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日本死ね>朝日新聞もてはやす [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

朝日新聞販売店の人が、とにかく一生懸命で、ものすごいサービス(お米とかビールとか)するんで、今、朝日新聞と産経の2紙をとっている。

このサービス。もしや販売店が自腹切っているんじゃないの?
朝日新聞、販売店イジメしているのでは、と疑ってしまった。

さて、そんな朝日新聞だが、例の「保育園落ちた、『日本死ね』」のブログを取り上げ、持ち上げていた。
産経新聞の方は、曽野綾子氏がこのブログの乱暴な言葉づかいを批判していた。


朝日新聞特別編集委員の富永格氏もこのように発言。

https://twitter.com/tanutinn/status/707850828346884096
転載
【あれが「保育園落ちた 日本死ね!」以外の表現、例えば「また保育園に落ちました。日本政府への絶望が募ります」では、これほどの伝播力は持ち得ない。尖った言葉が、むき出しの怒りや悲しみを残らず伝えているからこそ、その叫びは全国に響いた。言葉の荒さを咎める人は、コトの本質が見えていない。】

転載終わり。

私は、この「死ね」という乱暴な言葉で表現されたブログが国会にまで取り上げられ、もてはやされたことに、違和感を持ちました。

乱暴な表現だからこそ、注目を浴び、社会を動かしたとして、これからますます乱暴な言葉が世の中を闊歩するかもしれませんね。

「言葉づかいが汚い」と批判に対し、これは思い余っての怒りの表現、本気で怒っているんだ、という擁護者の意見を見聞きし、これでは子どもが「死ね」という言葉を使うのも仕方ないな、と覚めた思いで、今回の騒動を見てました。

というようなことをツイッターでコメントした。
https://twitter.com/kiga2hon/status/708881553426817024

で、その関係でこんな記事も見つけた。
http://matome.naver.jp/odai/2145776955382647201

どうやら、富永氏、不都合なコメントをする人に対し、ブロックしまくっているらしい。

過去にブロックしないと言っておきながら。↓
https://twitter.com/sp_issa/status/708186396146536448

http://matome.naver.jp/odai/2145655317189981301/2145766764909796303

で、それを指摘した人もブロック。
https://twitter.com/sp_issa/status/708250200792412160

有田議員、蓮舫議員などもそうだけど。都合の悪いこと言われるとブロック。これでは信用できない。



ああ、そうそう、正しいことを訴えているなら乱暴な言葉づかいもOKという考え方・・・差別主義者に対してなら、少々の暴行もOK、ヘイトスピーチには中指突き立て、乱暴な言葉で対抗もOK、という有田議員や香山リカ氏に通じるところあるよなあ。

正義のためなら、乱暴な言動もOK。
さすが朝日新聞。

これが正義のためなら暴力OKっていうテロリスト思考にならなければいいけれど。


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産み育てる=当たり前ではなく、とても大変で偉いことという風に捉えれば、と [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

山口智子の産まない宣言
http://www.news-postseven.com/archives/20160226_388620.html
以下転載

血の結びつきを全く信用していない。(中略)私は子供のいる人生とは違う人生を歩みたいなと。だからこそ、血の繋がりはなくとも、伴侶という人生のパートナーを強く求めていました》

《ずっと、子供を産んで育てる人生ではない、別の人生を望んでいました。今でも一片の後悔もない。夫としっかり向き合って、二人の関係を築いていく人生は、本当に幸せ》


 赤裸々な、しかしショッキングな言葉が並ぶのは、『FRaU』3月号(講談社)。山口智子(51才)が、約2時間にわたって答えたというインタビュー記事が掲載されている。


 1995年に結婚した夫・唐沢寿明(52才)とは毎年、スペインへ旅行に出かけるなど、結婚20年が過ぎてもなおラブラブな様子を語っているかと思うと、産まない人生を選んだことを《一片の後悔もない》と発言。彼女の言葉が今、世の女性たちの心を大きく揺さぶっている。


 山口は1964年、栃木県のある老舗旅館を経営する両親の元に生まれた。しかし、幼い頃に両親は離婚。山口は父方の祖母に育てられた。実の母、そして父親の再婚相手とは、関係がよくなかった。《血の結びつきを全く信用していない》という価値観は、この頃に培われたのかもしれない。


