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勝間和代VS香山リカその8(・・・今までの「勝間寄りの記事」をちょっと反省) [雑記]

「勝間和代VS香山リカ」お祭り記事がここまで続くとは・・・
けど、関心あるので、まだまだ語ってみる。

そーいえば先日始まったテレビドラマ「エンゼルバンク」に勝間和代さんがチラッと登場しましたね。
モーニングで連載されている「エンゼルバンク」は読んでいるし、テレビドラマもまあまあ面白かったし、「自分の市場価値」というものを考えさせられてしまいます。
で、モーニングの「エンゼルバンク」と連動して勝間さんのコラムが連載されていて(1月7日で、コラムのほうは連載終了したようだ)、それも面白く読んでいた。
おっと、そのへんについては、後半のほうでちょっと紹介するので・・・まずは・・・

今までの「勝間寄り」の記事を反省し、そのことについて書いておこうと思う。

そう、今回はちょっとだけ「香山寄り」だ。香山さんがなぜあそこまで香山さんにかみついたのか、分かった気がしたからだ。
けど、それは後半で詳しく語ることにしよう・・・ちょっと毒が入った内容であるかもしれないので。


さてさて・・・
「努力することは良い」「努力することを勧めて何が悪いのか?」と思っていたが・・・

本当に「努力できない人を見下していないか?努力できない人をダメだと言っていることにならないのか?」ということについて、ちょっと考えてみた。

「努力することは良い」「努力することは大切」って当然のことでしょ、と思うが、あえて考え直してみる。

「努力することは良い」と言ってしまうと、暗に「努力できない人はダメ」と言っていることになるのだろうか・・・

実は、以前、旧ブログのほうで、朝日新聞の「あんまり恋愛しない若者に恋愛することを勧める記事」についてちょっと反論めいたことを書いたことがある・・・

同じやり方で、このテーマもつっこんでみる。

そう「恋愛したほうが良い」という「恋愛」という言葉を、まず「結婚」または「子供をもつこと」に置き換えてみる。

「結婚したほうが良い」「結婚することは大切」
「子供をもったほうが良い」「子供をもつことは大切」

というわけで、これは書き方(言い方)によって(・・・そう、たとえば、「結婚してない人、子供がいない人」を暗に批判してしまったり、見下すような表現をしてしまったり、マイナスに捉えてしまったりして・・・)、「結婚、または子供をもつことができた人のほうが上」という感じがしてしまうこともあり・・・

けど、当然「しない人、できない人」もいるわけで、とくに「子供ができない人」に対し、かなり失礼なことを言っていることになる。

つまり、「恋愛したほうが良い」「恋愛することは大切」というのも大きなお世話ってやつ・・・ってことで、「朝日新聞の恋愛お勧め記事」を切った。
そう、、この「恋愛お勧め記事」は、恋愛しない若者をマイナスに捉え、暗に否定・批判していたので、私は「人の生き方を批判するとは傲慢」と思ってしまったのだ。
もしも「恋愛をしない若者」をマイナスに捉えることなく、批判めいたことを言わずに、単に「恋愛してみればいいのに」ということであれば、傲慢だとは思わなかっただろう。

で、問題は・・・「努力」も同様なのか・・・というのを、チラッと考えてしまった。
「努力したほうが良い」と言って、もしも努力しない者を批判していたとしたら、マイナスにとらえ見下す表現をしていたとしたら・・・「傲慢」ということになってしまうのかもしれない?

こういった「人の生き方」について論じる場合、対象を明確にしないといけないのかもしれない・・・「努力したほうが良い」と言う場合は、「今の自分に不満で、どうにかしたいと思っている人に」ということで、全ての人に対して言ってはいけないのかもしれないな、と改めて思った。

で、本当に欲しいものに対して、お勧めされなくとも、人は動く。

この「恋愛」に関して、若者が昔のバブル時代ほど恋愛にエネルギーを注がないのは、恋愛に対する優先順位が低くなっただけのことではないか、恋愛を最優先しない若者が増えただけではないか、と思ったが、それと同じことが言えるのかもしれない。

