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左派がネトウヨ漫画と非難「日之丸街宣女子」>作家を干せと恐ろしい主張>「表現の自由」への挑戦> [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

日之丸街宣女子


著者・漫画家富田氏のブログ
http://blog.livedoor.jp/akito3ta/archives/52332119.html

この漫画の存在はツイッターで知った。
何でも、民主党の有田芳生議員が「ヘイト本」として批判し、それがいい宣伝効果となり、有田氏の発言前はアマゾン人気4000位くらいだったのが、一挙に、一時2位にまで順位を伸ばし、今重版がかかっているそうだ。

富田氏のことは、直には知らないが、過去の作品は知っていた。
昔、お世話になった「スーパージャンプ」に載っていたので。

そこで、この富田氏について、とある漫画家の発言が非常に気になったので、話題にする。

富田氏がグランドジャンプで原作者として仕事をしたことについて、富田氏のような思想を持つ漫画家に仕事をさせるな、とグランドジャンプにかみついていた。

ちなみに、富田氏のグランドジャンプにのっている作品を問題にしているわけではない。富田氏の人間性について言及し、仕事をさせるなと言っているのだ。

漫画家・高遠るい氏のブログより一部転載。
http://d.hatena.ne.jp/ruitakato/20150513

・・・・・・・
「漫画の内容は普通っぽいんだけど、悪いことなの?」的な反応があったので、一応最低限の説明をしておく。めんどくさいが。

問題は「今回の漫画の内容」ではなく100%「人」だ、という話です。

ネトウヨ界隈を以前からウォッチしていない人にはあまり知られていないかも知れないが、富田氏はその筋では有名人である。この人が何年も前からネット上に公開している排外煽動漫画『街宣!街宣!』や、連載をしているらしい似非愛国雑誌『ジャパニズム』の醜悪さを知っているか? 彼女の主張内容は基本「ネットde真実」の典型であり、量産型ネトウヨのテンプレみたいな人ではあるのだが、漫画家というスキルを使って商業ベースでヘイトスピーチを展開している点で悪質性は高い、と私は考える(おそらく本人にとっては正義感から来る保守運動なのであろうが、であったにせよ、だ)。

ここで話をすごく基本的な地点に戻すが、ザイトク会や有象無象のネトウヨが継続的にばらまいている嫌韓デマや差別発言というのは、現代先進国の倫理基準で言えばまごうことなく犯罪レベルの人権侵害であり、法整備が追いついていない日本ではマトモに取り締まられない以上、市民社会の自浄作用によって排除されるべきものである。

たとえば桜井こと高田誠や山野車輪や皇族芸人の竹田ナントカの本を目立つところに置く本屋というのは、法で規制されてないからといって銃や毒薬を置いているようなもんであり、ハッキリ軽蔑に値する。晒されてやむなしと思うし、不買などの抗議が行われるべきだ。これを「でも需要があるんだから」「商売なんだから」しょうがない、という擁護で片付けるのは、資本主義の奴隷のすることである。人は金のみによって生くるにあらず。

金のために倫理を犠牲にすることを恥じない社会、大衆自らが正義と公平の実現を志向しない社会に、明るい未来など期待できない。

といったところで話を戻す。

先述したとおり、掲げる主張や日々の活動内容から言って、富田氏が常習的なヘイトスピーカーであることは議論を待たない。ハッキリ言おう。こういう筋の人間でも大手出版社のまともな本で仕事ができる、という前例をひとつ作ってしまったことが、今回の問題点である。国家公安委員長が増木重夫と付き合いがあるだけで国際的には問題視されるのの、ミニチュア版である。

「ダメだよ、グランドジャンプ&集英社。おたくみたいなある程度模範的に振舞うべき立派な会社が、マイノリティーへの人権侵害に加担し続けている犯罪的な輩に仕事をやっちゃ、示しがつかないでしょ」

・・・・・・・
転載終わり。

作品の内容ではなく、描いている漫画家が右翼でその主張が悪質だから問題なの? その考えこそ言論や表現の自由を脅かすのでは? こいつはネトウヨ差別主義者だから黙らせろと?

主義主張や考え方が正しくないから、その作家を干せ、仕事をさせるな、社会的に抹殺しろというのこそ恐ろしい。

このほかにも、「日之丸街宣女子」を描いた富田氏を問題視し、富田氏に仕事をさせたグランドジャンプ編集部や作画担当のきたがわ氏を批判する意見を見かける。

実際「富田氏を干せ」という呼びかけもされたみたいだ。
http://alfalfalfa.com/articles/117899.html

ほか、そう受け取られる発言、転載。

【このマンガの原作の富田安紀良は、レイシズム雑誌「ジャパニズム」に連載していた「日之丸街宣女子」の作者と同一人物です。きたがわ翔の新作読切、国境超え遺体を家族に届ける国際霊柩送還士を描く 】

【「ジャンプ」がネトウヨ漫画家と手を組んだ。「グランドジャンプ最新号」にヘイトデモ常連の漫画家「富田安紀子」が別名で原作を担当する作品が読み切り掲載されている。】

こう言った動きに対し、富田氏自身もこのように発言されている。
https://twitter.com/A_T_GUN/status/598362991176749057 転載。

【これって、社会的に抹殺せよって事ですよね。
いわゆる右系の事を描く漫画家が殆どいない理由はこれです。
作品を発表する上で、これは十分「萎縮効果」「沈黙効果」を生みます。
漫画家は「言論人」でなく「創作者」。本当~~に怖いわ 】


そして、こういうまともな意見もあった。転載。

【富田安紀子さんが携わった漫画を作者の思想信条を理由に集英社に抗議を促す纏めを見たが、表現者に名を連ねる人が呼応していてげんなり。同じ理由で自分も逆の立場から追い込まれることを想定しているのか疑問。表現者が表現の自由を縛る笑えない冗談】


