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原発(その4)原発推進派VS反対派 [原発・被曝関連]

気になった記事、ニュースを紹介しつつ、原発について綴ってみます。
私は今の時点では、「少なくとも原発は今以上は増やさず、できれば少しずつ原発依存から離れて、ほかのエネルギーでなんとかしてみる方法を探ったほうがいい」と考えています。

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まずは芸能人の石田壱成さんのブログより3月4日(つまり福島原発事故の前だ)に書かれた記事http://ameblo.jp/isseiishida/entry-10819818986.htmlについて・・・
私の興味をひいたのは、この石田さんの記事に対する他の人たちの冷笑コメントhttp://sapukei.seesaa.net/article/189491188.htmlだ。まだ福島原発事故前であり、3月8日付けまでのコメントが見られる。

そうか、今まで、原発反対者はこんな目で見られていたのだ、と思った。原発に反対すれば「電気を使うな」と言われるのだ。
そして、福島原発事故が起きた。その後の冷笑コメントはない。

今は原発反対派は祭り上げられ、原発推進派が批判されるようになった。

しかし、時が流れ、節電により、経済が落ち込めば、また原発推進派は盛り返し、反対派は再び世間の冷笑を浴びることになるのかもしれない。

世間の空気、世間の風というのは、実にいい加減なものかもしれない。メディアによる情報操作もあるだろう。
難しいけれど、世間の空気に惑わされないようにしたいものだと思った。

さてさて・・・そんな世間の空気の中で石原都知事は堂々と原発推進派であることを唱えたようだ・・・
以下、転載

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東京都の石原慎太郎知事が福島県災害対策本部を訪れ、佐藤雄平・福島県知事と会談しました。
会談後、石原氏は報道陣に「私は原発推進論者です、今でも。 日本のような資源のない国で原発を欠かしてしまったら経済は立っていかないと思う」と語る。
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え?ええ?我欲を洗い流すんじゃなかったのか~???電気の使いすぎを戒めるのではなかったのか~?

都知事は「今度の地震は日本人に対する“天の警告”だと思う」と話したらしい。
が、今回のことが天の警告ならば、私は「原発は危険だ。原発に依存するな」と捉えるが・・・

ということで、石原都知事は「原発推進派」だ。とすると増設も考えているということなのだろうか?
ちなみに今度、都知事選で新しく立候補する人たち、ワタミさんは「自然エネルギーを考えたい」、東国原さんは「立ち止まって考えたい」、小池さんは「問題だ」と、原発慎重論であるようだ。(もちろん、慎重派も、今ある原発をすぐに全て停止することは非現実的だと思っているだろう)

都民が誰を選ぶのかで、誰がどのくらいの票をとったかで、都民の原発に対する考えが分かるかもしれない。もし、石原さんが当選し、しかも大差で勝ったとしたら、東京都民は原発事故でちょっと水を汚染された程度では身にしみなかったと考えてもいいかもしれない。「経済のほうが大事だよね。原発に頼るしかないよね」と、今回の騒ぎを風化させていくのかもしれない。

そして、ホリエモンの発言も話題になっているみたいだ。ホリエモンも「推進派」なのだろう。(偏見だが、なんだか節電もしなさそうな感じがする・・・)
以下、転載

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ホリエモン「いくら頑張っても100%の安全というのは無理なんですよ。
      99.9%の小数点以下の9の数をどれだけ増やせるかしかない。
      しかし、増やせば増やすほど比例級数的にコストは上がってくる。
      どこかでトレードオフするしかない。

Twitter民「車だってパソコンだって恋愛だって危険ちゃ危険ですもんね。」

ホリエモン「そう。まだ今回の原発放射性物質漏れ事故で死者いないのにこれだけ批判されるが、
      毎年数千人の死者を生み出してる自動車が批判されないのはなぜ?
      そしてほとんど誰も自動車反対運動をしないのはなぜ?
      安全対策は技術的にはもっと進められるのになぜしない?
      全てはトレードオフなんだよ。」
http://twitter.com/#!/takapon_jp/statuses/51281059568025600
http://twitter.com/#!/takapon_jp/status/51284087998132224
http://twitter.com/#!/takapon_jp/status/51284420375752704
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転載、終わり。

ほか、この件に関するホリエモンのブログ記事
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10834265747.html