「べつに努力しなくていいじゃん」ということは、そこまでして欲しいものがないから、であり、
本当に欲しいものがあれば、それを手に入れる努力をするのだろう。

「恋愛」と同じで、「努力」もできればそれに越したことはないけれど、その人にとってはべつに最優先するべきものでもなく、必ずしなくてはいけないものでもなく・・・

どうしても欲しいものではない場合、それを手に入れるためにそれほどエネルギーをかけなくてもいい、とその人が判断しただけのことだ。

そのことを見下したり、批判するのはおかしい。

けど、恋愛しない自分(または「結婚しない、できない自分」「子供をもたない、子供ができない自分)って、やはり良くないのか、ダメなのか、劣っているのか、と劣等感もつ人もいるのと一緒で・・・
「努力できない自分って劣っているダメ人間」と自分を責め、欝になってしまう人がいるのかもしれない。

世間はやっぱり、恋愛したほうがいい、結婚したほうがいい、子供がいたほうがいい、と暗にメッセージを発している。
それらができてない人を暗に見下したり、「負け組」扱いしているのだろう。

「努力」も同じなのかもしれない。
努力ができない人を、「負け組」扱いし、暗に批判してしまっているのかもしれない。

それに対し、香山さんが反論したのかもしれない。

「努力することが大切」と当然のことを言って何が悪い?と思っていた自分だが、これも傲慢なことだったのかもしれない?
と、まあ、そんなことを思ってしまったのだ。



さてさて、後半は、もう少し・・・今度は、「実はかなり厳しい勝間さんについて」、いろいろ語ってみよう。
ここからは、かなり「毒」が入るかもしれない。

勝間本「起きていることはすべて正しい」を読んでみると・・・これにはちょっとキツイことも書いてある・・・
いや、この「勝間VS香山」がなかったら、そんなに気にならなかったかもしれない内容なのだが・・・

この勝間本には・・・
「親しくつきあう友人を、自分の成長(レベルアップ)に合わせ、ある程度入れ替えるほうがいい」
「メンタル筋力(=向上心があり心が鍛えられた人間力・精神力)の弱い友人とは距離をとりながら、フェードアウトして、新しい魅力ある友人へ時間を使おう」というようなことが書いてある。

つまり自分がレベルアップしたら、そのレベルに追いついてない友人とは距離をとれ(=切り捨てろ、と受け取っていいだろう)ということだ。



人とお付き合いするのに、切磋琢磨し、刺激し合い、お互い成長できるような関係がいい、ということで、それには自分と同レベル、自分よりちょい上レベルの人と付き合うほうがいい、よって、自分のレベルに見合わない友人は遠ざけろ=捨てろ、ということなのだろう。

この考え方・・・バブルの頃の、漫画家の故中尊寺ゆっこさんも、たしか同じようなことを言っていたっけ。

友人の顔ぶれが替わってないということは、自分の成長が止まっている証拠だと。
自分が成長するためにも上のレベルの人と付き合えと。付き合う人(友人)は取り替えろと。
そこまでしてレベルアップにこだわるのか・・・と、びっくりした。
こういうことが書かれた中尊寺さんのエッセイ(タイトルは忘れてしまった)を読んで、「・・・怖・・・」と思ってしまった。

もちろん、経済力や趣味、とりまく環境が違ってしまえば、友人つきあいは難しくなり、自然に疎遠になっていくものなのだろう。

刺激を与え合い、成長し合える関係は理想だろうが・・・

「今まで付き合いがあったけど、レベルアップした私に追いつけない友人や、刺激を与えてくれない友人はいらない」というようなことを堂々と言ってしまえるとは・・・すごい自信家だな、と思った。

まあ、でも、現実はそういうものなのだろう。

お互いレベルが違えば、(・・・経済力、容姿、人脈の広さ、ステータスあるとされる職業、趣味、知識、教養、会話の面白さのことなどを総合して、レベルが高い、低い、と位置づけるのだろう)、疎遠になる・・・

誰にでもよくある話である。
そして、全ての人とお付き合いするなんて不可能だから、「友人や恋人の取捨選択」は誰もが意識的にしろ無意識にしろ、やってしまっている行為だろう。

が、あえて「自分の利益にならない(=刺激を与えてくれない、レベルが低い)古い友人は捨てて、魅力ある友人と取り替えろ」というようなこと(少なくとも私はそう捉えた)を堂々と言われると、寒々しいものを感じてしまう。

