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勝間和代VS香山リカその10・・・再び「努力すること」について [雑記]

またまたアエラで「勝間和代VS香山リカ」の記事がありましたね・・・
これは「なんちゃってカツマー」としては動かなくてはなるまい・・・ということで、またまたネタにしてみようと思います。

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さてさて、勝間さんの「努力することについて」のこんな記事を見た。「勝間VS香山」に興味持っている人にはお勧め・・・というか、ぜひ読んで欲しいと思った。http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/k-info/2010/01/post-48.html

私は「ごもっとも」と素直に思える。全く、勝間さんの言うとおりで反論できないのでは、と思う。
少なくとも、私はこれに対しては「論理的」には反論できない・・・

↓努力することから逃げている人(私も含めて)には耳の痛い言葉かもしれない。

勝間さんのお言葉っ抜粋♪
【たぶん「競争しなくていいよ」と言ってほしいんですよね。「努力しなくていいよ」と。】

【努力がどうしても嫌いな人や、人生がうまくいってない人……正確に言えばうまくいってないと思いこんでいる人は、香山さんの方に共感すると思います。努力しようがすまいが自分の人生は変わらない、と思っている人は、「それでいいんだ」と言われたいでしょう。そういう人には、勝間和代の本はノイズになる。せっかく「がんばらない」ことで心の平安を得ているのに、「やればできる」なんて言われたくない。もちろん、何を選ぶかは、人それぞれですが。】


良い悪いはともかくこの世の中は競争社会であるのが現実だ。「努力しなくても渡っていけるほど甘くはない。良い悪いではなく、それが現実だ」と勝間さんは言いたいのかもしれない。

それと、おそらく・・・
「努力したのに、もしも全く報われなかったら・・・」と、そんな現実を見るよりも、
「努力しないでおいて、でも本当はやればできるかもしれない」と思うほうがラクかもしれない。

「努力してもダメだった」ということは「自分自身に最初からその才能なり、資質がなかった」「これって自分に価値がないってことかも・・・」と考えてしまい・・・そんなの認めたくない、と思う人もいるかもしれない。
そういう思いについては、私もよく分かる。

「どうせ、私なんて・・・」「努力しても無駄に決まっている」という卑屈になってしまう気持ちもよく分かる。
若い頃、私もそんな気持ちになったことがよくあるからだ。

ただ、それならば実際に他者から認められることを期待してはいけないのかもしれない・・・と。

「生きていてごめんなさい」=(私は生きているのも申し訳ないほど価値のない人間です・・・)
こういう言葉もよく聞く。冗談や皮肉で言う場合もあるが、卑屈な態度で、そういった言葉を吐く人もいる。
これも分かる。私もやっぱりそういう気持ちによくなったものだ。

けど、その言葉を他者に吐く人は、「私を認めて」という気持ちがあるのだろう。

本当に「生きていてごめんなさい」と思うならば、ひっそりと生き、迷惑をかけないように他者とできるだけ関わらないはずだ。よってそんな言葉を他者に吐く機会はないはずだ。たとえネット上でも。

「私を認めて欲しい」のならば、やはり努力するしかないのである。

もちろん、その努力は実るとは限らないし・・・
実らなかったら、ますます「私はダメ人間」「どうせ、私は・・・」「やっぱりね・・・やるだけ無駄だった」という気持ちになってしまい、ますます「生きていてごめんなさい」状態になってしまうかもしれない。

もっと悪い状態に落ち込んでしまう可能性もある。

なので、「逃げる」「何もしない」というのもありだと思っている。

ただ、努力を放棄するなら、他者に認められることも放棄しないとならないのかもしれない。
冷たい、と思う人もいるかもしれないが、それが現実だと思う。

他者から認められたかったら、やっぱり努力が必要なのではないか、と。

じゃあ、どういった努力をすればいいのか・・・努力の仕方が間違っている場合もあって、報われない、という場合もあるだろう。正しい努力の仕方とは何か?と、つっこまれてしまうと・・・具体的には説明できないだろう。

その努力の仕方は、個々で変わってくるのが当然である。何を目標とし、目的としているのか、そして個々の資質、置かれている環境によって違ってくる。

どういった努力をすればいいのかは、やはり自分で考えないといけないのだ。

なのに、そういった努力の仕方について、「じゃあ、勝間さん、具体的にどうしたらいいんですか?すべてのケースに、すべての人に通じるように、すべての人に有効な努力の方法、やり方を論じてください」というのは無理がある。

勝間さんはご自分の経験から「例として」こういう努力の仕方がある、自分はこういった努力をしてみた、と説いているだけなのだ。全ての人に当てはまる「方法、やり方」などないのである。


