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勝間和代VS香山リカその4(・・・軍配はどちら) [雑記]

「勝間和代VS香山リカ」のテレビ番組の内容を述べた記事http://news.livedoor.com/article/detail/4531267/を参考にしながら、もうちょっと感想を書いてみよう。

ところで、軍配は・・・この場合は勝間さんに上がるだろう、と個人的に思う。

そう、実は勝間さんの言うことも、香山さんの言うことも、正しい。どっちも「あり」なのだ。

だから、勝間さんに挑んでいる香山さんがどうしても無理が見えてくる。勝間さんの論理を切り崩せない。

もしも、これが反対に、香山さんの「がんばらない論」に、勝間さんが挑んだとしたら、おそらく勝間さんが負けるだろう。香山さんの論理を切り崩せないと思う。

この問題は、挑んだほうが負けである。相手の言っていることを切り崩すのは難しいからだ。

・・・と軍配については、そう思った。

さてさて、熱く語っているが、この「勝間和代VS香山リカ」はマスメディアが仕掛けた一種のお祭りなのだ。
お二人のバトルも、本を売るためのいい宣伝になっただろう。おそらく、それがお二人を含めた売り手側の一番の目的だと思う。
さっそく、今日の新聞にも大きく広告が出ている。

この後はどういった企画でいくのだろうか。
お二人に加え、一般の人や他の有名人で、勝間派と香山派に分かれ、議論する番組がでてくるかも?
売り手側としても、このバトルをこれで終わりにせず、飽きられるまで、とことん利用するだろうと思うのだが・・・

けど、そろそろネットの住人は飽きてきたころかな^^;
ま、せっかくのネタなので、とりあえず、記事を抜粋しながら、感想を述べてみよう。

【記事抜粋】
>香山は、勝間に感化された女性たちが努力のし過ぎで疲れきってしまっていると指摘し、「カツマーになったことで不幸になる女性が増えている」と主張。さらに、目標を達成できないことで自分を責め、うつ病を患い精神科を受診する女性が増えているとも明かした。


以下、私の感想。

鬱病になった原因が、勝間さんに影響を受けた所為だとは・・・よほど他者から影響を受けやすい患者さんなのだろうか・・・
だとすると、これは勝間さんの影響の所為ではなく・・・おそらく、他の人からも影響を受けやすく、よって、他人の目を気にする、他人の評価を気にしすぎるその性質が、鬱病の原因につながっているのではいだろうか、と思う・・・
つまり、勝間さんがいてもいなくても、そういった人は欝になりやすいのではないか、と。

だいたい勝間さんの経歴を見れば、勝間さんは特別に優れた人だと分かるはずだ。
勝間さんが本に書いている経歴(たとえば公認会計士2次試験合格では最年少記録を持ち、大学院に社会人として激務をこなしながら、たった2週間の準備期間で受かった、などなど)を、自慢しているのか?という人もいるようだが、勝間さんがどういう人なのか、読者は知ったほうがいいだろうし、勝間さんもそういうことは伝えるべきと考え、そう書いているのだろう。自慢ではなく、自分に関する事実を書き、自分はこういう人間だとアピールするために書いているのである。
自分のことを宣伝するのに、有利な経歴を公表するのは当然のことだ。

勝間さんがどういった人なのかを知った上で、勝間さんのおっしゃる通りのことをして勝間さんの真似をすれば目標を達成でき、勝間さんのような成功を得られる、自分の目標が達成できる、と思っている人が一体どれくらいいるのだろう。




【記事抜粋】
>対する勝間は、「どうせ不況だから努力してもムダ」とあきらめる風潮を否定し、夫がいなくても子供を大学まで行かせられる「年収600万円」を目指して努力することが女の幸せにつながると、あらためて主張した。


以下、私の感想。

年収600万円以上を目指したほうがいいという理由については、前日記でも少し述べたが・・・
年収600万円以上とは、扶養家族をもった者が、これから起こるかもしれないリスクに対処するために余裕をもって生活できるだけの金額、と考えていいだろう。
勝間さんは常に「リスク」を考えているのだと思う。
離婚というような不幸に陥った場合、さらに金銭的苦労をするという不幸を回避するため・・・さらなる不幸に陥らないための金額であり、これは別に幸せになるために必要な金額ということではない気がする。

