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つぶやき「大津いじめ自殺関連」その1 [学校・教育・いじめ・少年犯罪関連]

7月14日
時事通信社より転載

【「感電するぞ」などと児童を脅したり、体罰を繰り返したりしたとして、神戸市教育委員会は13日、同市東灘区の市立小学校で特別支援学級の担任だった香山昌久教諭(60)を、同日付で懲戒免職処分にしたと発表した。香山教諭は「ふざけてやった」と話しているという。

 市教委によると、香山教諭は2011年9月から、支援学級の児童1人に対し、頭をげんこつで小突くなどの行為を10回以上繰り返した。児童が預けられている養護施設に相談し発覚、市教委は12月に報告を受け香山教諭を指導した。

 しかしその後、給食中に「おなかを切って入れた方が早い」と児童にカッターを見せるなどの行為が明らかになり、香山教諭と校長が保護者に謝罪。

 今年5月には、雷の話題になった時にハンガーをばらして針金をコンセントと児童の顔に近づけ、「感電するぞ」と脅した。保護者に支給する就学援助費などの手続きを怠っていたことも判明した。】


転載終わり。

このような教師はごく稀だろうが、「体罰禁止」が規則なのに、こういったことを行う人間性を疑ってしまう異常な教師がいるので、簡単に「教師にもっと権限を」とも言えない。

その上、この教師は60歳ということで・・・おそらく昔から、このようなことをしていたのでは?と疑問に思う。最近になってから、いきなり、こういったことをし始めたとは思えない。
あるいは「特別支援学級」ということで、生徒を見くびり、生徒の証言は信用されないと高をくくり、このような犯行に及んでいたかもしれない。
普通学級であれば、生徒から反撃をされるかもしれないので、ここまで悪質なことはできなかったかもしれない。

結局は、いじめは、反撃できない弱い者へ行われる。それは生徒も教師も同じかもしれない。(もちろん、このような卑怯なことを行うのはごく少数の人間だろうが・・・)

この教師は懲戒免職という相応の罰が下された。
しかし、もっと早くに下されるべきだったのでは、と思う。60歳ではもう定年・・・この教師が60歳になるまでに、今までにも、たくさんの生徒がこの教師の下で犠牲になったのかもしれない。表ざたにならない「教師による生徒へのいじめ事件」もあるのだろう。

学校はもっと外部の者に監督、監視されたほうがいいのかもしれない。
監視カメラもあったほうがいいのかも?
結局は、学校と言う閉鎖された社会の中で、弱い者が犠牲になるのだろう。

いじめる側の言い訳は「ふざけてやった。あそび。じゃれあい」である。
監視カメラがあれば、それが「悪ふざけ」なのか、暴行・恐喝という犯罪なのか、証拠になるだろう。

それとも、いじめる側は本気で【軽い悪ふざけ】と思っているのかもしれない。
だから【厳しい罰】が必要だと思う。【厳しい罰】が下されて、はじめて「悪いことをしていた」と分かるのかもしれない。

【7月13日のところ】で話題にしたが・・・大津の中学生自殺いじめ問題では、【ガムテープで何重にも手足を縛り、蹴る】という加害性とらの暴行を、教師はその場で注意しただけで終わらせてしまったようだ。注意を受けた加害者は「はーい」という「軽い返事」をしたようで・・・重大なことをしてしまった自覚がない。

それは【罰がなかった】からではないだろうか。
そのような暴行をしても罰がない、その場の軽い注意ですんでしまう。

また教師側も軽くすませてしまった。本来ならば、親を呼び、厳重に注意するべきだったのかもしれない。

が、教師もそういう余裕がないのだろう。
また教師は、親からも見くびられている場合があり、親を呼び出せば、反対に「うちの子供だけ悪者にするのか」「差別だ」と親からモンクを言われ、やりこめられてしまうケースも多いだろう。
モンスターペアレントに目をつけられたら厄介である。(犯罪に近いいじめを行う生徒の親はモンスターであることが多いのではないだろうか。家庭環境が悪いから、子どもは犯罪のようないじめを行うのかもしれない)

通常の業務ができなくなるほど、モンスターペアレントに嫌がらせをされ、今度は教師が親からのいじめにあうのかもしれない。教師を見くびっているだろう親や生徒が、教師の言うことなど聞くはずがない。

