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婚活欝 [人生・生き方・生活・人間関係]

「婚活欝」について綴ってみる。
だいぶ前の話になるが、朝日新聞より、「婚活欝」の記事があり、そんなことで欝になってしまうのか・・・(つまり病院に通い、薬を処方されるほどの欝だ)、とびっくりした。で、ちょいと検索してみたところ、「婚活欝専門外来」って本当にあるんですね・・・

http://kawamotomentalclinic.com/oshirase.html
http://diamond.jp/articles/-/9035

ま、大半の人は本格的な鬱病というほどのものではなく、カウンセリングを受ける感じなのかもしれないけれど、それでも中には向精神薬を処方される人もいるようで・・・いやあ、結婚生活のほうがよほど大変だろうに、婚活で欝になるような性質の人は、もっとストレスを感じるだろう結婚生活ましてや子育てすることは厳しいのでは、と思ってしまった。

婚活欝で向精神薬を処方され、それでなんとか婚活を続けているケースも紹介されていたが・・・いや、そんなことで薬に頼らないとやっていけない相手と結婚しようという人はいないだろうなあ、と正直思ってしまう。結婚後はもっと辛いことがあるかもしれないのに、とても耐えられず、結婚生活は破綻するのでは、と。

欝になるくらいならば、まずは婚活から離れればいいのに、と。けど、婚活をやめたら、さらに不安で仕方なくなるのだろう。
そこまでして結婚したいのか・・・というか、好きな相手がいて一緒になりたいから結婚したいのではなく、とにかく条件さえ合えば誰でもいいから結婚したいのだろう、ということなのだろうか・・・

そういえば、これも前の話になるけれど、「婚活がなかなか上手く行かず疲れてしまった女性」をテーマにフジテレビのドキュメント番組もあったっけ。

そこまでして結婚したい理由はおそらく「この先、独身のままだと不安だから」なのかもしれない
けど、おそらくこういった人は、結婚しても「不安」から逃れられず、子どもが生まれて、子供がちょっとでも発育が遅かったり、なにか上手く行かなかったりしたら、もう不安で仕方なくなるだろう。さらに苛め問題、学校でうまくやっていけるか、社会に出られるのか、就職できるのか、などなど不安材料はたくさん出てくる。子どものことへの心配事は、ほんとうに大変そうだ。
婚活欝の次は、もっと辛い育児ノイローゼに陥るかもしれない。

当ブログでは「発達障害」についても、よく話題にしているが・・・発達障害は6・2パーセントの確率で生まれると聞く。(境界線上はもっといるだろう)
発達障害の2次障害として「精神障害になる率が高いこと」を聞いた。(NHK教育はよく「発達障害について」話題を取り上げているが、このことも告知するべきかもしれない。(偏見もあるし、難しい問題なので取り上げないのだろうか。事実、発達障害を苦に、子どもを殺してしまった事件もある)

婚活以上に、ほんとうに厳しく大変なことが待っているかもしれない。
婚活が上手くいかない程度で欝になるような人に、もしも発達障害の子どもが生まれたら・・・ほんとうに育てていくことができるのか、と思う。

世間の「幸せ価値観」に縛られると、碌なことにならない気がする。
どんな生き方をしようとリスクがあり、不安からは逃げられないと思うのだが・・・

就職活動は、生きていくのにどうしたって「お金」が必要だから、就活はやらないといけないことだし、うまくいかなきゃ不安になるだろうし、疲れて欝になるのは分かるけど・・・結婚はべつにしなくても生きていけるのだから、もっと気楽にかまえればいいのに、と思う。

それに、就職活動よりも、婚活のほうがハードルが高く難しいかもしれない。結婚生活が上手くいかなきゃ離婚すればいいのかもしれないが、離婚するのは大変で、会社をやめるよりもはるかに大変だと思う。

企業が人を選ぶ時、万が一、ミスマッチがあったとしても、その人の所為で会社がすぐにどうこうなるというような大きな影響力はないが、結婚相手とのミスマッチは、その人=配偶者の人生を左右するほど影響力は大だ。
なので、結婚はやはり人生における一大事であり、お互い、厳しい目で相手を選びあうことになるだろう。会社が人を選ぶ時よりも、さらに厳しいのは当然かもしれない。