言論自由や表現の自由を大切にしていたはずの左派が正義を振りかざし、これは差別だと言って言論統制を仕掛ける・・・

正義って何?と改めて思う。

※もちろん、左派全員がこのような考えではないだろう。
民主党の有田氏などかなり偏った一部の左派だ。有田氏の偏りは異常とも思える。しばき隊の暴力を容認し、在特会への攻撃は仕方ないという考えだからだ。そして暴力を容認してしまったことで、一般の人が疑問を持ったことに気づかない、あるいは、気づきながらも「しばき隊」を批判できず擁護したかった、それくらい在日コリアン側には何も言えない、非難できない、悪いことをしても目をつぶった・・・だとしたら、「有田氏こそ差別主義者」である。
おそらく多くの左派は、さすがに「しばき隊」は受け入れがたいだろう。多くの右派が「在特会」を受け入れがたいように。
よって、ここから「左派」と表示する左派はあくまで「一部の左派」「有田氏のような偏った左派」ということです。なお、今は「しばき隊」という組織、名前が替わっているらしい。

では、話をもとに戻します。

ま、考えてみれば、言論統制は共産圏の十八番。左派は、戦前や戦中の日本がそうだった、として、過去の日本を悪しざまに言うが・・現在において、「正義」を振りかざし、言論統制をしたがっている左派もいるということだ。

もし「差別発言をした者を干し、言論統制していく」としたら、恐ろしい社会ができあがりそう。差別発言の定義があいまいだから。

左派はマイノリティへの悪口は「ヘイトで差別」だが、マジョリティへの悪口は「ヘイト・差別」ではないという。よって、日本人への悪口はヘイト・差別発言ではない、らしい。

じゃあ、マイノリティの定義は? 少数派ということ?
在日コリアンへの悪口や批判も差別ならば、在日米兵への悪口や批判も差別発言となる。実際、左派の在日米兵へのヘイトも凄まじい。

が、なぜか左派は「在日米兵への悪口はヘイトではない、差別ではない」と言う。

マイノリティ、弱者は、左派様がお決めになるらしい。こんな恐ろしいことはない。
サヨク様の御眼鏡にかなった「マイノリティおよび弱者」は強い。なにしろ彼らへの批判を「差別だ」と言って封じ込めることができるのだから。

「プライオリティ」でもシーズン2の第4章「くつろぎのひととき」http://ncode.syosetu.com/n1557cj/55/で、ルイにこのように言わせる場面がある。

【何をもって『弱者』と定義するかは置いておいて、もし『弱者』を批判してはいけないとなると、弱者の立場を得た者とそのバックにいる者は逆に強いですね。何をしても批判されず、許されるのですから】

とまあ、こういった左派への疑問、左派へのアンチテーゼとして、私も「プライオリティ」を書いているのだが・・・

※しかし、私は自分の書いたものを「右傾化エンタメ」「右翼物語」とは思っていない。最後、主人公は国を捨てる=逃げることを考える。個人主義な主人公であり、国(公)のために自己を犠牲しようだなんて、さらさら思っていない。むしろ、左派が好きそうな「獣の奏者」の主人公の方が、皆のために=公のために己を犠牲にする・・・「国=公=皆のために殉じ、迷いもなく命を捧げた」のだから、特攻兵士と同じだ。


この「日之丸街宣女子」・・・有田氏はじめ左派はこの作品と著者を批判したものの、それが宣伝となりアマゾン2位。
有田氏と一部左派はよくよく考えたほうがいい。
右派を叩くだけでは問題解決しない。日韓関係が悪化して喜ぶのは中国。
ていうか、実はそれが左派(共産主義者として中国と仲良くしたい)の目的? と穿った見方さえしてしまう。

ごくごく普通の在日コリアンの方は、こういった左派にこそ気をつけてほしい。

本国、韓国は反日をやめられず、一種の病気では、と思う程に「おかしな状態」になっている。

これは日本にはどうしようもない問題だし、譲歩することもないだろう。(譲歩はもう日本国民が許さない)

日本の一部左派が【正義】のために、この「日之丸街宣女子」とこの作者である富田氏を批判したら、逆に宣伝となり、彼らが意図しない方向へ行ってしまい、この作品は人気作品となってしまったのだ。

韓国に好印象をもっていない日本人がそれだけ多くなってしまったということだ。

私もびっくりしている。一時のあの「韓流ブーム」は何だったのか?と。
今や、韓国は中国以上に「反日無罪」がまかり通っている印象だ。

日本はもうやるだけやった。今度は韓国が歩みより、譲る番だろう。それとも中国と手を組み、反日へ突っ走るのか?
それは韓国(韓国人)が決めることだ。在日韓国人の方は、韓国への参政権(投票権)があるのだし・・・日本の一部右派を憂えたり、攻撃したりするよりも、自国のことを憂えたほうがいいかもしれない。

韓国人が解決するしかない。

もちろん中国や北朝鮮と仲良くなって、今以上に日本を攻撃する、反日に突っ走ることを選択したい韓国人もいるだろう。
そういった韓国人は日本の左派と手を組み、反日に勤しみ、ますます一般日本人に嫌われ、日韓関係はさらに悪化、それを中国が陰で喜んでいる・・・ということになっていくのだろう。

左翼とはもともと共産主義のことを表すのだから、本物の左翼はアメリカをけん制し、中国と仲良くしたいのだろう。そこは韓国の左派と一緒だ。そんな左派にとって、敵は日本とアメリカだ。


ちなみに、富田氏は女性のようだ。

女性はどちらかというと左派系嗜好(志向・思考)が多いと思われがちだが、
左派が訴えている論理が破たんし(矛盾だらけ)、全く現実性がなく、歴史観も偏り(日本だけが悪)、今までウソを喧伝し、かつての日本を極悪に仕立てようとしたことが知れ渡るようになり、左派世界から抜け出す女性増えているのでは、と思う。

私も左派のウソにまみれた偏った歴史観、左派の理想主義的な主張を正義とし、それを信じてしまった身だ。そういう女性の方が、今、左派に反感を持っているかもしれない。

ま、少なくとも私個人はそうだ。だから、こんな話 「プライオリティ」(http://ncode.syosetu.com/n1557cj/ または http://www.pixiv.net/series.php?id=471062)を書いたのかもしれん。

とまあ、一連の話題を見て、そんなことを思ってしまった。
いやあ、有田さんのような左派の動きは、いろんな妄想を掻きたててくれます・・・物語のネタになります・・・

いつか「プライオリティ」シリーズの中で「左翼が支配する国」を妄想してみたいです。どんな国なんだろう・・・

(もち右翼が支配する国だって、恐ろしいだろうけれど。というか、今の中国って軍拡、領海拡大目指し、言論統制は相変わらずで、右翼っぽいよね? 何が左翼で何が右翼なんだか、定義はあいまいだ・・・実は右翼と左翼って似ているんじゃ?)

