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ピアノの練習について [音楽・ピアノ・ショパン・「音吉君のピアノ物語」]

久々に小学館からオンデマンドの印税の通知が・・・「音吉君のピアノ物語」を未だに買ってくれる人がいたんですね。ありがたいことです。

「音吉君のピアノ物語」は約20年前に、少年サンデーで連載したピアノ漫画です。
自分では、あの頃の「絵のド下手ぶり」を見たくないので、読み返すなんてことはないのですが・・・
>過去の作品というものは誰でもそういうものだと思います^^;

ちなみに「音吉君のピアノ物語」(全6巻)が欲しい方はこちらへどうぞ↓
小学館コミックス「音吉君のピアノ物語」オンデマンドのページ

ではでは・・・今回はピアノの練習について、書いてみようと思います。
(旧HPのピアノ関連雑記でも語ったことあり、内容は重複してます)

最近、ピアノの練習にいまいち熱が入らないので、こういった記事を書くことで、ちょっとモチベが上がったりします。

まず「音吉君のピアノ物語」で検索をかけてみたりすると・・・こんな内容の感想記事に当たった。
マンガの中の描写で「手の甲にコインをのせて、ハノンを弾く」というのがあり、でも実際に真似してやってみたら、手首がガチガチになって弾けなかったので、所詮マンガだな、と思った・・・というような^^;

けど、手の甲にコインを乗せて弾く、というのは、昔、実際にあった練習方法です。
もちろん、弾いている途中でコインは落ちます。
現在の私も落とします。コインを落とさないで、ある程度の速さで弾ける人は、まあ、いないでしょう。
けど、音吉君はやります。そこは「マンガ」です^^;

じゃあ、なぜコインを手の甲にのせて弾くなんてことをするのかというと、余計な動きをなくし、指の動きだけで打鍵することを、体に覚えさせるためです。小さい子ならゲーム感覚でできるでしょう。

まずは指の動きだけで弾けるようにし、手首が上下するといったほかの無駄な動きをなくす訓練を行います。

鍵盤に対し、手の甲は上下に動かさず、平行に移動する・・・この感覚をおぼえるために、コインを使うのです。

コインは乗せなかったけど、無駄な動きをせずに弾くことは、音高受験のときから音高時代に散々、先生に注意されました。

なので、コインをのせたからといって、手首に力が入ってガチガチになる、ということはありません。
力が入ってしまうのは、余計な力が入り、指のみで打鍵ができていないということです。

これは、もちろん、練習過程であり、最終的には腕や手首の動きも利用して、勝間さんじゃないけれど「効率よく」できるだけラクに弾けるように、もっていきます。

けれど、いきなり初級者や中級者に、腕や手首の動きを利用する弾き方を教えても・・・おそらく音の粒はそろわず・・・転んだり、びっこ(差別用語かもしれませんが、これ以外に思い当たる言葉がなく、申し訳ありません)をひくような感じになると思います。

指の打鍵のみで弾ける訓練は必要だと考えてます。そこで、音の粒をそろえることを学びます。それは必要な技術のはじめの一歩です。

音の粒をそろえることを、「機械的で音楽的ではないから不必要だ」なんていう人はいないでしょうが、全ての音を均等に弾ける=あえて機械的に弾ける=コントロールできる、というのは大切なことだと思います。

それには、まずは無駄な動きを排除することから始めます。

それができた後で、腕や手首の動きを利用した弾き方に持っていきます。

だから、指の打鍵のみでも弾けるモーツアルトの曲が初級~中級者に与えられます。
粒をそろえて弾けてない状態=指のみでの打鍵コントロールできていない状態で、いきなりショパンは(まあ「小犬のワルツ」くらいなら初級~中級者に弾かせますが)弾かせないと思います。

それにしても・・・私はチェルニー50番からショパンエチュードに進みましたが・・・ショパンエチュードは面食らいますね^^;
今までのエチュードと全然質が違う・・・ショパンは指の打鍵のみでは弾けません。

