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「そこまで言うか」 [雑記]

「そこまで言うか」(西村ひろゆき、ほりえもん、勝間和代 談)感想。

この本のタイトルのように「そこまで言うか」というような過激発言はなし、全体的にはほぼまともなことを言っているように感じるけれど・・・
まあ、ほりえもんの「自分の子供に対する発言」は、「そんなことを言っていいのか?」とは思った。

そう、ほりえもんの【自分の子供に対する発言】は、たしかに「そこまで言うか」であった。
【離婚してからは子供とは会っていない】【子供とは一緒に住みたくない】【子供は放り出されても、生活保護だってあるんだから、なんとか生きていける】というようなことを言い、「過保護は良くない」として「親としての責任放棄に等しい発言」には、違和感をもつ。過保護は良くないかもしれないが、だからといって、放任、放置は良くないだろう。子供と関わるのが面倒、育てるのが面倒、だという免罪符に「過保護は良くない」と言っているだけなような気がする。
ほりえもんは、最初から、子供をもつべきではなかったのでは、と思う。
もちろん、ほりえもんは「これからは子供はもたない=いらない」と言っているが。

なので、勝間さんの以前の著書に書かれていた「歳をとれば妊娠能力が落ちる」として「若いうちに、とりあえず結婚し子供を産んでおこう」という考えにも、賛同しかねてしまう。

よくよく自分の生き方を定め、相手とも話し合い、本当に子供が欲しいのか、責任をもてるのか、育てることができるのか、を考え抜いてから、相手の考えを確認して、覚悟を決めてから、子供をもつほうがいいように思う。
もし相手の協力が得られない場合、難しい場合、それでも子供が欲しいのか、育てられるのか・・・かなり覚悟しないとならないだろう。
そこで、歳をとりすぎ、子供ができなければ、それはそれで仕方ない。

もちろん、若いときから「子供をもつことが最優先。もちろん責任持って子供を育てる。子供のことが最優先」と自分の生き方が定まっている人は、若く体力のあるうちにさっさと子供を持ったほうがいいのかもしれないが。

生き方が定まらない人は、「とりあえず子供をもつ」という考えはやめたほうがいいかもしれない。
子供をもってしまった後で「やっぱりやーめた」「子供、いらない」というわけにはいかないからだ。

子供をもつ、というのは一番責任が問われるような気がする。仕事や結婚は合わなければ「やめる」ことはできるが、子育てを放棄するにはいかないからだ。

ただ、最終的に児童養護施設で公に面倒をみてもらうという方法もあるので・・・経済的にどうしても育てられない、あるいは、虐待してしまう、といった親は、子供を手放したほうがいいだろう。

けど、今、児童養護施設は、定員いっぱいだとか・・・
「子供手当て」をバラまくよりも、児童養護施設を増やしたほうがいいかもしれない。

その前に、責任もって子供を育てられないのであれば、最初から子供をもつな、という教育をしないといけないのかもしれない。
「とりあえず若いうちに結婚し子供を産んでおこう」という勝間さんとは反対の考えになってしまうが、児童養護施設が定員いっぱいになってしまうほど、子供を育てられない親がいるということで・・・今回、ほりえもんの「自分の子供に対する無関心さ」を目の当たりにして、勝間さんはどう考えているのだろうと思ってしまった。

もちろん、生活保護同様、公が最終的に面倒をみてくれるからなんとかなる、ということで、「親は子供の面倒をみられなくなれば、別にみなくてもいい。とりあえず産んでおこう、とりあえず子供をもってみよう。育てられなきゃ最後は公に頼めるのでなんとかなる」というのであれば、そういう考えもありかもしれないが。

ほりえもんは、必ずしも親がいなくて不幸ということにはならない、養護施設で育ったから不幸ということにはならない、と言うかもしれないけれど。

やっぱり、ひろゆきさんが言っていることが一番しっくりくるというか、説得力があるというか、納得できる。けど、厳しいことも言っている・・・というか、突き放しているというか・・・

なので、なんやかんや言っても、勝間さんが一番、人に対し「親切」なような気がする。勝間さんの言っていることが正しいかどうかは置いておいて。

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