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恋愛、結婚、婚活・・・改めて世間様の価値観を考えてみる(その2) [人生・生き方・生活・人間関係]

まずはちょっと気になったニュースを紹介。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120111-OYT1T00489.htm

こちらは1年前のもの。「発達障害」という言葉はだいぶ一般的に広まったようで、そういった子どもをもつ親の苦しさも理解されつつあるようだ。
http://www.asahi.com/edu/kosodate/news/TKY201101290355.html

結婚し子どもを持つということは、得るものも多いだろうが、厳しいことも多く、経済的にも精神的にも負担になることもあり、幸福にはつながらないこともあるのかもしれない。


当ブログのアクセス状況・・・「発達障害」関連のほか、「恋愛、結婚、婚活(欝)、専業主婦など生き方関連記事」のアクセス数も高い。
なので、もう少し思うところを語ってみる。(重複内容、お許しを)

要するに、どんな生き方をしようと・・・恋愛しなくても、結婚しなくても、子どもがいなくても、専業主婦でいても・・・見下されたり、批判されたり、マイナス=(不幸、かわいそう、哀れ、正しくない、良くない、人間的に云々という性格批判など)に見ない世の中になるといいね、ということで。

どんな生きかたにもプラス面、マイナス面があり、自分に合う生き方をすればいいのである。少数派はまだ生きにくいが、社会的成功者である著名人の発言やテレビ新聞の影響力がなくなっていけば・・・世間一般の価値観から解放されて、ほんとうの意味で多様化し、少数派がもっと生きやすい世の中になるだろうと思う。



さてさて、今、婚活サイト詐欺殺人事件の裁判員による裁判について、ニュースが流れている。
婚活絡みのほうの被害者男性、当時41歳、53歳とのことで・・・

婚活サイトに登録してまで結婚したかったのか・・・結婚詐欺でお金を騙しとられ、殺されてしまうなんて(おそらく)、そして、世間にこうやって名前と顔写真が公表され、被害者の親御さんもいたたまれないだろう・・・やはり哀れに思ってしまう。おそらく世間の本音は「あのような女になぜ騙されたのだ?」「そこまでして結婚したかったのか?」だろう。

なので、世間ではますます「結婚がなかなかできない=哀れ、不幸」という空気が作られるのかもしれない。

だが、結婚することにそんなにこだわらなければ、ひょっとしたら、騙されることもなく、よって殺されることもなかったのでは、と。

そうそう、余談だが、この事件はたしか加害者が「自称ピアノ教師」ということで、よけいに注目してしまったニュースだった。

やはりネットでの出会いは「騙される、ウソをつかれる」ことも多いだろう。よってネットの出会いは、慎重でなければならず、まずはお互いに「信用を得る」ところから始めなくてはいけない。なかなかハードルが高そうだ。

これが職場や学校で知り合った、あるいは知人友人の紹介であれば、経歴詐称は疑わなくてすみ、最低限の信用がある。少なくとも危険性はないだろう。
ネット婚は、成功率は低い気がする。

そういえば、以前、読売新聞の相談コーナーに、40代独身男性がこのまま一人では寂しい、どうしたらいいか、という相談が寄せられていた。

内容は、(同性の)友人もいなく、家族とも疎遠、結婚相手もなかなか見つからず、それは自分がマジメで堅いから、自分を曲げられないから、ということなのだが・・・相談へのアドバイスは「あきらめずに出会いを求め、努力を続けていれば、見つかるかも」というものだったが・・・その前に「友人」を作ったほうがいいのでは?と思った。

同性の友人すらいない、というのは、かなり人とのコミュニケーションが苦手なのだろうし、自分を曲げられないということは、相手を受け入れられない(相手の嫌なところが気になり、許容できない)ということかもしれない。
趣味の場へ何度か出かけ、努力をしたそうだが、そこで友人を得られなかったというのは、実はそれほど人を求めてはいない、ということなのだろう。