なので教師(学校側)も波風立たせないようにするしかないのかもしれない。教師も「いじめ問題」を本気で取り組むのは負担だろう。教師にあまりに負担をかけすぎると、今度は教師の自殺が増えるかもしれない。

何度も書いているが、なかなか解決しない場合や、暴行など犯罪に近いいじめ問題は外部の中立な立場の者(弁護士や警察など、または児童相談所、あるいはそういった専門機関を作る?)が介入するほうが良いと思った。加害生徒側の親も、弁護士や警察が相手であれば、もう少し真剣に考えるだろう。

そして、いじめをやめない場合、加害者を被害者から引き離すことが(加害者を転校させるなど)できれば、とりあえず被害者を守れるのでは、とも思う。いじめは人権侵害ということで、いじめ=人権侵害をやめない加害者にそれくらいの負担を求めることは当然かもしれない。


ーーーーーーーーーーーー
7月13日その2

毎日新聞より一部転載

【複数の生徒によると、昨年9月29日の体育祭の昼食時間に、会場の観客席で、男子生徒が同級生3人から鉢巻きや粘着テープで手や足、口を何重にも巻かれていた。この状態の男子生徒を同級生の1人が背負い、別の2人が男子生徒の背中を蹴る場面もあった。

 この様子は、周囲の複数の生徒や教諭が目撃していたという。間もなく、女性教諭が同級生3人に「やめなさい」と注意した。3人は「はーい」などと言って粘着テープをはがすなどし、男子生徒の拘束を解いたという。

 ある生徒は「同級生は男子生徒の背中をかなり強く蹴っていた。周囲の生徒が注意できるような雰囲気ではなかった」。別の生徒は「男子生徒は、いじめられているように見えた」と証言した。

 昨年10月の男子生徒の自殺直後の学校のアンケートでは、生徒20人が男子生徒が縛られた様子などを目撃したと回答した。一方、同じ頃の教職員からの聞き取り調査で、全ての教職員が「これまで、男子生徒がいじめられていたという認識を持ったことはない」と答えていた。】


転載終わり。

もしも「粘着テープなどで手足を何重にも巻かれ、複数の人間から蹴られているところ」を見て、いじめではない、と思う教師がいるとすれば、このような恐ろしい学校はないだろう。いじめというよりももはや犯罪=暴行である。もちろん、加害者の祖父が書いたと言われているブログにある「じゃれあい」でもない。

これを「単なるじゃれあい」「いじめではない」と判断する人間の感性はどうなっているのだろうか?

相当、感覚がおかしいか、もしくは、表ざたになると面倒なので隠蔽をしたかったか・・・どちらかだろう。そして、最初は証言する生徒達に口止めを図った。どっちみち教育に携わる人間ではないように思うが・・・ただ、もう教師の手に負えないのも事実だろう。だから、見て見ぬふりをしてしまうのだろう。

今の時代、教師も弱い立場なのかもしれない。弱い立場の者が、指導したり、守ったりできるはずがない。やはり悪質ないじめ(犯罪)には、学校は隠蔽しようとせず、警察に頼り、警察が介入するべきだと思う。

「いじめ問題」が叫ばれて久しいが、悪質ないじめを受けた生徒が自殺してしまった重大事に向き合おうとせず・・・ここまでして「あきらかな悪質ないじめ=暴行=犯罪行為をなかったことにしよう」とする学校があるとは思わなかった。

悪質ないじめ=犯罪行為が野放しにされているケースがけっこうあるのかもしれない。
でも、この大津の件で、見直す学校も多くあるのでは、と思う。

ところで、「加害者の祖父が書いているというブログ」が話題になっているが、「元警察官ではあるが、加害者とは関係ない。祖父ではない」という情報も流れているようだ。

私は「加害者の身内であれば、あのような内容の日記も仕方ないかも・・・」とは思っていた。身内かわいさに目が曇ってしまうことはよくあることだし、身内を守りたいがためという心情も理解できる。
しかし、もし加害者の祖父ではなく、加害者とは何の関係もない元警察官のブログだとしたら・・・あのような考えをもつ警察官は例外的なのか、あるいはああいった考えの警察官が多いのか・・・あれが多くの警察官の一般的な考えだとしたら、ちょっと問題だと思った。



7月13日その1
大津の中学校いじめ自殺の件で、加害生徒の祖父が書いているというブログ(書いている本人は関係者ではないと書いてあるが、今までの経緯から加害者側の関係者では?と疑問に思うようなブログであるが・・・)のコメント欄は、ほぼ批判である。

