして、おおむね満足な結婚生活を続けることができるのかもしれないけれど。

相手に特に落ち度がない場合、慰謝料が発生する。これはお互い様。
奥さんのほうが別れたい場合も、そうなる。ダンナさんは慰謝料を請求せず、離婚に応じてくれるかもしれないけど。

というわけで、やっぱり一緒にいたいと心から思える人と結婚したほうがいいようである。後から「好きな人が現れて、もんもん。後悔」なんてことにもなりかねないし、離婚は慰謝料の問題もあって、子どもがいなくても、そう簡単ではなさそう。

なので「離婚してもいいから、とりあえず結婚」よりも、「離婚は思ったほど簡単ではないかもしれないので、周りに流されず、結婚は慎重に」と思ってしまったのであった。
世間は「若いうちに」「年をとればとるほど不利になるよ」というけれど。

いやあ、難しいね。

また年を取ると、現状維持を選んでしまいがち。根本的に生活を変えるってエネルギーいるから。
離婚が面倒なので、そのまま結婚続けてますっていうケースもわりと多いのかも?

不本意な現状維持的生き方・・・窪美澄のいう「水たまりのように澱んだ死んだような人生」になってしまうかも・・・^^;


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子どもが欲しくない女性が半数も?>生き方いろいろ [人生・生き方・生活・人間関係]

7月に入りましたね。今日は「七味の日」らしいです。
唐辛子などの粉末食品を製造販売している大阪市の向井珍味堂が2010年に制定。
七(しち)三(み)で「しちみ」の語呂合せ

さて、こんな記事を見つけた。
「子持ちママが幸せそうに見えない」 アラサー女性の半数が「将来子供は欲しくない」と回答
http://wotopi.jp/archives/16648より転載

【アンケート】将来、子供は欲しい?

※サンプル数:1,652人(3月5日現在)
※ウートピ世論調査結果より(投票結果はコチラ)

<アンケート結果>
「欲しい」・・・・・・・・50%  (833件)
「欲しくない」・・・・・・50% (819件)


○「欲しくない」と回答した人の意見は?

・一人の時間のほうが大切!
・ずばり…めんどくさそうだから
・子供は好きだけど、産んで育てることに興味はない
・犬の世話で充分に幸せ。子供を産んで育てて、何がどう幸せなのか…?
・子どもに、自分の人生左右されたくない。身勝手と言われるかもしれないけど、1回しかない人生、好きに選択させて欲しい


○「そもそも子供を産み育てることへの興味がない」「子供に人生を左右されたくない」という女性が想像以上に多いことが分かりました。一方、「育てる自信がない」という意見も。

・今の収入でどうやって子供に惨めな思いをさせずに育ててあげられるのか、誰か教えて…
・子どもがきっかけで一生の苦労を背負うこともあるから、今は子どもを持つのが怖いです
・自分に余裕のないなかで子供が出来ても、可愛がれる自信がない
・この先、義両親の介護と自分の老後もあるのにぜんぶは無理!


 まだまだ自分のことで精一杯という女性は多いようです。


○“子持ち女性”に幸せ像を見出せない、また、子供を欲しくない理由に、自分の周りにいる“子持ち女性”を引き合いに出す人も。

・子供欲しい気持ちあるけど、女社会が嫌いだからPTAとかママ友とか学校行事とかに関わりたくない
・最近身近にいる子持ちの母親に変な人が多く、あの中に入らないといけないと思うとゾッとする
・子ども産んで、老けて、旦那とも仲悪い人が多いし、子持ちにいいイメージがない
・「大変だけど子供っていいよ」とかいう人って、本当は後悔してたり、子ナシが羨ましかったり、旦那とうまくいってなかったりして、今の自分に満足してない気がする

