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勝間和代VS香山リカその9(ドラゴンボール・・・で語ってみる) [雑記]

この「勝間和代VS香山リカ」シリーズも、「その9」まできてしまった。
ここまでしつこく、ひとつのテーマについて書き続けてきたとは・・・^^;

これというのも、勝間さんのキャラが立っているから、だろう。
「勝間自伝・・・勝間和代はこうしてレベルアップしていった」というマンガにでもしたら、面白いかもしれない。主人公が成長していく物語は、マンガの王道でもある^^;

レベルアップし続け、やがてスーパーカツマーになり、それでも成長し続け、スーパーカツマー2になり、3になり、4になり・・・どこまでいってしまうのか、と心配になるほど、楽しませて欲しいものである。

ゴクウにべジータがいたように、勝間さんには香山さんがいる。
時にはライバル、敵でもあり、時には共闘して、ゴクウとべジータが地球を救ったように、この日本を良くしていこうと、日本を救おうと協力しあうかもしれない。

そして、べジータがゴクウを「お前がNo1だ」と認めたように、香山さんも勝間さんを認める日がくるかもしれない。

べジータがゴクウにしつこく食い下がったように、香山さんも、しつこく勝間さんに食い下がって欲しいものである。

え?べジータと香山さんはキャラがあまりに遠すぎるって?(いや、その前にゴクウと勝間さんも離れているだろう・・・)
しかし、今のところ、勝間さんのライバルは香山さんしか思い浮かばないので、香山さんにがんばってもらいたい・・・・・・つまり、主人公に対する最高のライバルという役柄ってことで・・・

ゴクウのファンも多いが、べジータファンも多い。もしかしたらべジータのほうがファンが多いかもしれない。
ゴクウが「精神的弱さ」というものがない一方で、べジータは弱さやみっともなさも見せた。ファンの共感を多く得たのは、べジータのほうだったかもしれない。

ということで、香山さんには、スーパーカツマーに対し、ぜひ、スーパーカヤマーとなってほしいのだ。

スーパーカツマーもスーパーカヤマーも、どっちもがんばれ・・・
いや、カヤマーに対しては、がんばりすぎるな、ということで。

・・・で、スーパーカツマーとスーパーカヤマーは手を組んだらいいと思う。

もちろん、これは私の勝手な妄想だけど・・・
もし勝間さんが香山さんをも取り込み(まさにゴジータだw)・・・手を組んだら、補完できて、さらにレベルアップするのでは、と思ったのだ。

勝間さんたち成功者が言う「レベルの低い人と付き合う暇があったら、その時間を別のことに使ったほうがいい。レベルの低い人間は遠ざけろ、付き合う時間がもったいない、自分のレベルアップのために効率よく時間を使え」・・・これは否定できない。
誰もが友人の取捨選択をしているだろう。気が合わなくなってしまった人、つまらない人からは離れ、気の合う人や魅力ある人と付き合いたいのは当然のことだ。
(ちなみに、勝間さんの場合、気が合う人というのは「頭の回転がよく、向上心があって、刺激的な人、目標をもって努力し続ける人、メンタル筋力がある人」ということなのだろう・・・)

切り捨てられるのが嫌ならば、自分のレベルを上げるか・・・それとも、あきらめるか・・・

そうそう、タイトルは忘れてしまったが、スピリッツに連載されていたある青年マンガで・・・
ネットのバーチャル世界にはまっている登場人物が、たしかこんなようなことを叫ぶのだ。
「現実をみろ。俺達はバーチャル世界にしか居場所がない=バーチャル世界でしか受け入れてもらえない。それが現実なんだ」(うろ覚えだが、こんな内容だったと思う)

なんか、分かる気がした。

引きこもりの負け組(と世間から思われている)の人がバーチャル世界にはまることを、世間はよく「現実逃避だ」というが、現実をよく分かっているからこそ、バーチャル世界しか居場所がない、そこでしか受け入れてもらえない、と現実を見ているのである。

でも、「甘えるな、まずは現実社会に受け入れられるように努力しろ」「単なる逃げ口実」と世間は思うだろう。勝ち組の人はとくにそう思うだろう。

が、努力しても受け入れてもらえない人もいるだろうし(・・・努力の仕方が間違っているから、結果が得られないのだ、というのは簡単だ・・・)、努力できない人もいるだろうし、全くやる気がでない人もいるだろう。

・・・努力しても「無駄な努力をして」と呆れられたり、努力している姿を嘲笑される、バカにされる、そして努力が全く報われない・・・そんな環境にいたら、もうどうでもよくなるだろうし、自信もなくなるし、逃げたくもなる。いや、逃げたくても逃げられない場合もあるだろう。精神的にも肉体的にも疲れてしまい、全く気力もでないこともあるだろう。