 1995年に唐沢と結婚した後は、女優業はセーブしつつも、雑貨ギャラリーを経営したり、衣装ブランドをプロデュースしたりと、活動の幅を広げている。唐沢とは今も月に1度は行きつけのイタリアン店へ出かけ、一般客に交じり食事を楽しんでいる。


 やりたい仕事をやり、長年連れ添った夫とは相変わらず仲良し。山口は、人生をとことん楽しんでいる。彼女の今回のインタビューが、多くの女性をざわつかせた理由はどこにあったのか。以下、《子供を産んで育てる人生》を歩んできた母の声だ。


「7才の娘はこの世で最も愛すべき存在で、娘のためになら、命だって投げ出せます。でもどこかで“娘がいなかったら私はもっと自由だったのかな”と思ってしまうし、そう思う自分が嫌です。正直、もともと仕事が好きだったのは確か。山口さんの発言からは、私が叶えられなかった“もう一つの現実”を突きつけられた気がしたんです」(42才・アパレルメーカー勤務)


「息子のお弁当を作るため、毎朝5時に起きています。仕事から帰ったら、炊事と洗濯。好きなことをする時間も、夫と満足に会話する時間もありません。山口さんの告白を読んで、私の自由は子供に奪われたのかと思ってしまいました」(48才・教師)


 そこにあるのは、子供のいない自由な人生への嫉妬と羨望。もし子供がいなければ、山口のように好きな仕事をし、夫と海外旅行をしていたのかもしれない──そんな可能性が、どこかまぶしく思えてしまうのだという。


◆「女失格」という周囲の視線


 子供を持たない女性からも大きな反響があった。とりわけ、自分の意志で子供を持たない人生を選択した女性は、「よくぞ言ってくれた」と喝采を送った。


「首がもげるほど同意しました。私も結婚する前から子供はいらないと決めていました。でもそう言うと“女失格”という視線を周囲から向けられて、つらかった。幼い頃から両親が不仲で“あなたがいなければ離婚できたのに”とまで言われていたから。私は、親を自由にさせられない“枷”のような存在だったんです。その記憶があるから、子供を産もうとは思えない。山口さんも家庭環境が複雑だったみたいだし、自身の過去を踏まえてあの発言をしたのは尊敬に値します」(42才・テレビ関係者)


「旅行が好きで、おいしいレストランに入るのが好き。生きがいともいえます。夫とそういう生活を続けていきたい。だから子供はいらないと決めた。“子供はいらない”と言ってしまうと周囲を否定したように受け取られて敵意むき出しの人もいる。内心はうんざりしてきました。だから、山口さんの告白は最高。これで“子なしハラスメント〟が落ち着くといいのですが」(45才・化粧品メーカー勤務)


 不妊治療を続けても効果が得られず、出産を諦めたA子さん(45才・パート主婦)は「子供はまだ?」と聞かれるたびに胸が締めつけられていたという。だからこそ山口の発言には勇気をもらえた。


「40才近くなって結婚しているくせに、なんで当たり前に子供を産まなくてはいけないと思い込んでしまっていたのか。それまで自由も楽しかったし仕事もやりがいがあったから結婚もしていなかったのに。アラフォーになり、産めない年齢が差し迫ると、子供を産まないと人生半分失うという考えに勝手に洗脳されてしまっていた。そうですよね、もっと普通に楽しいはずでした…」


転載終わり

このネタでもう少し引っ張る。
こういう記事を読むとまだ世間には「子どもを産み育てるべき」なんていう圧力があって、嫌な思いをしている人も多いのかも。
やっぱり「産まない選択をする夫婦」はまだまだ少数派ということで、騒がれているのだろう。

ただバブル時代「ディンクス」という言葉が流行ったし、今更「子どもをあえて持たない夫婦」がそんなに珍しいのか? と違和感もった。

これについて、様々な意見があるけど、大半は「どっちでもいいじゃん」「個人の自由」ということで、「産まない選択」について、当たり前のこととして受け止めている人が多い。

子どもを持てば、時間的にも経済的にも大変だ。
なので子どもを育てる自信がない、ほかにやりたいことがあるため子どもを優先できない、自分には無理、という人がわりといても、ちっともおかしくない。