人の幸せは他人からは計り知れませんが、身近に「うらやましい」と思える先輩ママがいないことも、要因の1つのようです。


○“生物としての役割”は押し付けでしかないとして、こんな怒りの声も。

・「子供を産む」という話になると、なぜ生物としての役割だとか“アニマル全開”な理由が出てくるのだろうか
・「女は子供を産むのが義務」「病気で産めない体でもないのに子供産まないのはワガママ」みたいに見られるから余計に嫌になる!
・今のように圧力かけて仕方なく産ませておいて、いざ産んで愛せない親に対して「自分で欲しくて産んだくせに愛せないなんておかしい」と手の平返す状況は絶対におかしい


○「子供を産むことは“生物としての役割”である」という世の中の決め付けに対して、違和感を訴える声にはたくさんの共感が集まりました。

・産むのも産まないのも、個人の生き方として尊重されていいと思う
・子どもがいて幸せという人もいるだろうし、違う人もいると思う。生物としての役割とかいう主張は押し付けでしかない。私はまだ子どもを育て上げる覚悟も心の余裕もないと思うので、今は考えられない。

多様な生き方が認められつつある現在。「将来、子供は欲しい?」という1つの質問から、これから子供を産むことを考える女性たちが日々感じている将来への不安や不満が、心の声となって垣間見えた気がします。

・・・・・・・
転載終わり。

ちょっと前なら「子どもは幸せの象徴」というイメージだったが、時代は変わったな。

やっぱり子育てママに『余裕がなさそう』『大変そう』『辛そう』というイメージもあり、『発達障害』のことも世に知られるようになり、いじめ、不登校、引きこもり、ニート、犯罪、就職できるのか、などなど、そういう問題に対応する自信がないことも、大きな原因だと思う。自分たちが子どもの頃と、社会状況が全く違うので、指導するにもどうしたらいいのか分からない。

「昔とは社会状況が違うし、時代はどんどん変わっていくのだから、昔を生きてきた親のアドバイス、指導など役に立たない」という話もよく聞く。ごもっとも。

子育てに向く性格ってあるのかも。
ポジティブに物事を捉えることができ、不安を笑い飛ばせる人が、育児に向いているのかも。そして、その親の性質は子にも引き継がれる率が高いだろうから、子どもも明るくポジティブな性格となり、グローバル化した厳しい社会でなんとかやっていけるのかもしれない。

それに、昔は「老後の親の面倒は子どもがみるもの」ということで、親も子どもに期待をしていた部分もあっただろう。

もちろん、『無償の愛』で子どもを育てている、子どもには何の期待もしていない、という人もいるだろうけれど・・・無償の愛を貫ける強い人間=聖人ばかりではないとも思った。
いや、無償の愛は高潔で素晴らしいけれど。

でも、ニュースで度々耳にする「振り込め詐欺」
これだけ話題になって、「気をつけろ」とテレビでも注意が呼びかけられているにも関わらず・・・未だに「詐欺」に引っかかる老人がこれだけいるということは、いかに子どもとあまりコミュニケーションをとっていないか、子どもとの関わりがうすいか、距離が離れているか、だよな。あるいは、多少「認知症」になっているのかも? ならば、なおさら子どもは気をつけてあげるべきだろうに。
子どもが自立し、育児は大成功だ。でも「振り込め詐欺」に、なんだか寂しい現実を見た気がした。頻繁にコミュニケーションとっていれば、こういったことは防げるだろうに。

またこんな記事もあった。
・・・・・・・

妊娠中に子どもが障害児だとわかったら? 6割以上が「産まない」と回答
http://wotopi.jp/archives/22732より転載

※サンプル数:1,200人(6月26日現在)

<アンケート結果>
「産む」・・・・・34%
「産まない」・・・・・66%

○「産まない」と回答した人の意見は?

