SSブログ

スザンヌさんの離婚について思うこと [人生・生き方・生活・人間関係]

芸能人のスザンヌさんの離婚が話題になっているなあ。

「パラレル・プライオリティ日本編」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/で静也・理沙夫婦の日常生活を描いているので、こういった夫婦問題ニュースは気になるといえば気になる。

静也・理沙夫婦について「こんなカップルがいたらいいな」ということで、理想や夢を描きたいとは思うものの、現実味があるようにはしたい。
「こんな夫、いるわけない」「こんな妻、いるわけない」「こんな生活、できるわけない」にはしたくないのだ^^;

さてさて、ウワサによると、スザンヌさんと別れた元野球選手の夫は、前にも離婚したことがあり、しかも、その時、前の奥さんは妊娠中だったんだとか?(しかも養育費をちゃんと払っていないんだとか?)

で、今回スザンヌさんとの間にできた生後6か月の子どもを残し、家を出て、スザンヌさんに離婚を切り出したとか?

う~ん、それが本当ならば「無責任」のひとこと。
この元野球選手は、おそらく、これからも同じことを繰り返すのでは、と。
女性は警戒したほうがいいだろう。すぐに飽きられ、サヨナラされ、別の新しい女性へ触手を伸ばすのだろう。

男性の中には、こういった家庭を築くのにふさわしくない人がいるのだな。恋愛だけ楽しんで、結婚しなきゃいいのに。子どもまで作って、家庭を放り出す。

スザンヌさんは「コミュニケーションが足りなかった」と言っているらしいけど、元野球選手の資質の問題だろう、と邪推してしまう。結婚生活に向かない男性なのだろう。

こんな無責任な男がいる一方で・・・
責任がとれないから、女性とは友達関係のまま、一緒の部屋に寝ても、手は出さない(セックスはしない)という草食系男子のことが、テレビで話題になっていて、年輩の男性が信じられないと意見していた。

なんだか、そういう男子をマイナスに捉えようとする上の世代の男性陣、女性陣も上の世代は『理解できない』ふうであったが、比較的若い女性陣は「そういうのもあり、いいよね」と受け入れていた。

いやあ、責任とれないから手は出さない、って、至極真面目だな、と私は好印象を持ったのだけど。つまり手を出すときは、相応の覚悟がある、真面目につきあうつもり、ということだ。

付きあうつもりもないのに手を出すよりは、いいのでは、と思う。

いや、もちろん、女性の中にも、遊びで気軽にエッチする、つきあうつもりはない、性欲満たすだけ、スポーツと同じ、っていう考えの人もいるだろうけれど。

若い世代は、避妊したとしても100パーセントではない、ということで、男女問わず性交渉に慎重な人たちもけっこういるらしい。

が、前記事で話題にしたように、若い世代の初性交渉年齢を気にする世間様は、こういった状況を憂えているらしい。

いやあ、無責任に子どもをつくって、放り出すほうが、ずっとずっとタチが悪いし、倫理的にいかがなものかと思うのだけど。

それに較べ、性交渉にも『責任』を感じる人たちの方がずっとまともで倫理的だと思う。

子どもへの責任ってやっぱり重い。
と、改めて『責任を背負う自信のない者は家庭を持ってはいけない』と思ってしまった。

スザンヌさんと離婚した無責任な元野球選手、はたして、スザンヌさんやその前に別れた奥さんとの間の子どもへの養育費をちゃんと払うんだろうか?