「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」とエヴァのシンジ君のように唱えても、やっぱりできないのだ。

でも、そういう人も、見下さないでほしい、否定しないで欲しい、というのが香山さんなのだろう。
香山さんは精神科医というお仕事上、そういった世間から「負け組」と称される人たちと接する機会が多いのだろう。

一方、あくまでも憶測だが、勝間さんは、そういった「負け組」の人とお付き合いしたことはないだろう。
だって、勝間さんは自分のレベルに追いつけない人たちを遠ざけ、自分のレベルに見合う魅力ある人たちを選んで、レベルの高い人としかお付き合いしていないのだろうだから・・・
(・・・このことについては「その8」の記事後半を参照するか、勝間本「起きていることはすべて正しい」を読んでみてください。)

なので、香山さんは「(勝間理論は)勝ち組になれなかった人たちを切り捨てている」と発言したのだろう。

切り捨てている、というよりも、もともと勝間さんの眼中になかった、と言ったほうが正しいかもしれない。
勝間さんの周りにはいつも「魅力的なレベルの高い人」しかいないのだ。レベルが低くなってしまった人は、勝間さんから遠ざけられてしまうのだから。
レベルの低い人=負け組の存在は、勝間さんの目に入っていないのだと思う。というか、勝間さんの目に入る機会さえなかったのだろう・・・(と、勝間本を読めば、そう推測してしまう)

(※何をもって、レベルが低い、負け組と定義するのか、というのは置いておいて欲しい。世間一般が感覚としてそう決め付けている価値観ということで・・・本来、人生の勝ち負けはそう簡単に決められるものではないだろうし・・・「幸せ」と同じ、「勝ち負け」も本人の気持ち次第で変わるものだろうから)

おそらく、勝間さんから見れば、そういった努力もしない負け組の人は、理解不能の別人種に思えるかもしれない。
なので、理解不能の負け組に対して、導く言葉、アドバイスする言葉などないのである。あったとしても、おそらく負け組には通じない。レベルが追いつかなくなった友人を遠ざけて、時間を効率よく使って生きてきた勝間さんは、負け組を肌感覚で知る機会がなかったのだから。

そこを香山さんは突こうとしたのかもしれない。

勝間理論は、ある一定レベル以上のすでに勝ち組の人間に向けられたものだと捉えていいだろう。
もちろん、「対象を絞る」のは当然のことなのだ。
逆に「誰でもやればできる」と、負け組の人たちを含めて万人に向けて本を書いてきた、考えを説いてきたのだ、というと無理がでてくるかもしれない。

が、これからは違う、負け組の人も眼中に入れて理論を展開する、考えを説いていく、ということであれば、私はぜひとも勝間さんを応援したいと思う。

実際、勝間さんは「結局、女はキレイが勝ち」という、今までの堅いタイトルの著書とは違い、ちょっとミーハー的なタイトルで本を出した。ごく普通の一般女性に向けて、勝間読者・勝間ファンを拡大したいという狙いもあるだろう。手っ取り早く、一般女性の注目を得るのなら、「お金を稼ぐ方法」「勉強や仕事ができる方法」よりも「キレイになる方法」を本のタイトルにちらつかせたほうが効果はあるだろう。まあ、本の内容は美容本ではなく、いつもの勝間本らしいが。

勝間さんの理想はやはり、「万人へ、勝間式の考え、やり方など、勝間さんの言葉が誤解なく伝わること」だと思う。
できるだけ多くの人が勝間さんに注目するようにしたいのだろう。

で、「万人」には当然「負け組の人たち」「勝ち組になれなかった人」「希望が持てず努力することを放棄してしまった人、あきらめてしまった人」も入るわけだ。その数のほうが断然多いだろう。

ちなみに、勝間さんはこんな本も出している。

勝間さんは日本社会をなんとかしたいと思っているようだ。(ご自分の活動を社会還元し、寄付の活動もしており、「稼ぐだけ」が目的の人ではないようだ)
もし本気で日本社会の改革したいと思っているなら、多くの人たちの支持が必要だし、勝間さんも「負け組の人」の本当の実情を知らないと、改革は難しいかもしれない。

だから、勝間さんには、負け組を知っているだろう香山さんが必要かもしれない。
勝間さんは残念ながら「負け組」を知らないだろう。だって、自分のレベルに見合わないと言って、そういった負け組を自ら遠ざけ、知る機会がなかったのだから、当然だと思う。(もちろん、机上で「負け組の人」を頭では分かっているのだろうけれど・・・)

