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死刑制度について思うこと [社会・ニュース]


東野圭吾の「虚ろな十字架」を読んだ。
死刑制度がテーマのようだ。

私の個人的意見
加害者に更生の余地があるのか、あるいは抑止効果があるのか、など、こういったことを踏まえて死刑制度があったほうがいいのか、ないほうがいいのかを議論するのは無理があるように思う。

抑止効果があるのかないのか、はっきりとは分からない。
ほんの少しでもあるのであれば、死刑制度には価値がある、と私は思うし。
加害者が心から反省するのかしないのか、も関係ない。

仮に、反省したからといって、更生の余地があるから、死刑制度はなくすべき、とも思わない。更生するかしないか、これも結局は分からないのだから。
更生したと判断し、社会に復帰させ、仮に再犯起こした場合、誰も責任とらないだろう。いや、とれないだろう。誰にも「更生したのかどうか」分からないからだ。

そういえば、少年犯罪について「少年は更生の余地があるから厳罰化に反対」という意見も聞かれるが・・・余地があるかないか、誰が判断するのか? 再犯した場合、誰も責任をとらないのであれば、それを論点にすべきではない、と思う。

少年であるかどうか関係なく=更生するかどうか関係なく、犯した罪と同等の報いを受ける、これが公平であるように思う。

逆に、不公平と言えば・・・弁護士の手腕によって、違いが出てくる、というのは不公平だ。
情に訴えようとすると、そういうことになる。

ということで、私は「公平であるかどうか」で死刑制度を考える。
なので、人の命を奪った場合、その被害者に全く落ち度がなければ、基本的に死刑でいいと考える。

被害者は命を奪われたのに、加害者が社会復帰の可能性が残される、というのは不公平だからだ。

もちろん、正当防衛、戦争など任務の上での殺人はこれに該当しない。
そして被害者に落ち度があった場合(加害者に対し、嫌がらせをしていた、など)も情状酌量されるべきだろう。

犯罪抑止効果や更生の可能性という「誰も責任が取れないよくわからないこと」を論点にしないほうがいい。
そして被害者遺族感情というものも。
そう、これも遺族によって考え方が違うからだ。「死刑をのぞむ遺族」もいれば、そうではない遺族もいるだろうし、被害者と遺族の関係性によっても、それは違ってくるだろう。

そう、更生が償いだ、というのに以前から疑問に思う。
殺された方にしてみれば、犯人が更生しようがしまいが、関係ない。従って、償いようがない。

更生するかしないかは、社会にとっては重要な問題かもしれないが、しかし、するかしないかは誰にも分からない。
刑罰を決める人、釈放を決める人にも責任のとりようがない。

結局、犯した罪に対し、報いを与える。これしかできないと思う。
では、どの程度の報いにするのか・・・これも難しい問題だが、命を奪ったら、命を差し出す、これが「公平」に近いのでは、と。被害者が受けた苦痛、恐怖同等のものを与えられるのであれば、死刑でなくてもいいかもしれないが。

ところで「死刑」は国家による殺人、という人もいるけど、ならば懲役刑は国家による拉致監禁である。

死刑を「殺人=いけないこと」と捉え、反対する人は、懲役刑にも反対しないとおかしい。

殺人も拉致監禁も、やってはいけないことだ。
しかし、刑罰は区別して考えないとならない。
区別しないのであれば、刑罰を与えられない、ということになる。

刑罰のない社会=犯罪者が跋扈する社会となる。

刑罰のない社会を求める?
私はそんな社会は怖くていやであるが。

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