私の感想。
うーん、被害者は「死亡者数」だけでしか語れないのかな?
被害者の数で言えば・・・避難させられた人々、蓄農産業者の方々など、かなりの数だと思うのだけど。そして原発事故はその地域社会を、人々の生活を破綻させる力をもっているのだから、「自動車」を例えに出されても、次元が違う気がする。
最悪の原発事故は、その国の経済を破滅に追い込むかもしれない。自動車事故と較べられないだろう。

大被害を招くようなそんな事故は起こりえない?可能性が低い?(ま、今回だって充分大きい被害だと思うが、今のところ被曝死亡者がいないので、推進派はそうは思っていないらしい・・・)
が、きっと最悪の事故が起こった時は「想定外だ」ということになるのだろう。大河のない日本は原発は海沿いに置かざるを得ず、地震列島国(津波の大被害が想定される)には、原発に頼ることは問題だとも聞く。

今回の原発事故もその後の処理がなかなか上手くいかず、現在、海水に放射線物質垂れ流し状態である。


では、原発反対派の記事を紹介。
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-2624.html
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

この記事内にあった動画「朝まで生テレビ」を見てみたが・・・どうもテレビメディアは、原発擁護のほうへ傾いている?

上昇志向の強い人(ほりえもん、勝間さん)は原発推進派擁護派なのだろう。やはり原発がなければ、経済成長が見込めないからだろう。テレビ業界も経済が停滞しては困るだろう。「節電しろ」と言われたら困るのだろう。

一番、驚いたのが・・・この動画「朝まで生テレビ」の中で、「危険を誰かに押し付けてまで、文明の利を享受していいのだろうか」という視聴者からの意見に対する司会者の田原さんの「どういうこと?」という言葉だ。
え?田原さん、危険を誰かに押し付けているという自覚はないのか?では、ぜひ原発のお近くに住んで欲しいものである。ただ田原さんはもう老人なので放射線も怖くないのかもしれないので、田原さんのお孫さんも一緒に・・・今、放射線を垂れ流している福島原発の20キロ~30キロ圏内で生活してほしい。田原さんは「危険ではない」と思っていらっしゃるようだから。

推進派は、「原発事故での死者はいない=犠牲者はいない、これほど騒ぎ立てるような大きな被害ではないし、大きな問題ではない」と思っているようだ。(ちなみに、原発で遺体で発見された東電社員の2名は放射線で亡くなった訳ではないようだ)

これでは・・・避難させられ、農産物の出荷規制、仕事をなくし、生活をめちゃくちゃにされた人たち(原発事故によって出荷規制され、自殺した農家の方もいる)はたまらないだろうな、と思った。

そして、現場で被曝しながら、これ以上の被害を出さないようにがんばっている作業員の方たちも。
今すぐに重篤になることはなくても、将来、健康を害することがあるかもしれない。でも、「被曝によって健康を害したのかどうか分からない、証拠がない」ということになるのだろう。勝間さんが「チェルノブイリは小児甲状腺ガンは増加。しかし、それ以外の大人の病気はクリアに見えてこない。」 と言っているように。(ならば、放射線汚染された食物の出荷規制をするのはおかしいのだが・・・)

推進派の人には犠牲者や被害者の姿は目に映らないようだ。

そして「○○に較べたら、被害は少ない、大きな問題ではない、騒ぎすぎ」という論理に導くようだ。
「自動車事故に較べたら」「地震津波での犠牲者に較べたら」と。

さらに、その被害者を救うために経済発展が必要だ、と言い、原発を推し進めようとするだろう。
原発によって、たくさんの被害者を生んだのに、その原発をなくしたら経済が立ち行かなくなり被害者を救えないという論理にもっていこうとするだろう。
原発反対者に「じゃあ、経済発展なしに、どうやって被害者を救うんだ?」と言うだろう。

そして、石原都知事のような人(つまり、ちょっと「右」)は、経済が傾いた日本は軍事力にもお金をかけられず、近隣国に付け入れられる心配しているのかもしれない。

そう、事故が起きる前までは、原発反対の人は「サヨク」と呼ばれていたらしい。
でも今、世間の風は「原発反対」に傾いている。原発反対派は「サヨク」と冷笑されなくなり、原発推進派は叩かれている。

私は今まで原発のことは「安全神話」を信じ、まるで無知なので、とりあえず、どっちの意見にも耳を傾けたいと思う。

ただし、原発推進派の「今回の原発事故は騒ぎすぎ、放射線を怖がりすぎだ」という意見に対しては、ではなぜ農産物の出荷規制をするのか、住民を避難させたのか、屋内退避させたのか・・・である。「騒ぎすぎ」「怖がりすぎだ」「今出ている放射線はそれほど危険ではない」というのであれば、それらはしなくていいのでは、と。