自分はここまで条件を落としたつもりなのに、なおも「振られる」ことは、たしかに精神的に落ち込むだろう。「自分の価値が相当低い」と思わされてしまい、全否定された気持ちになってしまい、欝になる、というのも分かるけど、ほんとうに「そこまでして結婚したいのか」「結婚後、幸せになれるという幻想を抱いているだけではないか」とよくよく考えたほうがいいかもしれない。もしかしたら「多くの人がしているから、しないと不安」だけなのかもしれない。

自分の人生を左右するような影響力を持つ人をひとりだけ選ぶ、と言うのは、本当に大変なことなのだから、どこかに就職することよりも結婚することのほうが難しい気がする。婚活が上手くいくほうが奇跡だ、相当運が良い、儲けもの、と思ったほうがいいのかもしれない。つまり、上手くいかなくて当たり前。条件を下げてもだ。

で、その後の結婚生活が上手く行くのか、それも不安になるのでは?とも思ってしまう。

一緒になりたいような好きな相手がいるわけでもなく、欝になるほどとにかく結婚したいということは、結婚そのものに相当の価値を求め、結婚そのものに幻想を抱いている可能性も高いからだ。けど、すぐに幻滅することになるかもしれない。

恋愛感情が入っていれば、勢いでいってしまえるところもあるだろうが、「まず結婚ありき」の婚活で相手を選ぶとなると、慎重さも入り、相当厳しいものになるだろう。

昔は大半の人は、どこかしらの会社に就職でき正社員になれたし、結婚もできただろうけれど、これからの時代は「大半の人に出来る普通のこと」というのは、なくなっていくのかもしれない。

昔と今とでは、ほんとうに違う世の中になったのだし、だからといって今の時代が良くないわけではなく、多様化され、いろんな生き方ができて、その点は、昔よりは良い時代になってきたとも思うのだが・・・

昔は、本当に「皆と同じ生き方」をしてないといけない空気はもっともっと強かっただろうし、プレッシャーも今とは比べものにならないほどすごかっただろう・・・昔のほうが自由度が少なく、その分、大多数の人が窮屈な思いをしながら同じ生き方ができていたに過ぎない、と思う。

今の不安定な時代、結婚することもリスクを抱えることになるかもしれない。どう生きようと、「不安」から逃れられないのかも・・・

とくに「子育て」については、いじめなどの学校問題、受験、就職問題などなど心配事は尽きない。
婚活がうまくいかない程度の大変さとは次元が違う苦労が多いだろう。

もち、結婚=子どもを持つ、ではないだろうし、子育ては嬉しいことや楽しいこともあるだろうし、幸運にも全く問題を抱えず子どもがすくすく育つ場合もあるだろうけれど。


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発達障害について [社会・ニュース]

追記の追記

家族5人殺傷事件の、発達障害だとされる加害者は「悪魔の命令」でやったとのことで、これが本当であれば「統合失調症」の可能性もあるのでは、と思った。
身近にいる統合失調症の人も、よく「悪魔」のようなものが出てきて、それが命令を下し、その命令に従わないといられない、らしいから。
でも、薬でそれは抑えることが出来る。

なので発達障害者がそういった精神疾患のリスクが高いことを告知すれば、もっと早い段階で精神科を受診し、そういった犯罪行為を未然に防ぐこともできたかもしれない、と思った。

Eテレは、そういったことも取り上げて欲しい。難しい問題かもしれないが、大切な問題でもある。

追記
http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201111240043.html

犯罪者を弁護するとき、加害者は「発達障害だった」と言うケースもよく耳にする・・・
本当に発達障害だったかもしれないが、安易に「発達障害の所為」にすれば、発達障害者はますます差別されるかもしれない。

市川拓司さんのような社会的成功者もいれば、犯罪者もいるということなのかもしれないが・・・
発達障害も軽いのから重いのまで、さまざまなのだろうが・・・こういったニュースやテレビ番組を見て、「何でも障害の所為にして」と思う人もたくさんいるだろう。

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11月25日
当ブログ訪問者の【ワード検索】に、【発達障害】が多い。
先日もNHK教育(Eテレ)で、「発達障害」について扱っていたからだろう。そして、またしても作家の「市川拓司さん」が出ていたようだ。(市川さんについては下記にて)