「ショパン」で、指と指がいかに無理なく広げられるか、というのに、ぶちあたります。
柔軟性が求められ、腕や手首の動きも利用し、できるだけ無駄な力を入れずに弾けるように練習します。

でも、最初はどうしたって、無駄な力は入ります。
それをできるだけ力を入れずに(全く力を入れない、ということは不可能です)、力が入ったとしても、どこかで力を逃し、ある程度抜けるようにします。

最終的に目指す技術は、自分の思うとおりに、速度も強弱もコントロールできることだと思ってます。それが「表現力」につながります。技術なくして【表現力だけある】というのは、ありえないと思ってます。

さてさて、以前の日記で、受験から音高、音大の時に「自分に合った師匠」にめぐり合えたおかげで、練習が楽しかった、というお話をしましたが・・・

私の師匠は、風貌は「野獣」という感じの、おおざっぱな先生でした。なにが一番だったかというと、教え方が具体的、論理的、科学的、そして「おおざっぱ」ときているので、練習曲が進む、進む・・・約1年でチェルニー50番を終えました。

他ではいちいち「暗譜」させる細かい先生もいたというのに、完璧を目指し、ノーミスを要求する先生もいたのに・・・
野獣先生は、ちょっとくらいのミスも気にせず、いえ、かなり大きなミスも気にせず、私自身が「これでこの曲を終わらせいいのか?もう1週間、練習したほうがいいのでは・・・」と思ってしまうほど、先生は「次の曲」へ進ませました。その練習曲が要求している「おおまかな技術」さえできていれば、次へ行けたのです。

ちなみに「ハノンは退屈なので、自分で適当にやっておけ」というのが野獣先生でした。本当にやっているのかどうか、確認もしません。

もちろん、退屈なハノンは・・・音高~音大時代、そして今に至るまで、私はやってません^^;
ハノンやる暇があったら、ショパンさまの曲を練習したいです。

野獣先生の、ほかの生徒さんの進み方を見れば・・・チェルニー50番の後はショパンエチュードへ行ける、というのはほぼ確定していたので、それはもうチェルニー50番を終わらせるために練習しました。こうなれば、いかに早く終わらせることができるか・・・ゲーム感覚で練習し、ポンポン曲が進むのでとっても楽しかったです。

技術を得るために、ゲームとして楽しむのもありなのでは、と思います。

芸術をゲームとして捉えるなんて不謹慎という考えの人もいるかもしれませんが・・・
そもそも、私に芸術性や音楽性を理解する力などなく、楽譜を見て、ようやく「こういうことか」と納得するのです。演奏を聴いただけではその曲を理解できません。

暗譜する暇があるなら、新しい曲を譜読みしろ、というのが野獣先生のやり方です。

小学生高学年の時と、中学1年の時に、音大の講師という他の先生に何度か習ったことありますが、教え方は「ダメ」「違う」「音が汚い」という言葉しか言わず、抽象的で、どうしたらいいのか分かりませんでした。

音が汚い、というのならば、なぜ汚いのか、どうしたらキレイになるのか、説明するべきです。
今ならそう思いますが、当時、小学生高学年だったので、本当に分かりませんでした。ただただ否定されるだけで、萎縮してました。もちろん、何も質問できませんでした。

ちなみに、音が汚かったのは、ペダルがにごっていた、ということでもありませんでした。

音をキレイにするには、どうしたらいいのか・・・今の私ならば、こう答えます。

まず単音のみで、音が汚い、ということはありえない、と思います。
単音を鳴らしたとしても、それは単なるピアノの音です。

重音などになっていくと、そこで初めて、音の強弱の配分をコントロールすることになります。

重要なのは「指の独立」です。
たいていは、ソプラノ(高音)とバス(低音)を強めに響かせます。
またはメロディパートを強め、伴奏はもちろん弱め、だけどバスだけ響かせる・・・もちろんメロディラインがすべて同じ強さの音では「機械的」になってしまうので、フレージングを考え、メロディパートの中でも音の強弱を変え、歌うような感じに表現します。どのように強弱をつけるかは、フレーズを理解すれば分かるはずです。

