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家族という足かせ>家族問題・発達障害>「家族という病」 [人生・生き方・生活・人間関係]

前のほうの記事で下重暁子氏の著書「家族という病」をネタにした・・・ここんとこアクセス数が増え、どうやら「家族という病」「下重暁子」のワード検索で当ブログを訪ねてきたくれた方がけっこういるようだ。

「家族という病」アマゾンのレビューは低評価だが、売れているらしい。
まずタイトルがいいよな。興味をそそられる。

たしかに家族がいる=幸せという単純な図式に当てはまらない人も多いだろうし、家族を抱えたがため苦労することも多々あるし、そのことを「不幸だ」と声に出して言えない雰囲気もあるし、あるいはほかの幸せそうな家族を見ていたら、「なぜ、うちは違うのだろう」とますます不幸感を募らせたり・・・一方、独身者は「家族を持たないといけないプレッシャー」を感じているかもしれない・・・そういうことでは「家族という病」という本が気になる。

で、ワード検索かけて、当ブログを訪ねてくる人が多いということは、わりと多くの人が「家族について」いろいろ問題を抱えているのかしれない、と思ってしまった。

そこで改めて「家族」について考えてみた。

まず、疑問に思ったのは、下重さんはなぜ結婚したんだろう???
もし家族についてネガティブなイメージしか持てないのであれば、事実婚、同棲でいいのでは? と。(子供もいないらしいし)

じゃあ、結婚と同棲と何が違うのか?

やはり、お互いへの縛りの度合いが違ってくる気がする。同棲は自由度が高い気がする。結婚よりははるかに「いつでも別れられる」し、「不貞」も許される。(よね?)
結婚していた場合、浮気をすると「不倫」ということになり、パートナーの浮気相手へ「慰謝料を請求する」こともできる。

この縛りは大きい気がする。
縛りは『安定』という言葉にも置き換えられる。

じゃあ、下重さんは家族を否定しながらも、この「縛り」だけは欲しかったのか?
そのへんは本を読んでないので分からないが、「縛り」が欲しいのであれば、それなりの「家族からの縛り」も発生する。

結局、自由と不安定、束縛と安定、どちらを選択したいか、ではないだろうか。
もち、どっちが正しい、でもないし、どっちが幸せか、でもなく・・・どっちが自分に合うのか? どちらにもそれに伴うマイナス面があり、どっちのマイナス面に耐えられるのか? なのかもしれない。

束縛されると、何か問題が起きた時、逃げることはできない、その問題があまりに大きすぎ手に負えない場合、かなり辛い思いをするだろう。

家族や親族が皆で平等に協力できればいいが、ま、現実はなかなかそうはいかない。
負担の分担の仕方で、また「いざこざ」が起きたり、大変な思いをするかもしれない。

けど、大きな問題が起きない場合もある。
その場合、平穏に暮らせ、幸せを感じることができるのだろう。

問題が起こるか起こらないか、これも結局「運」だ。

「家族を得たのに、幸せを感じられない」「周りは幸せそうなのに、なんで?」、というのが、しんどそうだ。
家族=幸せという図式、これを信じている人が「家族という病」にかかっている、ということなのかな。

で、家族の問題で、一番重いのはやはり「子どものこと」ではないだろうか。

そして、子どものことも「運」が大きい気がするのだ。
親の努力ではどうにもならない問題があるケースもあり、そして、子どもに問題があった時、配偶者が協力してくれるかどうか・・・逃げてしまう人(夫)も意外といたりするようだ。
こんな時に助けてくれないなんて、これはもう家族でいる意味もないと、離婚になることもあるけれど、経済的な問題も発生してくるし、この場合はほんとうに辛いだろう。

(しかし、離婚したって、父子関係が消えるわけじゃないのだから、扶養義務はある。なのに実際、養育費は支払われず、貧しいシングルマザー世帯が多い。養育費は、国や地方自治体が、夫=父親の銀行口座や給与などから強制的に天引きすることはできないのかしら? エジプトではそれをやっているらしい=フィフィさんの話による。だから、日本だってできないはずはないのだが・・・)

家族とは助けてくれるものだ、というか、助けるのが家族だ、と大半の人は思っている。
が、これが裏切られた場合、期待した分、辛いだろう。

反対に、助け合いができた時は、家族のありがたみを感じ、家族っていいよなあ、と家族を肯定的に捉え、
家族は作るべし、家族のいない人は不幸だ、と思ってしまうのかもしれない。

ある意味、そういう人は幸せだと思うが、その考えが「家族とうまくいってない人」にとっては、しんどいのかもしれない。


私個人の問題を見てみよう。

私の近親者には発達障害がいる。んで、精神を患った。
発達障害の場合、公からの何かしらの支援は受けられない。(NPO関係が行うサポートなどはあるのかもしれないが)
ま、精神障害になって、初めて支援を受けられるので、精神障害になってよかった、と思うことにしている。

