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「結局、女はキレイが勝ち」その1 [雑記]

前日記「自信とコンプレックス」http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-05-05の続きといえば続き。

勝間さんの「結局、女はキレイが勝ち」を図書館で借りて読んだ。感想は「納得はできるんだけど・・・」「まあ、そりゃそうなんだろうけど・・・」てな感じかな^^;

それに、もし20代の若い女性たちに向けて書かれたんだとしたら・・・勝間さんに言われるまでもなく、すでに多くの女の子はキレイになるために多大なる努力しているだろう。その上で、キレイかそうでないかの差があるのだから「結局、女はキレイが勝ち」と言われてもな、と。

もちろん、勝間さんは「過去の自分よりもキレイになろう」という「あくまでも自分比でのキレイ」を目指そうとおっしゃっているが、周りの人たちはやはり「周りと較べてキレイか、キレイでないか」を見るだろう。「過去の自分と較べて見て欲しい」といっても、よほど自分に興味を持ってくれている人でないと、そんな見方はしてくれないだろう。現実は厳しいものである。



あ、そうそう・・・「キレイ」の努力が、百害あって一利なし、ということもあるようなので要注意だ。
「結局、女はキレイが勝ち」にも書いてあった「顔のマッサージなどの努力」は、しないほうがいいかもしれない。

NHK「ためしてガッテン」の番組で、以前「顔の染みについて」やっていたが、マッサージをすると、肌の下の繊細な毛細血管を傷つけ、メラニンを刺激し、それが「染み」になるそうで・・・マッサージは顔の染みを濃くし増やすだけのようだ。「ガッテン」は科学的根拠がしっかりした番組なので、ウソではないだろう。

思うに・・・あんまり化粧に凝って、肌をいじると・・・肌を刺激することになり、つまりメラニンを刺激し、染みの原因になるかもしれない・・・それに、肌荒れの原因にもなるし。

というわけで「キレイの努力」について、であるが・・・
私は、外見は人に不快感を与えないくらい(不潔ではないくらい)でいいのでは、と思っていたが、勝間さんによると、それではダメなようである。

いやあ、女性は大変だ・・・外見にかなり気を使い、キレイになって、仕事もバリバリ、それだけも忙しいだろうに、さらに結婚し子供を持って、努力していくのは本当に大変そう・・・これらを全てやっている人は本当に偉いと思った。

人の外見、見かけは本当に重要らしい。(ま、それは分かるのだけど・・・)
まずは人間関係はそこからスタートということで・・・外見が悪いとかなり損をするようである。

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「勝間和代VSひろゆき」と「勝間和代VS香山リカ」 [雑記]

「勝間和代VSひろゆき」の話題がかなり盛り上がっているようですね^^;
※見てない方はこちらにお二人の議論動画がのっているようです。http://news4vip.livedoor.biz/archives/51534687.html

動画は削除されてしまうようなので、議論を書き起こしたサイトを紹介しておきます。
http://d.hatena.ne.jp/wt5/20100503
http://togetter.com/li/18796

勝間さんの公式ブログhttp://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/private/2010/05/2chip-8a3f.htmlもコメントがすごいことになってますが・・・普通は「炎上している」と捉え、その場合、たいていの人はコメント欄を閉鎖しますが、さすがポジティブな勝間さんは「注目されている」「これだけの反響を得た。成功した」と捉え、罵詈雑言コメントも楽しんでいるかもしれません。今回のひろゆきさんとの議論?で、勝間和代さんは、さらに知名度が上がったかもしれません。

さて、今回の「勝間VSひろゆき」を見て、以前の「勝間VS香山リカ」を思い出す。
「勝間和代VS香山リカ」ネタは、以前の日記にも、たくさん書いたが・・・^^;
今回の「ひろゆきVS勝間和代」と、ちょっと前の「勝間和代VS香山リカ」で感じたことは・・・つっかかったほうが負ける・・・と思った。

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邪推 [雑記]

勝間本「やればできる」を読んでみた。ちょっと前になるが勝間さんを取り上げた「金スマ」も見た。
というわけで、「なんちゃってカツマー」として、これらについての感想を綴ってみよう。

私は基本的には、勝間さんの「努力についての考え方」を支持するし、共感もする。
「やればできる」も、大半の内容には共感する。

なので勝間さんに対し、ひっかかったことだけ書いておこうと思う。

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勝間和代VS香山リカその11・・・努力と運 [雑記]

前日記の続きです。
アエラに載っていた「勝間和代VS香山リカ」の対談記事で、ちょっと気になったことを考えてみようと思います。

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アエラの記事を読んで、精神科医の香山さんは「医者になれたのはただ運がよかっただけ、環境に恵まれただけ」と言っており・・・

それはつまり、香山さんは今の立場になれたことも、「ただただ運がよかっただけ」「そんなに自分は努力していない」ということなのだろうか。

そこまで言われると・・・
何かを手に入れたり、目標を達成したり、周囲から褒められたり、認められたりしたとき、「いえいえ、すべて運が良かっただけ」「環境に恵まれただけ」であり、「そんなに努力してません」と言うのは、なんだかなあ・・・とも思ってしまった。