そこで、勝間+香山、カツマー+カヤマーである。すなわちゴクウ+べジータ・・・

地球は決してゴクウだけの力では救うことはできなかっただろう。
べジータがいたからこそ、救われたのだ。

カツマー+カヤマー・・・2人で組んで、日本社会をどうにかしようと共闘したら、ちょっと違う展開があるかもしれない。

などという「マンガ的な展開」をついつい期待してしまうのだった。

しかし、聞いた話では、勝間さんはホームパーティの招待状を香山さんに送ったらしいが、香山さんは参加しなかったんだとか・・・
香山さんをそう簡単には取り込めないようだ・・・

まあ、ここで香山さんが勝間さんのホームパーティなんかに簡単に参加なんてしちゃって、その情報がメディアに流れてしまったら、「勝間VS香山」を楽しく見ていた人たちも「やっぱり敵役を演じていただけで、裏では手を組んでいたのか」とシラケてしまう。せっかくの「敵役同士」という最大の売り要素が、これから使えなくなってしまう。

が、ここは頭のいい勝間さんのこと、じっくりと時間をかけて、うまく香山さんを取り込む戦略を考えてくれるだろう。勝間さんならば、きっとやってくれるだろう。

そう、べジータだって、最初からゴクウに協力的ではなかったのだ。

でも、べジータがゴクウを認めたように、カヤマさんもきっとカツマさんを認めてくれる日がくるだろう・・・

がんばれ、カツマー、お前がNO1だっ

・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・ああ、ついつい、またDBしてしまった・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーー
追記その1

ま・・・
世間はいつも人の行き方にケチをつけ、「今のあなたの生き方はそれでいいのか?今の自分のままでいいのか?充実していると言えるのか?」と問い、
「このままでは将来どうなるのか、悲惨な未来がまっているかも・・・」と時には不安をあおりながら、時には「こうすれば幸福になれる」と欲望を刺激したりや安心感をちらつかせ、
「勝ち組になれる方法」「稼げる方法」「結婚できる方法、モテる方法」「痩せる方法、キレイになる方法」「いつまでも美しくいられる方法」「若さを保てる方法」「健康になれる方法」「ワンランク上のあなたになる方法」といって、商品を売りつけることは、昔から行われていることなのだろう。

適当なところでやめておく、というのが、ごく普通の人にとっては一番手堅い生き方で、そこそこ幸せでいける、のかもしれない。
でも売るほうとしては、適当なところでやめてもらっては売れなくなるから、「もっと、もっと」と煽るのだ。
そして、次々と新しい商品が出てくる。

もち、それら商品が、自分の慰めになったり、原動力になったりして、人生が良いほうに変わったという人もいるだろう。
「もっと、もっと」はモチベーションになり、元気を与えてくれるだろう。
一方、ついていけなくなり、脱落する人、離れる人が出てくるのは当然だと思う。それが普通だとも言える。
欲望を膨らませても、いつかははじけるものなのかもしれない。
そして、レベルアップというヤツも、いつかはレベルダウンしてしまう。人間なのだから仕方ないのである。

無限に成長し続けられるのは、スーパーサイヤ人のゴクウだけなのだ・・・

いや、もしかしたら、いまやスーパーカツマーに進化してしまった勝間さんと、そんなスーパーカツマ人を目指す「真のカツマー」は別かもしれないが・・・

でも、ゴクウを目指しても、普通の人は、いいとこ「ヤムチャ」あたりまでだ。上手くいっても「クリリン」クラスだろう・・・

おっと、話を元に戻そう。
で、世間の価値観、メディアに振り回されず、自分の分をわきまえ、欲望を膨らませずに自分が本当に欲しいものにだけお金をかけ、ほかは浪費をせずに堅実に生きている若い人を、世間は「上昇志向に欠ける」「消極的」「覇気がない」などと批判することがあるが・・・
(もちろん、安定収入を得ることが難しくなっているのも理由のひとつかもしれないが)

一方、上昇志向が強いと言うが、その実、世間の価値観やメディアに影響受けまくり振り回され、欲望さえもメディアにコントロールされ洗脳されて消費(浪費)に走った世代よりも、ずっと賢いような気がする。

もち、その世代全員が、ということではない。その世代特有の雰囲気が、ということである。

今はエコの時代だ。
バブル時代は、質素にエコに生きる人を「冴えない人」とバカにし、嘲笑する風潮が一部にあったけど・・・今、そういう態度をとったら、ちょっと知性を疑われてしまうかもしれない・・・時代は変わったのだ。

そうやって価値観も変わっていくのに、価値観の違う世代を批判し、自分達のほうが時代遅れだと気がつかず、いつまでも時代の中心だと思い込んでいる・・・ま、人間社会とは、そんなものなのかもしれない。

