SSブログ

勝間和代VS香山リカその2(・・・と「アエラ族の憂鬱」の著者) [雑記]

新聞の広告に「アエラ族の憂鬱」という本がのっていた。


新聞では「バブル世代とロスジェネ世代の考え方が違う」「幸せの概念を考え直すのにいい本」という感じで紹介されていたので、読んでみた。いやあ、前のほうの日記「勝間和代VS香山リカ」の続きのネタにもなるかな、と思って。

まあ、幸せ感は、人それぞれ、気持ちのもちよう・・・論ずるようなものじゃないとは考えているのだけど・・・
↓香山さんが「努力で幸せになれますか?」と勝間さんにつっかかっているようで・・・^^;


また、テレビ番組でも、香山さんと勝間さんは討論されたようである。(私は見なかったが・・・ああ、見たかった^^;)http://news.livedoor.com/article/detail/4531267/

で、↑を読んでみる限り、どちらの言い分も「なるほど」と思えるが・・・
このテーマは、個人個人の状況、ケースで違ってしまい、全体に向けて語れるようなものではないと思った。

というわけで、「勝間和代VS香山リカ」を考えてみるのに、まず、他の人の幸福論とやらを読んでみようと思ったのだ。

が、この「アエラ族の憂鬱」は、それほど面白くなかった。(もち、個人的感想ね)
内容のほとんどは「アエラ」という雑誌に今まで書かれてきた「女性をネタにした記事」についての批判である。

「アエラ」はキャリアウーマンが読む雑誌らしいけれど・・・「アエラ族」と呼ばれるほどの愛読者たちがいるのか?そんなにアエラに影響を受けた人たちがいるのか?
私もたまに図書館でパラ読みするが・・・目くじら立てて批判するほどの雑誌なのか?と思ってしまった。

「週刊誌」なので、そう深く掘り下げた記事が載るはずもなく、売るためには、多少脚色もし、読者の興味をひくように刺激的に大げさに記事を仕立てるのは当然のことで、読者はそれを承知しながら、「ま、こういう女性もいるかもね」と思って、暇つぶしに読んでいるのではないか、と思う。

が、著者は、「アエラ」の記事に影響を受けてきたというバブル世代の生き方に疑問をもち、バブル世代の生き方を危惧しているようである・・・

ちなみに、この本に書いてあるバブル世代の女性の生き方とは、男性に対しタカビーで、仕事バリバリ、趣味にもお金をかけ、華やかに生き、贅沢に慣れてしまい、強欲で、結婚がついつい遅れ・・・と、そんなイメージだ。
そして、そんなバブル世代の女性がついに結婚できず独身のまま、が、この頃の不景気で仕事もうまくいかなくなり、稼げなくなり、でも結婚していないので、居場所がなく・・・そんな生き方が幸せといえるのか、と著者は心配しているようである。

で、このバブル世代の女性の生き方を社会先端のトレンドとして煽ったアエラの記事を批判しているのである。

でも、アエラ程度の週刊誌が、バブル世代のキャリア志向の女性に、そんなに影響力をもったとは思えないのだが・・・

というか、アエラだけでなく、マスメディア全体が、バブル時代はとくに、そういった女性の生き方を紹介し、あるいはテレビドラマや小説、映画などの主人公あるいは主要登場人物として描かれたり・・・全体的にいろんな女性たちに影響を与えただろうと思う。

とくに結婚に関しては・・・当時は、恋愛至上主義が世間を覆い、「恋愛して、その相手と結婚するのが良い」とされ、お見合いや結婚相談所の世話になることはなんとなく恥ずかしいという風潮があったように思う。
つまり「自分で相手を見つけることができない」「恋愛もできない」と見られ、つまらない人間、というイメージを植えつけられていた感じがした。
恋愛幻想に陥り、まずは恋愛しなければ、ということで、かえって婚期を逃してしまった女性もいたのでは、とも思う。

ところで、私は、バブル世代の生き方(あくまでイメージね)を良いと擁護しているのではない。
実は、非モテでケチでずぼらで地味でおしゃれでない質素な私は、イメージとして捉えている「贅沢で恋愛至上主義の華やかなバブル世代」が苦手だ。
いやあ、私などバカにされるだろうし、イライラもさせるだろうし、敬遠したい。まあ、向こうも最初から私など相手にしないだろう。

けど、実際、そんな「バリキャリで上昇志向が強く、タカビーで贅沢で恋愛至上主義でおしゃれな華やかなバブル世代」がたくさんいるのか?というと・・・私の周りには別にいない。まあ、私がそういう「華やかな世界」にいないので、周りには見かけないのかもしれないが。

まあ、地味な人たちをちょっと見下していた華やかなバブル世代(あくまでイメージとしてのね)の人たちが、今では心配されたり気の毒がられたりして、反対に見下されるようになるとは・・・世の中、変わったものである。

さてさて、この「アエラ族の憂鬱」に、「勝間和代さん」もネタにされている。
この著書に「アエラは勝間和代氏のようなターミネーターのごとき女性を持ち上げようとしている」というようなことが書かれていた。

