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邪推 [雑記]

勝間本「やればできる」を読んでみた。ちょっと前になるが勝間さんを取り上げた「金スマ」も見た。
というわけで、「なんちゃってカツマー」として、これらについての感想を綴ってみよう。

私は基本的には、勝間さんの「努力についての考え方」を支持するし、共感もする。
「やればできる」も、大半の内容には共感する。

なので勝間さんに対し、ひっかかったことだけ書いておこうと思う。

まずは、うちの記事でダントツにアクセス数が高いのは、勝間さんの長女のブログの件について書いた記事http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-02-17-1である。
現在、2番目に高い記事のアクセス数の4倍、ほかの記事と較べたら6~14倍という飛び抜けた高さである。
やはり、勝間和代さんに関心のある人たちは、文春で話題になった長女の件についても関心が高いのだろう。

もちろん、紹介した「勝間さんの長女と思われるブログ」は、本物かどうかは分からない。
ブログを本物と仮定し、なおかつ、文春の記事の通り、長女が勝間さんの元を離れ、勝間さんと別れた元夫(長女の父親ということになるのだろう)のところへ身を寄せている、というのが事実だとすれば・・・私個人の感想としては、精神的に追い詰められてしまったのではないか、と邪推してしまう。

と、まあ人様の家庭のことをいろいろ邪推するのは趣味が悪いし、下品なことだけど・・・

勝間さん自身が、公にご自分の家族のことを書いているし、別れた夫についても書いたりしているし、「35歳独身限界説」や他の著書では、結婚し家族を持つことを推奨し、35歳以上の未婚者に対し失礼とも受け取れる発言をしているし、この間はテレビ番組「金スマ」でも、勝間さんの家族のことを取り上げていたので・・・私を含めて皆が「勝間さんの家族について」興味を持つのは仕方ないだろう。

「金スマ」では、勝間さんと3人の娘さんたちとは上手くいっているような演出であり、別れた夫については・・・

まず一番目の夫は、勝間さんが仕事と家事で忙しいのに、ゲームで遊んでいて、「家事をやりたくない」と手伝わず、その上、子供達のために貯金していたお金を使い込んだ・・・なんだかサイテーな夫・父親像という感じであった。これは勝間さんの著書にも書かれている内容でもある。

そして、ついにテレビの視聴率の高い番組でも、そのように描かれてしまったのだから、本の読者とは比較にならないくらいほんとうに多くの人たちに【勝間さんの一番目の夫の悪いイメージ】は広がってしまっただろう。

2番目の夫については・・・自分の存在価値を問う元夫に対し、「いてもいなくてもいい」という勝間さん・・・そういった演出であり、これについては、勝間さんにちょっと冷たいイメージを持った。

自分にとって役に立たない利用価値がなくなった人は、夫も含め、勝間さんにとっては「いらない人」なのだろう・・・と、そういうイメージを持ってしまう。あくまでもイメージであるが・・・

さて、なのに勝間本「やればできる」では・・・
【私が「やればできる」に気づくことができたのは、両親、先生、先輩、仕事上のパートナー、私生活でのパートナー、別れた夫たち、などのおかげです】
というようなことが書かれていて、別れた夫たちにも感謝している、ということになっている。

そして【生活の中で幸せを感じている】そうだ。

謝辞では、【精神面で支え、見守ってくれている3人の娘とパートナーに心から感謝をします】と書かれているので、現在も長女とも円満にいっているような印象を受ける。

【助け合いの気持ちを持てるのは、身近な家族がいるからこそです】とも書かれていて、家族と幸せに暮らしていることを伺わせる。

ならば、文春に載った「長女の件」は全くのでたらめだったのか、と今さらながらに思ってしまうのだが・・・

あの「長女のブログ」を読むと、赤の他人が作り上げたでっちあげとも思えず・・・
また、ウェブ上に本当に存在したそのブログを勝間さんの長女が書いたものなのかどうか、文春が裏も取らずに記事にしたのか?そこまで週刊誌の記事はでたらめなのか?とも思ってしまう。

そして、2番目の夫に対する勝間さんの言動が、テレビで紹介されたように事実であれば・・・
勝間さんにとって役に立たない人間、存在価値のない人間、上昇志向を持たない努力や成長することをやめてしまった人間に対して、勝間さんは冷たい態度をとる人であり、長女も精神的に追い詰められたのでは、と邪推してしまったのである。
それは「起きていることはすべて正しい」の著書からも伺えてしまう。

