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スザンヌさんの離婚について思うこと [人生・生き方・生活・人間関係]

芸能人のスザンヌさんの離婚が話題になっているなあ。

「パラレル・プライオリティ日本編」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/で静也・理沙夫婦の日常生活を描いているので、こういった夫婦問題ニュースは気になるといえば気になる。

静也・理沙夫婦について「こんなカップルがいたらいいな」ということで、理想や夢を描きたいとは思うものの、現実味があるようにはしたい。
「こんな夫、いるわけない」「こんな妻、いるわけない」「こんな生活、できるわけない」にはしたくないのだ^^;

さてさて、ウワサによると、スザンヌさんと別れた元野球選手の夫は、前にも離婚したことがあり、しかも、その時、前の奥さんは妊娠中だったんだとか?(しかも養育費をちゃんと払っていないんだとか?)

で、今回スザンヌさんとの間にできた生後6か月の子どもを残し、家を出て、スザンヌさんに離婚を切り出したとか?

う~ん、それが本当ならば「無責任」のひとこと。
この元野球選手は、おそらく、これからも同じことを繰り返すのでは、と。
女性は警戒したほうがいいだろう。すぐに飽きられ、サヨナラされ、別の新しい女性へ触手を伸ばすのだろう。

男性の中には、こういった家庭を築くのにふさわしくない人がいるのだな。恋愛だけ楽しんで、結婚しなきゃいいのに。子どもまで作って、家庭を放り出す。

スザンヌさんは「コミュニケーションが足りなかった」と言っているらしいけど、元野球選手の資質の問題だろう、と邪推してしまう。結婚生活に向かない男性なのだろう。

こんな無責任な男がいる一方で・・・
責任がとれないから、女性とは友達関係のまま、一緒の部屋に寝ても、手は出さない(セックスはしない)という草食系男子のことが、テレビで話題になっていて、年輩の男性が信じられないと意見していた。

なんだか、そういう男子をマイナスに捉えようとする上の世代の男性陣、女性陣も上の世代は『理解できない』ふうであったが、比較的若い女性陣は「そういうのもあり、いいよね」と受け入れていた。

いやあ、責任とれないから手は出さない、って、至極真面目だな、と私は好印象を持ったのだけど。つまり手を出すときは、相応の覚悟がある、真面目につきあうつもり、ということだ。

付きあうつもりもないのに手を出すよりは、いいのでは、と思う。

いや、もちろん、女性の中にも、遊びで気軽にエッチする、つきあうつもりはない、性欲満たすだけ、スポーツと同じ、っていう考えの人もいるだろうけれど。

若い世代は、避妊したとしても100パーセントではない、ということで、男女問わず性交渉に慎重な人たちもけっこういるらしい。

が、前記事で話題にしたように、若い世代の初性交渉年齢を気にする世間様は、こういった状況を憂えているらしい。

いやあ、無責任に子どもをつくって、放り出すほうが、ずっとずっとタチが悪いし、倫理的にいかがなものかと思うのだけど。

それに較べ、性交渉にも『責任』を感じる人たちの方がずっとまともで倫理的だと思う。

子どもへの責任ってやっぱり重い。
と、改めて『責任を背負う自信のない者は家庭を持ってはいけない』と思ってしまった。

スザンヌさんと離婚した無責任な元野球選手、はたして、スザンヌさんやその前に別れた奥さんとの間の子どもへの養育費をちゃんと払うんだろうか?

離婚の時に、取り決めはするものの、実際、払い続ける人はかなり少ないらしい。

育児に参加するどころか、家庭を捨て、養育費も出さない、そういう男性もけっこういるのである。

私は見てないが、ドラマ「残念な夫」は、まだ『家庭に関わろうとする』だけ、マシに思える。
「パラレル~」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/の静也君も家庭に大いに関わろうとする「良き夫、良きパパ」になるだろう。

が、実際は、子どもとちょっとだけ遊ぶのは楽しいけど、1日中つきあうのはイヤ、妻とのコミュニケーションも面倒、そもそも話が合わない、仕事から疲れて帰ってくるのに、さらに疲れることなんてしたくない、休日は好きなことしたい、自分だけの時間がほしい、こっちだって仕事で疲れているんだ、大変な思いをしているんだ、気を遣ってもらいたいのはこっちだ、イライラしている妻から逃げたい、関わりたくない、などなど・・・そんな声が聞こえてきそうだ。
で、妻から「あれして、これして」と命令のようなことを言われ、やってみたらダメ出し。やってられない。
いや、男性の気持ちもよく分かる。私が男性の立場なら、そう思うだろうから。けど、きっと家庭はギクシャクするだろう。