おまけに保育園には入りづらい、産科や小児科が少ない、病児保育がない、大学へ進学させるまでお金がかかりすぎ、などなど社会システムも整っていないし。

病気がちの子どもをもったら、ま、働きながら育てるというのは無理になってくるだろうし。
そもそも働きながら育てるって、よほどの体力と、祖父母のサポートがないと無理だろうし。

記事の中にある毎朝5時に起きてお弁当作り。
それを「あたりまえ」と言われると、がっくりくるお母さんもいるのではないか。
がっくりくるようなら、親の資格はない、なんて厳しいことを言う人もいるかもしれないけど、そういう空気が、親を追いつめるのかもしれない。
いや、記事の中の「子どもに時間を奪われる」と愚痴を吐いた女性に対し、厳しい意見が目についたから。

子どもをもったら、愚痴を吐いてはいけない、ネガティブに思ってはいけない、不幸を感じていけないとなると息苦しそう。

もち、子どもの立場からすれば、親にそう思われるのは悲しいことかもしれないが。

なので子供を持つなら、相当の覚悟は必要だなとも思った。

中には、イジメや不登校、引きこもり、将来への不安などなど、そういった問題を抱えている親御さんも多いだろう。心身ともに疲れて当然だ。

子どもをもったことを愚痴ったり、ちょっとネガティブにとらえたことで、非難する他の人の意見を見ていると・・・

「オオカミ子どもの雪と雨」のアニメに出てくる主人公・花を思い出した。
辛い時も笑顔を絶やさない花さん。愚痴も吐かない。ほんとうに立派なお母さんだ。

子育てをちょっとでもネガティブに捉えるお母さんを非難する人は、花さんみたいな人が理想の母親像なのだろう。

そう、花さんは、すぐにダンナを亡くし、双子の子育てに奮闘するけれど、子どもに当たったりすることもなく、つねに子どものことを考え、自分のことよりまず子ども、朝から晩まで働きづめ、本当にすごすぎる生活をこなすのだ。

なので、みっともないところや、自分勝手なところがない、マイナス面が全くない聖人(聖母)のような花さんに、人間味を感じることができず私はあまり共感しなかった。


人間そう強くはない。

いや、強い人間でないと、親になってはいけないのかもしれないが。

ならば、育てる自信がない人、子どもを持ちたくない人がたくさんいても不思議ではない。

若者が老人を支えるシステムになっている日本社会は困るだろうけど、
子どもは持たないという人も普通にいてもいいし、
だからこそ、子どもを育児放棄したり虐待せずに責任もって産み育てている人はもっと尊敬されていいのでは、と思う。当たり前のことではなく、とても「偉い」ことなのだと。

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結婚できないという恵まれた主人公たち>家族ノカタチ(ドラマ) [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

日曜のドラマ「家族ノカタチ」を楽しく見ている。

ドラマってお仕事ものなら見ることあるけれど、家族もの恋愛ものは見ない。どこか「きれいごと」だったり、現実味がまるで感じられず白けることが多いので。

けどこの「家族~」は「結婚できない男」と同じ匂いを感じ、見始めた。
ただやっぱり「結婚できない男」と同じく、主人公たちは高収入、仕事が充実している、容姿もいい、ということで、この恵まれたキャラに共感できる同世代がいるのだろうか、とふと思ってしまった。

「結婚できない男」の主人公らは、バブル世代と重なるので、共感した人も多かっただろうけど。
「家族~」の主人公らは、氷河期世代じゃないのか? 遠いセカイのお話に感じる人もわりといるかも。
やっぱりテレビドラマはファンタジーの世界だな、厳しい現実はあまり見せずに楽しく、夢の世界を提供するのが基本なのかもな、とふと思ってしまった。

で、今回放送分(2月19日)。
ああ、この手のお話では非モテブサって、軽く描かれるよな、とつくづく思ってしまった。

「家族~」では非モテのブサメン同僚が婚活で詐欺に遭いそうになり、結局、難を逃れたわけだけど、なぜかすぐに立ち直る。
まあ、深刻に描いても、見る方は嫌な気持ちになるだけだから軽く流し、非モテ・ブサは深刻な傷を受けることなく、異常に前向きに描かれるんだろう。でも、うざいほど前向き・・・。なので共感できない。