もちろん、お金がなくても、極端に言えば全く稼げなくても、最終的には「生活保護制度」があるのだから、子供がいてもなんとかなるだろう。最低限の生活ができればいい、子供を大学に上げなくても別にかまわない、大学にいくだけが幸せではない、という考えの人もいるだろう。

だから、年収600万円あれば、要するに「選択肢」が増える、ということでもある。
余裕ある生活をしてもいいし、最低限の生活をしてもいいし、子供をべつに大学に行かせなくても、行ってもいいのである。お金があれば、自分が好きなように選択できるということだ。

ちなみに、話はずれるが、「生活保護」について・・・
割と・・・余裕ある生活をしている人はしているようだ。医療費も無料であるし、いろいろとほかにも手当てがつき、派遣で最低賃金で働いている人や国民年金のみで暮らしているお年寄り、ホームレスに較べたら、かなり優雅な生活をしているようである。
働いてないので、時間も好きなように使える。もちろんPCも持っていて(しかも複数持っているものもいる)ネット三昧だったり、わりと遊びにもちょくちょく出かけられるようだ。パチンコに使ってしまうというのもあるようだ。そして「お金が足りない」と言う。(もちろん、真面目な生活保護受給者もいるだろう)

生活保護受給者は公から生活費をいただける権利を得たということで、あるところでは「勝ち組」と言われている。

努力しても生活保護費以下の賃金しか得られず、お金がないため病気になっても医療を受けることを躊躇せざるを得ない人に較べたら、相当恵まれている。

生活保護をもらえる人と、もらえない人との格差はすさまじい。
こういったことに不公平を感じる。努力などしないで、年金も納めず、最終的に生活保護を受けたほうが得なのだから・・・

なので、生活保護費をもう少し下げてもいいのでは、と個人的に思う。じゃないと、努力している者が報われない結果になる。

こういう世の中なので、生活保護受給者が肩身が狭い思いをするのは、ある程度仕方ないと思う。生活保護受給者以下の生活している人たちがたくさんいるのだから・・・そういった人たちが苦しい生活の中、税金を払い、その税金によって、生活保護受給者は養われているのだから。

そうすると「弱者切捨てだ、人権侵害だ」と言われるが、ならば生活保護費以下の賃金労働者、国民年金受給者の老人、ホームレスの人権のほうが著しく侵害されていることになる。

が、そういった人たち全てを、現在の生活保護者並みの水準で保護するには、かなりの税金が必要になるのだろう。

しかし、手当てを含めた日本の生活保護費用は諸外国と較べて、高いらしい。なので、とりあえずは、それを下げ、薄く広くいきわたる様にしたほうがいいのではないか、と思うのである。

生活保護者は国民(の税金)に扶養されていると考えていいだろう。
なので、税金を払っている国民が不公平だと感じるようなものにしてはいけないと思う。
国民から扶養されている者は、ある程度の束縛を受け、自由は制限され、国民から監督される立場にある。徹底的に監督するにも、かなりのコストがかかるだろうが、コストがかかっても、できるだけ【社会の公平性】が保たれるようにしたほうがいいと思う。
扶養されている人が監督され、束縛を受け、自由を制限されることを「人権侵害」とは言わないだろう。



【記事抜粋】
>反論を受けた香山は「(勝間の理論は)勝ち組になれなかった人たちを切り捨てている」「勝間さん(の本)は金持ち仕様ってこと?」と返した。香山の言葉にヒートアップした勝間は、「香山さんこそが、下々の者みたいな感じで何にもできないと思い込んでいる」と口撃。香山は思わず「はぁ!?」と怒りの声を上げ、まさに女同士のガチバトルとなった。


以下、私の感想。

まず、「全ての人を幸せにする、勝ち組にする方法」など存在しないだろう。「全ての人を救え」なんて、そんなこと勝間さんに求めるのは酷だ。
勝間さんの理論は、もちろんある一部の人に通じる方法、かもしれない。
理論全部を実践しなくても、参考になる部分はあるだろう。
もちろん参考にしなくてもいいし、合わない人もいて当然だろう。

勝間さんの言うことを実践すれば必ず勝ち組になれる、幸せになれる、と思うほうがどうかと・・・
勝間さんの本をちょっと読んでみれば、それを実践できる環境にある人は、やはり限られているだろう、ということが分かる。