つまり「危険かどうか分からない。危険かもしれないし、それほどでもないのかもしれない」、なので「念のため」ということなのだろうが・・・「パニックにさせないために何か隠しているのでは」と勘ぐられるのも仕方ないだろう。
今まで、東電もいろいろと隠してきたようだし、今さら「信用」はできない。

この件が一段落したら、せめて、これからはもう「信用できない会社に原発を任せたくはない」と、多くの人が思っているだろう。

原発やめて貧乏になりますか?それとも、原発を受け入れて豊かな暮らしを選びますか?ただし大事故を起こせば、放射線汚染されたモノは売れず、やっぱり貧乏になるかもしれないし、健康も損なわれる可能性があるかもしれないし、ないかもしれません。そこのところは、はっきりしません。けど、もう今回のことを教訓にするので、大事故を起こす可能性はきわめて低いです。ならば豊かな暮らしができるほうに賭けてみませんか?・・・てなところか・・・


有名な「きっこのブログ」でも、原発について書かれていた。きっこさんも原発に反対している。2008年の4月に書かれたものだ。
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2008/04/post_4c89.html

「日立が17基の原発配管強度で計算ミス、28年間気づかず」(読売新聞)
・・・に、今さらながら、びっくりする・・・やはり「安全神話」などないのだ。人為的ミスは必ずあり、運が悪ければ取り返しのつかない大惨事が起きるかもしれない。

そして「実は原発のコストは高い」という記事http://chikyuza.net/n/archives/8136も紹介。

そう、技術的ハード面はもちろん、本当に安全に管理運営するならば、現場の作業員全員に専門知識を与え、専門家として訓練し、もちろんそれなりの報酬を、となれば、もっともっとコストがかかるだろう。

今までは、現場作業員の人件費も安く抑え、コストを削っていたのだろう。
そして東海村臨界事故で、何の知識もなかった作業員が惨い死の犠牲となったのだろう。

今ある全ての原発を今すぐ停止させるのは非現実的だが、それらを一企業に任せず、一企業から切り離し、国が厳重管理してほしいと思う。事故が起これば、自衛隊や消防隊、海外の専門部隊にも頼ることになるのだから、一企業が持つようなものではないだろう。テロリストに狙われる可能性もあるのだから、国が管理するべきものだろうと・・・(海外では、一企業任せにしていた日本にあきれているらしい)

でも、石田壱成さんの「原発反対ブログ記事」に対する福島原発事故前の冷笑コメント・・・そして、手のひらをひっくり返したように、今度は原発推進派の人たちに対する世間の攻撃に、なんだかなあ・・・とも思うのも確か。

ところで、余談だけど・・・北朝鮮の金正日からも800万円の義援金がきたとか・・・http://japanese.yonhapnews.co.kr/northkorea/2011/03/25/0300000000AJP20110325005000882.HTML

原発(その3)無意味だった公の組織 [原発・被曝関連]

補足(4月25日)
・・・この下の記事を書いていた時点では、まだ私は「原発なしでやっていけるのか?」と思っていた。また原子力安全委員会と原子力安全保安院を混合していた。

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4月2日
気になった本、記事やニュースを紹介。

まずはレビューを見て、過度に不安を煽ったり、演出したりしていないだろう信頼できそうな本を並べてみる。


↓多少、過剰でセンセーショナルな表現があるらしいけど、人気が高い本のようだ。星1つのレビューも参考にしつつ、読んでみたいと思った。



そして東電はそのまま存続?

時事通信社より以下、転載
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菅直人首相は1日の記者会見で、福島第1原発で放射能漏れ事故を起こした東京電力の今後の経営の在り方について「(国として)支援することは必要だが、基本的には民間事業者として頑張っていただきたい」と述べた。先に経営形態見直しの可能性に触れた発言を修正した形だ。

東電の賠償責任に関しては「責任を超える場合は政府として対応しないといけない」と語った。
首相は先月31日の日仏首脳会談後の共同会見で、東電について「(事故が)終息した中で今後の電力会社の在り方、存続の可能性も含めてどういう形になるのか議論が必要になる」としていた。 