女性からしてみれば、子育てにパパが関わるのは当然だし、言われないと分からないの? ちゃんとやってよ、え?こんなことできないの? という感じだろう。

お互い「大変」なので、どっちが「より大変か」で、お互いギスギス。ストレスの多い、余裕のない生活になるかもしれない。
子育てが大変なのは赤ちゃんの時だけではなく、学校に上がってからも、いろいろ問題を抱えることも多いだろう。
その責任が背負えない人が何割かいるのは当然かもしれないとも思った。

なので、未婚者が2割~3割になったとしても不思議ではないと思ったのであった。
家庭を背負う責任はそれだけ大きいのだから。

んで、それを背負った人は偉い。が、だからといって背負わない人を見下したり、問題人物扱いしてもいけない。人の資質、能力は人それぞれなのだ。

一番悪いのは、責任を背負うつもりもないのに、手を出し、結局、無責任に放り出すことである。
一方に家庭の責任を押し付け、自分は浮気、不倫など、家庭に向けるべきエネルギー(お金、時間)をそういったところに費やし、家庭の責任を分かち合おうとしないことである。

ただ、未経験なので、「できるかな」「責任とれるかな」と思って、手を出してしまうこともあるだろう。で結果的に耐えられなくなった場合、逃げてもいいとも思う。切れて暴力、虐待、最悪、殺人行為に発展するよりは。

けど、それを繰り返してはいけないと思う。耐えられなかったことを自覚し、二度と「責任のとれないこと」には手を出さない。二度目は罪が重い。

と、スザンヌさんの離婚問題で、そんなことを考えてしまった。

ま、「パラレル~」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/の静也と理沙は、同じ環境で育ち、同じ学歴、同じ職場=同じ収入、同じ年齢、ということで、自然に対等意識があり、相手を見下したり、反対に卑屈になることもない、共通項が多いので、話も合う、よってコミュニケーションがスムーズにとれる、価値観も似ている・・・なので「一緒に生活をするうえで、上手くいく要素」が最初から備わっているのである。

これを「縁」というのかもしれないし、「運命の出会い」ともいうのかもしれない。
けど、実際に、こういう相手はなかなか見つからないだろう。見つかったとしても、好きになるかどうか、両想いになるかも分からない。どっちかというと、人間、自分とは遠い、異質なものに惹かれるものだから。

対等意識(相手を尊重できる)、コミュニケーション(伝える力と聞き取る力、そこにエネルギーをかけられるか)と価値観(相手の価値観を理解できる、または許容できる)・・・これらが夫婦やっていく大切な要素かもしれないな、と。

そんなわけで、日本文化、風習もテーマにした静也と理沙夫婦の生活を描いた「パラレル・プライオリティ日本編」もよろしくお願いします^^;(結局、宣伝。ま、そのためにブログをやっているのかも)
http://ncode.syosetu.com/n2006cl/

ちなみに、次のネタは「桜、お花見」です。桜(ソメイヨシノ)が咲いたら、アップします。(って大寒桜とかは今、咲いているけど)

もう下書きはほぼ完成していて・・・今回は、けっこう風流な「素敵な桜三昧の休日」を過ごす静也と理沙。
描きながら、「こんな休日が過ごせたらなあ」と思うものの、実際は「そんなことに時間かけられない。やること、ほかにいっぱいあるし」なんだよなあ。

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死刑制度について思うこと [社会・ニュース]


東野圭吾の「虚ろな十字架」を読んだ。
死刑制度がテーマのようだ。

私の個人的意見
加害者に更生の余地があるのか、あるいは抑止効果があるのか、など、こういったことを踏まえて死刑制度があったほうがいいのか、ないほうがいいのかを議論するのは無理があるように思う。

抑止効果があるのかないのか、はっきりとは分からない。
ほんの少しでもあるのであれば、死刑制度には価値がある、と私は思うし。
加害者が心から反省するのかしないのか、も関係ない。

