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こんなの家庭じゃない?>山口智子と唐沢寿明 [人生・生き方・生活・人間関係]

前のほうで「夫婦円満」をテーマに山口智子の記事をネタにしたけど・・・人によっては「まったく参考にならない」「普通はこんなに自由にできない」「夫婦生活、結婚生活とは言えない」「主婦はこんな気楽じゃない」「ママゴトもいいところ」とカチンとくるところもあるようだ。

山口智子のインタビュー記事http://news.mynavi.jp/news/2015/04/02/003/より一部抜粋

【「凝ってあらゆる料理を作った」という手料理で、まるで「毎日が誕生日会」のように連日知人を招いていたことも。ところが、5年ほど経過した頃に「プチッと燃え尽きちゃって」。今は週に1~2回程度で、ほとんど料理をすることはなくなったという。】

転載終わり。

たしかに普通は『プチっと燃え尽きたから』といって、料理をほとんどしないですませられる、それが許される人というのは、まあいないだろう。唐沢さんはそれを許しているが、一般の男性は許さないだろうし、もし子供でもいれば、完全にアウトだ。

そこでちょっと考えさせられた。

結局、「運」も大きいかもしれない。伴侶が『唐沢さんだから』というのも大きいかもしれない。ほかの男性なら許さないかもしれない。

ま、料理は、別に女性の仕事でもないし、男性がやってもいいのだし、やらないですむなら、やらなくてもいい。
家庭料理を求めて結婚したわけでもないのだろう。

唐沢さんも毎日、家に帰ってくるわけではないだろうし、家庭料理にこだわらない、外食OK、むしろプロが作ってくれた料理の方が美味しいだろうし、毎日外食できる経済的余裕もある。

山口さん自身かなり稼げる人だ。一時期、テレビ界からは姿を消したけど、仕事をしようと思えば、引く手あまた。唐沢さんに養ってもらっているわけではない。

すれ違い、一緒にいる時間はほとんどない、結婚した意味がない、ということで離婚した人もけっこういるけれど、あまり顔を合わせないからこそ、一緒にいる時を大切にできる、ということで夫婦円満を保てる場合もある。

そこに家庭料理があるかどうかも関係ないのだろう。

これはもう人それぞれ、相性の問題かも。
相性がいい相手と結婚できた、というのも「運」かもしれない。(相性がいいかどうか、付きあっているときには分からないことも多い。一緒に生活して初めて分かるのだろうから)

幸福感を持てるかどうか、気の持ちよう、プラスに考えることができるか、マイナスに捉えてしまうか・・・だけど「運」も作用するかも、と思ってしまった。

山口さんには子どもがいない、あえて持たなかったのか、それとも欲しかったけど叶わなかったのかは分からない。
けど子どもがいない自由気ままを満喫し(子どもがいないことをプラスに捉えた生き方)、幸せを追求する生き方もあっていいのだ。

しかし、こういった「子どもがいない既婚者」または「独身者、未婚者」は、「ちょっと不幸であってほしい」「幸せアピールしてもウソっぽい」と思う人が、いたりするようだ。
自由気まま=苦労してない=いずれ、そのツケがくるに決まっている=老後は寂しい・・・と、こんな図式を描いているんじゃないだろうか。

そこで、ホリエモンの「今を生きよう」「将来のことをあれこれ心配するのは無駄」「将来どうなるか、誰にも分からないのだから」「将来の不安を払拭しようと、今を我慢するのはやめたほうがいい」を思い出す。

山口さんも「無理せず、気持ちよく過ごしている=今を生きている」のだろう。それが「できる立場にいる」のだから、それでいいのだ。

普通は「我慢する」「無理せずなんて気楽なこと言ってられない」「みんな、耐えてがんばっているんだ」ということで、自由気ままな人に反感を持ってしまいがちだけど。

ただ我慢したからと言って、その先、幸せになれる、または将来安定が得られる、とは限らない。将来のことは分からない。

もち、我慢しないと今の生活が成り立たないのであれば、我慢するしかない。
我慢しないでやっていけるなんて、よほど運のいい人、恵まれている人。そんな人が幸せアピールしてもムカつくだけ・・・というのは、私もよく分かる^^;

けど「ガマン」はできるだけ回避しよう、我慢は美徳でも何でもない、我慢したからと言って幸せになるとは限らない。

しかし幸せになると信じて何かを我慢するのはあり、とは思う。

じゃなきゃ「ガマン」なんてしていられないもの。けど、しないでいいガマンなら、することないと思う。逃げられるなら逃げろ、と。しないでいい方法があるなら、そうしてもいいのでは、と。

プチッときて料理をしなくなった山口さん、逆にガマンして料理していたら、ストレスたまり、ダンナにもそのストレスをぶつけ、結婚生活は破たんしていたかもしれない。
世間の価値観に合わせることなどないのだ。

世間の価値観=家庭をもったからには家庭料理があるべき、外食ばかりなんて偏るし、愛が感じられない、そんなの家庭じゃない、子どもがいないと寂しい・・・なんだろうな。

たぶん、それは子育てがいかに大変か、とも言える。
でも、その「大変である先」には幸せがある。
それはそうなのだろうけど、逆に「幸せである」と思わないといけない空気をそこに感じる。
不幸だと思ってはいけない、思ったら人間失格みたいな・・・

だから「我慢しないで自由気ままに生きている人」は、世間的にちょっと「不幸であってほしい」のかもしれない。

まあ、「子供のこと」は置いておいて、「家庭料理」について。
家庭料理のない結婚生活なんてありえない、と思っている人のほうが断然多いだろうから、山口さんはほんとうにレアケース、ということは分かる^^;


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