・はじめから障害者だと分かって人を産んで、社会でお金だして育てるの? みんなのだいじなお金じゃん。そういう子が出来ないようにする事に力やお金を使って!!早く分かるようにすれば堕ろす時に母体のリスクが少ないから早めに検査出来るようにしてあげて!
・自分が死んだ後の事を悲観し、心中をはかる親もいる。子どものせいでも親のせいでもなく、日本が障がい者を受け入れる制度が、まだまだ整っていないから
・独身の頃は「どんな子でも自分の子は可愛いはず」と思っていたが、結婚・出産を経て「子育てはキレイゴトじゃない」と実感したから

新型出生前診断を実施している病院グループの発表によると、出生前診断で胎児に異常の可能性がある陽性と判定された人のうち、人工妊娠中絶を選択したのは76%にのぼったそうです。

・・・・・・・・
転載終わり。

この中の【はじめから障害者だと分かって人を産んで、社会でお金だして育てるの? みんなのだいじなお金じゃん。そういう子が出来ないようにする事に力やお金を使って!】という意見。おそらく左派は反対しそうだな^^; 「障害者差別」と問題にしそうだけど、現実的に「税金を使って支援しなければならない」のだし、今だって支援は不十分、発達障害にも支援してほしい、となれば、莫大なお金がいる。ならば、今いる障害者を手厚く支援し、そのかわり、数を増やさない、という考えも大事では、と思う。

こういうと「冷血人間」と悪しざまに言う人もいるだろうけど、世の中『理想ときれいごと』では、まわっていかない。

まさに今の、右派(現実思考)VS左派(理想思考)と同じ構図。

戦争を回避するのに、右派は、民主主義という価値観を共にする国々と協力関係を築く。核武装。国防軍を持って相手をけん制することこそ、平和が保たれると考える。
左派は、軍縮、軍隊を持たないことこそ、平和が保たれる。核武装などとんでもない。核廃絶を訴え、憲法9条・軍縮を世界に広めることこそ、日本の役割。それが平和を実現できるやり方だと考える。

左派の考えは「正しい」が、まるで現実味がなく、きれいごと。

出産、育児に関しても、左派的な理想思考の女性であれば、「家族愛」を信じ、子どもを持って育てることこそ幸せと信じ、育児を生きがいにできるのかもしれない。
右派的現実思考の女性は、そうではないのかも。
いや、出産育児については、右派は保守的で「子どもをもつことを『絶対幸福』と思わない現実思考をする女性を嫌う」だろうけれど。

そう、こんな記事もあった。
・・・・・・・・
http://wotopi.jp/archives/13340より転載。

「子供が欲しくない」女性がいてもいいと思う?

※サンプル数:747人(12月15日現在)

「いいと思う」・・・・・89%
「うーん…」・・・・・・11%

反対派の意見

・生物としての役割では?
・不妊症ならしょうがないけど、妊娠できる体ならワガママだなと思う。
・産みたくないなんて言ってる人は、心の闇がありそうで近づきたくない
・子供がいるほうが幸せだなんて決めつけるなって言っても、実際にいるとホントに幸せだから、つい子供産んだほうがいいよって言っちゃうんです
・社会の構造が子供を産む事を前提にしているんだから言われるのは仕方ないのでは? 法律で明文化されてないとは言えほぼ義務といっても良い
・子供に時間取られたくないとか、自由に生きたいとか、痛い思いしたくないとか、そんな理由だとただのワガママで働きたくないって言ってるニートと同じ
・産みたくないって言っていた友人がギリギリの年齢になってから「やっぱり子供が欲しい」て言い出した。周りは以前から産むなら早いほうがいいとアドバイスしていたのに。不妊治療も大変だったみたい。産みたくないって人は、他人の意見をもっと素直に聞いたほうが良いですよ。

・・・・・・・・・
転載終わり。

反対派の意見に「全体主義」的なものを感じた。

そして未だに、平気で人の考え方や生き方を否定する人がいるんだな、と驚いた。「産みたくない」という女性を「非人間的」としたり、「わがまま」「ニート」と言ってみたり。