ところで、なぜ、私がこの問題について話題にしているかというと、身近に【発達障害者】がいるからだ。
精神科医は「発達障害者は精神疾患になるリスクが普通の人より高い」と言っているそうだ。精神科にあるパンフレットにもそういう記述がある。ポピュラーな鬱病だけではない。統合失調症へのリスクも高いという。

難しい問題だが、Eテレはそのことも伝えるべきではないのか、と思った。
精神病も早期発見が大事だからだ。

市川さんのような社会的成功者を出し、希望を持たせようとしているのも分かるが(いや、そもそも市川さんクラスを「発達障害」と言うならば、2,3割の人が該当するように思うが)・・・

発達障害は精神疾患もリスクが高く、厄介な障害である、ということを世間に認知させてほしいと思う。

もちろん、そんなことを知らせてしまっては、ますます発達障害を苦に無理心中、あるいは子どもを殺してしまうケースも出てくるかもしれない。
でも、だからこそ社会的なケア、支援が必要なのだ、ということでもあるのだ。
ただし、市川さんクラスも「発達障害だ」とするならば、発達障害者に対する社会的なケアや支援は進まないかもしれない。だって「努力すればなんとかなる。支援など必要ない。障害のせいにするな。甘えるな」と誰もが思ってしまうだろうから。

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夢と現実の厳しさ [人生・生き方・生活・人間関係]

久々の日記です。ミクシーおよびFBで語った内容をコピペ。

漫画家の弘兼憲史氏の発言について。
http://www.j-cast.com/kaisha/2011/11/16113356.htmlより

漫画家の 弘兼憲史氏は・・・
「夢はかなう」「願えばかなう、だから夢を持ちなさい」という言葉は、1つの考え方としては理解できるが、かなわない夢だってある現実を子どもたちに早く教えた方がいいと説き、

東京芸大を10年も受験してまだあきらめない人を例にあげ、
「いいかげんあきらめた方がいい」「いつまでも夢を見続けるというのは、必ずしも幸せなことではない」

と言うのだけど・・・・


まず、目的と手段を混合してしまうってこと、よくあるよなあ。
芸大に入ることって「夢」=「最終目的なのか?」と思った。芸大に入って勉強することは「手段のひとつ」だろう。

10年受験ということは、音楽ではなく、美術のほうかな・・・だとすると、芸大に入って終わり、ではなく・・・その先、画家になる、画で仕事をする、画をたくさんの人に見てもらいたい、画で人を感動させたい、などなどの目的があるだろう。

だから、なにも「芸大に入らなくても、他の方法があるのでは」と思う。
最終目標は何なのか?って、つきつめていったほうがいいのかもしれない。

「とにかく画だけ描いて暮したい。ほかのことはやりたくない」というのが夢であれば、「画で報酬を得て、画で生活をする」が最終目的となるのだろう。

けど「たくさんの人に見てもらって、感動させたい」というのが夢であれば、「画で仕事をする」は「多くの人の目に留まる機会が増える」ということで「手段」かもしれない。

ならば、仕事にならなくても、ほかの手段があるかもしれない。
趣味として発表を続ける、ていうのもありだろう。

これはピアノや漫画、作家も同様・・・
今はネットがあるので、発表の機会は、昔よりもある。
うまく宣伝ができれば、多くの人の目に触れさせることもできるかもしれない。
そこから、ひょっとしたら、仕事につながることもあるかもしれない。


さてさて、そのことよりも・・・
弘兼氏の「かなわない夢だってある現実を子どもたちに早く教えた方がいい。いつまでも夢を見続けるというのは、必ずしも幸せなことではない」との発言が気になった。

ある程度の歳になれば、たいていの人は現実を知るわけで、早いうちから子どもに教えなくても、とは思う。
いや、子どもだって、早いうちから、そんなこと分かるだろう。

「必ずしも幸せなことではない」という言い方は「幸せなこともあるかもしれない」とも受け取れるが、本音は「幸せになれない」と言いたいのだろう。

が、そもそも幸せかどうかって、他人が決めることではない。
夢=目標を持ち、それに挑戦し続けることができるって、恵まれているのでは、と。
夢中になれる何かがあることは、私は幸せだと思うが。

弘兼氏は、いい大人が、夢ばかり見続けて、実現できず、結局、就職できず、食べていけなくなり、貧乏のどん底へ、ということを心配し、「不幸になる」と言いたいのかもしれない。