負け組に入るレベルの低い私は、まあ切られるほうだろうから、余計にそう思うのかもしれないが・・・

けれど、恋愛でも・・・相手に飽きてしまい(刺激がなくなってしまい)、そして、新しい魅力ある相手が現れれば、古いほうを振る=切る、捨てることはよくあることで・・・そういうことと一緒なのかもしれない。


また、勝間さんご自身の性格診断(のようなもの)では・・・
【自分に厳しく、周囲の人にも厳しい。向上心のない人、努力しない人、適当なところで満足してしまう人を内心軽蔑している。「バカは嫌い」と思っている。目標が曖昧な人、行動力のない人、頭の回転が鈍い人を見ると、イライラして、内心では切り捨てている。】
・・・というような診断結果が出たらしい。

あくまで診断であり、勝間さんがそう言っているわけではないのだが・・・そういったご自身の診断結果を本に開示したということは、この診断は合っているということなのだろう。

勝間さんは、ご自身の性格診断結果を、友人でもある女優の黒木瞳さんに見せたところ、黒木さんは「(勝間さんに)飽きられないように気をつけなくては」と言ったらしい。

そう、飽きられないように、常にレベルアップを目指し、刺激を与え、魅力ある人であり続け、努力しなくてはならないのだ。
それができない人は、勝間さんにとっては「フェードアウトしたい=捨てたい人」であり、イライラさせられる嫌いな人なのである。

・・・なるほど、だから香山さんが「勝ち組になれなかった人を切り捨てている」というような発言をしたのかもしれない。

たしかに、これを読んでしまうと、「努力できない人はダメ人間。価値のない人間。切り捨てられて当然」という「強者の論理」という印象をもってしまう。
これは、そう受け取られても仕方ないだろう。

勝間さんが開示した性格診断結果・・・勝間さんが嫌う「切り捨てられる側の人間」すわなち「上昇志向と向上心がない人、適当なところで満足する人、頭の回転が鈍い人、努力しない人、努力できない人」は、これを読むと、あんまりいい気分ではないだろう。

それに、相手に飽きられないように努力することは大切かもしれないが、なんだかとても疲れそうだ。

もちろん、勝間さんが軽蔑する嫌いなそういった性質の人間はダメだ、とは書かれてない。ただ勝間さんにとっては「嫌い」なだけである。

が、勝間さんは「そういった人はダメ人間、価値のない人間だ」と暗にほのめかしている、と捉える人はけっこういるかもしれない。

で、勝間さんが嫌っている要素すべて、私にも当てはまる^^;
(ちなみに、私は頭の回転は鈍い。時間をかけて文章は書けるが、その場でパパッと意見を言ったりすることが苦手=頭の回転は鈍いのだ。反応も鈍い。おまけに老化のためか、ますます頭が悪くなってきているし、行動力もなくなってきている。成長どころか維持するのも難しく、レベルダウンの道を歩んでいる)

けど、勝間さんを責める気はない。

自分が面白くないと思うような人間、一緒にいてつまらない人間、嫌いな人間とはあんまり付き合いたくないのは当然だ。自分にとって嫌いな人間の評価は低くて当たり前だ。

勝間さんや中尊寺さんの場合、嫌いな人間や遠ざけたい人間が「向上心のない努力しない人」「頭の悪い人」「レベルが低くて、刺激のない魅力のないつまらない人」ということだ。

ちなみに、タレントの神田うのさんは「ブス(=容姿が劣る人間)が嫌い」らしい・・・(かなり昔だけど、テレビでそう言っていた^^;)
男性一般、美容至上主義の美容に努力を惜しまないおしゃれな女性なども、そういったことは堂々とは口にしないけど、本音ではそう思っているのかもしれない^^;

そーいえば、勝間さんは「女はキレイが勝ち」という本も出しているが・・・
この「起きていることはすべて正しい」にも・・・「すべてが顔の美醜で決まるわけではないが、運の良い人は心も見た目もきれいなことが多い」「心も顔もきれいな人と一緒にいたいと思う」というようなことが書かれている。

現実、そうなのだろう。
容姿に優れている人は、周囲からもかわいがられ、よって自信ももてるので、何事にも臆せず、愛されて育つため性格が良く、よって、運にも恵まれやすいだろう。

つまり、反対に、容姿が良くない人は、周囲からバカにされたり、異性から無視されがち、よって自信がなく、卑屈になりがちで、いじけたり、性格も悪くなり、運も悪くなる、ということなのだろう。
(もちろん全部が、というわけではない)