あるコメントに「ほんと、その通り」と思ったので、それを転載する。

【気に入らない相手、価値観の違う人間に「ネトウヨ」というレッテルを貼って糾弾する様子が、何かにそっくりだと思ったら、戦前、戦中の軍国主義者に似てるんだな。あいつらが使ってたレッテルは「非国民」というレッテルだった。】



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家族という足かせ>家族問題・発達障害>「家族という病」 [人生・生き方・生活・人間関係]

前のほうの記事で下重暁子氏の著書「家族という病」をネタにした・・・ここんとこアクセス数が増え、どうやら「家族という病」「下重暁子」のワード検索で当ブログを訪ねてきたくれた方がけっこういるようだ。

「家族という病」アマゾンのレビューは低評価だが、売れているらしい。
まずタイトルがいいよな。興味をそそられる。

たしかに家族がいる=幸せという単純な図式に当てはまらない人も多いだろうし、家族を抱えたがため苦労することも多々あるし、そのことを「不幸だ」と声に出して言えない雰囲気もあるし、あるいはほかの幸せそうな家族を見ていたら、「なぜ、うちは違うのだろう」とますます不幸感を募らせたり・・・一方、独身者は「家族を持たないといけないプレッシャー」を感じているかもしれない・・・そういうことでは「家族という病」という本が気になる。

で、ワード検索かけて、当ブログを訪ねてくる人が多いということは、わりと多くの人が「家族について」いろいろ問題を抱えているのかしれない、と思ってしまった。

そこで改めて「家族」について考えてみた。

まず、疑問に思ったのは、下重さんはなぜ結婚したんだろう???
もし家族についてネガティブなイメージしか持てないのであれば、事実婚、同棲でいいのでは? と。(子供もいないらしいし)

じゃあ、結婚と同棲と何が違うのか?

やはり、お互いへの縛りの度合いが違ってくる気がする。同棲は自由度が高い気がする。結婚よりははるかに「いつでも別れられる」し、「不貞」も許される。(よね?)
結婚していた場合、浮気をすると「不倫」ということになり、パートナーの浮気相手へ「慰謝料を請求する」こともできる。

この縛りは大きい気がする。
縛りは『安定』という言葉にも置き換えられる。

じゃあ、下重さんは家族を否定しながらも、この「縛り」だけは欲しかったのか?
そのへんは本を読んでないので分からないが、「縛り」が欲しいのであれば、それなりの「家族からの縛り」も発生する。

結局、自由と不安定、束縛と安定、どちらを選択したいか、ではないだろうか。
もち、どっちが正しい、でもないし、どっちが幸せか、でもなく・・・どっちが自分に合うのか? どちらにもそれに伴うマイナス面があり、どっちのマイナス面に耐えられるのか? なのかもしれない。

束縛されると、何か問題が起きた時、逃げることはできない、その問題があまりに大きすぎ手に負えない場合、かなり辛い思いをするだろう。

家族や親族が皆で平等に協力できればいいが、ま、現実はなかなかそうはいかない。
負担の分担の仕方で、また「いざこざ」が起きたり、大変な思いをするかもしれない。

けど、大きな問題が起きない場合もある。
その場合、平穏に暮らせ、幸せを感じることができるのだろう。

問題が起こるか起こらないか、これも結局「運」だ。

「家族を得たのに、幸せを感じられない」「周りは幸せそうなのに、なんで?」、というのが、しんどそうだ。
家族=幸せという図式、これを信じている人が「家族という病」にかかっている、ということなのかな。

で、家族の問題で、一番重いのはやはり「子どものこと」ではないだろうか。

そして、子どものことも「運」が大きい気がするのだ。
親の努力ではどうにもならない問題があるケースもあり、そして、子どもに問題があった時、配偶者が協力してくれるかどうか・・・逃げてしまう人(夫)も意外といたりするようだ。
こんな時に助けてくれないなんて、これはもう家族でいる意味もないと、離婚になることもあるけれど、経済的な問題も発生してくるし、この場合はほんとうに辛いだろう。

(しかし、離婚したって、父子関係が消えるわけじゃないのだから、扶養義務はある。なのに実際、養育費は支払われず、貧しいシングルマザー世帯が多い。養育費は、国や地方自治体が、夫=父親の銀行口座や給与などから強制的に天引きすることはできないのかしら? エジプトではそれをやっているらしい=フィフィさんの話による。だから、日本だってできないはずはないのだが・・・)

家族とは助けてくれるものだ、というか、助けるのが家族だ、と大半の人は思っている。
が、これが裏切られた場合、期待した分、辛いだろう。

反対に、助け合いができた時は、家族のありがたみを感じ、家族っていいよなあ、と家族を肯定的に捉え、
家族は作るべし、家族のいない人は不幸だ、と思ってしまうのかもしれない。

ある意味、そういう人は幸せだと思うが、その考えが「家族とうまくいってない人」にとっては、しんどいのかもしれない。


私個人の問題を見てみよう。

私の近親者には発達障害がいる。んで、精神を患った。
発達障害の場合、公からの何かしらの支援は受けられない。(NPO関係が行うサポートなどはあるのかもしれないが)
ま、精神障害になって、初めて支援を受けられるので、精神障害になってよかった、と思うことにしている。

