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ラクに生きたい [人生・生き方・生活・人間関係]

前回、ちきりんさんのブログ記事を引用したけれど、
そのちきりんさんの本を読んだ。勝間和代さんの「断る力」と同じくらい参考になるところが多かった。



一番共感した、アマゾンでのほかの人のレビュー紹介。(ほかにも、辛口レビューがあったが、わりとすべてのレビューに同感した)
以下レビュー編集転載
・・・・・・・

僕自身が本書の生き方を実践しているので、10年前には少数派(変わり者)と言われた考え方をよくぞ代弁してくれたと共感しました。

その一方で、併せて、誰もがこの働き方を実践できるわけではないことに警鐘も鳴らしたいと思います。
安易に鵜呑みにして不幸になる人たち(勘違いする人たち)が頻出しないように。

ライフデザインに関する論客たちの共通点はみな高学歴者であること。学歴無関係のノマドエバンジェリストがなかなか現れないのが日本の現状。

残念ながら、エバンジェリスト(搾取する側。高学歴者。自分をメディア化する能力に長けた人)⇔信奉者(搾取される側。世間知らずの学生や若者の中で、就職できない人や、就職することを不安に思っている人たち)の構造があるように感じてなりません(「デジタルな香りのする貧困ビジネス」)。

いみじくも勝間和代さん(慶応、早稲田大学院)もこう言ってました。
「資本主義とは、賢くない人から賢い人へお金が流れるしくみ」

追記)
『自殺対策白書』などの統計によれば、その多くは45歳から64歳までの無職の男性。
なぜ彼らが死を選ばざるを得なくなったかは、会社から切り離されたことで人的資本を失ったからです。
中高年の転職が事実上不可能な日本では、サラリーマンが無職になることで毀損する人的資本の価値は1億円を超えると言われ、
その損失を取り戻すことは二度とできないのです。

ちきりんさんのように40代で二度目の人生を歩めるのは、"事実上"ほんのひと握りであること、
あえて歩むとなると、日本では非常に大きなリスクが伴うことを覚悟すること、
あらためて警鐘を鳴らします。

「起業そのものに反対なのではなくて、誰もが起業をめざすことには反対。リスクが大きすぎるから。
能力があれば起業するのはいいと思う。しかし、普通の人が気分だけで起業をめざしても、結局、誰かに使われるだけで終わりかねない。
起業自体はある意味誰でもできる。難しいのは、継続的に利益を上げていくこと。人脈も経験もない若者ではなおさら」・・・古市憲寿(慶応、東大大学院)

・・・・・・
転載終わり。

[「第2の人生を40代で始めよう」というちきりんさんだけど・・・
まあ、やっぱ万人向けではなく・・・ちきりんさんのように40代で、第二の働き方(転職、会社を辞める)ができるのは、扶養家族がいないこと、ローンがないこと、など条件があるだろう。

それと「市場感覚を身に付けろ」ということについて。
ごもっとも^^
でも「個人が市場で評価される」「価値を生み出すことができる」って大変なこと。
なので、評価された人は逆に「第二の働き方」へ転身してもいいのかも、と思ったりする。
評価されたなかった人は、そのままでいたほうが・・・

市場で評価される、自分の価値を見極める・・・
個人が市場体験するには、市場を学ぶには・・・ネットの場合、例えば、ブログでどれくらいアクセス数が稼げるか、ということで、ちきりんさんのブログには月に20万の人が訪れ、200万アクセスあるという^^
ほか、ツイッターでどのくらいのフォロワーがあるか、FBでどれくらいの「いいね」がとれるか、ユーチューブの再生回数など。
これら万単位でないとお話にならないんだようなあ・・・

※ちなみに当ブログのアクセス数は雀の涙。つまり市場価値は全くなく、私は価値を生み出すことはできていない、ということだ^^;

市場で評価されないということは、消費者が求めているものを理解できていない、自分のもつスキルや技術、感覚は時代遅れになっている、ビジネスにはならない、ということで、ごもっともと思うと共に、これから生きていく人は大変だな、とも思った。

市場に求められている人ってそれくらいいるんだろう?

