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結婚、恋愛、婚活・・・改めて世間様の価値観を考えてみる(読売新聞と朝日新聞より) [人生・生き方・生活・人間関係]

おめでとう、と言うと・・・CMの「ムーミン」のみ~さんの毒舌を思い出す。
「歳をとりたくないくせに、年越しを祝うなんて、おめでたい人たち」

確かにそのとおり・・・さすが、み~さんだぜ~♪と思ってしまった。
よし、ワシは「めでたくない」と素直に思うことにしよう。

ところで、元旦の読売新聞読んでいたら、24歳女性が「歳をとるのがイヤだ」「結婚の予定もなく、このままでは負け組」という内容の人生相談・・・「(独身の)アラフォー(主人公)のドラマにうんざりする」と書かれてあった。

いやいや、とりあえず世間では「年を越し、めでたい♪と、される年明け」に、歳をとるのがイヤだ、アラフォードラマにうんざり、このままでは負け組・・・と、こんな相談文章を元旦にのせるとは・・・センスないの~、読売新聞。
ムーミンCMのみ~さんの毒舌はセンスがあるが・・・

24歳でこんなことを思うなんて・・・夢も希望もなさそうで、ただ歳をとることに焦っているなんて気の毒な感じもする。
なんというか、もったいない・・・体力気力が充実していて、無理もきいて、頭も働き、まだまだ伸びることができる年代のに・・・と。

でも、この24歳女性の価値観が、世間様の本音、価値観かもしれない。
いやあ、夢や目標を持たないと、こういった世間様の価値観(若さ至上主義)にどっぷり染まってしまうように思う。 不幸とは言わないまでも、それはなんだか楽しくなさそうだ・・・

しかし・・・ドラマ「カーネーション」で、自分の思うまま強気に自由にふるまったため、世間から冷たい仕打ちを受ける主人公が「世間をなめていた」と反省するシーンがあったが・・・ 表向きは世間の価値観に合わせ、弱気に「歳とってしまい、存在価値もありません」「生きていてごめんなさい」「負け犬です」と小さくなっていたほうが利口なのかも、と思うこともある。

24歳という年齢・・・そう、私よりちょっと上の世代は「クリスマスケーキ」と言われ、24歳を過ぎたら価値が下がるといわれていた時代・・・

たしかに30過ぎると妊娠率が低くなってしまうらしいので・・・世間としては、女性は24歳くらいまでに結婚し、20代で子どもを産むことを目指して欲しいのかもしれない。 絶対に跡継ぎが必要な皇室の花嫁選びも若さ重視で、20代前半を選ぶが良い、と思う・・・(もちろん皮肉ね、笑)

ということで、子どもが欲しい人は焦るのだろう。
そして、結婚したからには子どもが欲しい男性側もそのことを知れば「やっぱり女性は20代がいい」と思うだろうから、女性側も「良い相手と結ばれるには20代で勝負」って考え、20代半ばで焦り、年々自分の価値が落ちていくのを嘆くのも、当然かもしれない。

そういえば、以前の朝日新聞記事によると、向精神薬を処方されながら、婚活を続けているという人が紹介され、当ブログでも話題にしたが・・・

向精神薬に頼ったら、薬をやめるの大変なのに、副作用もあるのに、そして精神薬に依存するようになれば、脳のコントロールがきかなくなり、厄介なことになりかねないのに、健康を害して、そこまでして結婚したいのか?しかも特定の結婚したい相手がいるのではなく、とにかく結婚をしたいってどういうことだ?と思ったが・・・

婚活で自信をなくし、自己否定に陥り、欝になってしまうというのは分かる気もする。
世間の価値観では、まだまだ「結婚できない=負け組」だから、婚活をやめるわけにはいかないのかもしれない。

そして、幸福そうに楽しく生きている未婚者は「やせ我慢をしている」「痛々しい」とされ、「老後は孤独」ということで、やがて不幸への道をたどることになる、と見なされている。

「結婚しない人=わがまま、幼稚、人間としてちょっと問題あり」と見なす人もまだいる。
あの勝間和代さんでさえ、「35過ぎての未婚者はワークライフバランスを考えず、会社に依存し、会社のお荷物になる」的な発言をしていた。その勝間さんの発言に誘発されたのか、「未婚者は幼稚」という意見の人もいた。

そういえば、丙午生まれの女性は嫁にいけないという迷信から、1966年丙午の出生率はぐっと落ち、中絶者が増え、右肩下がりだったはずの乳児死亡率がその年だけ上がった(粗末に扱った、治療を受けさせないなど消極的殺人の可能性を疑わせる)ことを考えれば、「結婚しなくてはいけない呪縛」からそう容易く解放されることはないのかもしれない。

今から46年ほど前のことだけど、科学も尊重されていた時代に、たかが迷信で「結婚できないかもしれない」という理由から、中絶者が増えたどころか、右肩下がりだったはずの乳児死亡率がその年だけ上がったことを考えれば、世間の価値観はそう簡単に変わるものではないのだろう。