これもめずらしい。ざっと見ただけだが、擁護するコメントというのが見当たらない。

擁護する人間がいない「加害者寄りのブログ記事」・・・それだけ、多くの人はこの事件に、加害者に怒っているということだろう。それは、伝えられている「いじめの内容」があまりに悪質で、犯罪の領域に入っているからだと思う。

http://uitakahyotan.blog.fc2.com/blog-entry-28.htmlを読んでみたが、私もこのブログに共感できる部分がほとんどない。

もちろん、加害生徒の実名や写真をネット上に公開することはいけないことだろうが・・・
正直なところ、私は、上で紹介したブログよりも、加害生徒の実名や写真を一時、公開してしまったデヴィ夫人のブログに共感した。(今現在、編集され、実名はイニシャルに、写真はなしになっているようだ)

伝えられている「悪質ないじめ内容」は証拠がない、不確かである、憶測である、事実ではない、というのは、もう通らない気がする。大勢の生徒たちが証言しているのである。しかも、アンケートに記名して答えている生徒も大勢いるのである。その多くの証言を「不確かで信用できない」とするのであれば、調査など最初から無意味である。記名してまで証言した生徒たちを信用しないといっているに等しい。が、信用できない理由は何も見当たらないのである。

加害者側に都合の悪い証言を認めないとするブログ主は、やはり加害者側の人間では?と疑われるのも仕方ないかもしれない。

あの悪質ないじめを行った加害生徒に嫌悪感を持つのは、人としての当然の心理かもしれない。
だから加害者の情報を明かしたデヴィ夫人のブログに賞賛を送った人が多いのだろう。
(反対に、デヴィ夫人の行為を批判している人というのはあまり見かけない。本来ならば「いけないこと」なのにだ。これは、かなりめずらしいケースだと思う。)

いつも加害少年は守られ、人権という名の下に、相応の罰を受けないことに対しての、多くの人の「怒り」が現れた気がする。

「偏った人権には大きな反動があるのだ」とつくづく思った。
「人権派」を名乗る人たちは、この現象を重く受け止めて欲しい。
加害少年のプライバシーを明かすことをいくら批判しても、あまり共感できないだろう。
それよりも、現在の「人権」は加害者側に偏り歪んでいることを認識したほうがいいかもしれない。結局は、今回のように加害者の人権も守れなくなるかもしれない。

また加害者側も、この現象を重く受け止めたほうがいいかもしれない。
自分たちの行為は、大勢の人の怒りを買う許されない行為だったと、分かったのではないだろうか。

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7月12日
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120712-OYT1T00833.htm?from=rss&ref=mixi

「川で溺れさせ、女子が動画撮影…高2一時重体」というニュースを知り
・・・もはや、いじめではなく犯罪。殺人未遂である。
こういった悪質ないじめは犯罪として、警察がどんどん介入したほうがいいと思った。犯罪行為は教師の手には負えない。

親御さんも、学校が頼りないと思ったら、早めに警察や弁護士に相談し、自分の子どもを守るしかない。
子どもはあまり話さないかもしれないが、子どもを説得し、証言させるべきかもしれない。
また「告発すれば、仕返しされるかも」「荒立てては、もっと厄介なことになるかも」「学校や地域にいづらくなるかも」と躊躇されるかもしれない。しかし、外部に告発し、表ざたにしたほうが守られることが多い。ストーカーやDVの被害も警察が介入すれば、大半はそれで収まるという。(中には、エスカレートする場合もあるかもしれないが)

なので、ここは警察を頼ったほうがいいかもしれない。警察も悪質ないじめ(恐喝、暴行、万引きなどの犯罪の強要など)は犯罪行為として、動いて欲しい。
加害者は厳罰に処して欲しい。(厳罰にしたからといって、犯罪=いじめの抑止力につながるのかどうかは分からない、と人権派の人は言うかもしれないが)

学校では「いじめの確固たる証拠がないのに、生徒を犯人扱いして、厳しく指導できない」と腰が引けてしまうだろうが、警察であれば、調査権限があるので、いろんな証拠を集められるだろう。悪質であれば立件できる。
もう今の時代は、警察が介入するべきかもしれない。いじめで障害を負わされたり、殺される場合がありえる時代なのである。