少なくとも私は求められていない、価値を生み出すことはできていない。卑下しているのではなく、市場においては「自分はいらない人」だと思っている。そして市場において、自分は求められていないことは認知できるのだけど、じゃあ、どうしたら市場に求められるようになるのかが分からないので、私は【賢くない人間】に入るだろう。

ただ【資本主義とは賢くない人から賢い人へお金が流れる仕組み】だというので、せめて「賢い人へお金をとられないようにしたい」とは思っている^^
しょせん、悪あがきだけど、たとえば【賢い人の本】は買わない(ほか【賢い人】が催すセミナーとか、そういったものにお金を使わない^^;)、本の類は図書館で済ませる、つうか、今はネットで無料でいろんな人の記事を読めるわけで、あえて「お金を出して買いたいもの」ってない。

賢くない人間の生き方・・・そりゃ、もう賢い人に騙されないように、警戒するしかないね^^;とりあえずケチに生きよう。

【賢い人】は、「自分の投資にお金を使うべき」「こうすれば成功する」「こうすれば恋愛できる、彼氏彼女ができる、結婚できる」「こうすればお金儲けができる」「こうすれば幸福になれる」などと言って、自分が催すセミナーとか、本を買わせようとするけれど。

おっと話を元に戻そう。

世界がこれからどうなるかという考え方は参考になったし、人生に対する考え方も賛同しているのだけど・・・
要するに自由を求める(=やりたいことをやる)のであれば、あまり多くのものを持たないほうがいい、そこには「子ども」も入るのかもな、と思った。

逆に子どものために、我慢してやりたくない仕事もやる、企業で働く人もまた偉い、立派だとも思う。

けれどどう生きるかは人それぞれ。
「立派な生き方」が正しく、幸福になれるとも限らない。

ちきりんさんも言っていたけど、日本は「耐えることが美徳」という倫理観を持っているため、苦労することが尊い、苦労から逃げてはいけない、と「苦労する生き方」を良しとする風潮があり、「できるだけラクして生きること」をわがままとし、悪いことだとするけど、それは違うのでは、と私も思う。社会に迷惑をかけなければ、何でもアリだと。

できるだけラクしていいのだ、やりたいことやればいいと。やりたいことならば苦労とは思わないし、要は人生、自己満足を得られるかどうかだな、と。


※参考までに、ちきりんさんのブログ記事。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120117
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120114
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120119
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120201



そこで気になった本を見つけた。(以前テレビで紹介されていたっけ)
できるだけラクに生きようということで。



以下転載。
・・・
持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない (幻冬舎単行本)

僕はいわゆる「真っ当」な生き方から逃げて楽になった――

もっと自由に、伸び伸びと。
京大卒・日本一有名な“ニート”が提唱するこれからの生き方。

・生きるのがつらそうな人がこんなに多いのはちょっと変だ。
・「正社員にならねば」「結婚しなければ」「子どもを作らねば」「老後に備えなければ」「貯金しなければ」……「こうあらねば」が人を追い詰めている。
・お金があればみんな幸せになるんだろうか?
・いや、お金で解決できるのは、うまく稼げる一部の人だけだろう。
・生きるのが苦しくなったときは、世間の価値観や周りの意見にとらわれずに「自分が何が好きか」という感覚をしっかり持つことが大事だ。
・僕の場合は好きなものはインターネットだった。ずっと嫌々ながら勤めていた会社を辞めて、それ以来八年間定職に就かずふらふらとした生活をしている。
・会社や家族やお金に頼らなくても、仲間や友達や知り合いが多ければわりと豊かに暮らしていけるんじゃないだろうか。
・生きていく上で大事なのは他者との繋がりを保ち続けることや社会の中に自分の居場所を確保すること。
・いわゆる「普通」とされている生き方以外にも、世界には生き方はいくらでもある。
・今はもう終身雇用で何十年も雇われるのを目指す時代でもないし、家庭を持てばその中で何十年もずっと安定が続くと安心できる時代でもない。
・だから、仕事がしんどくなったら数カ月や数年しばらく休んだりとか、元気が出たらまた社会に出て働いたりとか、
一緒に暮らす相手も状況に応じて柔軟に組み替えていったりとか、そういうのを流動的に選べばいい。
・世の中は「三歩進んで二歩戻る」くらいの感じで少しずつしか変わらないけど、確実に少しずつは変わっていく。