全部の音を同じ強さで弾けば、「うるさい」感じになり、いわゆる「音が汚い」ということになるのでは、と思います。

すべて音の強弱のコントロールによります。

「歌う」というのは、フレーズを理解し、音の強弱の配分をしていけば(たいていフレーズの最初の音は強調し、終わりは弱めにします)、「歌うような感じ」になると思います。

ピアノの音は、ハンマーのフェルトが、弦=ピアノ線に当たった音であり、それ以外にはありません。
音色を変えたいのであれば、物理的に、ソフトペダルを踏めば、音色は変わります。

ソフトペダルを踏めば、いつも弦に当たっているハンマーのフェルト部分がずれることにより、やわらかいフェルト部分が当たることによって「やわらかい感じ」になります。(ソフトペダルを踏まない通常の状態では、いつも弦に当たっているフェルト部分は硬くなります。よって「キンキン」した感じ、きらびやかな感じになります。)

指のタッチによって「音色が変わる」ということはない、と思ってます。ハンマーのフェルトのいつも同じ部分が弦に当たることによって、いつもの「ピアノの音」が鳴っているに過ぎません。
タッチによって「音の強弱が変わる」のです。

タッチも、結局は強弱のコントロールに過ぎません。

なので、科学的で理論的な野獣先生は【音色を変えるためのタッチ】というものにも、こだわってませんでした。
「音色変えたきゃ、ペダル踏め」でした。

強弱をコントロールしやすい、弾きやすいタッチという捉え方をします。
弾きやすいタッチ=曲の流れの中で、無理のない動き、無駄な動き、力を排除し、ミスしにくい動き、できるだけ力がいらない動き、ということになります。

強弱のコントロールも、まずは強い音が出せるようにします。「音のきれい、汚い」はその後です。

最初から、指の独立ができて、思うままに強弱がコントロールできる、なんてことは不可能です。
なので、そういったことがまるで分かっていない子供に「音が汚い」と怒っても仕方ないのです。

まずは強い音を、そんなに力をいれずに出せること、です。
それができた後に指の独立、強弱のコントロールを目指します。

指のみの打鍵もそういうことです。それが全ての弾き方ではなく、最初にマスターする第一段階です。
段階を踏んで、いろんなことを学んでいきます。
最初から、すべて要求するのは酷だと思います。まず脱落します。

そういう意味で、当時の自分に合った師匠にあたり、これは「運」以外、何ものでもないです。

レッスンで、ただ「違う」としか言わない先生もいたというし・・・
あるいは、いちいち暗譜させ、なかなか曲が進まず、結局、難しい曲をあんまりこなせなかった、練習できなかった、ということもあったのでは、と思います。

そうそう、こんな話も聞いたことあります。
ショパンのバラード一番の、あの最初の部分だけで、「あそこが音楽的に一番難しい」ということで、完璧を求められ、それだけでレッスンが終わってしまった、ということも・・・
いやいや、ショパンのバラード一番なら、最後のところをまず弾けるようにするべきです。
音楽的に難しい最初の部分は、歳をとってジイサンバアサンになって、勉強しなおしても遅くはないですが、技巧的に高度な部分は、若いうちにやっておくべきです。
若いうちでないと、そういった技巧は習得できないからです。

野獣先生が言っていたこと・・・
「モーツアルトはバアさんになってから弾け。まずはショパン、リストをやれ」です。

「自分はこれを弾きたい」という難曲も、野獣先生は「まだ早い」などと言わずに、やらせてくれました。逆に技巧的に簡単な曲はやらせてくれません。バアサンになってからやれ、でした。
適当なところで課題を終わらせ、完璧を目指さず、適当に次の課題に進ませてくれました。

というか、「完璧ということはない」が野獣先生の教えでもありました。「どれだけマシになるか」です。

なので、今は、ショパンのいくつかの曲を、マシを目指して、しつこくじっくりやっています。

ピアノの練習も、倫理的で科学的、効率よく・・・問題解決のためにどうするのか具体的に考え、実行することが大切だと考えてます。



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