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転載、終わり。

原発という危険なものを、まだ民間事業者に管理運営させるのか?
国が監視するとしても、原子力安全委員会や原子力安全保安院は東電任せにしてしまい、東電を監視・指導できなかったのだから、とても不安である。東電との癒着もあったのだろう、と推測できる。

結局、原子力安全委員会(原子力の安全確保のための規制を担当する委員会)や原子力安全保安院の存在意味はなかったとも言えるかも・・・そして、機能していなかったも同然の無駄な組織に一体いくらのお金が使われたのだろうと思ってしまう。この方たちの年収は?・・・1500万を軽く超えていたと聞くけれど。

こういった人たちのお給料、東電の幹部たちのお給料と、危険な現場で働く作業員たちのお給料はどれくらいの差があるんだろう・・・東電の幹部たちが退職した場合、その退職金、そして年金はどのくらいなのか・・・おそらく年金額は企業年金もプラスされるだろうから、下請けの現場作業員たちの年収よりもずっと上なんだろうな・・・と。


原子力安全委員会関連記事
http://www.fsight.jp/article/10333
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/e758cd77dd0410802e3cf2fe915b0347

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原発(その2)いろいろ [原発・被曝関連]

4月1日
前記事http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2011-03-26で、東海村臨界事故で被曝した作業員の83日の治療記録のドキュメンタリー番組動画を紹介したが、改めてそのことについて書かれた記事を紹介。目を背けたくなる写真もあるが、こういった惨い事件があったことを知ったほうがいいということで。

東海村臨界事故被曝労働者についての記事(写真付)
http://cherio1222.blog96.fc2.com/blog-entry-27.html

そして・・・
原発の現場労働者たちについての記事
http://www.nuketext.org/roudousha.html

↑電気を使うとき、今回の原発被害に遭われた福島の人、汚染が広がった近県の蓄農産業関連の方はじめ、現場労働者など、こういう人たちの犠牲のもとに使っていることを思い出し、そして、今まで、こういう人たちの犠牲の下に、便利で豊かな暮していたのだということで、節電に励みたい。
せめて、もうこれ以上の豊かさや便利さを求めてはいけない気がする。

「成長すること」は良いことのように思うが、「成長」の裏側には、多くの犠牲者がいるのかもしれない。
物質的豊かさはもういい、と叫ばれてから久しいが、未だに「成長=物質的豊かさ、便利さ」なのかもしれない。

撤回された石原都知事の「我欲天罰発言」・・・これは地震や津波のことではなく、原発事故・・・電気を使いまくり、危険な原発に手を出してまで豊かさを求めてしまったことに対する天罰なのか、と突き刺さる。しかも電気を使いまくる都会=東京都が直に被害を受けたのではなく、犠牲となったのはほかの地方である・・・そして、被曝し健康を害する可能性のある危険な現場で働く作業員たちだ。
今こそ、石原都知事は「我欲を捨て、節電に励み、危険な原発から脱することを考えよう」と言って欲しいものだが。


ところで、3月31日にも書いたが、改めて・・・
「福島原発5号6号基稼動に賛成なのか」というと・・・とりあえず期間限定で賛成。

住民がいなくなってしまった(汚染された土地にすぐに戻ることはできないだろうと思う)福島原発地帯にある5号6号を廃炉にするよりも、多くの住民がいるほかの地域の原発を停止し、廃炉にすることを先にしたほうがいいのでは、ということで。

今すぐ、日本にある全ての原発を停止させ、廃炉にすることは不可能だろうが、優先順位を決めていかないとならないのでは、と思う。素人なのでよく分からないが、「一番古い原発」から停止させ、廃炉にもっていくのがいいのでは、と。やはり古いものは新しいものよりは安全性が劣るのでは、ということで。もちろん、今稼動中の原発の安全性をより高めながら・・・少しずつ「脱原発」にもっていくしかないのでは、と。

これからも節電を続け、少しずつ脱原発することが出来たら、と思う。これ以上原発を増やさない、これは守りたいと。

原発に替わる代替エネルギーがなければ、これからもずっと節電に努め続けるしかないように思う。
電力による豊かさや便利さを求めるのは罪なのかもしれない。薄着での暖房つかいまくり、スーツ姿での冷房つかいまくりは、嫌悪感を持つようになる人が多くなり、無駄な電気をつかわないような社会になるといいと思う。(各家庭は太陽光自家発電で冷房をし、真夏の昼間を凌ぐなど、原発がなくても、なんとかやっていけるようになるといいけれど)