ちなみに、大津のいじめ自殺の件では、県警が動き、介入することになったらしい。
ならば、須賀川市の中学校柔道部女子部員への暴行事件(女子部員は脳に障害を負い、植物状態)も今からでも警察が介入し、当時の事件の真相を調べるべきかもしれない。警察が介入しなければ、事の真相を明らかに出来ないのかもしれない。(ただ、もうあまりにも時間がたちすぎたか・・・きっと過去にも、警察が介入するべき事件があったのだろう。学校が隠したため、表ざたにならなかった事件がたくさんあるのかもしれない)


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少年犯罪(大津市の事件より) [学校・教育・いじめ・少年犯罪関連]

今では「人権」という言葉に胡散臭さを感じる。

さて、大津市で起きた少年が関わった犯罪やいじめ事件について、気になった情報を紹介、関連記事をリンクします。(別ページに以前に記した関連内容も、こちらのページへ移動、転載します)

大津市の「皇子山中学校のいじめ自殺事件」の情報から、10年前に同じ大津市で起きた「少年によるリンチ殺人事件」のことも改めて目にした。

気になったのは、加害少年に対する大人たちの対応。
もちろん、それに対し「おかしい」と反論する大人たちもいたが、中には「?」な対応の大人もいたようだ。


http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-9f75.htmlより。

一部転載
【平岡氏(当時の法相)は、青木さん(少年らのリンチによって殺された被害者遺族)と一緒に出演した2007年6月のテレビ番組で「悪いことをした子供達にもそれなりの事情がある」と言い、被害者遺族の青木さんには「(少年たちに)死の恐怖を味わわせてやりたいってことですか?!」などと加害少年を擁護するような発言をしていました。】


転載終わり。

あまりに加害者側に偏った見方、そして被害者側を無視した見方、被害者を批判するような物言いに愕然とした。
これといった理由もなく、長時間暴行し殺人を犯した少年に、どういったそれなりの事情があるのか?
事情があろうがなかろうが、許されないことである。

こういう人が法相だったのか?と恐ろしささえ感じる。もちろん、4年後になって被害者遺族に謝罪をしたというが・・・4年後とは、また・・・


そして、当時16歳の青木悠さんに、1時間半にわたって暴行をし殺害した少年らに対し、軽い処分を下した裁判官の情報もリンクしておく。
http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/ootsushougaisha2.htm

この裁判官は「本件を検察官に送致することも考えられるが、少年には内省力があり、感受性も豊かで可塑性や教育可能性が認められることを考慮して、中等少年院に送致するのが相当である」としたが、少年院へ送られた加害者少年たちの手紙をみれば、とても反省しているようには思えない。

少年達は裁判では弁護士の指示に従い、反省した振りをするだろう。
しかし、本当に反省したかどうかは分からないのである。

よって、判決は、反省しているかしていないかではなく、純粋に犯した罪の重さによって、決めて欲しい。
「情状酌量」は、被害者側に何らかの落ち度がある場合のみにするべきだと、つくづく思った。


※それでは、以下、少年院から、加害者少年たちが友人へ送った手紙。

『ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ・・・・青木なぐったん、広まってるか。ここ出たら遊ぼう』

『元気してる?どお、オレがいない1ヶ月間!さみしい?おもんない?オレも早く出て○○ちゃんと遊びたいわー
!毎日、毎日、早く家に帰りたいなー!(中略)すげー家に帰りたいわ』

『オレな、前に○○ちゃんからの手紙になー、年少2、3年入ってなあかんなーって書いたやんかー!めっちゃブルーで、あー死のうかな?とか思っててんかー。でも、今日の朝のオリエンテーションのテープで、少年院に入ってる期間は、二年以内とわかってバリバリさあがんばるぞー!!って思ってん!(中略)オレきわどいねん!初等と中等の間やねんなー、むずいやろ?でも、初等も中等も二年以内で出られるらしい』

『普通なら、大津から飛ぶけど。オレは逃げもかくれもしないし。・・・・・オレな、出たら単車か車でちょっと琵琶湖一周でもするわ。・・・題して「自分を見つめるたび」ですわ。出てからも、ちょっと反省する旅です』


果たして、これが反省している人間の手紙なのか?