たしかに運や環境に恵まれたからこそ、というのも大きいだろうけど、「努力はそれほどしてません」と言われると「本当か?」と・・・

ただ、もちろん自分も振り返ってみれば・・・運や環境が大きく関わったように思う。

たとえば、ピアノの場合、高校時代「自分に合った良い先生」「憧れてしまうほどピアノが上手い友達」にめぐり合えたことが非常に大きい。
なので練習も全く苦ではなく、もしも「練習すること」=「努力」であるとすれば、私は努力することが非常に楽しかった、ということになる。非常に楽しいので、1日4時間は当たり前、休日は8時間以上、中学時代までとは打って変わって練習した。
もちろん、そういった環境を得るためにお金をかけることができた経済的環境も大きい。
もし、音高などに行かず、お金がないから、ピアノはやめてくれ、と言われたら、おそらくやめていたと思う。

「努力する」ということが、「苦しく我慢を強いられるもの」であるなら、もちろん、私はピアノの技術習得について、そんなに努力しなかったと言える。

けど、「練習」は、おそらく「努力」ということになるのだろう。

ならば、こう言える。練習すれば、誰でも弾けるようになる、と。
実際、そうである。
10代の時に、毎日2~3時間以上練習するだけで、相当弾けるようになるだろう。音大に行かなくても、音大生並みに弾けるようになるはずだ。

反対に、練習しなければ弾けない、のである。
おそらく、これはピアノや楽器を弾くことだけではなく、あらゆることに当てはまるだろう。

練習=努力は不可欠である。
少なくとも私は、運と環境だけで、努力=練習をしなくてもピアノは弾けるようになりますよ、とは言えない。

ただし、現在の自分は、あれほどの練習はできない。体力的にも気力的にも落ち、そしてモチベーションも保てず・・・この状態で、もし10代のときと同じ練習量を強いられたら、相当辛い、と思う。
10代のときはやればやるだけ伸びるが、今はそうはいかない。維持だけで精一杯といったところだ。

おっと・・・ピアノについては、ブログに「ピアノ関連カテゴリー」が別にあるので、「ピアノネタ」として新たに記事にしてみたいと思う。もともと、ピアノやショパン、ゲーム音楽のピアノアレンジについて語るために、このブログを開設のに、これでは「勝間ネタがテーマ」「勝間ネタ中心」みたいなブログである・・・^^;


さてさて、自分で「努力しなかった」「運が良かっただけ」というのはいいだろう。
けど、他者に対し、「あなたはただ運がよかっただけ」「環境がよかっただけ」といえるのか?ということだ。
もちろん、「運」「環境」は大きいだろう。
だが「努力はそれほど重要じゃないよね」とは言えないだろう。言えば、大変失礼である。

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勝間和代VS香山リカその10・・・再び「努力すること」について [雑記]

またまたアエラで「勝間和代VS香山リカ」の記事がありましたね・・・
これは「なんちゃってカツマー」としては動かなくてはなるまい・・・ということで、またまたネタにしてみようと思います。

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さてさて、勝間さんの「努力することについて」のこんな記事を見た。「勝間VS香山」に興味持っている人にはお勧め・・・というか、ぜひ読んで欲しいと思った。http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/k-info/2010/01/post-48.html

私は「ごもっとも」と素直に思える。全く、勝間さんの言うとおりで反論できないのでは、と思う。
少なくとも、私はこれに対しては「論理的」には反論できない・・・

↓努力することから逃げている人(私も含めて)には耳の痛い言葉かもしれない。

勝間さんのお言葉っ抜粋♪
【たぶん「競争しなくていいよ」と言ってほしいんですよね。「努力しなくていいよ」と。】

【努力がどうしても嫌いな人や、人生がうまくいってない人……正確に言えばうまくいってないと思いこんでいる人は、香山さんの方に共感すると思います。努力しようがすまいが自分の人生は変わらない、と思っている人は、「それでいいんだ」と言われたいでしょう。そういう人には、勝間和代の本はノイズになる。せっかく「がんばらない」ことで心の平安を得ているのに、「やればできる」なんて言われたくない。もちろん、何を選ぶかは、人それぞれですが。】


良い悪いはともかくこの世の中は競争社会であるのが現実だ。「努力しなくても渡っていけるほど甘くはない。良い悪いではなく、それが現実だ」と勝間さんは言いたいのかもしれない。

それと、おそらく・・・
「努力したのに、もしも全く報われなかったら・・・」と、そんな現実を見るよりも、
「努力しないでおいて、でも本当はやればできるかもしれない」と思うほうがラクかもしれない。

「努力してもダメだった」ということは「自分自身に最初からその才能なり、資質がなかった」「これって自分に価値がないってことかも・・・」と考えてしまい・・・そんなの認めたくない、と思う人もいるかもしれない。
そういう思いについては、私もよく分かる。

「どうせ、私なんて・・・」「努力しても無駄に決まっている」という卑屈になってしまう気持ちもよく分かる。
若い頃、私もそんな気持ちになったことがよくあるからだ。

ただ、それならば実際に他者から認められることを期待してはいけないのかもしれない・・・と。

「生きていてごめんなさい」=(私は生きているのも申し訳ないほど価値のない人間です・・・)
こういう言葉もよく聞く。冗談や皮肉で言う場合もあるが、卑屈な態度で、そういった言葉を吐く人もいる。
これも分かる。私もやっぱりそういう気持ちによくなったものだ。

けど、その言葉を他者に吐く人は、「私を認めて」という気持ちがあるのだろう。

本当に「生きていてごめんなさい」と思うならば、ひっそりと生き、迷惑をかけないように他者とできるだけ関わらないはずだ。よってそんな言葉を他者に吐く機会はないはずだ。たとえネット上でも。

「私を認めて欲しい」のならば、やはり努力するしかないのである。

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