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女子フィギュアのジャッジに疑問 [社会・ニュース]

世界選手権の女子フィギュアのフリーについて

まずは参考記事、紹介↓
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0329&f=national_0329_004.shtml

http://toramomo.exblog.jp/13065400/#13065400_1
http://toramomo.exblog.jp/13059463/#13059463_1

・・・さすがに、いろんなところでも点数の付け方に疑問をもつ声が聞こえてくる。
テレビでも「なぜ」という声があった。
でも、番組的には「おかしい」という声は受け流し気味であった。それが逆に不自然だった。ちゃんと突っ込んでほしかったと思う。
皆が疑問に思っているだろう。

真央さんのトリプルアクセルの回転不足というジャッジもあまりに厳しい。
素人目には完璧に見えた。テレビでも、プロの人が見ても「辛すぎる」「完璧に思えた」と言っていた。
あれのどこが回転不足なのか、分からない。

トリプルアクセルはほんのちょっとしたことで回転不足をとられてしまう難しい技ということでもあるのだろう。
それなのに、トリプルアクセルの連続技の基礎点は低い。加算もされにくいようだ。

一方、キムヨナ選手は1回転び、1回は回転できなかった、という、素人から見たら「大ミス」のように思えるが、なぜか、真央さんよりも点数が上回っている。不思議である、どうしてこのようなことが起こりえるのか・・・

誤解なきよう・・・キムヨナ選手を批判しているのではない。点数の付け方、ジャッジを批判しているのである。

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邪推 [雑記]

勝間本「やればできる」を読んでみた。ちょっと前になるが勝間さんを取り上げた「金スマ」も見た。
というわけで、「なんちゃってカツマー」として、これらについての感想を綴ってみよう。

私は基本的には、勝間さんの「努力についての考え方」を支持するし、共感もする。
「やればできる」も、大半の内容には共感する。

なので勝間さんに対し、ひっかかったことだけ書いておこうと思う。

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勝間和代VS香山リカその11・・・努力と運 [雑記]

前日記の続きです。
アエラに載っていた「勝間和代VS香山リカ」の対談記事で、ちょっと気になったことを考えてみようと思います。

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アエラの記事を読んで、精神科医の香山さんは「医者になれたのはただ運がよかっただけ、環境に恵まれただけ」と言っており・・・

それはつまり、香山さんは今の立場になれたことも、「ただただ運がよかっただけ」「そんなに自分は努力していない」ということなのだろうか。

そこまで言われると・・・
何かを手に入れたり、目標を達成したり、周囲から褒められたり、認められたりしたとき、「いえいえ、すべて運が良かっただけ」「環境に恵まれただけ」であり、「そんなに努力してません」と言うのは、なんだかなあ・・・とも思ってしまった。

たしかに運や環境に恵まれたからこそ、というのも大きいだろうけど、「努力はそれほどしてません」と言われると「本当か?」と・・・

ただ、もちろん自分も振り返ってみれば・・・運や環境が大きく関わったように思う。

たとえば、ピアノの場合、高校時代「自分に合った良い先生」「憧れてしまうほどピアノが上手い友達」にめぐり合えたことが非常に大きい。
なので練習も全く苦ではなく、もしも「練習すること」=「努力」であるとすれば、私は努力することが非常に楽しかった、ということになる。非常に楽しいので、1日4時間は当たり前、休日は8時間以上、中学時代までとは打って変わって練習した。
もちろん、そういった環境を得るためにお金をかけることができた経済的環境も大きい。
もし、音高などに行かず、お金がないから、ピアノはやめてくれ、と言われたら、おそらくやめていたと思う。

「努力する」ということが、「苦しく我慢を強いられるもの」であるなら、もちろん、私はピアノの技術習得について、そんなに努力しなかったと言える。

けど、「練習」は、おそらく「努力」ということになるのだろう。

ならば、こう言える。練習すれば、誰でも弾けるようになる、と。
実際、そうである。
10代の時に、毎日2~3時間以上練習するだけで、相当弾けるようになるだろう。音大に行かなくても、音大生並みに弾けるようになるはずだ。

反対に、練習しなければ弾けない、のである。
おそらく、これはピアノや楽器を弾くことだけではなく、あらゆることに当てはまるだろう。

練習=努力は不可欠である。
少なくとも私は、運と環境だけで、努力=練習をしなくてもピアノは弾けるようになりますよ、とは言えない。

ただし、現在の自分は、あれほどの練習はできない。体力的にも気力的にも落ち、そしてモチベーションも保てず・・・この状態で、もし10代のときと同じ練習量を強いられたら、相当辛い、と思う。
10代のときはやればやるだけ伸びるが、今はそうはいかない。維持だけで精一杯といったところだ。

おっと・・・ピアノについては、ブログに「ピアノ関連カテゴリー」が別にあるので、「ピアノネタ」として新たに記事にしてみたいと思う。もともと、ピアノやショパン、ゲーム音楽のピアノアレンジについて語るために、このブログを開設のに、これでは「勝間ネタがテーマ」「勝間ネタ中心」みたいなブログである・・・^^;


さてさて、自分で「努力しなかった」「運が良かっただけ」というのはいいだろう。
けど、他者に対し、「あなたはただ運がよかっただけ」「環境がよかっただけ」といえるのか?ということだ。
もちろん、「運」「環境」は大きいだろう。
だが「努力はそれほど重要じゃないよね」とは言えないだろう。言えば、大変失礼である。

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勝間和代VS香山リカその10・・・再び「努力すること」について [雑記]