そう、発達障害者は精神を患うことも多い。
そして、病院で訊かれたのだ。
「親族に発達障害者はいるのか?」と。

「発達障害は遺伝することがあるのか?」と問うと
医師はあいまいな態度を取り、「それもあるかもしれない」みたいなことをにおわせた。

発達障害について遺伝性があるのかないのか、私個人の感触では「まだハッキリとは分からないが、遺伝も関わる」と捉えている。

ま、これが公になると、子どもが「発達障害」になった場合、きっと夫婦の間で「どちらの遺伝か」も問題になることもあるのかもな、と思ってしまった。
で、結婚の際、これを気にする人は結構出てくるだろう、と。

発達障害は厄介であることには間違いない。
仕事ができる人もいるが、コミュニケーション能力が低く、仕事ができない人も多いだろう。
精神病になるリスクが高い。
それでいて、一般の障害者ほどには支援を受けられない。

子どもが発達障害だったら、やはり親は相当の苦労を抱え込むことになる。
それでいて「不幸だ」と訴えることもできない。それをやったら「障害者への差別」「親の資格なし」「冷酷人間」扱いだ。
家族(というか子ども)を持ったら、幸せでなければならない、というプレッシャー。
これがますます親を追い詰めていく気がする。

これも「家族という病」に入るかもしれない。

いや、発達障害までいかなくても、いじめや登校拒否、就職に失敗、ニート問題などなど、心配が尽きることはないだろう。

で、ふと思うのだ。
そういったことをあまり考えないでいられる人が、結婚をし子どもを持つこと=家族を作ることに合っているのでは、と。

発達障害、虐め、登校拒否や、就職失敗などなど、そんな問題は気にならない、心配してない、気に留めないという人は、「自分および近親者がそういったことに縁がなかった」ということでもあるのだ。
だから、気にしないでいられる。

そういったことを気にしないでいられる人は、おそらくイジメ問題にも縁遠く(いじめられたことがない)、わりと人間関係をスムーズに結べ、うまくやっていくことができる、そういう性格=性質なのだ。
自分に自信がある人(=子どもへ自分の性質が遺伝することを心配しないでいられるということ。むしろ自分の遺伝子を受け継いでくれることを嬉しく思っている人)、自分は才覚と努力で今の幸せを勝ち取ってきたと自負できる・・・幸せな人なのかもしれない。
あらゆる問題は努力で解決できると信じられる人であり、実際、努力家でもあり、問題解決能力が高い人なのだろう。

私自身は、私の性質(性格、能力、容姿など)がたとえ半分でも遺伝してしまったら申し訳ない、と思ってしまう。卑下しているのではなく、この性質を抱え込んだ子供は、これからの時代、ますます苦労をするだろう、この社会でやっていけないかもしれない、と考えてしまう。

発達障害を身近に知っているので、現実の厳しさも分かる。

一方で、発達障害という言葉にも鈍感でいられる。『何それ?』と言う人もいるだろう。そういう人は近親者に、「発達障害っぽい人」がいないから、知らないでいられるのだ。そして、近親者にいない、ということは重要なことでもある。
自分自身、発達障害かも、と考えることもないのだろう。
コミュニケーション能力に長け、性格も明るく、コンプレックスも克服できた強い人だ。

そういう人同士のカップルこそ、結婚し子どもを持つことに向いているのかも。
だって、その人の能力や性質を子どもも受け継ぐことになり、さほど大きな問題(解決が難しい問題)を抱えることなく育つ可能性も高いだろうから。

反対に、そうではない人は、向かないのかも?

子どもという存在は大きい。夫婦間よりも親子間のほうがずっと難しい気がする。夫婦はどうしてもという場合別れることができるが、親子はそうはいかない。責任は重く、だからこそ、何か大きな問題が起きた時、ものすごい大きな傷を残すことになるのかもしれない。

うまくいっている人にとっては、家族は心強い存在、心の拠りどころ、一番大切なものになるが、そうでない人にとっては、かなり辛い存在になるのかもしれない。

※いや、子どもの問題がなくても、家族の経済を担う男性側(お父さん)も大変かも。
家族を背負えば、↓こんな目にあっても、簡単に仕事をやめるわけにはいかないのだから。
http://www.sankei.com/west/news/150514/wst1505140004-n1.html

ま、だからこそ女性(お母さん)も、フルタイムで仕事を持とう、育児との両立を、と世間では叫ばれているけど、子どもが病気の度に休ませてくれたり、早退させてくれる企業はどれくらいあるんだろう。ま、中小零細企業には無理だ。
結局、育児と仕事(パートではなくフルタイム)を両立できる女性というのは「育休や産休がとれる大企業に就職できた選ばれた女性」でもある。そして、それでもおそらく「実家の両親=おじいちゃん、おばあちゃん」に頼っているはずだ。それなしで両立している女性っているんだろうか?

んで、両立しているお母さんは、おそらく、子どもについてもさほど問題がない。(=障害や大きな病気を抱えていない。学校生活も問題なく、やっていけている)

また、転勤のある仕事かどうかも両立問題に深く関わってくる。仮にお父さんが転勤族の場合、単身赴任という方法もあるけど、そうしたらお父さんの方は物理的に育児には関われない。結局、お母さんが一人ですべてやることになる。一人でというより、おじいちゃんおばあちゃんに頼ることになるだろう。おじいちゃんおばあちゃんが協力してくれるかどうか?、できる環境にあるのか? できない人だって、けっこういるだろう。

並々ならぬ努力も必要だけど、両立できている人はやはり「運がいい」のかもしれない。
そして、「並々ならぬ努力が必要」という生き方は、人によっては「余裕をなくし」、疲れさせ、心身が疲弊し、さほど幸福感が味わえないかもしれない。