これで、ふと椰月美智子氏の「恋愛小説」に出てくる、不細工で気持ち悪いとされるオタク女子の「ジェロニモさん」や、ブスだけど積極的でやりマン化してしまった「かおるさん」を思い出した。
この小説の物語も「世間の基準から外れた、世間の価値観から見て容姿の劣る人、非モテ」キャラが、なぜかうざいほど明るくて前向きで、さほど傷つかず、積極的なのだ。
あまりにうざいので、こちらもやはり共感もできない。
共感できないように描いているのか?、とすら思うほどだ。

「家族~」は、この「恋愛小説」ほどに非モテに対し意地悪ではないが、ここでも非モテ・容姿の劣る者を哂いものにしているな、哂いものにできるように、キャラをすぐに立ち直らせて明るく積極的な性格付けにしているんだな、とふと白けてしまった。

※ただ「家族~」の場合・・・例の同僚は非モテ・ブサだけど収入は良さそうなので、あれだけ積極的で、ふられてもめげることなく結婚に前向きなら・・・理想が高くなければ誰かいるだろう。

いやあ、「家族~」の『独りでいたい、傷つきたくない』という主人公、けれどモテるし、彼女もいたことがあるし、高収入で仕事も充実し、容姿もいい・・・という設定。
だから深刻にならず、楽しい物語になるのだろう。

もしこれが、非モテ、恋愛もしたことない、低収入、仕事がつらい、容姿に恵まれない、という設定のキャラだったら・・・「傷つきたくない」という言葉もすごく現実的だ。それまで人から散々傷つけられてきただろうから。

「家族~」の主人公は結局は「優しい人」としての「傷つきたくない」であり、世間でいうところの勝ち組でもあり、周囲も放っておかない。
人から自尊心を傷つけられたことはないのだろうから、この場合の「傷つきたくない」はきれいごとで軽いなあ、とも思った。

そんなファンタジーではなく、現実的なお話も見てみたいけど、テレビドラマでは無理なんだろうな。
なので、もっぱら私は「小説派」なのだ。もちろん小説もファンタジーが多いけれど、たまに「おお、これは」という小説に出会うことがある。

たとえば・・・
朝比奈あすかの「自画像」
窪美澄の「雨の名前」(短編集。非モテキャラは3話目。しかし他のお話もなかなか。つまり「きれいごと」がなく、安易にハッピーに持ち込まない)

もちろん「自画像」はご都合主義のところもあるけれど、自尊心を傷つけられコンプレックスに苛まれる人間の心理描写が逸脱だ。

現実から離れた演出=世間でいうところの「冴えない人」「気持ち悪いとされる人」「容姿の劣る人」「異性に相手にされない人、非モテ」なキャラが性格が明るく積極的で、馬鹿にされても哂いものにされても気にせず、うざいほどに人に絡み、深刻に悩んだりしないので・・・主人公含め周囲のキャラは安心して、「そいつ」をバカにする(「恋愛小説」)、または読者・視聴者を哂わせようとする物語(「家族~」)に、違和感を持ってしまう。
いや、それが何となく「イジメの空気」にリンクする気がするので。

罪悪感を持たずに心置きなく「そいつ」を笑い者にするには、「そいつ」が深く傷ついてしまってはやりにくい。
だから「そいつ」は深く傷ついていないとしたいのだろうけど、それっていじめっ子の心理に似ている気がする。

だから「家族~」のあの非モテキャラは、笑えない。あそこまで明るく前向きなうざいキャラにして、なんか痛々しい。ま、現実に、あんな人間はいないけれど、だからこそ、わざとらしい非モテキャラの描かれ方に製作者側の「哂い=いじめ」体質を見る気がして、楽しい気分になるどころか、あの非モテキャラが出てくると白けてしまう。

結婚しなくてもいい、独りでいてもいい、というような今までにないテーマのドラマを期待していたけどそうではなさそう^^;
結局、結婚=良し、独り=良くない、人と深く関わろう、結婚しよう、結婚して幸せ、結婚を怖がらないで、というありきたりなテーマになるんだろうか。