世間の価値観に背を向けるのは難しい。
なので、欝になってでも、心の健康を害してでも、婚活を続けているのかもしれない。

しかし、努力しているのに結婚まで到達できない、ということは「結婚しない」ではなく「結婚できない」ということを自ら認めなくてはならず・・・
しかも、ほとんどの人ができているのに、なぜ自分はできないのか、とかなり劣等感を抱えてしまいそうだ。

これがたとえば、努力しているのにオリンピックに出られかった、東大に入れなかった、などであれば、もちろん敗北感は味わうだろうけれど、それらは「ほとんどの人も得られないもの」なので、凄まじい劣等感は抱えないだろう。

が、結婚は「多くの人がしている」わけで、多くの人ができているのに、できない自分は、平均よりかなり劣っている、と思ってしまうのかもしれない。

また、自分の能力を伸ばす努力は、たいてい努力の甲斐があり、目標に届かずとも、自分が「上達している」「レベルアップしている」ことを感じることができるけど、婚活はそれすらも感じることはできないのでは、と。だから辛いのだろう。
婚活は結果だけが全てなのだろう。

しかも上で触れたように、時が経つにつれ、婚活市場では「年々、歳を重ねると価値が下がっていく」のである。
歳をとるにつれ、妊娠率が下がる女性はもちろんだが、男性もある程度の若さが必要だろう。
子どもを大学まで進学させることを考えれば・・・男性の場合、会社勤めの場合、定年を考えると、30代後半から価値が落ちていくのだろう。
結婚して、すぐに子どもができるとも限らないし、2人くらいは欲しい、となれば、男性でも30代後半はぐっと価値が下がるということになってしまう。

と、婚活は、こうやって相手の品定めをしていく、とってもシビアな世界な気がする。

結婚生活は自分の人生に大きく関わることでもあるので、お互い、シビアにならざるを得ないだろう。
しかも選べるのは一人である。 離婚もそう容易くは出来ない。

偶然に恋に落ちるのではなく、自分から動いて結婚につながる恋人を見つける=婚活=お互いに品定めをする、ということで、けっこうシビアな世界だろうから、婚活欝になる人もいるのだろう。

自分の能力を上げる努力は、努力のかいがあったり、結果につながることが多いような気がするけど、婚活(恋愛相手を見つける)努力は、結果につながらないことも多いだろうから、精神的に疲れてしまうのかも。


婚活は運にも左右されるだろうし、先が見えない。
時間がたつにつれ、若さ至上の世間の価値観に沿えば、自分の価値が下がっていくのだから、焦燥感だけ募っていくだろう。

ということで、結婚を目標に、本気で婚活に取り組むって、めちゃくちゃ大変な気がする。それだけ大変だから、欝に陥るのも分かる気もする。

世間は、待っていてはダメ、自分から動いて、結婚相手を努力して探せ、とよく言うが・・・いや、努力(それにかけるエネルギー)は程ほどにして、あとは運任せでいいのでは、と思う。

勉強など、進歩が実感できるもの、最終目標に届かずともリターンがあるものに、エネルギーをかけたほうがいいのでは、と。

またそこまでの努力をして結婚できたのに・・・結婚して得るものもたくさんあるだろうが、失うものもけっこうあるかもしれない。

結婚し、さらに子どもができると、想定外のことがたくさん出てくるだろう。
時間的自由や経済的自由はかなり制限されるのは間違いない。

また、子どもが問題なく育つかどうか・・・
私は身近に、発達障害者がいるので、余計にそう思う。

実際、発達障害は厄介だ。 公に認められた障害者であれば、公からの保護が得られるが、中途半端な障害では、それもままならず・・・うちの場合、精神障害者になって、やっと保護が受けられるかな・・・という感じ。 (発達障害は精神疾患になるリスクが高い)

発達障害のような中途半端な軽い障害を持って生まれる率はけっこう高かったりする。
能力が平均以上に優れた優秀な子どもが生まれる分、言葉は悪いが、それと反対の子どもも生まれ、社会に適応できず、落ちこぼれていく。

それでも「この子が生まれてきて良かった」「家庭を持ってよかった」と思え、と親に言うのは酷だ。

そして親は「子どもを持たなきゃ良かった」とおおっぴらに言うことは出来ない。
公に出てきて良い言葉は「こんな障害を抱えたけど、それでも幸せです。この子が生まれてきて良かった」だけだ。

もし問題を抱えた子どもを持った場合、自分のやりたいことをあきらめ、子どもを優先した生活ができるのか・・・発達障害など問題を抱えた場合、社会から落ちこぼれる子どもを一生、面倒みなければならない。
そういう苦労を恐れてはいけない、結婚や子育ては自分を成長させてくれる、悪いことばかりではない、良いこともある、どんな子どもが生まれようが幸せになれるはずだ、努力すればなんとかなる、と口で言うのは簡単だが。