それを「切り捨てている」というのは、つっかかっているとしか思えない。

がんばることを強要されるのは、私も嫌である。(けど、勝間さんは強要はしていない。努力することを勧めているだけである・・・)
がんばっている人に対して、なんとなく劣等感をもち、近づきがたい、のも確かだ。

だからといって、「がんばっている人」「がんばること」を否定する気にはなれない。
がんばった人は、がんばらなかった人よりも、それなりのご褒美を受け取って当然だろうと思う。

いつからか、「努力すること」「がんばること」を大切だというと、「強者の論理だ」「弱者にプレッシャーを与える」「がんばることができない人もいるのだから、そういった人を思いやって欲しい」と反感を買われるようになった。

ただ、現在の私はあんまりがんばらないし、努力というものから遠ざかっている。地味にケチケチちまちまと暮らしている。
お金もないので、あんまり遊びにも出かけない。出かけなくとも、お金をかけずそこそこ楽しめるものがいっぱいある。興味あるものがそれほどないので、生活費以外の出費はない。
上昇志向の強いバブル世代から見れば「ああはなりたくない」「つまらない」「情けない」「さびしい人」と指差されるような生き方である。

では、不幸を感じているか、と言うと、別にそうでもない。
とりあえず健康だし、それだけで幸せである、恵まれている、と思える。

ただ、そう言うと・・・「では病気の人は不幸だというのか?恵まれてないというのか?それは病気の人に対して失礼ではないのか」「病気の人だって、幸せを感じているひとはいるはずだ」という意見の人もいるだろうから、幸せについて語る、というのは難しいことなのだ。

そして、昔の自分のガツガツ努力した時代も、それはそれで幸せだった。努力が楽しかった、とも言える。まさに勝間さんがおっしゃる「努力することを楽しんで」である。
それでも、ほかの事を切り捨て髪を振り乱して、といった感じだったので、カッコいいものではない。どちらかというと周りからは「ああはなりたくないね」と思われていただろう。
で、努力が楽しかった反面、劣等感に今よりもはるかにさいなまれていた。自己評価は低かった。
けど、不幸ではなかったのは、夢中になれるものがあったからだろう。だから楽しかったと言えるのだろう。そして、ほかを切り捨てて努力できる環境にあった、というのは恵まれていたのかもしれない。

もちろん、「切り捨てたために得られなかったもの」が、たくさんあるはずである。

いろいろとできる能力がなかったために、ほかを切り捨てざるを得なかった、とも言えるかもしれない。
もっと上手い努力の仕方というものもあったのかもしれない。
そういった「上手い努力の仕方」について、勝間さんはいろいろと述べているのだろう。

けど、おそらく勝間さんのおっしゃるやり方は、今なら「なるほど」と思えるが、当時の私にはあまり合わなかったと思う。

そして、今では、卑屈になっているわけでも卑下しているわけでもなく、私は世間からみれば「負け組」に入ると思う。
が、どうにかしようとは別に思わない。つまり劣等感すら持たなくなり、どうでもよくなってしまったということかもしれない。
もし、負け組な人を見て、優越感を持てて、ちょっとでも不幸感から抜け出せる人がいれば、それはそれで負け組も役立っているということでもある。

なので、もちろん「がんばらなくていいよ」という風潮にもホッとしているし、香山さんの考えにも共感できるのだ。



さてさて・・・「幸せ」とは・・・
なにかと較べて、自分はどうか?ということでもあるのかもしれない。

海外の紛争地帯で生活している人々に較べたら、日本に住んでいるというだけで幸せだろう。
命の危険性はないのだから。治安だって、海外に較べたら、日本はかなりいいほうだろう。
餓死する心配も、まずない。
病気になれば、とりあえず医療が受けられる。(お金がない、健康保険未払いで医療費が払えず、という人もいるかもしれないが)

そして、最終的には「生活保護」があるのだ。
で、そういった公のセーフティネットは税金で支えられる。
その税金を、たくさん払っているのは、勝間さんのような、努力をして高所得者となった人間だろう。(もち、それほど努力をせずに収入を得られる立場にある人もいるだろうが)

日本人というだけで、恵まれている、と言えるかもしれない。

が、較べる対象が「勝間さんクラス」あるいは「世間で勝ち組と称されている人」になってしまうと、自分は恵まれてない、と不満を感じたり、勝間さんのようにがんばることができず目標に到達できない自分はダメ人間だと劣等感にさいなまれ、不幸感に陥る人もいるかもしれない。