いやあ、容姿に恵まれない私には耳が痛い^^;
若いときは、やはり私も卑屈気味で、おそらく周囲の人たちも気分を害していたのでは、と思う。

卑屈な人間は、たしかにイライラさせられる。ネガティブオーラであふれ、周囲の気も下げる。
私も、あまりお付き合いしたくない。
・・・いや、自分も卑屈だった頃を思って、そういった人を仲間はずれにしてはいけない、と、付き合いを切ることをしなかったら、大変な目にあった・・・卑屈な人間は、実は「自分を認めてほしい」ので、ちょっと気を許すと「自分を分かって欲しい」と辟易してしまうほどしつこくつきまとい、不快なことまでしてくるようになる場合がある。「どうせ私は嫌われ者」ということで開き直り、いやがらせをする人もいる。卑屈な人間と付き合うことは、ハイリスク、ノーリターンであり、百害あって一利なし、である。

なので、いい人ぶらずに、自分に正直になったほうがいい。嫌いなものは嫌いで仕方ないのだ。

嫌いな人=軽蔑する人=自分の気分が害される、不快な思いをさせられる可能性が高い人、ということで
「卑屈な人が嫌い」「バカは嫌い」「努力しない人は嫌い」「向上心のない人は嫌い」「つまらない人は嫌い」「ブスは嫌い」という人がいても当然だし、責めることはできない。

が、「頭の回転が鈍い人が嫌い」「努力をしない人は嫌い」「向上心のない人は嫌い」「自分のレベルに合わない人は遠ざける」「友人を自分のレベルに合わせて入れ替える」と堂々と言えるのは、ある意味すごい。
普通は、「では、そういうあなたはどうなんだ?何様?」と返されてしまうからだ。

でも、勝間さんや中尊寺さんは、ずば抜けて頭が良く、努力家であり、向上心もあるから、レベルの高い人間であると自負しているから、言えたのだろう。
神田うのさんは、容姿が良く、本人も「自分は美人だ」と自負しているから言えたのだろう。
勝間さんも中尊寺さんも神田うのさんも、周囲の人間もそれを認めているから、自信をもって言えたのだろう。

そして、「嫌いなタイプ」を公言しておけば、それを自覚している人、自信のない人は最初から寄ってこないし、
逆にお付き合いしたいタイプ・・・「頭がいい、向上心があって努力家、レベルが高い」「容姿も上位」と自負している人が寄ってくるので、効率がいいだろう。

もちろん、「何様?」と反感買われることもあるだろうが・・・
それだけの自信は、持って生まれた才能や資質のほか、人並みはずれた努力があってこそ、持てるものなのだろう。

とくに勝間さんは小さいときから、自分にも厳しかったようだ。
いつもテストは80点~100点であり、最低80以上でないと気が済まず、それ以下だとパニックになったという。あまりのパニックぶりに、先生が勝間さんにだけ特別に再試験してくれたという。
親が子供の勝間さんに「80点以上とれ」と強いたわけではなく、ただ「80点以下」の自分が許せなかったのだろう。パニックになるほど・・・

自分自身にとても厳しかったから、いろんなものを努力で勝ち取っていったから、それが今の自信につながっているのだろう。それだけの努力をしたのだから、社会的に成功し、周囲が認める存在感ある人になれたのだろう。

というわけで、こういった成功者から嫌われる要素を持ってしまった人(私を含めて)で、さらに、周囲に好かれる努力や認められる努力をすることに消極的な人は、成功することなど夢見ずに、周囲の人につきまとわないで、ひとりで楽しめるなにかを見つけ、適当なところで満足するのがいいかもしれない。

勝間さんの言うことも正しいのだが、その勝間さんは「頭の回転が鈍く、適当なところで満足し、努力を怠る人が嫌い、軽蔑する」と提示したのだから、そういう性質の人は、勝間さんのやり方は合わないと思ったほうがいいかもしれない。
勝間さんが遠ざけたい人=切り捨てたい人=勝間さんが軽蔑し嫌っているタイプの人は、勝間さんの「成功を導く方法」はあまり参考にならないかもしれない、ということだ。