結婚し、子どもをもったら・・・いろんな問題を抱えることになるだろうから、肉体的負担と精神的負担は計り知れないものがありそう。
そのうえ、親戚づきあい、相手側の親の介護も抱えるかもしれない・・・

なので、一緒になりたい結婚したい特定の相手がいるわけでもなく、負け組になりたくないからと焦りながら、相手を探し回り、そこまでして結婚したい気持ちになるのは、まだまだ世間の「未婚者は異性に選ばれなかった負け組、みじめ、寂しい人、人間としておかしい、変人、孤独な老後で不幸」という価値観が根強く生きているのだろう。

1966年、丙午は結婚できないという迷信により、年々右肩下がりだった乳児死亡率がその年だけ上がったこと=消極的殺人が行われた可能性が高いことを考えれば、そう容易く、世間の価値観は変わらないのかもしれない。


そして、1月4日の朝日新聞の「天声人語」では、恋愛しない=彼氏彼女がいない35歳以下の若者が、約半分いたという調査について、そしてさらにその半数が「別に交際相手が欲しいわけでもない」と答えたことについて、その割合がいかにも意外な数字だ、問題だ、と言いたげで・・・自然の摂理に反する、若者に余裕がないからではないか、若者が恋愛できる社会にしよう、みたいなことが書かれていた。もちろん、少子社会をどうにかしようということなのだろうが・・・

公の機関が、若者の恋愛状況について調査するのも気持ち悪いが、半数の若者が特定の異性がおらず、さらにその半数が異性との交際に積極的ではないといって、それを問題にする社会も気持ち悪い。

私はバブル世代だが・・・学生時代は、立教大学のスキーサークルに所属していたが、ミーハーな世間の流行をおったサークルだった。しかしサークル会員の中で、彼氏彼女がいたのは1~2割ほどだったように思う。少なくとも半分はいなかった。いない人のほうが断然多かった。そして、今ほど積極的に出会いを求めていなかった気もする。自然に出会い、運に任せ、けっこう、のんびりしていた。

今のほうが、よほど異性との交際が積極的に行われているように思う。彼氏彼女がいないと寂しい、カッコ悪いから、一生懸命探す人もけっこういるだろう。

ただ・・・彼氏彼女がいないと寂しい人、カッコ悪い、という風潮は、私の学生時代にはなかった気がする。なので、恋愛できれば嬉しいけど、恋愛するために相手を探しまわったりする人は少なかったように思う。つまりそれほど積極的ではなかった。

なので、これのどこが問題なのかがよく分からない。恋愛に消極的=草食化している、というのもよく分からない。
私の若い頃よりは、今のほうがずっと積極的な人が多いように思うし、恋愛している人=特定の異性と交際している人は多い気がする。

もちろん、社会=世間が、若者の恋愛状況を気にするのは、恋愛(異性との交際)がなければ結婚につながらず、そのため少子化が進むことを憂えてのことだろう。

しかし、税収よりも借金が多く、その膨大な借金を若者や子どもや未来の子孫に押し付けようとしている異常な社会が、若者の恋愛状況を気にし、少子化を憂えるとは・・・おかしなことである。ほかに気にすべきことがたくさんあるだろうに。

それでも今はネットがあり、いろんな人の意見や考えを目にすることが出来る若者は賢い人が多いように思う。世間の価値観に惑わされない人もけっこういるのだろう。それが、積極的に=特に交際相手を見つけようとは思わない=努力しようとは思わない人の割合が示しているのかもしれない。
その人たちは「何が何でも恋愛したくない」というわけではなく、積極的に出会いを求めず、相手を見つける努力を特にせず、そのエネルギーは別のことに使いたいと考えているに過ぎない。
結婚も同様で、できればしたいけど、できなきゃできないでいいと考える人も多いと聞く。

どんな生き方をしても、プラス面、マイナス面があり・・・自分はどれが合っているのか、マイナス面に耐えられるか、どれをあきらめることができるのか、どれを最優先したいのか・・・だと思うのだが。もち、時と共に、それらは変わってくるけれど。

ま、楽しく生きたいものである。
他の生きかたを認めながら、自分に合った生きかたができるといいね。

反対に世間の価値観に染まると、不幸になることも多いかもしれない。
24歳にして、年をとっていくのが怖いと、年々価値が落ちていく自分に焦りを感じたり、婚活で欝になり、向精神薬を処方されている人は、少なくともあまり幸せそうではなさそうだ。
丙午迷信では、中絶や(おそらく)乳児の消極的殺人まで行われたのも、そういった世間の価値観に人々が染まっていたからだろう。


ところで、元旦の、朝日新聞は「原発関連」「格差社会」関連記事が目立っていた。読売新聞は「女性宮家」「防衛」だった。大きく扱う内容が、新聞によって、こんなに違うのかと改めて思った。


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