というか、幸福感も気の持ちよう、人それぞれだし、家族がいようと独身者であろうと、どちらが幸福度が上かは言えない。

ま、家庭を持った場合、うまくいけば幸福度は高いが、うまくいかない場合、独身者が抱える不幸度よりも、深刻になる場合がある気がする。ハイリスク・ハイリターンってことか。
独身者が抱える問題よりも、家庭の問題のほうが深刻度が高いイメージがある。それが極端な形に出るのが「家族間の暴力事件、殺人事件」なのかもしれない。

・・・・・・・・・・
余談「どちらが幸せか」

学食、給食ななど、ほかの人たちが一緒に食事をしている中、ひとりで食事をすることが、恥ずかしい、辛い、みじめ、さびしい、などなどマイナスに捉える人、わりといると思う。

けど、私の場合、高校時代、寮生活をしたことあるんだけど、寮の先輩や同僚と人間関係うまくいかず、一緒に食事をするのが辛かった経験がある。

寮の部屋の人と一緒に食事をすることが基本ルールだったけど、何かの用事で食事の時間が皆と合わず、独りで食べられる時の気楽さ、自由がなんとありがたかったことか・・・

この寮生活を家族生活に置き換えれば分かりやすい。

関係がうまくいっていれば、皆と食事は楽しいだろう。独りは寂しいだろう。

が、うまくいっていない場合、一緒の食事は苦痛である。私の場合、先輩の目を気にし、いつもビクビクし、ストレスであった。独りで食事ができる時、ゆっくりと味わうことができ、幸せを感じた。

んで、寮なので、簡単に出る(一人になる、別れる)こともできず、どんなに苦痛でも、うまくいってなくても一緒にいなくてはならない。
まさに「家族」と一緒。

簡単に言えば、そういうことかもしれない。
もち、うまくいくよう努力することは大切だろうけれど。人によってはその努力が苦痛、あるいは努力できない、努力のしようがない、どうしていいか分からない、努力してもどうにもならない(相手もあることだし)・・・などなどいろんなケースがある。

気の合う人と一緒になれればいいが、そういった出会いも結局は「運」だと思うのだ。

・・・・・・・・・・
余談「家族が枷になるケース」

そう言えばテレビで「兄弟がニートだったり、障害をもっていたり、あるいは犯罪的があるなど、何か問題があった場合、結婚できない(相手からお断りされる、引かれる)」といった話を聞いた。
ああ、たしかに結婚の場合、親族とくに兄弟がどうなのか、相手から見られるかもなあ、と思った。
もちろん、こちらも相手の兄弟のことは気になる。
全く気にならないっていう人もいるかもしれないが。

「本人ではなく、兄弟に問題があるからといって、結婚に二の足を踏むような奴はこちらからお断り。本人同士の気持ちが大切だ」というのはキレイごとかもしれない。
結婚とは結局、親族同士もつながる、ということになるから。

親族関係ありません、となると、同棲(事実婚)でいいじゃん、ということになるのかも。

「兄弟のことで、結婚がうまくいかない」=「家族が足かせになるケース」もあるということで・・・まあ、でもそんなことでお断りされる結婚ならしないほうがいいとも言えるけど。
ただ自分だって、もしも相手の兄弟が何か大きい問題を抱えていたら、二の足踏むだろうから、難しい問題でもある。
事実婚(同棲)なら、このへんのハードルは低い気がするが。

・・・・・・・・・・

ということで、「家族という病」のワード検索数が多かったので、家族についていろいろ考えてみた。
自分は基本のんびりしており、怠惰なので、並々ならぬ努力などできない、体力気力が追いつかないので、できるだけ大きな問題は抱えたくない・・・
ので、そういった問題を抱えることや、リスクをとることに躊躇しない人を本当に偉いと思うのであった。

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アメリカでがんばる元朝日新聞記者植村氏>慰安婦問題>敵を悪に仕立てるために [国家・日本近代歴史・戦争関連]

従軍慰安婦誤報?記事を書いた元朝日の植村隆氏、ロサンゼルスやニューヨークなど海外で活躍中?

ネットの産経新聞http://www.sankei.com/より転載。

【元朝日新聞記者で慰安婦報道に関わった北星学園大(札幌市)非常勤講師、植村隆氏が8日、米ロサンゼルスのカリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)で講演し、「『捏造(ねつぞう)記者』とバッシングを受けている」と訴えた。

 植村氏は「最初に署名入りで、慰安婦のおばあさんが証言を始めたという記事を書いたことで標的にされた」と持論を展開。自分に向けられる攻撃を「言論の自由、報道の自由、学問の自由、民主主義に対する攻撃だ」とも述べた。

 講演には、安倍晋三首相の訪米に合わせて韓国から訪れた元慰安婦も出席。会場には約200人がいたが、植村氏に批判的な参加者もいた】


【元朝日新聞記者で慰安婦報道に関わった北星学園大(札幌市)の非常勤講師、植村隆氏は4日、米ニューヨーク市で講演し、集まった約80人を前に「私は激しいバッシングを受けている。この闘いに負けない」と強調した。

 植村氏は「捏造」と指摘される元慰安婦の証言を取り上げた記事(1991年8月)について「捏造だと攻撃することは、慰安婦問題をなきものにしようということにもつながる」と主張。日本が戦後70年間守り続けてきた「言論の自由」や民主主義への攻撃でもあるとし、「勇気を持って辛い体験を話した慰安婦のおばあさんたちの尊厳をも傷つける」と訴えた。

 一方、日本で1990年代半ばから「歴史修正主義者の動き」が出てきたとして「教科書から慰安婦問題を除くべきだという運動が始まり、そのリーダーの1人が安倍(晋三)首相だ」と批判した。

 また、植村氏非難を繰り広げる言論人として、ジャーナリストの櫻井よしこさんと東京基督教大学の西岡力教授の名を挙げ、櫻井さんについて「暴力的な言辞を繰り返す側に立ち、あおっている」と述べた】