まるで悪いことのように否定するその思考・・・
ちょっと昔、オタクを「気持ち悪い」「関わりたくない」と蔑視し、平気で「抹殺しろ」と言っていた世間を思い出す。
さらに昔であれば「非国民」と言っていた戦中を思う。

それでも、反対派は1割しかいない、ということで、9割は「別にいいのでは」と個人の自由を尊重し、多様性を認めているので、ホッとするけれど。
ま、それだけ「自分の生き方、考え方は正しい。それ以外は間違い」という傲慢な人は少ないということか。

けど、右派はきっと「反対派」の意見を支持するかもなあ。そういったところでは、私は右派とは相いれない。どっちかというと左派の意見に立つ。

「女性の人権問題」ということでは、私は今までの左派の役割を評価はしているし、賛同している。昔は、たとえば、女性の職業と言えば、教師か看護師くらいしかなく、『女に学歴は必要ない』という考えが蔓延していたし、年齢差別もあからさまだった。25歳を過ぎれば価値がない、とされていた。
ずっと昔、嫁は奴隷のような扱いで、家族と一緒に食卓を囲むことも許されず、土間で食べさせられたなんていう話も聞いたこともある^^;

左派の活動はそういったことを正してきたことも認めてはいるし、そういうことでは昔は左派を応援してきた・・・が、これが国際問題、外交、歴史観・歴史認識、在日・移民問題になると全く賛同できなくなるのだ。

と、そんなことを思ってしまったのだった。

・・・・・・・・・
余談。

中絶は女性だけのせいではないよね。社会的に成功している男性も、こういったことについては無責任な人がわりといるのか・・・ということで、こんな記事を紹介↓
この田中社長、子どもがいらないのであれば、ちゃんと避妊すればよかったのに。仕事関係においては、注意深く、冷静で慎重、自分の犯したミスについては面倒くさがらずに真摯に謝罪し、反省し、顧客のことを考えるだろうに(じゃなきゃ、成功しないよね)・・・なぜ、こっちのほうは「だらしなく、その場の雰囲気に流され、きちんと対処しなかった」のだろうか? つまり、それだけ軽く見ていた=見下していた、ということなのだな。この社長にとって、この女性は、仕事関係者や顧客以下のどうでもいい存在だったということかもしれない。

男性も、中絶する女性に付き添うべきだろう。
付き添合わず、逃げる男性は、人間としていかがなものか、と思う。自分がしたことの責任は、お金の身で解決しようという人であり、こういう人は、仮に後々結婚したとしても、家族内トラブルが起きた場合、関わろうとはせず逃げるだろうから、女性はよくよく注意したほうがいいかもしれない。


http://girlschannel.net/topics/114683/より転載。
『GREE』の田中良和社長、元交際女性に「産んでも誰も幸せにならない」と堕胎させる →訴えられる

ソーシャルゲーム事業、ソーシャルメディア事業等を主な目的とするグリー株式会社の田中良和社長が、東京都内に住む20代の一般女性(A子さん)から、「やむなく中絶させられた」と3000万円の損害賠償を要求されていることが〈平成26年(ワ)3989号〉、さくらフィナンシャルニュースの取材でわかった。 訴状によると、2人は、2010年9月頃、友人の誕生日パーティーで知り合い、翌年1月から交際を開始したという。転機が訪れたのは、2012年3月。A子さんがそれまで勤務していた会社を退社したのを機に、当時、田中社長が居を構えていた、港区高輪のマンションで半同棲生活をスタートさせたという。

その年の8月、一度A子さんは実家に戻ると伝えたが、「(家に)帰ると原告が待っていてくれるのが嬉しい」と田中社長に引き留められ、新たにA子さんのために借りたという港区高輪のマンションに引っ越すことになる。