仮に、反省したからといって、更生の余地があるから、死刑制度はなくすべき、とも思わない。更生するかしないか、これも結局は分からないのだから。
更生したと判断し、社会に復帰させ、仮に再犯起こした場合、誰も責任とらないだろう。いや、とれないだろう。誰にも「更生したのかどうか」分からないからだ。

そういえば、少年犯罪について「少年は更生の余地があるから厳罰化に反対」という意見も聞かれるが・・・余地があるかないか、誰が判断するのか? 再犯した場合、誰も責任をとらないのであれば、それを論点にすべきではない、と思う。

少年であるかどうか関係なく=更生するかどうか関係なく、犯した罪と同等の報いを受ける、これが公平であるように思う。

逆に、不公平と言えば・・・弁護士の手腕によって、違いが出てくる、というのは不公平だ。
情に訴えようとすると、そういうことになる。

ということで、私は「公平であるかどうか」で死刑制度を考える。
なので、人の命を奪った場合、その被害者に全く落ち度がなければ、基本的に死刑でいいと考える。

被害者は命を奪われたのに、加害者が社会復帰の可能性が残される、というのは不公平だからだ。

もちろん、正当防衛、戦争など任務の上での殺人はこれに該当しない。
そして被害者に落ち度があった場合(加害者に対し、嫌がらせをしていた、など)も情状酌量されるべきだろう。

犯罪抑止効果や更生の可能性という「誰も責任が取れないよくわからないこと」を論点にしないほうがいい。
そして被害者遺族感情というものも。
そう、これも遺族によって考え方が違うからだ。「死刑をのぞむ遺族」もいれば、そうではない遺族もいるだろうし、被害者と遺族の関係性によっても、それは違ってくるだろう。

そう、更生が償いだ、というのに以前から疑問に思う。
殺された方にしてみれば、犯人が更生しようがしまいが、関係ない。従って、償いようがない。

更生するかしないかは、社会にとっては重要な問題かもしれないが、しかし、するかしないかは誰にも分からない。
刑罰を決める人、釈放を決める人にも責任のとりようがない。

結局、犯した罪に対し、報いを与える。これしかできないと思う。
では、どの程度の報いにするのか・・・これも難しい問題だが、命を奪ったら、命を差し出す、これが「公平」に近いのでは、と。被害者が受けた苦痛、恐怖同等のものを与えられるのであれば、死刑でなくてもいいかもしれないが。

ところで「死刑」は国家による殺人、という人もいるけど、ならば懲役刑は国家による拉致監禁である。

死刑を「殺人=いけないこと」と捉え、反対する人は、懲役刑にも反対しないとおかしい。

殺人も拉致監禁も、やってはいけないことだ。
しかし、刑罰は区別して考えないとならない。
区別しないのであれば、刑罰を与えられない、ということになる。

刑罰のない社会=犯罪者が跋扈する社会となる。

刑罰のない社会を求める?
私はそんな社会は怖くていやであるが。

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世間様の次の標的は「セックスしないヤツ」らしい [人生・生き方・生活・人間関係]

前回の記事で・・・世間は、初体験がいつなのか、ということまで気にし始め、社会問題化するようになり、ずいぶん気持ち悪い社会になったな、ということを書いたが・・・
今回は・・・ついに世間は、セックスをしたことがない人をターゲットに攻撃し始めたか、とちょっと恐ろしくなり、そのことについて思ったことを綴ろう。

まずは、この記事を紹介。

http://news.livedoor.com/article/detail/9833190/より

<中村淳彦『ルポ 中年童貞』が描く、社会問題としての“中年童貞”とは>

 現在、30代以上未婚男性の4人に1人が性交渉未体験、つまり、童貞だといわれている。この20年間、増え続ける存在に何かを感じ取ったノンフィクションライターの中村淳彦氏は、最近、『ルポ 中年童貞』(幻冬舎新書)を上梓した。中年童貞たちの実態が克明に描かれた本書。中年童貞の増加は何を意味するのか?