もちろん、周囲に認められ、周囲に好かれる努力を続けることができるならばすればいいと思う。人に好かれたり、人が自分を認めてくれれば、幸福度ってやつは上がるだろう。

けど、そういう努力は面倒だ、疲れる、適当でいいじゃん、という人は、「面倒なこと」よりも、「お気ラク」を選んだということだ。それはそれで面倒なことから解放されて、幸せかもしれない。
その代わり、「自分を認めてくれ」という周囲への期待は捨てたほうがいいかもしれない。
世間一般の価値観から距離を置き、気にしないことだ。

私も、昔ほど「認めてほしい気持ち」はなくなり・・・というか、どうでもよくなった分、とてもラクである。マイペースでトロトロ生きている。

周囲の人のために「価値のある面白い魅力ある自分」であり続けることを努力しない、人からどう思われてもあんまり気にしないということは、ある意味、自分勝手な冷たい人間かもしれないが・・・(なので、勝間さんはそういった人を嫌うのかもしれない)

ま、そういった努力をあんまりしない、ということは・・・
人に好かれること、人に認められること、あるいは、成功すること、世間一般で言われる勝ち組に入ることを、優先しなかっただけなのだ、と思う。

そもそも人生に価値や意味を求めてはいけないのかもしれない。
求めたい人は求めればいいが・・・どうだっていいじゃんかー、と・・・「しがみつかない生き方」とは、こういったことかもしれないと思った。


ところで、勝間さんのこの「起きていることはすべて正しい」の感想は、というと・・・読みにくく、いまいち面白くなかった。

が、勝間さんは本の批評では、お薦めしたい本のことは書くが、もし面白くない本があっても批判はしないという。それは、面白くないと思っている自分の理解力が足りないのが原因かもしれない、勉強不足だから面白く感じないのかもしれないから、ということで、批判はしないのだと言う。

よって、この「起きていることはすべて正しい」も、私の理解力が足りず、面白く感じなかっただけなのかもしれない^^;

でも、「断る力」は面白かった。読みやすかった。分かりやすかった。参考になるところがとても多かったと思う。


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補足

ちなみに、勝間本「起きていることはすべて正しい」には・・・「結婚したほうがいい、子供をもったほうがいい、そのほうがメンタル筋力(とりあえず精神力と受け取っていいだろう)が上がる」と、「結婚すること」を勧めてはいるが、結婚しない人に対して批判はないので、「結婚お勧め」に関しては、素直に受け取れる。

ただし、勝間さんのコミック雑誌「モーニング」のコラムでは、「35歳以上で結婚できてない人は、そのまま結婚できず、だんだん仕事にしがみつくようになり、職場の化石になる可能性が高くなる」と言って、
「35歳過ぎて結婚しない人」を、「このままではダメな人間になってしまうかも」と暗にほのめかしていた=批判していた、と捉えることもできる・・・

が、私個人は、この勝間さんの「結婚お勧め記事」については、べつに「大きなお世話」とも「35歳以上の結婚してない人に対して失礼」とも思わなかった。
それは、結婚しないデメリットや結婚のメリットを説いただけで、結婚しない人を見下していると感じなかったからなのだけど・・・でも、見下している、大きなお世話、と感じた人もいただろう・・・

まあ、このへんは感覚の問題なのか、自分でも説明できないのだが・・・
でも、ここではあくまでも「努力すること」について語っているので、話はここまでにしておこう。

ちなみに、モーニングのコラムも、私個人は面白く読んだし、「結婚」についても、「そういう考えもあるかもね」くらいな感想である。

参考までに「勝間和代さんの結婚おすすめ論 35歳独身限界説」→http://morningmanga.com/katsuma/091105.html


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悪乗り余談

バブルの時代、「私の稼ぎは時給に直せば高いのだから(あの時代、それこそ数万円単位だ)、それに相当する魅力ある人間と付き合いたい」などと言う人もいたようだ。
・・・数万円の時給に見合う人とお付き合いできる人は、レベルの高い人に違いない・・・

そう、時給数万円の俺様と付き合える君も、時給数万円レベルの高い人間ってことなのさ♪

さてさて、時代は変わり・・・今の不景気になった時代の、そういった人たちの時給はおいくらかな・・・

ま、私は、そういった人たちの時給分の価値(たとえバイト程度の額だとしても・・・)はないし、きっと「時間返せ」と思わせてしまうだろうから、時間をとらせてお付き合いさせるのは大変申し訳なく、最初から遠慮するようにしてますが。


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