転載終わり。


「言論、報道の自由に対する攻撃」とのことだが、「嘘を報道する自由」もあるのかな? とひっかかりを覚えた^^;
アメリカの地で、なんとか日本を悪にしようと必死のようだ。

この元朝日記者の植村氏・・・どう日本を悪に仕立てるか、海外で喧伝するやり方は中韓と同じ。
朝日新聞もニューヨークタイムズと手を組み、日本を悪に仕立ててきたのだから、朝日新聞と中韓のやりかたもとてもよく似ている。

左派の攻撃方法・・・正義を掲げ、いかに敵を悪に仕立てるか・・・
「プライオリティ」http://www.pixiv.net/series.php?id=471062でも参考にしている^^

もちろん、朝日新聞や植村さんを「絶対悪」だと言っているのではない。
「プライオリティ」 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/111/ でも【敵=絶対悪ではない。自分から見て『自分たちに危害を及ぼすもの、及ぼしそうなもの』が『悪』『敵』となるのだ。】と主人公に言わせている。

朝日新聞と植村さんにとっての敵(=安倍首相、および「かつての日本」「反朝日新聞、朝日新聞が信用できない人」「日本国家による慰安婦強制連行はないとする人」「日本のみが悪ではなく、あの時代、戦争に加担したすべての国が悪だったと考える人」「あの時代は人権という概念もなく、侵略の定義もなく、植民地支配が当たり前だった。だから仕方なかったという人」「今の価値観で昔を裁くことはできないという人」「国家賠償の必要はない。謝罪はすんだという人」「愛国者たち」「右派系」「今まで喧伝されてきた歴史観に疑問を持つ者」)は、朝日新聞と植村さんにとっては「悪」であるように・・・

それらの人たちから見て、朝日新聞と植村さんは、こちらを悪に仕立てる「敵」すなわち「悪」なのだ。

そして、実際、植村さんは日本で生活しにくいだろう。
今までは、植村さんおよび朝日新聞によって、日本は実害を被ってきたが、
今度は、植村さんおよび朝日新聞が実害を被るようになり、ますます日本が憎く、悪に映っていることだろう。

敵同士なのだから、お互いを「悪」としているだけのことだ。

今まで喧伝されてきた歴史観に疑問を持ち、「その歴史観は違うのでは」というと、左派は歴史修正主義者と揶揄する。

正義は戦勝国にあり、敗戦国は悪とされている歴史観。
ヨーロッパでは、いつもドイツのみが悪とされているが、イギリスやフランスがやったことはスルーだ。

これこそ、左派の嫌う「不公平」というやつではないのか?
というと、これもきっと歴史修正主義者と言われるのだろうな。

朝日新聞もニューヨークタイムズを使って、今までもなんとか日本を悪にしようとがんばっていたっけ。

植村さんの妻も韓国人だというので、植村さんは韓国や中国と手を組み、これからも「アメリカでの日本叩き活動」に勤しむのだろうな。もちろん、アメリカに限らず、世界中で。

悪いことだとは思わない。敵への攻撃は当然だ。中韓、ロシア、アメリカ、イスラエル、ヨーロッパ、みながやっていることだ。(攻撃とは武力行使だけではない。中韓や朝日新聞が仕掛けている情報操作、情報攻撃もそのひとつだろう)

日本を敵とする植村さんや朝日新聞は当然のことをしているのだろう。
ただ日本に住んでいる日本人の私は、日本が損をするのは困るので、植村さんと朝日新聞を「敵」と見なす。そういうことだ。

ところで、日本人の慰安婦について、朝日新聞および植村さん、ほか左派はどう思っているんだろうか? それについての声がほとんど聞かれない。
女性の人権問題であれば、日本人慰安婦についても論評があっていいはず。

あ、そうか、彼らにとって「日本は敵」なので、日本人慰安婦のことなど知ったこっちゃないのだろうな。
結局、「正義」とはそんなもんである。

と、そんなことを思ってしまった。

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いらない人>選び選ばれるって難しい [人生・生き方・生活・人間関係]

朝比奈あすか「あの子が欲しい」を読んだ。


就活もの、採用する側の視点で描かれたもの。
読みやすく、さらっと2時間もかからずに読めてしまった。淡々とした物語だけど、雰囲気あるし、こういうの好きである。

それにしても、選び、選ばれるって本当に大変なことだな、と思った。
つくづく『誰かに選ばれる』というのは奇跡的なことだな、と。就活にしろ、結婚にしろ。それらは「損得勘定」も働き、ダイレクトにお互いの人生にかなりの影響を与え、受けてしまうものだから、非常にシビアだ。

企業にしてみれば、仕事のできる優秀な人材が欲しい。できない人はいらない。んで、いらない人の方が多い。
が、優秀な人材は引く手あまた。果たして、この会社を選んでくれるかどうか、わからない。なので、あの手この手で獲得しようとする。
優秀な人材を手に入れないと、会社にとって死活問題となるから。

就活するほうも大変だよなあ。どこに就職するのか・・・やはり自分の人生に大きく影響を与える。結婚もそうだけど。

で、相思相愛になかなかならない場合も多い。

妥協しつつ、条件を落としても、選ばれない場合の方も多い。

「え? ここも自分を選んでくれないの? 相手にしてくれないの?」

私も「いらないと言われる方の人間」だったので、若い時は本当にコンプレックスまみれで辛かった。が、考えてみれば、自分は選んでいただけるほどの人間ではないよなあ(卑下しているわけではない)と自分でも思う。
ま、そのうち「欲しいと言われることのほうが奇跡、ほぼありえないこと」を思うようになり、望まないようにしていた^^;

欲しいものは取りに行ってみるが、手に入れられないことが「普通、デフォ」なので、
要は「欲しいものを取りに行くその行為を楽しめるかどうか」なのかもしれない。
楽しめないと、相当辛い。

主人公の「誰も選びたくないし、誰からも選ばれたくない」という気持ちもなんとなく分かる。
『選び選ばれるゲーム』って疲れる^^;