・・・・・

ということで、この中村さんが「中年童貞」について、いろいろ語っているようだ。
介護職に中年童貞が多い、ということで、そのインタビュー記事を転載する。

以下、転載
・・・・・

介護がとんでもない世界だった。頭がおかしくなりそうなくらい、いろいろあり、大変でした

ライターとして社会の底辺を見続けてきた自負のあった僕も、見たことのない地獄のようなところでした。ようやく昨年末に廃業までたどり着いて距離を取れましたが、思い出しただけで気分が悪くなります。数年前は、なんとか成り立たせなきゃならないと思い“どうしてこんなトラブルばかり起こるのか?”と、考え続けていました。トラブルをひもといていくと、その多くに、社会的に成功体験がなくて、人手不足の産業を転々としている中年男性が関わっていたんです。

介護現場で、彼らとは四六時中に一緒に働いています。雑談の中で、セックス経験の有無を訊ねたりもします。僕が関わった中年男性は数人ですが、全員が「(セックス経験、風俗経験が)ない」と答えていました。介護業界に童貞の中年男性が著しく多いのはおかしいし、彼らがトラブルの引き金になっているのを、もっとひもといて考えるべきだと思うようになったんです。そこから、今「中年童貞」が大変なことになっているのではないかと気付いたんです。ライターとしてのネタではなくて、自社の存続や、もっと大きく介護という社会保障を崩壊させないため、というのが本音です。

中年童貞は全国800万人と、膨大な人数はいるけど、話してくれる人を見つけるのは大変。自意識が高くて、逃げてごまかし続けている人たちが多いので、コミュニケーションが取りづらい。今回の取材で辛うじて会話ができたのは、高学歴系の中年童貞の方たち。彼らは、自分がズレているという自覚があるから、取材を了承してくれて自分のことを話してくれました

中年童貞の人たちは、自己正当化するばかり。途中から、彼らはどうすればいいのかを考え続けたけど、やっぱりどうにもならない。

この本では、オタク産業の衰退、ブラック企業、ネット右翼など、さまざまな分野の社会問題と中年童貞の問題がリンクしていることが明らかにされていますね。

中村 オタク産業は、かつては高学歴で収入の多いオタク層によって潤っていましたが、いまは若者が全体的に貧しくなっているので、以前ほどの勢いがありません。オタク企業は、顧客の囲い込みに必死のようです。オタク向けの老人ホーム構想まであると聞きました。死ぬまで好きなアニメに囲まれているのは幸せなのかもしれませんが、本当にそれでいいの? という疑問は、口に出さなくとも多くの人が思っていることではないでしょうか。

――ネトウヨの人も登場します。

中村 中年童貞の人たちは、童貞というコンプレックスと、女性と社会から排除されている現実があります。いくら自己正当化しても無理がある。ブラック企業やブラック介護施設が垂れ流す前向きな言葉や、コンテンツメーカーに心と経済を操られていたり、そのコンプレックスが攻撃性に転化されてネトウヨになったりするようです。


この本では、まずは中年童貞の存在を「可視化する」のが最大のテーマです。「30代以上の未婚男性4人に1人」は、衝撃的な数字だと思います。20代の童貞率はさらに多いわけですから、今後ももっと増えていく

・・・・・・・・・・
転載終わり。

ということで、世間の攻撃ターゲットは、昔は「オタク」だったけど、オタクが世界に認められるつつあるため、オタクは攻撃しづらくなってきたのだろう・・・今は「性体験未経験者」に的を絞ってきているようだ。そして「ネトウヨ」も加えている。

ちなみに、その攻撃方法は、オタクのときと同じく、見下し、貶め、困った人、社会問題、犯罪者予備軍として扱う。

そう、ちょっと前までのオタクも、その「中年童貞」も、社会は「モテない、恋愛しない=結婚しない=子どもが生まれない」と問題化し、「困った人種扱い」する。

現在は男性がターゲットになるが、かなり昔(戦前)は「結婚できない女性、しない女性」が世間から「困った人扱い」されていた。

だから、明治時代、丙午生まれの女性の自殺者が多かった。女性は結婚できなければ、世間から白い目で見られ、家の、社会の、お荷物扱いだった。

そして戦後になっても、1966年丙午迷信は生きており、丙午を避けようということで中絶が増え、右肩下がりだったはずの乳幼児死亡率が、1966年だけ上がった。おそらく丙午女児の消極的殺人(病気になっても放置されたなど)が行われたのでは、と邪推してしまう。

ちなみに丙午迷信とは・・・この年に生まれた女性は気が強く、夫を食い殺すという迷信があり、丙午の女性はなかなか結婚できなかった。

1966年くらいまでは、女性は結婚しなければならず、結婚できなければ生きる価値がないと思われていたのだ。中絶数や乳幼児死亡率がそれを意味している。
世間の、結婚しない人への攻撃は、ほんとうに厳しいものがあったのだろう。

現在、女性を攻撃ターゲットにしないのは、「女性の人権問題」があるので、女性は攻撃しづらい。そこで男性を標的にするようになり、「恥ずかしいヤツ」「みっともないヤツ」「社会のお荷物」として「社会問題の元凶」に仕立て上げるようになったのかも?