タレントのさんまさんが言っていたことだが・・・
離婚間近の夫婦に限って、公の場で「円満にいってます」「幸せです」と発言するそうだ。

意地の悪い見方をすれば、あまり幸せでない人ほど、「幸せです」と発言するものかもしれない。

もちろん、これは、あくまでも私の意地悪い邪推である。
他者に「幸福論」を説く仕事をしていれば、当然、幸福論を説いている本人は幸せでないといけないわけだし・・・幸福論を説かれたほうも「じゃあ、そういうあなたは本当に幸せなのか?」と意地悪く見てしまうのだ^^;

なので、勝間さんの「努力に対する考え方」「方法論」は支持するが、「カツマーを目指すな」という香山リカさんの言い分にも「確かにそうかも」と思ってしまうのである。

そして、カツマー(勝間さんの考えを信奉し、勝間さんの言うことを全て鵜呑みにする人、上昇志向の強い人)を、自分の成長に利用価値のない人間は切り捨てる人、あるいは身近にいる人を追い詰める・・・私は、「カツマーだ」という人をそういう目で見てしまうかもしれない。
もちろん、「金スマ」での2番目の夫に対する言動が事実であり、文春の記事がでたらめでなければ、という仮定の中での話であるが・・・ただ勝間本「起きていることはすべて正しい」にも、そういった印象を持ってしまった。

だから、カツマーに対し、香山リカさんが警鐘を鳴らしたのかもしれない。
少なくとも、「金スマ」で勝間さんが2番目の夫に対して思った言動には、ちょっと冷たいものを感じた。あのシーンを番組制作側が勝間さんの了承を得ずに勝手に作ったとは思えない。



最後に、益田ミリさんの「結婚しなくていいですか。(すーちゃんの明日)」より、印象に残ったセリフを紹介したい。


以下、「結婚しなくていいですか」より抜粋。

【誰が、好きこのんで寝たきりになりたい?なりたい人なんかいるわけない。なりたくて、なる人なんかいるわけない。
「元気で長生きがいちばん」って、もしかしたら誰かをキズつけている言葉なのかな。
知らず知らずのうちに鈍感になっている。自分の言っている意味を考えなくなっている。気をつけなきゃ。】

抜粋、終わり。

「努力ができない人、しない人」「結婚できない人、しない人」に対しても、同じことが言えるかもしれない。
香山リカさんも、鈍感な発言者たちに対して警鐘を鳴らしたかったのかもしれない。

もちろん、鈍感な私も、このブログ上で他者を傷つけている言葉を吐いているだろう・・・



そうそう、もうひとつ、最後の最後に・・・

西郷理恵子さんの「結婚に関する記事」より抜粋。

【最近、朝日新聞で「婚圧」という言葉が紹介されていました。多くのメディアが、結婚は人生における最後のセイフティーネットであるかのように唱え、「結婚しない=孤独死が待っている」という恐怖心を煽っていますが、そんなメディアに息苦しくなっている人たちが、使い始めているそうです。】

抜粋、終わり。

ということで
まだまだ結婚しない人たちに対し、圧力があるようだ。それは「負け犬の遠吠え」「35歳独身限界説」にも現れているのだろう。

圧力をかけている人たちは、もちろん結婚し、おそらく子供もいて、自分たちの生き方こそ幸せであり正しい、と信じている、ある意味、鈍感な人たちなのかもしれない。

結婚しない人、できない人を傷つけている、見下している、とも思っておらず、むしろ、自分たちは正しい導きを行っているのだと思っているのかもしれない。

恐怖心や不安感を煽り、でも信者になれば救われる、幸せになれる、と導く新興宗教を思ってしまう。



・・・だから、「勝間和代VS香山リカ」の番組で、ビートたけしが「宗教」と言ったのだな、と思った。

けど、「自分」を持っている人は、それらを「圧力」だと受け取る感性を持っているのだろう。
迷っている人は、ひっかかってしまうのかもしれない。

いえ、迷うからこそ、人間なのだけど。
迷わないで人生歩める人なんていないだろう。

ということで、勝間さんの「努力に対する考え方」は共感するが、それが幸福につながるかどうかは分からない、と思う。

「結婚」も同じことだろう。経験することはいいことだが、幸福につながるかどうかは分からないし、自分の成長につながるかどうかも分からない。別れた夫を全国ネットで「悪者」にしてしまうことが、結婚によって成長したはずの大人の正しい行為なのかどうかも分からない。よって、未婚者が、経験豊かなはずの既婚者に較べて、格下であるかどうかも分からない。

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