いやはや、ターミネーターとは、また・・・

もちろん、勝間和代さんは特別に優れた、努力家の女性だろう。
けど、勝間さんはどういった努力をしているのか、というのは、普通の人間にも参考になるところが多いかもしれない。
だから、人気があるのだろう。とくに上昇志向の強い人たちには。

そして、この著者によれば、「アエラは最近、時代を代表するロールモデルとして選んだのが勝間和代氏である」ということだそうで・・・
で、「勝間和代氏は立派だとは思う。だが、同時に彼女の家族は幸せだったのかとも思う」と著者は述べている。

なんだか・・・大きなお世話ではないか?と、ちょっと勝間さんを擁護したくなる。

それから「一般の女性がすべて勝間和代氏になれるわけではない。(勝間和代をロールモデルにしてしまうと)その結果、一億総働きバチ社会に陥る危険性を充分にはらんでいる」とも書かれている。

勝間さんは確かに働きバチで、仕事で忙しく、だからこそ効率よく仕事を進められる方法を考え、実践し、それを本にしたのだろう。
それを参考にするのは別に悪いことではないだろう。
勝間さんのようになりたい、と勝間さんを目指すのも、それはそれでいい目標となり、気持ちに張りがでてくる人もいるだろう。

もちろん、勝間さんのようにがんばれない人もいるだろうし、合わない人もいるだろうし、すべての人が勝間さんのようになれるわけではない、ということは、誰もが承知していることだろう。

それでも、香山リカさんや、この著書が、危惧したくなるほど、勝間さんは多くの人間に影響力を与えている、ってことなのかもしれないが・・・

ただ「幸福か?」という抽象的なことを論じるのは、なんだかなあ・・・
だって「この生き方をすれば必ず幸福になれる」なんてことは、まずないのだから。

皆が同じ生き方をしているほうが、気持ち悪いし、「こういう生き方が正しい、良い、幸せだ」など、誰にも言えないことである。

人の生き方に対し、「ほんとうに幸せなのか?」「その生き方で誰もが幸福になれるのか?」「その生き方、やり方は正しいのか?」と問うほうがどうかと思う。
そして、人の生き方に疑問符を持ち、「ほんとうの幸福をつかんでほしい」と言うほうが、なんだかちょっと傲慢なように思うのだが。

だから「負け犬の遠吠え」のような本も売れたのだな、と思う。
「あなたは負けている。それに気づきなさい」と言われるのに対し、「私は負けてない」と言っても、どうせ「強がっちゃってー」と堂々巡りになるので、「はいはい、そうですね。私は負け犬です」ということにしておきましょう、そのほうがラクですよ、という内容に共感する人がいたのだろう。

「あなたは不幸だ。不幸になる。それに気づきなさい」というのに対し、「はい、そうですね。私は不幸です」ということにしておきましょう、と受け流すほうが、ラクかもしれない。
もちろん、「自分は不幸だ」と思う人は耳を傾け、アドバイスを素直に聞くのがいいかもしれない。
ただし、それで幸福になれるかどうかは、分からないが。

香山リカさんが「勝間さん、努力で幸福になれますか?」というのと同じである。なれるかもしれないし、なれないかもしれない。

そして、勝間さんの「お金があったほうが幸せになれる。それが現実」というのも、もっともなことだけど・・・では、どのくらいお金があればいいのかというと、年収600万円だと言う・・・では年収600万円以下の人は幸せになれないのか?というと、そうとも言い切れないだろう。

(ただし、これについては、年収600万以上あれば「幸せになれる」というよりも、「不幸に陥るいろんなリスクから逃れるためにも年収600万以上あれば、とりあえず余裕がもてる」ということではないのか、と思う。

そんなことを討論しても、平行線で、堂々巡りになるだろう。

だいたい「幸福」とはそもそも何なのだ?人それぞれ気の持ちようではないのか?定義できないものではないのか、人の幸不幸を問う前に幸福の定義を述べて欲しい、と思ってしまったのであった。

幸福の定義を語るのは難しい・・・というか、おそろしく傲慢な気がするのだが・・・

いやいや、傲慢に語るからこそ、売れるのかもしれない。
売るためならば、話題になるためなら、傲慢を装う・・・というのも、ひとつの手かもしれない。

この香山さんと勝間さんのバトルも話題になり、本も売れることだろう。稼ぎまくるのだろう。
お互い、話題になるために利用し合えばいいと思う。
皮肉ではない。実際、不景気なこの世の中、稼ぎまくって税金をたくさん納めてくれる人が必要なのだ。
香山さんも勝間さんもたくさんの税金を納めていることだろう。それだけでも偉い、と思うのだ。

そして、「香山リカVS勝間和代ネタ」を扱うと、アクセス数が伸びるので、私もネタにしている・・・っていうのもある。
事実「勝間和代VS香山リカ?」という日記だけ、アクセス数が高い。
テレビでバトルしたことにより、多くの人の関心を買うことができるのだろう。

というわけで、この「勝間和代VS香山リカ」=つまり「努力組VSがんばらない組」について、これからも考えてみようと思う。

ちなみに、前日記「勝間和代VS香山リカ?」はこちら→http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2009-12-28-1
nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。