もちろん、罪を犯した少年の中には、ちゃんと反省し、償う少年もいるだろう。
しかし、このように反省をせず、犯した罪を軽く考え(いや、罪を犯したとさえ思っていないかもしれない)、社会を甘く見ている少年もいるのだろう。被害者のことなどなんとも思っておらず、償う気持ちなどさらさらなく・・・おそらく、また同じ罪を犯すのではないだろうか。
そして、再び、新たなる被害者が生まれる気がする。何の罪もない善良な者だけが人権を脅かされる。

「加害者の人権」によって、ほかの人の人権が奪われるのかもしれない。
「偏った人権」は不公平であり、ほかの善良な人たちの人権を損ない、奪うかもしれない。
加害者の人権だけ守られ、被害者の人権は奪われたままである。

加害者の人権のみが手厚い社会。
こういった不公正な社会は、反動がきて、歪んでいくような気がする。

軽い罰では、少年らも自分たちの犯した罪は軽いと思ってしまうだろう。
殺人も軽い罪だと、感じてしまうかもしれない。
これといった理由もなく、殺害しても、2,3年、ちょっと拘束されるだけで許される罪なのだ。それで「ちゃら」になると、彼らは思うだろう。

死刑でもってはじめて、人の命の重さを考えるのかもしれない。
軽い罰では、自分が犯した罪は軽い、簡単に許されるものなのだ、と思うだけである。


「いじめ自殺事件」のほうでは、まだ加害少年らは、直接的な殺人は犯してはいない。(ネットのウワサでは、加害少年らに突き落とされて殺害されたのでは?という憶測も飛び交っているが・・・)

しかし、ほかの生徒たちの証言によれば、凄惨ないじめがあったことが想像つく。
加害生徒が行った「いじめ内容」について、生徒達の中には、実名でアンケートに答えた者も多くいたようだ。これは確かな証拠だろう。実名でアンケートに責任をもって訴えたのである。

加害少年らは、事件後も反省する態度がなく、自殺した生徒の死を哂っていたという。
加害少年らにとって、人の命は軽いから、哂うことが出来たのだろう。

加害少年らは、自分たちがやったことに罪悪感もなく、罪の意識もないのかもしれない。
大人たちが「なかったことにしよう」「うやむやにしよう」とすれば当然だろう。
大人たちから、歪んだ方法で守られた加害少年らは、償う機会や反省する機会が与えられず、被害者の死を哂うその感覚のままでは、いずれは重犯罪を犯すかもしれない。

歪んだ人権は、加害者に「自分の犯した罪は軽いのだ」と誤解させ、償う機会や反省の機会を奪うのかもしれない。

だが、ネットでは、加害少年らの実名、写真が出回り、社会的制裁を受けているようだ。
問題ありだ、と言う人権派の人もいるかもしれないが、ひょっとしたら、これにより加害生徒は自分たちがしでかした罪の大きさを感じるかもしれない。厳しい罰があって、はじめて、自分が犯した罪の大きさに気づく子どももいるのかもしれない。

また、厳しい罰は、犯罪の抑止力につながることもあるかもしれない。厳しい罰は、善良な子どもを守ることにつながるかもしれない。

そして最初から加害者たちに相応の罰が科せられていれば、償いと謝罪の機会を与えられていれば、ネットでここまでの制裁は受けなかっただろう。

あまりに加害者側に偏った人権は、善良な人たちの人権を奪い、社会を歪ませていくのかもしれない。その反動から、結局は、加害者の人権も守られなくなっていく気がする。


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モンスターペアレント? [学校・教育・いじめ・少年犯罪関連]

「教師が生徒の親(モンスターペアレント?)を提訴」した件について。
追記その2

別所でも同じ話題で記事を載せてたところ、このような書き込みがあったので、紹介する。
では他の方からの意見・・・以下、コメント全文コピペ

ーーーーーーーーーーーーーー
先生が間違っていると思います

どの仕事にもクレーマーなんてご極少数だけど存在するんです
みんな適当にあしらうか…話し合うべき部署に持っていって解決方向に向かうんです
この教師はちょっとおかしいのではないでしょうか?
第一この先生が裁判起こしたせいで子供はいじめられるようになるのも論外です
先生辞めてから裁判起こすべきでしょうね