さて、中村さんによると、介護職に中年童貞が多く、トラブルを引き起こしているとのこと。
私は介護職については分からないので、これが本当なのかどうかは分からないが・・・

介護職は大変な仕事であることは想像がつく。
認知症のお年寄りは聞き分けがなく、世話は大変だろう。

子どもと違って、認知症のお年寄りはこれから「成長し、良くなっていく」わけではない。むしろ悪くなっていくことのほうが多いだろう。
そういった人とつきあうのは、ストレスでもある。

中年童貞でなくても、ついカーッとして暴言吐いたり、虐待につながったり、イジメになったり・・・「死んでくれ」と思ったりすることもあるのではないか。

自分の子どもに虐待してしまう親もいるのだ。「赤の他人である面倒をかけさせるお年寄り」を虐待する介護職員もいるだろう。

そして、自分の子どもに虐待する親は、当然、セックス経験者であり、結婚できた、ということだ。
つまり、そういった人も『虐待』という問題を起こす。

したがって、セックス未経験で結婚しない人を問題視するのに、違和感を持った。

それとも、セックス未経験者は問題を起こす率が高いとでも言うのだろうか?

セックス経験者が問題を起こす率と、セックス未経験者が問題を起こす率と、どれだけの差があるのだろう?
そもそも、それらを数値化できるのか?

世間はこうやって「空気」を作り、世間が良しとする価値観に合わないモノを問題視し、見下し、貶め、排除していこうとする気がしてならない。

それは明治時代から同じ・・・結婚できない女性を見下し、貶め、排除し、自殺に追い込み、そして戦後も、1966年周辺は、丙午生まれを避けようと中絶が増え、右肩下がりだったはずの乳幼児死亡率が1966年だけ上がり、いい年して結婚しない女性を「オールドミス」と呼び、バカにし、笑いものにしていた。

女性の適齢期には「クリスマスケーキ」という言葉があり、25歳を過ぎたら売れ残りと言われ、寿退社せずに会社にいる年を取った女性を「お局様」と呼び、「意地悪で、年下の女性を虐める嫌な女扱い」をしていた。

が、女性の権利・人権問題が指摘されるようになり、フェミニズム運動のおかげで、結婚しない女性は世間のターゲットにされることは減ってきた。「負け犬」という言葉もあり、揶揄されることはあるものの、昔のようにあからさまに攻撃されることはなくなった。
今、それをやったら「セクハラ」として問題になる。

その代わり、攻撃対象は女性から男性に変わってきた。
バブル時代からはオタクが問題視され、今はセックス未経験者がそのターゲットにされている。

それらはすべて「結婚しない・できない=子どもを持たない」ということで、社会にとって『歓迎できないこと』なのだろう。

いやあ、だから「プライオリティ」(シーズン3の第6章)でも登場人物らにこう言わせてしまうのだ。

「世間って恐ろしいですねっ」(ミスズ先生)
「世間は国家権力の恐ろしさばかりを取り上げるが、本当に一番恐ろしいのは世間だと思わんかね?」(ルッカー治安局長)

ちなみに工作員と戦う物語「プライオリティ」はこちら http://ncode.syosetu.com/n1557cj/
(結局、そこにつなげるのかい・・・)

「なろう」では、シーズン3の第6章「真相」の終話「罪人の手」を更新しました。
「ピクシブ」ではすでに第6章全部を「プライオリティ18」にアップ。
http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=2



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社会のためにセックスをしよう? [人生・生き方・生活・人間関係]

お国のためにセックスしよう♪

まずは、この記事を紹介。ウィズニュースより以下転載。
・・・・・・・・

「初体験」の高齢化進み、29歳でやっと半数が経験──。そんな調査結果が先月、報道され話題になりました。さらに、その2週間後、実は29歳は20歳の誤りだったことが判明。ネット上で大きな反響を呼びました。調査した団体は訂正後も、初体験の時期は「遅くなっている」としていますが、本当のところ、どこまで「草食化」が進んでいるのでしょうか?