あ、そうそう、結婚は置いておいて、子どもを持つことについて。
「子どもを持たない人生を選んだ」という山口智子がちょっち話題になっていたっけな。
https://news.careerconnection.jp/?p=20978
【山口智子の「産まない人生」宣言で考える 子どもを持たない選択した女性にも優しい社会】

子どもがいる=幸せ、子どもがいない=さびしい、この価値観はそろそろひっくり返ろうとしている気はするけれど。(小説レベルでは、子どもがいる厳しさ、不幸を描くものが出ているが、テレビドラマでは絶対に描けないだろう)

既存の価値観をひっくり返すような、そんな物語に出会いたい。それは小説で出会うことが多い。

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キャラを丁寧に描く [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

1月24日追記。

下記に書いたように、すっかり朝比奈あすか作品のファンになってしまった。
キャラのリアリティある描写、深く掘り下げられた描写に圧倒された。
善の部分も悪の部分もちゃんとある。

さて、そんな朝比奈作品に慣れると、ほかの作品のキャラ描写が何となく物足りず、時には薄っぺらく、あるいは、わざとらしく感じることが多くなってきた。

その典型が、これ・・・「神様のカルテ」


いや、でもすごい人気作品なんだよね・・・
ただ私にとってはつまらなかった・・・なんでこれほど支持されているのか分からない。
こういう時、自分は世間とずれているのかもな、と思う^^;

医療ものなので「ライトノベル感覚」では読めなかった。患者の死も描かれるので、どっちかというと重厚な深い描写であることを期待してしまうから。

けど、この「神様のカルテ」は、人間の心理描写が軽い、薄い・・・アマゾンの低評価レビューにも書かれているように、善人しか出てこないし、主人公の語り口がどうしても「シリアスな場面をぶち壊す」ため、感動もできない、白ける、そもそも、医療現場でこんな主人公の口調、リアリティがない・・・

医療現場でなければ、シリアスな場面が出てこないコメディなら「あり」だと思うけれど・・・

改めて、キャラを立てるって、難しいと思った。
この「神様のカルテ」の主人公の医者は、キャラが立っている、というのではなく、作者がキャラを立たせるために、漫画っぽく特徴的にしてみた、というだけのことに思えた。
なので「わざとらしさ」を感じてしまい、白けてしまうのだ。(テーマが医療でなければ、違ったかもしれない)

とはいえ、人気もあるし、他の人は感動しているようだから、きっと私の感覚がおかしいのかもしれないが。
朝比奈作品に出てくるキャラこそ、真に「(小説において)キャラが立っている」と思っているハヤシであった。

「キャラを立たせること」にこだわり、やりすぎると、わざとさしく、リアリティに欠けるキャラになってしまいがち・・・と「神様のカルテ」を読んで、思ってしまった。キャラの口癖ひとつとってみても、漫画やライトノベルならありだけど、一般の小説だとちょっと・・・という場合もあるかもしれない・・・


・・・・・・
1月5日
朝比奈あすか氏の作品について。


主人公がバブル世代なので、興味深かった。
というか、なんか懐かしい。なので自分的には、この作品が印象に残ってしまった。
そうか、ついにあの時代を懐かしく思うようになってしまったか・・・

で、主人公の生き様20年を描いているところが、またいい。

学生時代から母となり、娘を持ち、娘が自立するまで描かれる。
もち、主人公(ま、一言でいうと自分勝手)に共感できない人、たくさんいるだろうな、と思いつつ。

一般的に共感できないキャラでさえ、丁寧に描く。その姿勢に脱帽。

自分も創作するなら、ここまでキャラを考えたいな、と。
そのキャラの子ども時代(どんな家庭で育ち、どんな学生時代を送ったのか~で、大人になり~子供を持ったらどう育て、どんな家庭を築き、どんな仕事をしていくのか・・・

キャラを立たせることよりも、キャラが送る人生を考えてみたいと思った。


ということで、この頃、朝比奈あすかに注目。

今までいろんな女性作家の作品を読んだけど、朝比奈さんの作品がほぼ外れがなく、心理描写が丁寧で、けっこう大好きな作品が多い。小説ならでは、という作品を書く作家さんだと思った。