ーーーーーーーーーーーーーー
コピペ終わり。
では、私の意見を述べます。

まずは、これによって「この生徒がいじめられるのではないか」という点と、先生が提訴した件は別々で考えたほうがいいと思った。

生徒が不利益を被るかもしれないからといって、実害を被った先生が我慢しないとならないというのは偏っていると思う。

提訴によって、生徒側が傷つくというのであれば、それは別に対処したほうがいいということである。
生徒が傷つくから、先生は提訴が出来ない、というのはおかしい。先生にも権利がある、ということを生徒側が知るいい機会だと思う。

そう、弁護士が提訴できると判断したということは、少なくとも、先生は実害を被ったということだ。
実害を被らなければ、提訴できないのだ。
一般の会社の、客からのクレームとは質が違うのだろう、と思う。

また、先生や学校側が、生徒側から何をされても社会的に訴えることをせず、我慢することは教育上も良くないのでは、と。
生徒側は「なんでもまかりとおる」と勘違いしてしまったまま、社会常識を学習する機会を失ってしまう、と。

では、いちおう、私のレスコメントもコピペします。

ーーーーーーーーーーーーー
この学校には「クレーマからの苦情を解決する部署」がなく、学校が、この先生の提訴を認めたということで、もしも先生側が仕事に支障をきたすほどに、この親御さんから妨害を受け、話し合いでも解決に至らなければ、提訴という方法もありなのでは、と個人的に思います。

この教室の生徒数は分かりませんが、1人の先生が40人の生徒の面倒をみなくてはいけないので、先生側にも限界があると思います。

生徒の親から、どの程度の嫌がらせを受けたのかはわかりませんが、
生徒側に権利があるように、先生側にも権利があるということを、知らせるためにも、提訴はありだと思います。
そこで、はじめて第三者の中立な立場からの「意見」「考え」を聞くことができるのですから。


ーーーーーーーーーーーーー
追記その1

ある大病院で、初めて受診する前に、こんな紙を渡された。
内容はこんな感じだった。
「治療方針など、納得できなければ(モンクがあるなら)、ほかの病院へどうぞ」
「医師、ほかの患者に対し迷惑行為をした場合、今後2度と診ない(ブラックリストにのせる)」「場合によっては警察に通報する」

そして、必ず、リスクを説明し、最後には治療方法など、患者に選ばせる。
「どうしますか?」「やめてもいいですよ」と。 「あなたが決めてください」と。

理不尽な患者から病院スタッフを守るためなのだろう。

「ほかへ行ってください。うちでは面倒はもうみることはできません」
最終的にそう言えれば、理不尽なことを言う人も減ってくるだろうけれど、公立の学校では、それも言えないから、なかなか難しい。
なので、教師側からの提訴もあり、なのでは、と思う。

勝手な想像だが、最初から、教師に不信感しか抱いていない親御さんが増えているのでは、と。(もちろん、不信感を抱かせてしまう教師もいるのかもしれない。)

ならば、何を話し合っても無駄かもしれない。
不信感を抱いている人間に対し、何を言っても、どんなことをしても悪く捉えられてしまうからだ。

なので、不信感しか抱けない人間に対し、離れるのが一番なのだけど。

公立学校だけはそんなわけにはいかないだろうが、どうしても担任に不信感しか抱けないというならば、ほかのクラスへ移動、転校できるような、人が動けるシステムがあってもいいのかもしれない。

ほかのクラスへ移動しても、学校を替わっても、やはり担任に不信感しか抱けないとなれば、それは本人(親)にも問題があるかもしれない。
(クラスを替える、学校を替えるとなると、「なにか問題があったから替わるのか」と周囲から色眼鏡で見られ、結局は上手く行かないってこともありうるけれど)

教師に問題あるならば、ほかの生徒も「被害」を受けているはずであるし、不信感を抱いているだろう。

ただし、それが「被害」なのか、それとも生徒側の「勝手な我がまま」なのか・・・

両者の話に耳を傾け、それを判断する第三者(学校側でも生徒側でもない中立な立場の者)が必要なのかもしれない。

・・・と思ったのでした。

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いじめ問題 [学校・教育・いじめ・少年犯罪関連]

■自殺した小6の女子児童の件で。

女子児童は、皆が友達同士で給食を食べる中、ひとりぼっちだったとか・・・

それにしても「ひとり給食」は辛かっただろう。
私も学生時代、早く仲の良い友人をつくらないと、早くグループの中に入らないと、というプレッシャーがあった。
大勢の中で、ひとり孤立してしまうことを大変、恐れた。それは今の子どもも同じだろう。