「草食から絶食へ」と思ったら・・・
騒動の発端は、一般社団法人「日本家族計画協会」の性行動に関する調査結果でした。協会の調査では、当初、「初体験」をしている人が過半数をこえる年齢が「29歳」と発表されました。前回2012年の調査では「26歳」だったため、草食化から絶食化に進んでいると、報じられました。

ところが、報道から2週間後、日本家族計画協会は調査結果を訂正します。「29歳」だったのは「20歳」の誤りだったと発表したのです。前回調査の結果も「26歳」から「19歳」に訂正されました。結局、2012年から2014年にかけて19歳から20歳に1歳遅くなったという結論になりました。


<「絶望した」ネットで反響、飛び交う>

日本家族計画協会の訂正騒ぎは、ネット上で大きな話題になりました。「絶食化」は性経験がないまま年を取ることを心配する人たちに、「自分だけじゃない」と、ある種の安心を与える情報だったためです。訂正によって「絶食化」とまではいえないことが判明して一転、「奈落に落とされる」「絶望した」などの反応が飛び交いました。


「草食化」発端の一つは国の調査だった
国立社会保障・人口問題研究所は、将来の人口の推計を出すなど、国の政策立案に必要な様々なデータを収集、分析しています。性経験についても1987年から毎回、7000人以上の人に調査し、5年ごとに発表しています。

そもそも「草食化」の発端となるデータの一つは、国立社会保障・人口問題研究所の調査によるものでした。2010年に発表した「出生動向基本調査」の中で、男性の「性経験なし」と答えた人が、初めて調査対象の全世代(18歳から34歳)で上昇したのです。

その後、異性との交際に消極的な若者のエピソードなどが盛んに報道され、「草食化」という言葉が浸透していきました。日本家族計画協会のデータは、この流れをさらに裏付けるものだっただけに、大きな話題となりました。


<草食化は進んでいるのか?>

実際、その後も「草食化」は進んでいるのでしょうか? 国立社会保障・人口問題研究所で「出生動向基本調査」を担当している岩澤美帆さんは「2016年夏以降にわかる2015年の調査結果でも、『経験なし』が増えているかどうかが焦点です」と、ちょっと慎重です。岩澤さんは「『性経験』という一部分よりも、異性との付き合い方そのものに対する意識の変化に注目するべきです」と指摘します。


<結婚のハードル上がる>

「興味深いデータの一つが、女性が男性に求める結婚の条件です」と岩澤さんは言います。国立社会保障・人口問題研究所の調査では、10年前に比べて、目立って増えているのが「経済力」と「職業」。その他、「家事への協力」など、女性が結婚相手に求める条件が増えている状況が読み取れます。つまり、男性側からすると、結婚のハードルが上がっているのです。

また、岩澤さんは異性の交際相手がいない人が増えている点も見逃せないと言います。特に顕著なのが、男性で「交際している異性がいない」の割合です。2002年52.8%、2005年52.2%だったのが、2010年には61.4%と急上昇しています。

女性も上昇していますが、2005年44.7%から2010年が49.5%と、男性ほどではありません。また、2010年の調査で男性の41.5%が「1人の生活が寂しくない」と答えた一方、女性は28.7%にとどまりました。

岩澤さんは「男性の中で1人で生活することに違和感を持たない人が増えています。将来的には、このような意識の変化が『性経験』など様々な結果となって現れる可能性があります」としています。


<見落とされがちだった「未婚の社会人」>

岩澤さんによると、今回、日本家族計画協会の調査が注目された背景には、未婚の社会人に関する情報が少ないという事情もあるようです。というのも、これまで、学校を卒業し就職したら数年後には結婚するのが当たり前だという風潮があったため、結婚をしない社会人の存在が見落とされがちだったからです。

岩澤さんは「情報が少ない一方、当事者である未婚の社会人は増えており、親世代とは違う生き方をしつつある自分たちの将来について、気にしていた。その結果、特定のニュースが瞬時に拡散したのかもしれません」と見ています。


<「結婚に至らない女性」問題>

非正規雇用の増加や、結婚相手への条件の変化、さらに1人で生活することへの抵抗感の薄れなど、人生設計の考え方が大きく変化している現代。岩澤さんが心配するのは、「結婚願望を持っていながら、結婚に至らないかもしれない女性」の存在です。