ほか朝比奈さんの作品で印象に残ったもの。


これも主人公らの子育てについての生き様が描かれる。子どもが赤ちゃんの時から、14歳になるまで。
子育てに悩んでいる女性必見。


一方、こちらはなかなかえぐいが、これも良かった。



ほかもおすすめ。

とにかくキャラの描写が丁寧なのがいい。どんなキャラであれ。

前回日記で触れた椰月美智子氏の「恋愛小説」の「デブスオタク女子」の扱いのようなことはしない。

※「恋愛小説」での「デブスオタク女子」の描かれ方=なぜか自信満々で劣等感もなく、積極的で明るい、周囲から軽んじられているが、本人はそれを全く感じてない、傷ついてもいない。(3人称神視点で描かれている)
よって、デブス女子を主人公が理不尽に気味悪がっても、読者は主人公のふるまいを許せてしまえる、あるいは気にならない。
が、皆からそんな扱いをされて、このデブス女子が傷ついていないはずがない。そんな人間はいないと思う。

ここでふと思ってしまった。
あるキャラ(そこそこ物語の中心にいるキャラ)を作者が哂いものにしている、侮蔑している、どうでもいい扱いをしている作品は、どうも好きになれない。

朝比奈あすか氏にはそれがない。
と思った。


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なぜ椰月美智子氏の「恋愛小説」に嫌悪感を感じたのか? [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

オタクを気持ち悪く描写した作品は他にもあるのに、なぜ椰月美智子氏の「恋愛小説」を底意地悪く感じたのか?

それは『いじめっ子側の視点からのみ描かれたもの』だからかもしれない。

『ジェロさん』という女性について。
『オタク女子』『不潔』『気味悪い』『気持ち悪い』『おしゃれでない』、しかし性格は明るく、横暴、堂々としている、ということが・・・神視点と、主人公視点から描かれる。

この「ジェロ」というあだ名は・・・
「009」の005、またはキン肉マンに出てくる『ジェロニモ』に似ているということで、「ジェロさん」と呼ばれているが、【本人は気にしている様子もなく、そのあだ名を受け入れている】し・・・【周囲も親愛の情を持って、「ジェロさん」と呼んでいる】

・・・と神視点で、説明されている。

でも、これ、まるっきり、いじめっ子側の視点、言い訳だよね。

その『あだ名』には蔑視、嘲笑が込められているにも関わらず、「いえいえ、親しみを込めて、呼んでいたんです」「本人だって気にしていなかったし」「傷ついている様子もなかったし」「嫌がってなかったし」と・・・いじめっ子らが、自分たちのイジメを正当化するみたいに。
これは、いじめじゃないよ、と。

けど、侮蔑や嘲笑を込められたあだ名で呼ばれることを、まるで気にしないでいられる年頃の女性など皆無ではないか、と思う。女子だけではなく、男子もだ。
それでも「嫌だ」と言えず、笑って受け入れてしまういじめられっ子は多いだろうな、と思う。

ジェロさんが傷ついている描写は一切ない。
もし、傷つき、陰で泣いている描写があれば、私は「恋愛小説」に嫌悪感を抱かなかっただろう。

が、ジェロさんが傷つく描写を入れてしまうと、主人公および周囲の者が『悪者』になってしまう。だから、そんな描写を入れなかった=ジェロさんは傷ついていないし、気にしていないとしたかった・・・完全に「いじめっ子側の論理」に立つ。
だから、この「恋愛小説」にぞっとしたのかもしれない。

『気持ち悪いとされているジェロさん』と、昔、一度だけセックスをしてしまった主人公の彼氏サスケ。
そのサスケを、執拗に責め立てる美人主人公・美緒。
サスケがジェロさんとセックスしたのは、主人公・美緒とつきあう前の話だ。
で、サスケはほかにも、いろんな女の子とセックスしている。

なのに、主人公・美緒は『彼氏が、気持ち悪いジェロさんとセックスしたこと』が許せない。
そのセックスシーンを想像する・・・おえっ、と吐き気がこみ上げてくる。

そのうち「ジェロさん」を彷彿させるものすべてに吐き気を催すようになる。
例えば、少々太目な女性、ワキガの人、大きなほくろがある人、漫画の同人誌、髪がぼさぼさの人などなど。

※「髪がぼさぼさ」・・・ジェロさんは、おそらく今現在の篠原涼子のような髪型だと思われる。篠原涼子なら素敵だが、ブスはダメらしい。単に髪がぼさぼさ、不潔、となるようだ。