そういった人たちを擁護したくて、香山さんは勝間さんの考えを批判しているのだろうか・・・

でも、勝間さんだって万能の神様ではないのだから、全ての人に対応できる方法など思いつかないだろう。
勝間さんは、あくまでご自分の経験から得たもの、方法論、考えを、世間に広めているに過ぎない。さらに、それを仕事にしてしまっているので、宣伝のために広める努力をするだろう。それがちょっと鼻につく演出になっているのかもしれない。

(ちなみに・・・どこかで見たが、勝間さんは、書く努力の5倍、売る努力をしているのだとか・・・いやあ、著作という仕事をする人の大半は書く努力のほうを重視すると思うが・・・本来、売る努力は普通、出版社側・編集者が行うものだ・・・けれど勝間さんは売る努力に精力を注いでいるようである・・・つまり、そういう姿勢で本を書いているということだ・・・でも、売れれば勝ちとなり、そして次につながるのである・・・)

「幸せ」と同じく、「勝ち負け」も他と較べて自分はどうか?ということになるだろう。
なにと較べるのか・・・である。

結局、「幸不幸」「勝ち組・負け組」は定義ができず、人それぞれ気の持ちよう、較べる対象で変わるものなのだろう。

少なくとも、他者から「あなたは負けている」「あなたは不幸だ」と言われる筋合いはなく、「こうすれば絶対に幸せになれる。勝ち組になれる」とも言えないものなのだろう。

人を勝ち負けで分けるなど、傲慢以外なにものでもないけれど、較べて優劣をつけたいのも、また人間の性なのだろう。
だから、「自分磨き、自己啓発」「こうすれば成功する」「こうすれば勝ち組になれる」みたいな本が売れるのだろう。そういった本は勝間さんだけでなく、たくさんの人が書いている。
一方、「そんなにがんばらなくてもいいのだ」「負け組でも幸せ」「人生、勝ち負けではない」というような本も売れるのだろう。

努力してさらなる上の自分を目指すもよし、自分の分をわきまえ今の自分に満足するもよし・・・


ただ・・・努力することを勧め、自分もこれだけの努力してここまできたという勝間さんと、おそらく影では努力し今の地位を得たが、それを表にせず、努力しなくてもいいんだよという香山さん・・・香山さんも成功者であり、ここまでくるのに人よりも努力されたであろうことを思うと、この勝負は、ちょっと香山さんが不利かもしれない。「いえ、そんなに努力せずに、ここまできました」と言えば言ったで、それはそれで反感をもたれるだろう・・・

次はどういう手で行くのか、興味がある。

今回は、勝間さんのほうに軍配を上げるが、「がんばりすぎず、身の丈にあった幸せを」という香山さんの考えも応援したい。現在の私の生き方は「香山さん派」だからである。

「人生、勝ち負けではない」が、人間は優劣を付けたがり、なにかと他者と較べたがるから、勝ち負けから逃れられないのも人間の性というものなのかもしれない。勝間さんは人間の性、欲望に忠実である、とも言えるかもしれない。

今の自分を変えたい、と思う人は勝間さんの努力方法を試してみてもいいだろうし、別に今のままで満足という人はそれでよし、「今の自分でいいのかしら」と迷っている人は、上昇志向の勝間さん派の本、今の自分でいいじゃないかという香山さん派の本、両方を読んでみればいいと思う。そう、この手の本は、別に勝間さんや香山さんに限らず、他の人も書いているし、たくさん出ている。
図書館に行ってみれば、その手の「人生指南書」本は、たくさんあることが分かる。
つまり、人それぞれ、いろんな考えがあり、どれが間違っているとも言えない・・・どっちも「あり」ということが分かる。なので、そもそも読む必要あるのか?と疑問に思ったりもするだろう。



参考になったサイト

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090917/205019/(現在、ここに出てくる勝間さんの「断る力」というを途中まで読んだが、「なるほど」と思える部分がたくさんあり、私にとっては面白かったが・・・)

http://blog.4-de.net/?eid=1445179(これを読むと、香山リカさんの言うこともすごく納得できる・・・)

http://d.hatena.ne.jp/shoshi-solaris/20100109#1262984846

http://blog.canpan.info/sekirara/archive/11

http://campingcar.blog.hobidas.com/archives/article/89308.html
http://campingcar.blog.hobidas.com/archives/article/86791.html
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