そうそう、新聞広告で「不幸な国の幸福論」という本が目に入った。ああ、また幸福論か・・・と思いつつ、広告文に目が留まった。「幸せの理想型に囚われ、自ら不幸の種まきをしている」という文章に、まさに、この「勝間和代VS香山リカ・・・努力で幸せになれますか?」を思ってしまった。
香山さんの言うとおり「幸せの理想型=勝間さんのような生き方に囚われ、かえって不幸の種をまいてしまった人」がけっこういるということかもしれない。



と・・・なんだか前記事「その8」から香山寄りな感じになってしまったが、それまで勝間寄りだった「その7」まで語ったように、勝間さんの言うことももちろん正しいと思うのだ。

世間と全く隔絶し、一人だけで生きていくってことは不可能で、どうしたって他者と関わることになる・・・
だから、世間の価値観に全く囚われないで、他者に全く認められずに生きていく、ということは難しい。
他者の評価が必要なこともあるわけで、そういった評価はやはり欲しいだろう。

そこで、「今の自分に満足し(だって世界的に見れば、日本人というだけで恵まれているのだから)、あえて動かない、現状維持な生き方(・・・というか現状維持だけで精一杯と言う人もたくさんいるだろう)」をとるか、「やはり今の自分を変えたい、動いてみたい、努力して上を目指してみたい生き方」をとるか、である。
どっちが幸せか、ではなく、どっちの生き方が世間(他者)に受け入れられるか、評価が高くなるか、でもなく、自分が選びたい生き方を選択するのだ。

「現状維持で精一杯でこれ以上努力するのは無理だけど、変えたい」という場合も、気持ちが「無理」へ傾いているか、「変えたい」へ傾いているか、自分の気持ちに正直になって、どちらか選択するしかないのだと思う。
「迷う」ってことは、現状維持でもいい、ということだ。

また、あるときは「努力しても現状維持も難しくなり、どしたらいいか分からない」ということもあるかもしれないが、とりあえず落ちて復活をまつか、なにがなんでも現状維持を努めるか、だろう。これも選択だ。
これ以上落ちたら生きていけない、という場合は公に相談し、公のセーフティネットを利用させてもらうしかない。

中には、自分が望まない選択をせざるを得なかった、という場合もあるだろうが・・・
「望まない選択せざるを得なかった、と判断した自分」を選択したことになるのだ、と思う。

で、時と共に、選択は変わっていくのである。どうしても不満が募り、我慢できなければ、不満解消のために動いてみる=努力してみればいいのだ。
あるときは「現状維持」で、あるときは「動いてみる」、それの繰り返しでいいのでは、と思う。

ミクシーのある人の日記にこう書いてあった。
「自分が選択した生き方を自負しろ」と。

選択するには、自己分析が必要かもしれない。自分は何が欲しいのか、優先順位をつけられるか、である。
「それ」を手に入れるために動くのが面倒、動くのが怖い、自信がない、迷う、疲れて動けません、ということは、実は「それ」は自分にとってそれほど欲しいものではないのだ。必要なものでもないのだ。

もち、自分の気持ちに正直になって正確な自己分析してみるって、難しいかもしれない。世間の価値観も介入してくるし、メディアや周囲の人に洗脳されていることもあるだろう。世間と縁を切って生きていけないので、それも仕方ない。

なので、正確な自己評価もしたほうがいいのかもしれない。
まあ、このへんは勝間さんもおっしゃっている・・・過小評価になってもいけないし、過大評価になってもいけない、正確な自己評価をしろと。

そうすれば、自分が何が欲しいのか、それともそれほど欲しいものは特にないのか、分かるのかもしれない。

そして、「他の選択があったのでは」と迷うこともあるかもしれないが、では他の選択に切り替えるか、このままいくか、やはり選択するしかないのだ、と思う。

勝間さんの「やればできる」「目標をもって上を目指してみよう」という考えも、香山さんの「今のままでいいじゃないか」という考えも、どっちも必要だと思う。
勝間さんの「やればできる」に希望を持って努力してみたり、疲れたら香山さんの「今の自分でいいじゃないか」と現状に満足し、自分の現状に合わせ、その時々で選択していけばいいじゃんかーということで・・・カツマー+カヤマー(ゴジータじゃないけど、2人合わせて「カツヤマー」・・・になるのか?)でいいんじゃないかーと。

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追記その2

例のアエラに「偽カツマー」なる記事が出てましたな・・・勝間本「断る力 (文春新書)
」を誤読し、自分の都合のいいように解釈し、自分勝手に動き、職場を混乱させているのだとか・・・まあ「アエラ」なので、ある程度、脚色しているかもしれないし、そういった人は「勝間さん」に感化されようがされまいが、以前から「困った人」だったのでは、と思うのだが・・・

勝間さんの言っている「断る力」とは、おそらく「交渉力」だと思う。
なので「断る力 (文春新書)
」の言っていることは、とても参考になり、いい本だと思う。
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