田中社長が、避妊せずに、性行為に及んだのは、この直後の10月頃。「自分との交際は結婚を見据えたもの」と思ったA子さんは受け入れてしまい、翌月には妊娠が発覚。

ところが、妊娠の事実を伝えた途端、田中社長の態度は一変したという。11月21日にA子さん宅を訪れた田中社長は、 「産んでも誰も幸せにならない」「(出産は)誰のためにもならない」 と、暗に中絶するよう迫り、帰り際、玄関先に中絶費用と思われる30万円を置いて行ったそうだ。ちなみに、田中社長の住まいは、赤坂のアークヒルズエグゼクティブタワーにある。

その後、田中社長の冷淡な態度は変わらず、連絡すら途絶えるようになったという。

間もなくして、田中社長は個人的な秘書が交渉の代理人として現れ、「話し合うつもりはない」、「認知をするつもりもない」などと伝えられたことから、A子さんはやむなく中絶手術を選択。

交際期間は、1年6ヶ月にわたり、一連の田中社長から受けた精神的・肉体的苦痛ははかりしれないとして、A子さんは、今年2月に提訴するに至った。

・・・・・・・・・
転載終わり。


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日本の死因第一位「中絶される子どもの数」、キスについて [人生・生き方・生活・人間関係]

こんな記事を見つけた。
http://honz.jp/articles/-/41472

以下転載
・・・
意外と知らない日本の死因第一位って?元看護師で元風俗嬢の異色漫画家がその目で見た妊娠・出産のリアル『透明なゆりかご』

ドラマやテレビで流れる『妊娠・出産=幸せ』というステレオタイプな物語に物申したいというメッセージが込められている。とてもおとなしそうな女の子が中絶しにきていたり、高校生の女の子が自宅で産んでしまった子を産婦人科医院の前に捨てて行ったりと、子を宿した女性が悩み苦しむ描写が生々しい。それでいて、彼女の画のタッチがそうさせているのか、重苦しい話題なのに淡々と物語は進んでいく。

96年に「援助交際」、97年に「失楽園」がそれぞれ流行語大賞として選ばれているなど、社会的に「性への解放」のような気運が高まっていたのかもしれない。

・・・
転載終わり。

今は世間は『恋愛しろ』と言い、『若者がセックスしない』『草食化、絶食化』と嘆き、騒ぐけど、じゃあ90年代って今と違ったのか?・・・そういや「不倫も文化」ということで、不倫もののドラマとか小説とかも流行っていたっけ。

この漫画のセリフで印象に残ったのは「逃げた男は帰ってこない」「女が妊娠したと伝えたとたん、連絡つかなくなる」・・・こう言う人、割といるんだろうな・・・

※前にも書いたけど、「出産って気持ち悪い」と平気で口にして言う男性(今なら許されない発言だろうな)、わりといた気がする。

一方で、ミツグ君とかアッシー君とか、男性もバブルの華やかな女性たちから見下されていたり、けっこう「不健全な時代」だったようにも思う。
少なくとも、昔は恋愛至上主義の名のもとに、なんとなく許されていた感じもするこれらの行為は、今はかなり非難され、軽蔑される。もち、やっている人は減らないだろうけれど。

うん、バブル時代や90年代後半と較べて、今の方が、人々の考えは健全になってきたと思う。

ああ、そういえばその時代・・・左派メディア全盛で、日本を過度に悪く仕立てた時代とも重なるな・・・一方を悪者にし、偏った見方をし、マスメディアが価値観を決め、人々を洗脳し、縛っていく・・・やっぱり昔の方が不健全だった気がする^^;

今はいろんな価値観や考え方がネットで見ることができ、だんだんテレビなどのマスメディアの力が弱まり、人々を操ることが昔ほどには容易くなくなり・・・

ネットでは、暴力的な言葉も散見されるし、問題も多くあるだろうけれど、マスメディアの情報操作・印象操作が難しくなったことで、全体的にみれば健全な方向へ向かっているのでは、と思った。
少なくとも、マスメディアに携わる一部の者の価値観による洗脳からは多少、逃れられるようになったのでは、と。

・・・・・・・・・・・
余談その2

もういっちょ、恋愛関連で、気になった記事を紹介。
http://healthpress.jp/2015/06/post-1811.html

以下転載
・・・
○キス10秒で8000万個のバクテリアを交換する!?