不幸を回避するには、まず就職=安定的な仕事につく、安定的な収入を得る、ということが大事ということも分かるが・・・だとすると、そもそも、今の時代、安定的な仕事につく=簡単に潰れないだろう一流企業の正社員になることを早くから目指してもなかなか難しいだろう。
公務員になるにも競争率が高いだろう。

仕事は、中国やインドやほか海外に取られ、よほど優秀でなければ、安定的にある程度の収入を得ることが困難になる時代がきている気がする。

正社員になること、公務員になること、ある程度の収入を安定的に得ること、そして子ども(扶養家族)をもつことも「かなわない夢」「難しい夢」「身の程知らずの夢」かもしれない。

そういった「現実は厳しい」ことを子どもに教え込んだら・・・奮起する子どももいるかもしれないが、ま、将来を悲観的にしか捉えられなくなる子どももいるかもしれない。生きていく自信をなくす子どももいるかもしれない。
それに、現実の厳しさをあえて教えなくても、今のこの情報社会の中、子どもは敏感に感じ取ると思うのだけど。

大学を10年受験し続ける人は、かなり特殊で、そんな人はごくごく少数だろう。(というか、そんなことができるなんて、かなり恵まれている環境のように思う・・・)

身の程知らずな夢を見続けることは、不幸の始まりなのか・・・ ?

ただ、私も「身の程知らずの夢」を見て(弘兼さんから見れば、身の程知らずにうつるはずだ)、たしかに身の程知らずだったかもしれないが、エネルギーが枯渇するまでやりつくしたので、満足である。
自分はやりつくしたと思うまで、やらなければ、そのほうが後悔するのでは、とも思う。

人に迷惑をかけたり、生活が破綻するほどのめりこむのでなければ、たとえ実現できなくても、夢=目標を持ち続けたほうが、楽しそうに思うのだが、どうなのだろう。

それとも、弘兼さんが危惧を抱くほど、実現不可能な夢を見続け、将来、生活が破綻しそうな人が多いのだろうか?

ところで、弘兼さんの発言ではないが・・・
この記事によると、「夢を見続けること」は子どもだけの問題ではなく、特に、30歳前後の「自己啓発書依存症」の人たちには、その傾向が強いそうだ。


以下、抜粋。

【学歴が高く、そこそこの会社に入ったんだけれども、いまひとつパッとしない人たちが、『成功したい』『愛されたい』という欲望を抱いて、成功者の法則を説く有名人の追っかけをするんです。本を大量に買ったり、高額なセミナーに参加したりしますが、自分は一向に有名にならない(笑い)。それでも彼らは『いつか夢は必ずかなう』と疑いません】
【「これであなたも成功する」「こうすればうまくいく」と呼びかける人たちにフラフラとついていく。そしてツイッターやフェイスブックで彼らの「友だち」となったつもりになり、追っかけとなって搾り取られてしまうというのだ】

抜粋終わり。

なんだか言っちゃ悪いが、「カツマー」(勝間和代さんのファン。勝間和代的生き方=社会的成功者を目指す人)を思ってしまった。
勝間さんはこの手の本をよく書いているし、【勝間塾】【セミナー】【合宿】もやっているし・・・

でも、そういった目標に向って、何か活動をすることは、充実感が得られ、幸福感を味わえるのかもしれない。中には、それをきっかけに「成功する人」もいるかもしれない。

それに、仕事で成功しても、家庭がうまくいかず不幸になる、ってケースもあるだろう。
ひとつのケースだけ取り上げて、幸・不幸は簡単に判断できるものではない、説けるものではない、と思うのだが。

そういえば、世間様は、ちょっと前は「ニート」な(=無気力、目標を持たない、やりたいことが特にない、夢がない)若者が増えた、若者に覇気がない、若者が老人化している、安定ばかり求めて冒険をしない、などと言っては問題にしていたような・・・

そして今度は、夢を見すぎると、「かなわない夢だってある現実を子どもたちに早く教えた方がいい」と説き、「いつまでも夢を見続けるというのは、必ずしも幸せなことではない」 と・・・世間様=知名度(社会への影響力)がある公人は苦言を呈する・・・

どんな生き方をしようが、世間様はイチャモンをつけてくる気がする。

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