離婚の時に、取り決めはするものの、実際、払い続ける人はかなり少ないらしい。

育児に参加するどころか、家庭を捨て、養育費も出さない、そういう男性もけっこういるのである。

私は見てないが、ドラマ「残念な夫」は、まだ『家庭に関わろうとする』だけ、マシに思える。
「パラレル~」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/の静也君も家庭に大いに関わろうとする「良き夫、良きパパ」になるだろう。

が、実際は、子どもとちょっとだけ遊ぶのは楽しいけど、1日中つきあうのはイヤ、妻とのコミュニケーションも面倒、そもそも話が合わない、仕事から疲れて帰ってくるのに、さらに疲れることなんてしたくない、休日は好きなことしたい、自分だけの時間がほしい、こっちだって仕事で疲れているんだ、大変な思いをしているんだ、気を遣ってもらいたいのはこっちだ、イライラしている妻から逃げたい、関わりたくない、などなど・・・そんな声が聞こえてきそうだ。
で、妻から「あれして、これして」と命令のようなことを言われ、やってみたらダメ出し。やってられない。
いや、男性の気持ちもよく分かる。私が男性の立場なら、そう思うだろうから。けど、きっと家庭はギクシャクするだろう。

女性からしてみれば、子育てにパパが関わるのは当然だし、言われないと分からないの? ちゃんとやってよ、え?こんなことできないの? という感じだろう。

お互い「大変」なので、どっちが「より大変か」で、お互いギスギス。ストレスの多い、余裕のない生活になるかもしれない。
子育てが大変なのは赤ちゃんの時だけではなく、学校に上がってからも、いろいろ問題を抱えることも多いだろう。
その責任が背負えない人が何割かいるのは当然かもしれないとも思った。

なので、未婚者が2割~3割になったとしても不思議ではないと思ったのであった。
家庭を背負う責任はそれだけ大きいのだから。

んで、それを背負った人は偉い。が、だからといって背負わない人を見下したり、問題人物扱いしてもいけない。人の資質、能力は人それぞれなのだ。

一番悪いのは、責任を背負うつもりもないのに、手を出し、結局、無責任に放り出すことである。
一方に家庭の責任を押し付け、自分は浮気、不倫など、家庭に向けるべきエネルギー(お金、時間)をそういったところに費やし、家庭の責任を分かち合おうとしないことである。

ただ、未経験なので、「できるかな」「責任とれるかな」と思って、手を出してしまうこともあるだろう。で結果的に耐えられなくなった場合、逃げてもいいとも思う。切れて暴力、虐待、最悪、殺人行為に発展するよりは。

けど、それを繰り返してはいけないと思う。耐えられなかったことを自覚し、二度と「責任のとれないこと」には手を出さない。二度目は罪が重い。

と、スザンヌさんの離婚問題で、そんなことを考えてしまった。

ま、「パラレル~」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/の静也と理沙は、同じ環境で育ち、同じ学歴、同じ職場=同じ収入、同じ年齢、ということで、自然に対等意識があり、相手を見下したり、反対に卑屈になることもない、共通項が多いので、話も合う、よってコミュニケーションがスムーズにとれる、価値観も似ている・・・なので「一緒に生活をするうえで、上手くいく要素」が最初から備わっているのである。

これを「縁」というのかもしれないし、「運命の出会い」ともいうのかもしれない。
けど、実際に、こういう相手はなかなか見つからないだろう。見つかったとしても、好きになるかどうか、両想いになるかも分からない。どっちかというと、人間、自分とは遠い、異質なものに惹かれるものだから。

対等意識(相手を尊重できる)、コミュニケーション(伝える力と聞き取る力、そこにエネルギーをかけられるか)と価値観(相手の価値観を理解できる、または許容できる)・・・これらが夫婦やっていく大切な要素かもしれないな、と。

そんなわけで、日本文化、風習もテーマにした静也と理沙夫婦の生活を描いた「パラレル・プライオリティ日本編」もよろしくお願いします^^;(結局、宣伝。ま、そのためにブログをやっているのかも)
http://ncode.syosetu.com/n2006cl/

ちなみに、次のネタは「桜、お花見」です。桜(ソメイヨシノ)が咲いたら、アップします。(って大寒桜とかは今、咲いているけど)

もう下書きはほぼ完成していて・・・今回は、けっこう風流な「素敵な桜三昧の休日」を過ごす静也と理沙。
描きながら、「こんな休日が過ごせたらなあ」と思うものの、実際は「そんなことに時間かけられない。やること、ほかにいっぱいあるし」なんだよなあ。

nice!(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。