最初から結婚をしないと決めている人は、裕福な人でもそうでない人も、それを前提に将来設計をします。男性は女性の求める結婚の条件に合わない人が増えており、1人でいることにも抵抗感がなくなっています。

ところが、女性は先ほどの「1人の生活が寂しくない」への回答を見ても、1997年(28.3%)と、2010年(28.7%)はほとんど変わっていません。男性は1997年(37.1%)から、2010年(41.5%)にかけて増加が明らかです。


<将来設計崩れた時のダメージ大きい>

岩澤さんは「今のままの結婚への考え方が変わらなければ、男女間のミスマッチは避けられず、特に女性について将来設計が狂ってしまう人が増える可能性があります」と警告します。

今後、必要なことは何か。岩澤さんは「貯金や住居など、一人で生きていくための備えができていないと、結婚を前提にした将来設計が崩れた時のダメージは、かなり大きくなります。未婚の社会人へのケアや、結婚相手の幅を広げる支援策など、新たな対応を考える時期に来ていると言えます」と話しています。

結婚の在り方を巡っては、東京都渋谷区が同性婚のカップルに証明書を発行するなど、様々なスタイルが認められつつあります。また、性的少数者(LGBT)の人たちについては、「夫がフルタイムで働き妻は専業主婦」などといった旧来の伝統的とされる家族に比べると、社会調査の対象とされていない部分があるのも事実です。

未婚の社会人をはじめとして、時代の変化によって生まれた新たな生き方が浸透しつつも、旧来の価値観から抜け出せない面もある。それが、「草食」「絶食」騒動の背景にあるのかもしれません。

・・・・・・・・・
転載終わり。

いつも、この手のニュースというか調査を見て思うのだけど、答えている人いるのか・・・
初体験がいつだとか、きわめて私的なことであって、国の調査機関がこういったことを税金使って調べていることに、なんだかなあ・・・(公金で調査しているんだよね?)

で、世間や社会が「いつ初体験したのか?」をあからさまに気にする社会って、ちょっと気持ち悪い。

世間の価値観としては「早い方がいい」と思っているように感じる。ちょっと遅くなれば「草食」「絶食」と大騒ぎ。 まあ、さすがに中学生では早すぎる、と世間様も思うだろうけど、高校生・大学生あたりを良しとするのか?

世間様が「早くセックスしろ」「20歳過ぎてまだしてないの?」「早く早く~」「20歳までにはしておこうね」「せめて20代前半までには」「20代後半になったら恥ずかしいよ」と言っているようにも聞こえる。

当初29歳という結果に世間様は「絶食だ」と大騒ぎしたが、実は20歳の誤りということでホッとしつつも、その前の調査では19歳だったので、年々草食化していると心配でもあるのだろう。

とにかくセックスしろと言わんばかりのこの手のニュース・・・不気味。
もちろん、セックスだけすればいいというのではなく、世間が求めているのは、セックスしろ=恋愛しろ=結婚しろ=子ども産め・・・なんだろうけれど。

そんなに世間がセックスを求めるんであれば、創作の世界では、お望み通り、セックスシーンをたくさん描こうか(マジで、爆)
もし、そのセックスシーンを読んで(見て)、読み手が「セックスしたい~」と感じてくれれば、世間様のお望み通りになる。 うむ、セックスシーンの表現力が求められるな・・・

ま・・・拙作「パラレル・プライオリティ日本編」の静也と理沙も「除夜の鐘ごっこ」をやったりしているから、ソフト?な性描写もないわけではないけれど。
ちなみに「除夜の鐘ごっこ」はこちら http://ncode.syosetu.com/n2006cl/3/

そういえば「パラレル・プライオリティ日本編」の静也と理沙は公務員という安定した職業につき、かつ20歳で結婚し、23歳で子どもをもつ・・・世間様が良しとする生き方しているよなあ。
静也と理沙には両親がいないが、親からしてみれば『理想的な生き方をする息子、娘』なのだろう。

ということで短編集「パラレル・プライオリティ日本編」よろしくお願いします(結局ここにつなげる^^;)
http://ncode.syosetu.com/n2006cl/

日本文化や風習もテーマだけど、夫婦愛もテーマな、ほのぼのハートフル物語です。
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ちなみに最新の8編目は桃の節句・ひな祭りをテーマにしてます。
http://ncode.syosetu.com/n2006cl/8/