・・・・
転載終わり。

テレビでこの著者のことは知っていたけど、改めて・・・こんな生き方もあってもいいよなあ、と思った。
まあ、歳をとり、体力なくなり、ちょっとしたことで疲れ、耐性がなくなったので、よけいにそう思うこのごろ。

この方の本は読んでないけど、↑目次だけ読めば、だいたいの内容は分かる・・・^^;


そして、ちきりんさんの本を読んで、これからは良くも悪くもグローバル化で、大変な時代になっていくなあ、と。

国内では格差が話題になるけど、世界の視点で見れば、先進国と中進国、発展途上国の格差がなくなりつつあり、グローバル化というのは、そういうことなのだと。

発展途上国並みの低賃金で働くことになる。それが本当の同一賃金同一労働。・・・というか、それじゃあ、もう日本では暮らしてはいけない。
なので企業は人件費の安いところへ進出。
海外で働くのも当たり前、日本国内ではなかなか仕事がない。
よほど優秀でないかぎり、あぶれて、落ちこぼれていく。

で、年功序列終身雇用がなくなり、実力だけで評価される企業では・・・若い時は優秀でも、歳を取り、体力が衰え、若い感性についていけず、順応力も落ち、結局、クビを切られることにもなる。40代50代で「いらない」と言われることも多くなるだろう。

けど「落ちこぼれの概念」が変わればいいだけのこと。
そのヒントが、このPhaさんの本にも隠されているのかもしれない。

バリバリ働けるのは若いうちだけ。年功序列が崩れれば、よほど優秀でない限り、体力や順応力が衰える40代50代は使い勝手が悪い。
当然、その波に乗れない人も大勢出てくるわけで、そんな人がこれからどういうふうに暮らしていけばいいのか・・・
正社員、結婚、子ども、老後・・・こういったものから自由になれれば、ラクになれる人もけっこういるのかもしれない、と思ってしまった。

男性の場合も、もし、さほど夢中になれない面白くない仕事でキツカッたりすると、どうしても奥さんに当たりたくなるだろう。とくに奥さんが専業主婦だったり、育休で仕事が休みの場合、「お前は気楽でいいよな」と皮肉も言いたくなるかもしれない。しかし奥さんは奥さんで大変。とくに子どもの世話は厳しい。実は自由な時間などほとんどない。休日は、夫に育児を手伝ってほしいが、夫は休日くらい休まないとやってられないだろう。
けど、奥さんにしてみれば、休日に自分勝手に自由に過ごすダンナが許せないだろう。
お互いギスギスし、ストレスだろう。

それでも、子どもという扶養家族がいなければ・・・どうしても仕事がキツく、自分に合わなければ、やめることができる。ハードルはぐっと下がる。奥さんも働きに出られるし、何かとお金がかかる子どもがいなければ、低収入でもやっていける。

相手のことがどうしても気に入らなければ、子どもがいなければ離婚もそう難しくはない。
自由(選択)の範囲はぐっと広まる。

もちろん、世間でいう「まっとうな生き方」をしている人は偉い、立派だけど・・・そういう生き方が合わない人もけっこういるのだ。多様な生き方ができることこそ、社会の豊かさを表していると、ちきりんさんも言っていた。

辛抱し耐えた先に幸福になれればいいけど、そうとも限らず、悪ければ心身が病んでしまうかもしれない。

男性も、ほかは犠牲にしてでも子ども優先でいけるのか、問われるかもしれない。
キツクて、さほど面白いと言えない仕事についていて、のんびり見える配偶者が癇に障る場合=ストレスを感じる場合・・・結婚(というか子どもを持つこと)は向かないかもしれない。

なので、結婚にさほど積極的ではない人もわりといるのだろう。
けど、それでいいのだと思う。


・・・もしも年収400万で子持ちで、賃貸か、もしくはローンを背負っていたら・・・おそらく自分の小遣いは月5万あればいいほうだろう。悪けりゃ2~3万だ・・・そこに昼食代も入っているのか? あるいは奥さんのお弁当? でもお弁当はたいてい「まずい」し、決まりきったおかずになるから、昼食くらい自分が食べたいものを、と思う。仕事もキツクて、さほど面白くもなく(面白い仕事などそうそうないだろう)、昼食も不味いものを食べなきゃいけなくて、休日も自由時間が制限され、自由に使えるお金も微々たるもの・・・