またまたアエラで「勝間和代VS香山リカ」の記事がありましたね・・・
これは「なんちゃってカツマー」としては動かなくてはなるまい・・・ということで、またまたネタにしてみようと思います。

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さてさて、勝間さんの「努力することについて」のこんな記事を見た。「勝間VS香山」に興味持っている人にはお勧め・・・というか、ぜひ読んで欲しいと思った。http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/k-info/2010/01/post-48.html

私は「ごもっとも」と素直に思える。全く、勝間さんの言うとおりで反論できないのでは、と思う。
少なくとも、私はこれに対しては「論理的」には反論できない・・・

↓努力することから逃げている人(私も含めて)には耳の痛い言葉かもしれない。

勝間さんのお言葉っ抜粋♪
【たぶん「競争しなくていいよ」と言ってほしいんですよね。「努力しなくていいよ」と。】

【努力がどうしても嫌いな人や、人生がうまくいってない人……正確に言えばうまくいってないと思いこんでいる人は、香山さんの方に共感すると思います。努力しようがすまいが自分の人生は変わらない、と思っている人は、「それでいいんだ」と言われたいでしょう。そういう人には、勝間和代の本はノイズになる。せっかく「がんばらない」ことで心の平安を得ているのに、「やればできる」なんて言われたくない。もちろん、何を選ぶかは、人それぞれですが。】


良い悪いはともかくこの世の中は競争社会であるのが現実だ。「努力しなくても渡っていけるほど甘くはない。良い悪いではなく、それが現実だ」と勝間さんは言いたいのかもしれない。

それと、おそらく・・・
「努力したのに、もしも全く報われなかったら・・・」と、そんな現実を見るよりも、
「努力しないでおいて、でも本当はやればできるかもしれない」と思うほうがラクかもしれない。

「努力してもダメだった」ということは「自分自身に最初からその才能なり、資質がなかった」「これって自分に価値がないってことかも・・・」と考えてしまい・・・そんなの認めたくない、と思う人もいるかもしれない。
そういう思いについては、私もよく分かる。

「どうせ、私なんて・・・」「努力しても無駄に決まっている」という卑屈になってしまう気持ちもよく分かる。
若い頃、私もそんな気持ちになったことがよくあるからだ。

ただ、それならば実際に他者から認められることを期待してはいけないのかもしれない・・・と。

「生きていてごめんなさい」=(私は生きているのも申し訳ないほど価値のない人間です・・・)
こういう言葉もよく聞く。冗談や皮肉で言う場合もあるが、卑屈な態度で、そういった言葉を吐く人もいる。
これも分かる。私もやっぱりそういう気持ちによくなったものだ。

けど、その言葉を他者に吐く人は、「私を認めて」という気持ちがあるのだろう。

本当に「生きていてごめんなさい」と思うならば、ひっそりと生き、迷惑をかけないように他者とできるだけ関わらないはずだ。よってそんな言葉を他者に吐く機会はないはずだ。たとえネット上でも。

「私を認めて欲しい」のならば、やはり努力するしかないのである。

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不良債権人間 [人生・生き方・生活・人間関係]

以前、朝日新聞で・・・親が娘について、派遣社員で一人暮らしをしているが、そう稼げないので、その部屋代などは親が払い、なのに娘は親を疎ましく思っているのか険悪になってしまい、どうしたらいいか・・・というような相談内容に対し、上野千鶴子さんが回答していたのだが・・・

【娘さんは「不良債権」になってしまったんですね】

というような書かれた方に、「わ・・・キツイな」と思った。

音楽マンガ「のだめカンタービレ」でも、音大生は卒業後、まともな就職先がなく「不良債権」になってしまうことがある、みたいな表現があり、うまいこと言うなあと関心してしまったけど、それはあくまでも「マンガ」だったし・・・実は私も自分のことを「不良債権」だと思っている。

莫大な金をかけた割りに、つまり親が私に投資してくれたのに、その分を稼ぐことができず、リターンが少なく、不良債権になってしまったのだ。お金のことだけを言えば、そういうことになる。
いや、お金はともかく・・・習得したピアノの腕も、お金をかけた割には、うーん・・・成功したとは大きな声では言えないかも、と私自身は思っている。
けど「楽しめたかどうか」でいえば、とっても楽しめた。
ま、でも、きっとこれは「負け犬の遠吠え」というヤツなのだろう。まずは「お金」なのかもしれない。

というわけで、たしかに、親が投資したのに、その期待に子供が応えられず、よって「不良債権である」と言われるのは、仕方ないとは思っている。

でも、それは本人か、子供に投資した親ならば言っていいが、第三者に言われるのはキツイなあ、とちょっと思ってしまった。
ま、けど、そういうことも受け入れ、自分は不良債権である自覚をもつことも大切かもしれない。

不良債権なのだから「大きな顔」をしてはいけないのである。肩身が狭いのは当然のことであり、親がモンクを言うのも仕方ないとも思う。

この娘さんの場合、部屋代を親に出させているんだったら、そのへんは感謝し、親に頭を下げないといけないと思う。あるいは、部屋代が払えないのであれば、親の家に戻り、住まわせていただくしかないだろう。

ということで・・・「不良債権」と言われるのはキツイとは思ったが、不良債権らしく振舞うことも大事だと思ったのであった。

「投資」という言い方もキツイし冷たいし、親は子供にそんなことを思ってない、という人もいるだろうが・・・
社会全体では「子供は将来の投資」というような言葉を使うし・・・だから、上野千鶴子さんも「投資した割りに見返り、リターンがなかった」=「不良債権」という言葉を使ったのだ。

さてさて、なぜこんな話題を振ったのかというと・・・

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