妥協して人を受け入れられない=自分の思いやプライドや自尊心が優先され、自分を曲げることが出来ない、ということで、それはそれでいいと思う。

ただし、そんな自分に合わせてくれる友人は容易くはできないだろうし、ましてや結婚相手は友人を作るよりもハードルが高いだろう。

というか、ここまで「わが道を行く人」が、どうして結婚したいのだろう、とも思う。妥協することが出来ず、自分を曲げられない人は、結婚に不向きな気もする。

周りが既婚者が多いので、少数派である未婚という生き方に漠然とした不安があるから、結婚したいと思っているだけかもしれない。

「老後に世話してくれる人がいなくて不安で寂しいから」ということで相手を求めても、自分の老後を世話するために結婚してくれる人はいないだろうし、ほんとうに困った時には。公の社会福祉関連に相談すれば、解決方法があるだろう。


そして、実は、友人を作ることや結婚相手を見つけること=人間関係を築くことは、この相談者にとって、実はさほど大事には思っていないのだろうか。
それよりも自尊心を守ること、自分を曲げないことが優先されるのだろう。

また、ほんとうに【今の状態を寂しく思っていて、耐えられない】わけではないだろう。今までそのスタイルで生きてきたのだから。
ただなんとなく世間が良しとする生き方から外れているので、「今のままでは良くないのではないか」と漠然と思っているに過ぎないのかもしれない。

結婚することは、その人にとって「優先事項」ではないのだ。

それでもなお、人とのつながりが欲しいというのであれば、まずは友人を作り、横のつながりを持つように努力したほうが、まだ結婚相手を見つけるよりは成功率が高いように思う。
しかし、アドバイスは「くじけずに出会いを求めて」「あなたを分かってくれる人がいるはず」というもの。
「結婚に向けて、がんばり続けよう」ということで無責任なアドバイスにも思った。

また、この読売新聞上では「結婚しない人(できない人)=人間関係を築けず、哀れな寂しい人、不幸そうな人、人間として問題がありそう」という印象を与える相談文章だった。
「家族とも疎遠になり、友人すらいない人の結婚したいとの相談」をわざわざ取り上げたのだ。
メディアはこうして容易く印象操作をしてしまうように思った。

妥協して結婚するくらいならば、そこまでしないと結婚できないのであれば、独身を通す、という生き方も当然ありで、そういう人がこれからもっと増えるのでは、と思う。

生涯未婚者が増え、3割になれば、生涯未婚者もごくごく普通の人として市民権を得られ、そう「かわいそうな人」と見下されることは少なくなるだろうし、結婚に焦り、騙される人も少なくなるかもしれない。
将来の不安は、未婚者も既婚者も同じようにあるだろう。

年金問題では、アエラによると、現在40代はよくて68歳支給開始、70歳から支給開始になるとの記事が載っていた。
既婚で子ありの人が、一番経済的に苦労するようである。(子どもを大学まで進学させた場合)

女性ほど若さを求められないとはいえ、男性も会社員であれば60歳定年であり、今の社会、年金がどうなるかも分からないのに・・・定年と大学進学する子どもの教育費が重なれば、経済的に厳しくなることが予想され・・・35歳以上は男性でも「子供が欲しい場合の結婚条件」としてはかなり不利である。

条件から入る婚活はシビアかもしれない。

まずは若さを見られる。

とくに・・・現在の40代は、おそらく「若い女=価値がある」という【あからさまな空気】の中で育った最後の世代のような気がする。
「クリスマスケーキ=25過ぎたら女は価値がなくなる」という世間の価値観の中で育ったのだから、その価値観から離れることは容易ではないだろう。

その「クリスマス価値観」は、私が20歳のときにも、まだ生きていた。人を消費・賞味期限のあるモノ扱いにして、なんとなく嫌な感じがした。
やがて「おおみそか」という言葉で、「女は30まで。30過ぎたら価値がなくなる」という価値観になり、幅が広がったが・・・それでも期限があったのだ。