私が男性の立場だったら、やはり、考えてしまう。

それでも老後のことが心配で・・・老後のためを考え、家族を持ち、今をガマンするという生き方を取るか(ただし、子どもが、老後の面倒をみてくれるとは限らない)
それとも、今やりたいことを優先するのか・・・


もちろん、老後のためということではなく、本当に好きな人と一緒になりたくて結婚し、子どもが欲しいと心の底から思えれば、それは「今やりたいこと」であり、上記にあげたこれら「ガマン」のことなど、どうでもよくなるだろう。


あるいは・・・仕事はさほどキツクなく、これといった趣味もなく、食事もどうでもよく、外でのおつきあいもなく、お金も使わない、休日もこれといってやることもなく、子どもの世話ができますっていう人であれば、家族を持つことはそれほど苦にはならないかもしれない。奥さんがのんびりしているように見えても、癇に障らないだろう。家族を持ったことで、幸せを感じ、生きがいを感じ、幸せな人生を歩めるのかもしれない。


ただ、歳をとると、体力も気力も落ちるから、若い時はキツクなかったこともキツクなっていくから・・・子どもを持つなら若いうちに、とは思う。男性も歳をとってからだと、子どもが障害を抱えるリスクは高くなる。できれば男性も20代のうちに。

子どもを大学まで行かせるなら、めちゃくちゃ教育費がかかるだろうし、そのうえ、ローンを抱えるとなれば、年功序列が崩れていく今、稼げるのは若いうちだけ、になるかもしれない。40代50代でリストラにあうかもしれない。親の介護も重なる可能性もあり、子育てと重複すれば、かなり厳しいことになる。男性でも、子どもが欲しい場合、30代での結婚は遅いかも。

などと考えさせられてしまったのだ。
「自分が本当に欲しいモノ以外は、何も持たない生き方」「自分が生活できればいい程度の収入でラクに生きる」・・・そんなのも、ありかもな、と思ってしまった。

グローバル化の競争に背を向ける生き方ができるといいよね。だって競争、過酷そうだもの。


・・・・・・・

○ちきりんさんのお金の使い道についてのチェック

10年以上のローンは組まない。長期になればなるほど、利子もすごい額になる。(10年後の社会はどうなっているか、わからない。どんな識者でも予想を外すことが多い)
大半の保険は不要で、公のもので充分。(高額療養費制度がある)

そう、この高額療養費制度では、住民税非課税の世帯は1か月35400円が上限だ。一般の人は87430円。高額所得者(月収53万以上)は15万5000円が上限。

よくテレビドラマなどで、子どもの高額な医療費(手術台が数百万円とか)のために重犯罪を起こすという話をみかけるけれど、日本国内の保険適用の手術であれば、費用は上記に示したように支払わなければならない医療費の1か月の上限が決まっている。

なので、この程度の額で、重犯罪というリスクを冒すかなあ、と、いつも不思議に思うのだ。動機として、しっくりこないのだ。(あと、子どもにかかる医療費だと、助成がけっこうあるのでは? 地方自治体によっては中学まで無料だったりする)

ただ、病気にならずとも、やっぱり子どもがいると、お金が本当にかかる。ここをケチるのは、親としていかがなものか、という思いも働いてしまうだろう。

教育費、おけいこ事、ほかの子どもとのおつきあいがあり、ゲーム機やゲームソフト、ケータイやスマフォをもたせることにもなるだろうし(ないと仲間外れにされたりするかも)、夏休みには旅行にも連れて行ってあげたいだろう・・・
子どもがいるいないで、経済格差が生まれる気がする。お金の支出がまるで違ってきてしまうから。

そういうことでも「子どもをもつのが当たり前の生き方」から、「子どもをもつか、もたないか、選択する生き方」になるのかもしれない。

子どもが本当に欲しい人は、いろんなものを我慢できるだろう。
我慢できない人は、そこまでして欲しくない、ということなのかもしれない。

無理にいろんなものを持とうとすると苦しくなってくる・・・子ども、不動産、クルマ・・・周りに流され、世間の価値観に合わせて、いろんなものを持ってみたものの・・・幸せになれるとは限らない。ストレスだらけの人生になるかもしれない。

と、ちきりんさんやPHAさんの記事を読んで、思ってしまった。



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