そう、発達障害者は精神を患うことも多い。
そして、病院で訊かれたのだ。
「親族に発達障害者はいるのか?」と。

「発達障害は遺伝することがあるのか?」と問うと
医師はあいまいな態度を取り、「それもあるかもしれない」みたいなことをにおわせた。

発達障害について遺伝性があるのかないのか、私個人の感触では「まだハッキリとは分からないが、遺伝も関わる」と捉えている。

ま、これが公になると、子どもが「発達障害」になった場合、きっと夫婦の間で「どちらの遺伝か」も問題になることもあるのかもな、と思ってしまった。
で、結婚の際、これを気にする人は結構出てくるだろう、と。

発達障害は厄介であることには間違いない。
仕事ができる人もいるが、コミュニケーション能力が低く、仕事ができない人も多いだろう。
精神病になるリスクが高い。
それでいて、一般の障害者ほどには支援を受けられない。

子どもが発達障害だったら、やはり親は相当の苦労を抱え込むことになる。
それでいて「不幸だ」と訴えることもできない。それをやったら「障害者への差別」「親の資格なし」「冷酷人間」扱いだ。
家族(というか子ども)を持ったら、幸せでなければならない、というプレッシャー。
これがますます親を追い詰めていく気がする。

これも「家族という病」に入るかもしれない。

いや、発達障害までいかなくても、いじめや登校拒否、就職に失敗、ニート問題などなど、心配が尽きることはないだろう。

で、ふと思うのだ。
そういったことをあまり考えないでいられる人が、結婚をし子どもを持つこと=家族を作ることに合っているのでは、と。

発達障害、虐め、登校拒否や、就職失敗などなど、そんな問題は気にならない、心配してない、気に留めないという人は、「自分および近親者がそういったことに縁がなかった」ということでもあるのだ。
だから、気にしないでいられる。

そういったことを気にしないでいられる人は、おそらくイジメ問題にも縁遠く(いじめられたことがない)、わりと人間関係をスムーズに結べ、うまくやっていくことができる、そういう性格=性質なのだ。
自分に自信がある人(=子どもへ自分の性質が遺伝することを心配しないでいられるということ。むしろ自分の遺伝子を受け継いでくれることを嬉しく思っている人)、自分は才覚と努力で今の幸せを勝ち取ってきたと自負できる・・・幸せな人なのかもしれない。
あらゆる問題は努力で解決できると信じられる人であり、実際、努力家でもあり、問題解決能力が高い人なのだろう。

私自身は、私の性質(性格、能力、容姿など)がたとえ半分でも遺伝してしまったら申し訳ない、と思ってしまう。卑下しているのではなく、この性質を抱え込んだ子供は、これからの時代、ますます苦労をするだろう、この社会でやっていけないかもしれない、と考えてしまう。

発達障害を身近に知っているので、現実の厳しさも分かる。

一方で、発達障害という言葉にも鈍感でいられる。『何それ?』と言う人もいるだろう。そういう人は近親者に、「発達障害っぽい人」がいないから、知らないでいられるのだ。そして、近親者にいない、ということは重要なことでもある。
自分自身、発達障害かも、と考えることもないのだろう。
コミュニケーション能力に長け、性格も明るく、コンプレックスも克服できた強い人だ。

そういう人同士のカップルこそ、結婚し子どもを持つことに向いているのかも。
だって、その人の能力や性質を子どもも受け継ぐことになり、さほど大きな問題(解決が難しい問題)を抱えることなく育つ可能性も高いだろうから。

反対に、そうではない人は、向かないのかも?

子どもという存在は大きい。夫婦間よりも親子間のほうがずっと難しい気がする。夫婦はどうしてもという場合別れることができるが、親子はそうはいかない。責任は重く、だからこそ、何か大きな問題が起きた時、ものすごい大きな傷を残すことになるのかもしれない。

うまくいっている人にとっては、家族は心強い存在、心の拠りどころ、一番大切なものになるが、そうでない人にとっては、かなり辛い存在になるのかもしれない。

※いや、子どもの問題がなくても、家族の経済を担う男性側(お父さん)も大変かも。
家族を背負えば、↓こんな目にあっても、簡単に仕事をやめるわけにはいかないのだから。
http://www.sankei.com/west/news/150514/wst1505140004-n1.html

ま、だからこそ女性(お母さん)も、フルタイムで仕事を持とう、育児との両立を、と世間では叫ばれているけど、子どもが病気の度に休ませてくれたり、早退させてくれる企業はどれくらいあるんだろう。ま、中小零細企業には無理だ。
結局、育児と仕事(パートではなくフルタイム)を両立できる女性というのは「育休や産休がとれる大企業に就職できた選ばれた女性」でもある。そして、それでもおそらく「実家の両親=おじいちゃん、おばあちゃん」に頼っているはずだ。それなしで両立している女性っているんだろうか?