で、最後、欲しくて欲しくて、やっと手に入れたものが「なんか違う」、んで、自分にあまり「得」をもたらさない、「やっかいなもの」に成り下がる。

シビアだな・・・でも、これが人生かもしれん・・・

欲しいものが手に入り、それが満足いくものであったなら、かなり幸運であり、しかし、そういうことはめったにないのかもしれない。

欲しいものは手に入らない、手に入ったとしても実はそれほどのものではなく、がっかりする・・・反対に、選んでもらったけど、相手にがっかりされる、あとから「いらない」と言われる・・・これがデフォかもしれない。

ちなみに昔、『ヤマハ』の講師、落ちたことあるで^^;
講師なんて正社員じゃないし、一般レベルで見ればかなり低待遇。(当時の話。今は知らない)
だけど、それでも落ちた^^; ま、一般就職できない音大生が殺到?し、わりと競争率はあったかもしれないが。

受かったのは「カワイ」のある楽器店独自の採用。けれど交通費は出ないし、レッスン料は半分以上とられ(60パーセント)、2,3人の生徒のために遠く(バスを乗り継ぎ、2時間近くかかるところ)の教室へ行かされることもあり、コンビニのバイト以下の待遇。
音大に一般企業の採用はなく、あるのは保険の外交員(これも正社員じゃない)だったっけ。
(今の音大は違うみたい。一般企業からの求人もくるようだし、だいぶ一般就職に力を入れているようだ)

音大は不良債権を生み出す、との言葉通り。
で、当時から「音大生は一般常識がない」ということで敬遠される空気を感じていた^^;

というわけで、『自分は不良債権』というのを自覚しながら今に至る^^;

人間に対し『不良債権』という言葉が使われるのは寂しくも思うが、シビアなこの世の中を思えば、私も含め「不良債権化した人間」というのはいるのだろう。左派が聞いたら怒るだろう言葉だが、この言葉は左派系の上野千鶴子氏が使っていた。(あと「のだめ」ね^^;)

学費や、そこに至るまでのもろもろの経費、親の労力を賃金計算し、合計したものは、かなりの額だ。その額に見合ったものを稼げるかどうか・・・稼げなければ不良債権をいうことだ。

実は左派って優しいふりして、ちっとも優しくない。
自分と敵対する者に対しては、「在特会」に対する有田芳生議員のように暴力も容認する。あるいは、安倍首相を「安倍」と公の場で呼び捨てにする作家大江健三郎氏のように礼儀もわきまえない。

おっと、話がずれた。要するに現実とは結局、シビアだということだ。

それに今はもっと就職が厳しい。
派遣でいいように使い捨てされる時代となり、世界の皆さんとの競争になり=グローバル化・・・ 安い労働力は海外の皆さんが提供するようになり・・・よっぽよ優秀でないと(ただお勉強ができるというのではなく、コミュ能力が高く、順応性が高く、呑み込みが早く、体力もあり、とにかくあらゆる能力が高い)、日本で人間らしく生活できるお給料をいただけるようなお仕事にはありつけないという。
普通じゃダメなんだとか。

ブラック企業か非正規しか就職先がないなんて・・・ブラックへの身売りしかないとなると、過酷な労働条件で使い捨てられる奴隷のような人生になりかねない。

こういった過酷な話を聞くと、これからの時代、子どもを就職させるのは本当に大変そうだ。就活がうまくいかず自殺する学生が多いと言うのも頷ける。
グローバル化してなかった昔は気楽だった気がするし、なんとなく「これから良くなっていく」という根拠のない夢や希望もあった。真面目に努力すればなんとかなると信じられていた時代だった。
けど、今は・・・根拠のない希望は持てず、未来はただ過酷なだけな気もしてくる。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kawaikaoru/20140522-00035507/

それでも、非正規やバイトでも自分ひとりならなんとか食っていけるかも。歳をとればそういった仕事もなくなるだろうが、とりあえず日本には生活保護制度がある。

この間の「毎日外食し、元気そうな31歳の父親(28歳の母親と共に7人の子を持ち、そのうち一人を虐待して殺害した)」も生活保護を受けていたのだし、外国人だって受けられるのだから、歳をとったために仕事がない日本人にも生活保護受給資格はあるだろう。

ま、日本が破たんしない限り、左派が元気な限り・・・生活保護=医療費もタダでいろんな手当てがつき、全ての面で優遇されていて、普通の人よりも多くのお金をできるこの制度は続くだろう。だから、今生きている中高年はそんなに悲観することもないのかもしれない。

(若い世代が歳をとったころは、生活保護制度はじめ社会保障制度は破たんしているかもしれないが…ま、今のような優遇された制度ではなくなっているだろう、たぶん)

この世の中、結婚し子どもを持つことは厳しそうだ。が、その子どもを育て、自立させ、仕事を持たせることはさらに厳しい。なので子どもを持つことはよくよく考えた方がいいかも、と思ったりする。

んで、育休や産休が取れるような企業は大手に限られ、中小零細企業は無理。子どもが病気だからと、仕事を休んだり早退するのも、中小零細企業では認められないだろう。
女性の人権も大切かもしれないが、中小零細企業の権利も大切であり、女性の権利を認めていたら、おそらく中小零細企業はやっていけない。
大企業に就職できたごくごく一部の女性しか、仕事と育児の両立はできないということになる。
多くの女性は、どちらか選ばざるを得ない。(ダンナが仕事を辞めて主夫になるというケースもあるだろうが、稀有なケースだろう)

それに「家族という病」ではないけれど、家族がいるから幸せになるとは限らない。がんばってがんばって無理して手に入れてみたものの、思っていたのと違う・・・かもしれない。もっと辛い結果になるかもしれない。

老後は、家族よりも社会制度が助けてくれるだろうし、そっちが頼りになるかもしれない。子が面倒を見てくれるとは限らない。子はほかに家庭をもってしまえば、親の面倒は見きれないケースが多い。子も自分の家庭を維持するのでいっぱいいっぱいだろう。