さてさて・・・
他者から認められることを「幸せか?」となると、やはり「幸せ」を感じる人が多いのでは、と思う。が、幸福の基準は人それぞれなので、「幸福論」についてはなんともいえない。

お金の問題もそうかもしれない。勝間さんが言うように、一般論として。
ただし、その基準が「年収600万円以上」であることについては、私はよく分からない。(上で示したリンク先の記事には、年収600万円云々については、全く触れられていないが・・・「年収600万」あれば不幸になるリスクを減らせる、という勝間論は以前から話題になっていた)

しかし、きちんと基準、数字を出したことについては偉いと思う。
他の人だって「お金はないよりも、あったほうがいい」とよくいうが、「じゃあ、どれくらい?」となると答えられない人が多い。あるいは「あれば、あるほどいいんじゃない」と数字を出さない。まあ、出せない、といったほうが正しいか・・・
「年収600万円」も、発生するかもしれないリスクを考え、余裕を持って対処できる金額、選択肢がいろいろ選べる=豊かな生活ということで、勝間さんなりの根拠があるのだと思う。

ただし、社会全体で見れば、それを実現できる人は少数だ、ということで・・・高い壁であることは確かである。

良い悪いではなく、勝間さんはただ「現実」を説いているだけ、なのかもしれない。
むしろ、そこに「幸福論」みたいな曖昧なものを持ってくるから、ヘンに誤解されてしまうのかもしれない。つっこまれてしまうのかもしれない。

努力することは悪いことでもないし、努力することについてポジティブに捉え、「楽しもう」という勝間さんの言うことには、基本的に賛同したい。

で、もちろん、失敗するのは嫌なことだし、努力するのも面倒だし、疲れるし、ネガティブに生きていくのもあり、である。(勝間さんもそう言っている)

ただネガティブ人は(私もネガティブなほうである)、こういったポジティブ人に「置いていかれ感」を持ってしまうかもしれない。相手の言っていることは正しいので、ついつい「努力しろ」と強制されている気分にもなってしまう。

でも、きっと「強制はしない」「好きなようにどうぞ」と言われると、それはそれで「切られた」「見捨てた」と捉えられてしまうのかもしれない。

ただし・・・「失敗を恐れるな」「失敗から学び取り次へ活かす」「失敗してこそ成功がある」という一般的なポジティブな考えや、アエラの記事では勝間さんの「失敗することも楽しい」というスーパーポジティブな考えに・・・

基本的にそれはとてもいい考え方だけど、「ちょっとだけ例外もあるのでは」と思ってしまった。

取り返しのつかない失敗、避けたい失敗、というのがあるからだ。

まずは「命が関わってしまうもの」について・・・努力しつつも、やはり失敗してしまった場合、「楽しい」とは、とても思えないだろう。

そして「子どもに関わるもの」「人の心が関わってくるもの」について・・・これについて失敗、成功は簡単には決められないが・・・取り返しがつかないケースもあるかしれない。人の心をひどく傷つけてしまう場合もあるからだ。

ここでやっぱり・・・文春で話題になった勝間さんの長女のことを思ってしまうのだ。

すべて推測の域を出ないが・・・もしも勝間さんが「親として未熟だった」「暖かい家庭をつくれなかった」と文春インタビューで答えたのだとしたら、長女と普通に親子関係を築けてなかったとしたら、家庭つくりは失敗だった、ということも言えてしまい、その失敗を「楽しい」といえるのか?と思ってしまった。

もちろん、人様の家族関係、家庭について、関係のない他者が「成功」「失敗」を口にするのはおこがましく、とても失礼なことであり・・・そもそも「成功」「失敗」を決め付けていい性質のものではない。だから、香山さんもそこまではつっこめないだろう・・・

ただし・・・この件に関し「失敗」「成功」という言葉を使っていいのなら・・・
もしも長女と良好な関係が今は築けていないとしても、勝間さんが長女との関係を取り戻そうと努力し、努力が続いている限り、それは「失敗」ではない、と言えるかもしれない。
いつか、関係を取り戻すことができれば、「成功」ということになるのだから。

それに「最初から完璧な親」になれる人などいないだろう。

なので、基本的には、勝間さんはいいことを言っているとは思っている。あくまでも「一般的に」であって、「例外」は外されてるのだろう。

そして、「努力すること」など人生の基本的なことを考えるのに、話題の勝間さんはやはり無視できない存在なのである。(アクセスもとれるし^^;)


ちなみに・・・
この文春で話題にされてしまった長女の件については「アヤシイおかしい勝間論(その1)(その2)」http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-02-17http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-02-17-1で語っている。

(その2)http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-02-17-1では勝間さんの長女が書いたと言われているブログも見つけ、本物かどうかは分からないけど、とりあえず示しておいた。

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