また第1編の「聖夜」では・・・主人公静也は世間様の代弁者のように、「卵子が老化するから20代前半で子供を産んだ方がいい」と妻の理沙に言ったりする・・・
ちなみに「聖夜」はこちらhttp://ncode.syosetu.com/n2006cl/1/

まさに社会の望みは「女性は若いうちに早く子供を産んでくれ」なのだろう。
だから「早くセックスを、恋愛を、結婚を」となるのだろう。

いやあ、『花子とアン』の、村岡花子(「赤毛のアンの原作者」)が言っていた「(相手の男性に)心をあげずに、体だけあげるのは罪悪よ」って、今の世間様なら鼻で笑うな。

「本当に好きな人が表れるまで待ってたら、取り残されるぞ。相思相愛になるとは限らないし、妥協するのも大事。チャンスがあれば逃さず、とりあえずセックスしろ=恋愛しろ=結婚しろ=子ども産んでね♪」と言っているようにも聞こえてしまうのは、私だけか?

本編「プライオリティ」http://ncode.syosetu.com/n1557cj/にて
シーズン3の第6章でミスズ先生が皮肉る「世間って恐ろしいですねっ」という言葉、まさにぴったり。世間ってこんなに気持ち悪いものだったのか・・・

ちょっと前の世間はオタクを「気持ち悪い」と言っていたが、その言葉、そっくりお返ししよう。

世間様がこれほど若者に早くからのセックスをお望みとは・・・セックスしないことを憂えていたとは・・・ちょっと驚いたのであった♪

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過ぎる亭主関白に不快感 [雑記]

今日の夕食は、うちも鰤(ブリ)の照り焼きでした。(「悩ましき桃の節句」での四条家の夕飯メニュー)

その夕食時に、ちらっとテレビを見て・・・「ああ、勝間さんだ。相変わらず元気だな」と週末もアクティヴな勝間和代さんの姿にエネルギーをもらい、気持ちよい気分になったのに・・・

が、そのあと来週の予告編として「亭主関白」テーマに、その番組のほんのさわりの部分が紹介されていて、一気に「嫌な気分」になった。

その亭主関白とは、栗田寛一さんだったんだけど・・・う~ん、やらせなのかな? それでも・・・やらせであろうがなかろうが、嫌な感じを視聴者に与えるだろう。

東国原さんの時もそうだったが、過剰な演出をしているにせよ、あの手の亭主関白ぶりを見せて、何を狙っているんだろう。

イメージは落ちる。それを分かっていて東国原さんも栗田寛一さんもテレビであのような姿をさらしているんだろうか?

もちろん、かかあ天下も私個人は好きではない。一方が威張る、というのは、『相手を見下している』ということだ。

が、亭主関白の場合、弱い者いじめをしている感じがする。やらせだったとしても、不愉快だ。予告編で見ただけだけど、あそこまで行けば、言葉の暴力以外何物でもない。殴る蹴るだけではなく、言葉の暴力もDVである。
妻に「死んでくれ」=死ね、という言葉を吐くなんて、子どもじゃあるまいし、恥ずかしいことだ。

やらせでやったとしても、あるいは本気じゃなく、ついカーッとして言ってしまったとしても、そのような言葉を吐くなんて、人間性を疑う。

テレビで晒したということは、それが非常に恥ずかしい言動だ、と栗田さんは思っていない、ということだろう。

恥ずかしいと思っていれば、ご自身のイメージダウンは計り知れないのだから、やらないはずである。

ま、夫婦間にしか分からないことはあるにせよ、テレビにさらした段階で、夫婦のことを見世物にしたわけだから、視聴者はそれについていろんな感想(批判)をするのは当然だ。「夫婦にしか分からないのだから、第三者はあれこれ批判するな」と言うのであれば、最初から見世物にすべきではないだろう。

というか、見下すような相手、バカにしている相手と一緒に暮らして幸せか?
その反対に、自分を見下す相手、バカにする相手と一緒に暮らして幸せか? と不思議に思う。

いや、ほんとうは見下していないし、バカにしてない、愛している、妻に甘えているだけなんだ、としても・・・反対に、妻はそんな夫を甘えさせてあげているんだ、としても、私は栗田寛一さん、および東国原さんを「嫌な人間だ」と思ってしまう。イメージは地に落ちた。まさか、ああいったタイプの人間だったとは・・・残念だ。

やっぱりお互い対等意識を持ったカップルが気持ちいい。


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