ただ、この件では、クラスの生徒達は担任の言うことを聞かず、学級崩壊していたと聞いたけど・・・

マスメディアや親から叩かれがちな先生に「指導力」を期待するほうが間違っているかもしれない。

今は、先生と生徒は対等だ、ということで、教壇もなく、 卒業式に歌われていた「仰げば尊し」もおかしい、と言われ、歌われなくなり・・・
ほんのちょっとした体罰も禁止となり、一方、生徒からの暴力には耐えないとならない先生。 対等どころか、先生のほうが「下」になる場合もある。

なのに、なにかあれば「先生や学校のせい」にするというのも、なんだかな・・・と思った。
もし、先生と生徒が対等な立場だとするのであれば、いじめた生徒が責任をとるべきだろう。

先生に頼ってはいけないのである。
先生に守ってもらいたければ、「それなりの力」を学校と先生に与えないと、無理かもしれない。

もちろん、多々ある学校問題では、教師にも問題ありの場合もあるので、「生徒だけが悪い」とも言い切れないかもしれない。
ある「いじめ事件」では、担任の先生が率先していた、ということもあったようだから。

それでも、学校では「先生の言うことを聞くこと」をまず基本にしないと、クラスを運営していくのは難しい・・・それには先生は「立場上は生徒の上」であることを親や世間が認めたほうがいいように思う。

なのに、なにかあれば、まず校長と先生が責め立てられ、校長をはじめ、先生達が頭を下げまくる姿をみれば、子どもはますます「学校と先生を見下す」ようになるかもしれない。

責任をとるのは、まず「いじめた生徒とその保護者」にしないと、 「いじめても、責任は学校と先生にあり、学校と先生のせいとなる」と子どもは高をくくるかもしれない。子どもは責任をとらなくていい、と思ってしまうかもしれない。

子どもは「自由を制限されるべき存在」であるかもしれない。
自由は、必ず「責任」とセットだからだ。

私が小中学生だった頃は、給食は自分の席で、あるいは決められた班で食べさせられた。好きな友達と一緒に自由に、というのは許されなかった。

遠足などで一緒に行動するグループも、決められ、バスの席も決められ、自由はきかなかった。

そのかわり、あぶれる子もいない・・・
ひとり残されるという子もいなくなる。

少年法はじめ、子どもは保護されるべき存在で、子どもは責任を取らなくいい、とされる社会において、自由は制限されて当然・・・かもしれない。
責任はとらなくていいし、強制されず自由に振舞っていい、というのは、まかりとおらないと思うのだが・・・
そして、学級崩壊で、損をするのは、結局、生徒自身なのである。

また、ひとクラスの生徒の数をもっと減らせば、とも思う。
教師の仕事はかなり過酷で、授業だけではなく、いろんな書類作成にも時間がとられ、休みがほとんどないと聞く。
忙しい中、生徒ひとりひとりを見ていくには、あまりに時間がなさすぎ、余裕もなさすぎ・・・
せめて担任する生徒の数を減らせば、もう少し余裕ができるのでは、と。
過酷な勤務の中、40人もいる生徒に目を配るのは難しい。

20人が理想だと知人の教師は、言っていた。
民主党も子ども手当てでばらまくのではなく、学級の生徒数を減らし、教師の数を増やして欲しい・・・そういったところに税金を使って欲しいと思うが・・・


私の世代は・・・意味の無い校則=規則に縛られ、強制されることに反発し、対等であること、自由であることは素晴らしい、とついこの間まで思い込んでいた世代かもしれない。少なくとも私はそうであった。
けど、それはちょっとでも行き過ぎれば、無秩序となり、とても過ごしにくくなる。そして弱者が犠牲となり、多くの人間にとってマイナスとなる。

私は、中学生の頃、教師の力がものすごく強かった学校と、先生に力がなく、すでに校内暴力の芽というか学級崩壊しかかっていた学校を経験した。どちらが過ごしやすかったか、というと、校則に縛られていたが教師の力が強かった学校のほうである。

それでも・・・「自由」を歌う尾崎豊が流行り、自由は素晴らしい、と能天気に思っていた。
保護を受けている身であれば、自由は制限されて当然なのだ、ということに気づかないでいた。
そして保護してくれる人とは「対等関係」にはなりえない、ということにも。保護してくれる人から何かを強制されるのも当然なのだということにも。

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