んで、両立しているお母さんは、おそらく、子どもについてもさほど問題がない。(=障害や大きな病気を抱えていない。学校生活も問題なく、やっていけている)

また、転勤のある仕事かどうかも両立問題に深く関わってくる。仮にお父さんが転勤族の場合、単身赴任という方法もあるけど、そうしたらお父さんの方は物理的に育児には関われない。結局、お母さんが一人ですべてやることになる。一人でというより、おじいちゃんおばあちゃんに頼ることになるだろう。おじいちゃんおばあちゃんが協力してくれるかどうか?、できる環境にあるのか? できない人だって、けっこういるだろう。

並々ならぬ努力も必要だけど、両立できている人はやはり「運がいい」のかもしれない。
そして、「並々ならぬ努力が必要」という生き方は、人によっては「余裕をなくし」、疲れさせ、心身が疲弊し、さほど幸福感が味わえないかもしれない。

というか、幸福感も気の持ちよう、人それぞれだし、家族がいようと独身者であろうと、どちらが幸福度が上かは言えない。

ま、家庭を持った場合、うまくいけば幸福度は高いが、うまくいかない場合、独身者が抱える不幸度よりも、深刻になる場合がある気がする。ハイリスク・ハイリターンってことか。
独身者が抱える問題よりも、家庭の問題のほうが深刻度が高いイメージがある。それが極端な形に出るのが「家族間の暴力事件、殺人事件」なのかもしれない。

・・・・・・・・・・
余談「どちらが幸せか」

学食、給食ななど、ほかの人たちが一緒に食事をしている中、ひとりで食事をすることが、恥ずかしい、辛い、みじめ、さびしい、などなどマイナスに捉える人、わりといると思う。

けど、私の場合、高校時代、寮生活をしたことあるんだけど、寮の先輩や同僚と人間関係うまくいかず、一緒に食事をするのが辛かった経験がある。

寮の部屋の人と一緒に食事をすることが基本ルールだったけど、何かの用事で食事の時間が皆と合わず、独りで食べられる時の気楽さ、自由がなんとありがたかったことか・・・

この寮生活を家族生活に置き換えれば分かりやすい。

関係がうまくいっていれば、皆と食事は楽しいだろう。独りは寂しいだろう。

が、うまくいっていない場合、一緒の食事は苦痛である。私の場合、先輩の目を気にし、いつもビクビクし、ストレスであった。独りで食事ができる時、ゆっくりと味わうことができ、幸せを感じた。

んで、寮なので、簡単に出る(一人になる、別れる)こともできず、どんなに苦痛でも、うまくいってなくても一緒にいなくてはならない。
まさに「家族」と一緒。

簡単に言えば、そういうことかもしれない。
もち、うまくいくよう努力することは大切だろうけれど。人によってはその努力が苦痛、あるいは努力できない、努力のしようがない、どうしていいか分からない、努力してもどうにもならない(相手もあることだし)・・・などなどいろんなケースがある。

気の合う人と一緒になれればいいが、そういった出会いも結局は「運」だと思うのだ。

・・・・・・・・・・
余談「家族が枷になるケース」

そう言えばテレビで「兄弟がニートだったり、障害をもっていたり、あるいは犯罪的があるなど、何か問題があった場合、結婚できない(相手からお断りされる、引かれる)」といった話を聞いた。
ああ、たしかに結婚の場合、親族とくに兄弟がどうなのか、相手から見られるかもなあ、と思った。
もちろん、こちらも相手の兄弟のことは気になる。
全く気にならないっていう人もいるかもしれないが。

「本人ではなく、兄弟に問題があるからといって、結婚に二の足を踏むような奴はこちらからお断り。本人同士の気持ちが大切だ」というのはキレイごとかもしれない。
結婚とは結局、親族同士もつながる、ということになるから。

親族関係ありません、となると、同棲(事実婚)でいいじゃん、ということになるのかも。

「兄弟のことで、結婚がうまくいかない」=「家族が足かせになるケース」もあるということで・・・まあ、でもそんなことでお断りされる結婚ならしないほうがいいとも言えるけど。
ただ自分だって、もしも相手の兄弟が何か大きい問題を抱えていたら、二の足踏むだろうから、難しい問題でもある。
事実婚(同棲)なら、このへんのハードルは低い気がするが。

・・・・・・・・・・

ということで、「家族という病」のワード検索数が多かったので、家族についていろいろ考えてみた。
自分は基本のんびりしており、怠惰なので、並々ならぬ努力などできない、体力気力が追いつかないので、できるだけ大きな問題は抱えたくない・・・
ので、そういった問題を抱えることや、リスクをとることに躊躇しない人を本当に偉いと思うのであった。

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