 キスを求めたくなる理由の有力な説は、「自分の子孫を残すのに適切な相手かどうかを見極めるため」というもの。キスをする目的は、相手の情報を収集だ。

 口内に存在するバクテリア(細菌)を交換し、相手が自分の持っていない免疫のバリアを持っているか、また健康状態や生理学的相性が合うかどうかがわかるという。

 免疫学的には「同じ免疫のバリア」を持っている者より、自分にないバリアを持つ個体と生殖する方が、子孫が生き残っていく可能性は何倍も高い。結果的に、自分のDNAを後世に残せることになる。

 つまりキスによって、異なる免疫の個体を発見するための"値踏み"をしているのだ。では、どんなキスでそれを判断しているのだろう。

 スロバキアのNatalia Kamodyova博士の実験によれば、約10秒間のディープキスは約8000万個のバクテリアを交換するという。これによって相手が「生物学的」に適切かどうかを本能的に判断する「下調べ」が可能となる。


○テストステロンは最強の媚薬!?

 また、男性が女性よりも"熱烈なキス"をしたがるとしたら、それには理由がある。男性は、濃厚な口づけをすると「男性ホルモン(テストステロン)」をより多く分泌する。テストステロンを多く渡すことで、相手が発情する効果を狙っているという。

 テストステロンには、「攻撃的になる」「キレやすくなる」という欠点がある一方で、性欲を高める効果がある。テストステロンは、気分を一気に盛り上がっていく可能性を大いに秘めているのだ。

 実は女性も、生理の一週間前くらいからテストステロンが分泌される。その作用によって生理前に「イライラ」しやすくなることが判明している。一方で性欲は亢進するので、「一夜の過ち」を犯してしまいやすい時期でもあるのだ。


○美男美女、実はもっとも「普通の顔」

 話を戻そう。生物学的に適切な相手かという下調べには、「見た目」にも表れる。外見で好ましく感じるのは、自分の生理学的な難点をカバーするため、もしくは「平均的なバランスの良さ」を気に入ったということらしい。

 英グラスゴー大学の実験心理学者であるLisa DeBruineが率いるFace Researchは、ネットに設置した「face-averaging tool (顔平均化ツール)」を使って41カ国以上の人々の顔写真を収集し、その「平均顔」を作成した。

 その結果、合成された顔はいずれも美男・美女。しかも「特徴のない平均的な顔」になった。これは良くも悪しくも、「DNAに偏りのない」相手を好ましく思うように私たちの本能がプログラムされていることによる。

 たとえば、背の高い男性が背の低い女性を、スリムな人がぽっちゃりした人を......というのは「自分に欠けている部分を補いたい」という生物として本能かもしれない。

・・・
転載終わり。

やっぱり生物は基本的に「平均的なバランスの良さ」を好ましく思うものなのだな。(で、あとは自分に欠けているものを補ってくれるような相手に惹かれるのだろう)

前回の記事で触れたけど、発達障害って「脳のバランスが偏っていること」を言うのかしら、と思ったりしている(ハヤシの個人的推測)
偏りが激しいほど、それが障害として、社会生活を送る上で、非常に厄介なことになる。
ほんのちょっとだけ偏っている場合なら、個性、才能として、社会に認められることもあるのかもしれない。

※外見について。欧米人は「左右の歪み」を気にするらしい。歪んでいると『悪魔的な容貌』と捉え、嫌うらしい。

恋愛するにも、やはり生物的に『子孫を残す』『生き残れるいい遺伝子を残したい』『相手の遺伝子との組み合わせ』『補完しあう』『バランスのいいものが好まれる』ということが、インプットされていて、影響を受けるのかもしれない。

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