ヒステリックに思われるかもしれないけれど、クリスマスシーズンのイルミネーションもやめたほうがいいのでは、と思う。冬は暖房を使うので、電力消費量が上がってしまうのだから、イルミネーションは慎むべきだろう。もちろん、多くの世帯が暖房を我慢するというのであれば、イルミネーションもありかもしれないが、暖房とイルミネーション、どちらを選ぶかといえば、もちろん暖房になるだろう。

原発の代替エネルギーが見つからない限り、電気を使うことはできるだけ控えるべきなのでは、と思う。イルミネーションがなくてもクリスマスはそれなりに楽しめるだろう。イルミネーションをやめたからといって、経済が落ち込み、立ち直れないほどの大ダメージを受けるようには思えない。もちろんイルミネーションを自粛すれば集客できず、せっかくのクリスマスシーズンでの収入は落ち込むかもしれないが、原発に頼って電力を消費するほどのことではないかもしれない、ということで。

それとも、冬になった時には、もうこの事故の件は風化し、原発をやめようという動きは静まり、「節電よりも経済成長を」「原発の安全性を高めればいい、このことを教訓にし、もう事故を起こす可能性はゼロに等しい」「リスクを恐れてはいけない。原発をやめたところで、100パーセントの安全な暮らしなどないのだ」と、やっぱり原発に頼ろう、原発を増やそうということで、節電をしなくなってしまうんだろうか・・・

しかし、原発のリスクは、国民の健康と生活と国の経済を破綻させかねない大きなものであることは身にしみた。

それに、ほんとうに今の電力供給量ではやっていけないのか、それもよく分からないのだが・・・→http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/03/15/0003867376.shtml

計画停電での被害者を出し、節電での不便さを強調され、「だからやっぱり原発は必要なんだよ」という方向へ持っていかれそうな気もする。

原発をやめますか?それとも貧乏になりますか?・・・と。

贅沢で無駄なこと(明るすぎる無駄な電灯、イルミネーション、過度な冷暖房の使いすぎなど)をやめた場合、どのくらいの電力供給量が必要なのか・・・も、よく分かっていない。

それにしても、これだけ危険なもの(悪ければ、国民を被曝させ、健康を脅かし、水、畜農産物、土壌は汚染され、人が住めなくなり、地域を破壊、日本経済を破綻させてしまいかねないもの)を、一企業が管理運営していたとは・・・
一企業はやっぱり儲けを優先させてしまうから、こういうことになったのだろう→http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/280370.html

以下、転載「安全性よりもコスト重視の東電」
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東京電力福島原発を造った大手重電の元技術者たちが事故発生以来、インターネット放送などで自己批判と原発政策の告発を続けている。

 「もっと声を大にして言い続けるべきだった」。東芝で放射能を閉じこめる原子炉格納容器の耐性研究グループ長だった後藤政志さん(61)は話す。1979年の米国スリーマイル原発事故などで、格納容器内が異常に高圧になるとわかり、放射能物質ごと大気に放出する弁を付ける事になった。

 「フランスは、内圧が上がりにくく、放射能物質が漏れにくい巨大なフィルター付き格納容器を造った。われわれも必要、と議論したが、会社は不採用。コストだなと思った」と後藤さんは言う。

 「高台に建てたり、防水構造にしたりしていれば。想像力が足りなかった」。60年代、国内に技術がなく、津波を想定しない米国の設計図をコピーして第1原発を設計した元東芝社員小倉志郎さん(69)は悔やむ。

 4号機の設計にかかわった元日立グループ社員で科学ライターの田中三彦さんは今回「政府や公共放送が危機を正しく国民に伝えていない」と感じている。「格納容器内が8気圧になった時、普通は4気圧などと流していた。普通は約1気圧で、4気圧とは事故に備えた設計値だ。8気圧なら異常事態なのに、パニックにしないという配慮が多すぎる」

 3人はこれまでも匿名、あるいは著作、集会などで原発の危険性を訴えてきた。だが国や企業から返ってきたのは「冷笑だった」(後藤さん)。

 東京のNPO環境エネルギー政策研究所顧問竹村英明さん(59)は「日本には許認可権を持つ経産省、学者、電力会社などで作る原発ムラがある」という。竹村さんによると、ムラは強力で、疑問や批判を口にする技術者を村八分にする。3人がそうだったという。放送は、動画中継サイト「ユーストリーム」や「ユーチューブ」などで見られる。


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