手に入れる過程が楽しめれば儲けもの。手に入れられないことがほとんど、手に入れば奇跡。
けど生活するにある程度のお金は必要だから、お金を得る手段が手に入らないのは死活問題になるよなあ。生活保護が受けられればいいけれど。

ま、とにかく「あの子が欲しい」を読み、相思相愛は奇跡だな、とそんなことを思ってしまった。



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結局、運だと思う>どんな生き方しようとも>家族という病 [人生・生き方・生活・人間関係]

さてさて・・・買い物に出ると、ママと子どもをだっこしたパパをよく見かける。
ほほえましい♪ 

昔はあまり見かけなかった。夫婦でお出かけしても、子どもをだっこするのはお母さんだった。
でも、お父さんの方が筋力あるんだし、お父さんがだっこしたほうがいい、と私も思う。
お母さんもだいぶ助かるだろう。
というか、お父さんも育児参加するのが当たり前となってきているのだから、当然の風景なのかもしれない。

家庭にどれだけエネルギー注げるか、男性も問われてきているんだろうな。
子どもが小さいうちは、休日も育児に関わり、自分の自由な時間はあまり持てないことは覚悟したほうがいいかも。自由に使えるお金はもちろん、時間も制限される。
「仕事で疲れているんだから休日くらい休ませてよ、自由にさせてよ」は子供を持ったら、そうはいかないのだ。
なので、なかには「結婚したくない。結婚したとしても子どもはいらない。子ども欲しいなら、こっちにイクメン押し付けるな」という男性もいるかもしれない。

もち、女性も「子供いらない」っていう人もいるだろう。
どうしたって育児は女性のほうに負担がかなりかかる。

ということで、こんな記事をみつけた↓

http://tabi-labo.com/124892/not-having-kids/ 「結婚・出産=女の幸せ」ではない?数字で見る、現代女性が子どもを持たない本当のワケ。

その中に『育児にかかる労力をネガティブに考えてしまう』とあり・・・
そうだよなあ、やっぱり子育て、大変そうだよな。
「みんな、当たり前のようにやっているでしょ」と思う人もたくさんいるだろうけど。
かなりの覚悟が必要のようだ。

ところで前回、ちらっと話題にした下重暁子氏の「家族という病』、私はまだ読んでないのだが、アマゾンのレビューではあまり評判良くないな・・・


レビューより転載。
・・・・・・
「お互いを理解し助け合って生きている。そんな家族がいたらいっそ気持ち悪い」
著者の、家族に対する憎悪・嫌悪感がにじみ出ています。
・・・・・・
転載終わり。

へえ、気持ち悪いのか。
私はこの「気持ち悪い」という言葉が出てきた時点でアウトだな。

安易に「気持ち悪い」という言葉を使う人物こそ、気持ち悪い。
それはオタクが散々、そういう言われ方をしてきたから、なのかもしれない。・・・ならば、オタク作品を作っている作家(漫画家、編集者、アニメーター、アニメ映画監督)、クリエイターを「気持ち悪い」と非難してほしい。見下してほしいとずっと思っていた。けどなぜか、クリエイターは持ち上げる。
現在に至っては『クールジャパン』などといって、漫画やアニメ、ゲームを持ち上げている世間様に唖然とする。

ま、この「気持ち悪い」は、自分が優位に立ちたいがため、自分の考えや生き方が正しいと思いたいがため、出てきた『感情的な言葉』なのだろう。この著者は感情的に本を書いてしまったということで、この本は社会的な分析本ではなく、エッセイの類なのだろう。

で、そこまで家族を憎悪しているのに、下重さん、結婚はされているようで、「独身でいることや親と同居する生き方」も良く思っていないらしい。

レビューより転載。
・・・・・・
独身と親の同居がNG
とか、さも相手を見つけて当然調な書き方に閉口。
それでいて、その後には結婚や家族となった後の暗い世界観が述べられており、何がいいたいのか。。。
・・・・・・
転載終わり。

レビューだけで判断するのは間違っているかもしれないが、レビューを信じるのであれば、この本は「著者=私の生き方は正しい。ほかはダメ」という狭量な内容のようだ・・・いや、読んでないので、あくまで推測ね。

少なくとも「こんな生き方もあるよね」「こんな考え方もあります」と多様性を認める本ではなさそうだ。

他者の生き方をマイナスに見立てた時点で、正直「何様?」と思ってしまう。
もちろん、下重さんはNHKアナウンサーということで、エリートであり、とてもすごい人なのだろう。偉い人なのだろうけれど。

『この生き方が正しい』っていう考え、結局、「結婚し子どもを持たないとダメ」と言っている人と、多様性を認めないという点において同じ。

この本は下重さんの『自分の生き方は正しいのよ~』と言う心の叫びなのだろう。

そう叫ばずにいられない=他者を否定することによって、自分の優位性を示す=本当は自分の生き方に自信がない、自信がないから他を否定したり、見下してしまう・・・のかもしれない?

って、まあ、私なんぞが偉そうに言う資格はないし、そもそも読んでないのだから、ここまで書くのは間違っているかもしれないが。

ま、家族とうまくいってない人にとっては『救い』の本なのかもしれない。

下重さんは夫はいるようだが、子どもはいないのかな? たぶんいないのだろう、そういう話は出てこない。いるなら出てくるだろう。

もしかしたら・・・うがった見方かもしれないけど、下重さん、子どもがいないことが劣等感なのかな? 子どもがいないことで、他者から批判されたり、見下されたりした経験があるのかもしれない。だから「気持ち悪い」という言葉で「普通の家庭」を見下し返してしまったのかもしれない。

とどのつまり、家族がいるから幸せとは限らない、不幸になる場合もある、そういうことなのだろう。
どう生きようが、正解はなく、けっこう「運」に左右されるものなのかもしれない。

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