あからさまに「女は若い方がいい」という価値観が覆っていたのである。
25歳を過ぎれば「トウが立つ」と言われ、もっと昔は「オールドミス」という言葉もあり、結婚適齢期を過ぎても結婚しない女性は「ヒステリーで意地悪で性格が悪い」とされ、嫌われ、嘲笑の的になり、侮蔑の対象にされていた。そういう世間のほうがよほど「意地悪で恐ろしい」と思うが、結婚できないことがいかに世間から冷たく見られていたかが分かる。

なので、40代から上の世代の男性は、よけいに女性に若さを求めるのは仕方ないことでもある。

なので私の若い頃は、結婚するならば20代のうちに、という「世間のおきて?」があったので、29歳で滑り込み結婚が多かった気がする。

その後の時代、女性も30過ぎての結婚が当たり前になり、世の中変わったかに見えたが、まだまだ世間の「結婚して欲しい空気」は強く、未婚者は不幸で孤独でかわいそうということになっている。べつにそれほど不幸でもないし、けっこう幸せだ、というと、それは「強がっている」ということになる。

そして、30過ぎてしまうと妊娠率が落ちることから、やっぱり20代で結婚したほうが良いと仄めかし、メディアはそういった情報を広めようとしたようだが、しかし、だからといって結婚に走る人はそう増えなかった気がする。もちろん、20代で焦る人や、婚活欝になったり、ああいった婚活サイトで騙されたりする人はある程度はいるだろうが。

また、以前にも書いたが、朝日新聞の1月4日の天声人語の「若者に恋愛しやすい環境を」と訴えていたが・・・
よくよく考えれば、どんな環境であろうと恋愛する人はするだろうし、そもそも【社会環境、生活環境が悪いから恋愛できません】というのは、本当の恋愛ではないだろう。

社会・世間が若者に対し「恋愛=異性との交際をしましょう」というのが、かなり気持ち悪い。たぶん・・・「恋愛してはダメ」「異性との交際など許さない」と言ったほうが、若者は恋愛に燃えるかもしれない。社会・世間から「○○しましょう」と言われると、かえって覚めるかもしれない。

昔(戦前)は、男女の自由恋愛は世間から疎まれ、不良扱いされていたというのに。
そのときの社会状況によって、世間の価値観は一変するようだ。

で、恋愛結婚主流になり・・・男女交際は当たり前になるどころか、世間から「恋愛(異性と交際)しろ」とお勧めされるまでになり・・・

そうなると、女性はもちろんだろうけれど、男性もある程度ルックスを見られるだろうから・・・

ルックスが良くない人はなかなか結婚できず、 ルックスのいい人は結婚でき、そういったカップルからはルックスの良い子どもが生まれる確率が高いことから、 日本人もルックスの良い子が増えている、という・・・

たしかに今の若い子はスタイルいい子が多いし、ルックスのレベルが上がっている???
ま、それはそれでいいことではないか、とも思う。

恋愛・婚活市場は、劣等感を刺激する場でもあるかもしれない。
自信のある人はいいが、それがない人はますます自信をなくし、かえって「不幸」に陥る気もする。

恋愛活動や婚活が楽しい、面白く思える、ワクワクするという人が、恋愛活動と婚活に合っているのである。
「努力している」と思った時点で、合っていないかもしれない。そもそも楽しく思っている人は「努力」という言葉は使わないだろう。

合わないことにエネルギーを費やしても、得るものは少なく、マイナス面のほうが大きいかもしれない。(自信をなくし、婚活欝になったり、ひねくれてしまったり、より劣等感がふくらんでしまったり、騙されたり・・・)

彼氏彼女がいないとカッコ悪い、彼氏彼女がいたほうが優越感が味わえる、寂しくないかもしれない、いたほうが良いのでは、と思う人は、実はそれほど彼氏彼女が欲しいわけではないのだと思う。周囲の目を気にして、世間の価値観に合わせようとしているに過ぎない。

自分は本当に何を求め、何を最優先したいのか、である。
どのリスクなら引き受けることが出来るのか、どのマイナス面になら耐えることが出来るのか、かもしれない。
どの生き方をしてもリスク、マイナス面はあるのである。