サスケに主人公・美緒はこう言う。
「あの人=ジェロさんを触った手で、わたしに触ってほしくない」
「消毒液に全身浸かって、身体中を清めたい」
「サスケにこそ、消毒液に浸かってほしい」

と、ジェロさんを【ばい菌扱い】する。

おえっ・・・

学校などでは、そういった子をばい菌扱いし、その子の前で吐く真似をしたり、そういう虐めってあるよなあ・・・

もちろん、主人公はジェロさんの前では、そんなことしないが、とにかくジェロさんが気持ち悪くて仕方ない、そんな描写が何度かある。

そして主人公・美緒は、今もなおジェロさんと職場で会ってしまうサスケが許せなくなり、サスケに職を替えるよう迫り、サスケは仕方なく言うことを聞く。

まさに「あの子と一切関わるな」「あの子から離れろ」「無視しろ」「あいさつするな」という『イジメ』と一緒。
ただ、この場合、サスケと美緒だけの個人的なことだから、「いじめ」にはならないだろうけど、本質は同じ。

そんな主人公・美緒が、それほど「嫌な女」に見えないのは、ジェロさんが傷ついている様子が一切描かれないからだ。
で、恋愛という特殊な感情がそうさせたのだ、としているからだろう。

その上、主人公視点のみならず神視点(客観的な視点)でも、ジェロさんに対し、とことん侮蔑と嘲笑が込められ、ジェロさんがいかに気持ち悪いかが、表現される。

まるで小説全体でもって、あるキャラクター(おしゃれに無関心で流行に無頓着な我が道を行く不細工なオタク女子)を侮蔑し嘲笑し、容赦なくイジメまくっている気がした。

小説からは、こんな声が聞こえてくる。
【いじめられている側が、気持ち悪いんだから、仕方ないんだよ。いじめられる方が悪いんだよ】と。
【というか、そもそも、いじめてないよ、だって本人も傷ついてないじゃん】と。

なので、この「恋愛小説」に、ことさら嫌な感じを受けたのだろう。
そして作者・椰月美智子氏が、数々の児童文学賞を受賞している作家で、学校を舞台にイジメを描いた作品も真面目に描いている作家さんであることも一因かもしれない。


ちなみに「恋愛小説」で、もう一人登場する不細工女子も、なぜか自信家で、やがて男性を誘いまくり、「やりまん」になっていき、陰で男性らからバカにされる。
しかし不細工女子は「条件のいい男との結婚を夢見ている」ということで・・・これも作者からの嘲笑と蔑視をヒシヒシと感じる^^;

そして作者・椰月美智子氏は美人だ。エッセイからは、ちゃきちゃきした、はっきり物事を言う印象を持った。高嶋ちさこを思わせた。高嶋ちさこもブスが嫌いだとテレビで公言したことあったっけ^^;

なので、椰月さんもブスが嫌いなのかも・・・おしゃれでない、ちょっと太めの不細工オタク女子に限っては、もう大っ嫌いなのかもなあ。
いや、好き嫌いは仕方ないんだけれど。

まあ、とにかく、いじめられっこは、傷ついていないふりをして、実は傷ついているし、周囲から蔑視や嘲笑を受けて、それに気づかない=鈍感でいられる人は少ないし、自信を持っている人も皆無だろう。劣等感に苛まれ、場合によっては自殺願望を持つこともある。

なので、傷ついている様子を描写せず、なぜか自信家に描かれる不細工キャラを徹底的に貶めたこの作品に、いじめ的な臭いを感じてしまったのかもしれない。

世間には、まだまだ「気持ち悪いオタクや不細工はいじめていい」「いじめられるほうが悪い」「いじめられて当然」「馬鹿にされて当然」という空気が残っている気がする。そして学校では最下層に位置づけされているのだろうな。

いや、ワシもキモオタなので世間様が怖いw。

・・・近寄るな、あっち行け、ばい菌、死ね、気持ち悪い、目障り、えんがちょ・・・

こんなふうに嫌われていることを、自覚しないといけませんね。
オタクに触れたら、消毒液で清めないと。何しろ「ばい菌」ですから。

生きていてごめんなさい。
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