とにかく・・・結婚して子どもを持つ、というのは、よほどの覚悟が必要な気がする。もちろん、子どもが何の問題もなく、育ち、幸せな家庭を築けることもあるだろう。

が、たとえば「発達障害」など、いろいろと問題を抱えた場合、その精神的負担は計り知れない。それでも耐えて、「幸せ」と感じることができる強い人はそう多くはないだろう。ごくごく普通の人でさえ、社会から落ちこぼれずにやっていくことは大変な時代になるかもしれない。
社会保障費も削減の方向へ向うだろう。(じゃなきゃ日本が破綻する)

「発達障害者」への手厚い保障など、とても期待できないだろう。
生活保護もこれから削減されるだろうし、その権利を取得するのに、相当厳しい審査になっていき、よほどのことがない限り、そう簡単に取得できなくなるだろう。(また、そうでなければ困るだろう)

子どもがどうしても欲しいというのがなければ、わざわざ婚活してまで、相手を見つけるための努力をしてまで、結婚することもないかもしれない。自然に出会い、好きになり、一緒になりたいと思わない限り。

また「子どもを持つ=幸せ」とも限らない。不妊治療で苦しんでいる人の中に、もしかしたら、世間の一般的価値観(子どもを持ったほうがいい、幸せになれる)に縛られている人がいるのではないか、とも思う。もちろん、多くはどんな子どもが生まれてきても、受け入れるという覚悟で不妊治療に望んでいるだろうが、「発達障害」など中途半端な問題を抱えた場合の苦労は並大抵のことではないだろう。「一般的な障害者」に比べ、公の手厚い保護がない分、親が一生、面倒を見なくてはならないだろう。一般的な障害者より、はるかに高い率で生まれてしまうのが発達障害である。

婚活努力し、そこにエネルギーを費やし、その先、結婚できたとしても、しかし、それが幸せにつながるかどうかは分からないのである。

運も大きいかもしれない。ならば、結婚も運任せでかまわないのでは、と思ってしまうのだ。婚活で疲れたり、劣等感に苛まれたり、あげくの果てに騙されたりするよりは。


いや、でも結婚をし子どもを持って、女性の場合、その上、仕事もして稼ぎ、という人はほんとうに偉いとは思う。立派な生き様だと尊敬する。男性の場合、家族の給料は生活費となり、自分が自由に使えるお金はごくごくわずかとなり、経済的不自由を我慢する人がほとんどだろう。
時間的にも体力的にも経済的にも余裕がない人が多いだろうに、子どもを大学まで進学させることを考えれば・・・いろんなことに耐え、我慢して、がんばっているのだから、賞賛されていいと思う。

しかし、誰もがその生き方が合うわけでもなく、その生き方が幸福につながるかどうかは分からないのである。そして、それ以外の生き方をマイナスに見てはいけないし、「この生き方がお勧め。より良い生き方である。幸福につながる」とは誰も言えないのである。言えることは、その生き方をした場合のマイナス面とプラス面、伴うリスクくらいである。


・・・と、人の生き方を批判したり=(マイナス面やリスクを強調する、不幸になると脅す)、ある生き方を良しとし=(人間的に正しい、自然である 成長できる、視野が広まるなどなど)、それをお勧めする著名人、社会的成功者、人の生きかたを印象操作する新聞などメディアに、突っ込んでみたい、と思ってしまったのだ^^;


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容姿が悪くても結婚できるのか

女性の場合、容姿が悪くても結婚できますか
年齢についてもかなり掘り下げて議論されているみたいなので
容姿についても教えてほしいです。
実際、ブサイクでもかなりいい感じの男性と結婚している女性がいるので
かなり焦りますが、
そのあたりの相関性
年齢については、25才のクリスマスケーキは
最近また復活傾向を感じています。
いかがなものでしょうか。
色々とおしえてほしいです。
by 容姿が悪くても結婚できるのか (2012-07-18 17:58) 

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