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勝間和代VS香山リカその5(・・・勝間さんの「断る力」) [雑記]

勝間和代の「断る力」を読んだ。
これはかなり面白かった。


「断るほど仕事が来るなんていいですね」「仕事が来なくて困っている人のほうが多い世の中なんですよ」というようなことを香山リカさんから言われているようだが、この本のテーマは「仕事の断り方」という単純なものではない。仕事に限らず、あらゆる場面で、役立つこともあるのでは、と思う。
で、その「断る力」の哲学は、かなり共感できるし、「なるほど」と思える。

私ならば、5つ星つける。

こういった類の話題になった本は、たいていは、「なぜこんな内容の本が売れる?」と、ただ宣伝がうまくいっただけなのだろうというような本であり、それほど目新しいことなど書いてなく、あるいは分かりにくかったり、言っていることが薄っぺらかったり、ありふれた内容で面白くなかったりするが、これは面白く、読みやすく、タメになる本だと思う。

勝間さんの考え方に教えられる部分がたくさんあった。

こういった類の本で「面白い」と思ったのは、久々である。勝間さんに興味あるから評価が甘くなっているというわけではない。事実、前の方の日記で紹介した「7つの成功・・・」「知的生産術・・・」「インディ・・・」は面白くなかったのだから。(あくまで個人的感想ね)

こういった本をこれからも書いてくれるならば、ほんとうにこういった哲学で生きているのならば、勝間ファンになってしまうかもしれない。それくらいの本だった。

というわけで、時間があったら「断る力」について、「勝間和代現象」を語る上で、もう少し記事にしてみたいと思う。

ただ、とりあえず言いたいことは・・・

この本を読んで、勝間さんはかなり理性的に物事を対処される方、あるいは対処しようと努力されている方だとお見受けしたが・・・見習いたいことだと素直に思う。

感情的にならずに理性的に対処することを、機械的だとか冷たいとか・・・そして、理性的に自分をコントロールする勝間さんをサイボーグだとか、計算高いと、マイナスに捉える人もいるようだけど、私はそうは思わない。

感情的に対処して解決できるのか?と思うし、理性的に対処することを「人間的じゃない」「冷たい」「思いやりがない」と捉えるほうが、おかしいように思う。
理性的に対処し、相手の利益も考え、自分の利益も考えることは、エネルギーがいるし、相手を思わないとできないことだろう。
感情を抑えることのほうがストレスがかかり、大変だと思う。

もち、いつも感情を抑え、理性的にふるまうことは難しいし、人間そうそういつも理性的にはなれない。
そして、「理性的にふるまえ」と強要しているのではなく、「こういった対処法もある」「こういった対処法のほうが良い結果が得られるのでは」という勝間さんからの提示と受け取ればいいと思う。

感情的にふるまう人はダメだ、とも言ってない。

いやあ、なんだか・・・いちいち、こういったことを断らないと、曲解したり誤解したり、悪く受け取られかねない世の中なのだな、と「勝間和代VS香山リカについて巷の現象」を見て思った。

ところで・・・帯の写真が「強烈」な印象・・・いや、こうやってご本人の演出された写真で飾るなんて・・・こういったことも鼻につく人もいるのかもしれないが、勝間和代さんは売ることに相当のエネルギーを注いでいるのだなと思った。

けど、この写真の「断るポーズ」は・・・せっかくの「ただ断るのではなく、相手のことを思いやって相手の利益を考えて対案を出せ」という本の内容の主旨を、誤解されかねない演出になってしまうのではないか、と思うのだが・・・


さてさて、もうひとつ「まねる力」は途中まで読んだが・・・

こちらは対談集みたいな構成になっているみたい。
その中の酒井雄哉住職や福岡伸一氏との対談では、勝間さんは「穏やかな香山リカ」と対談しているみたいで、こちらではさすがの勝間さんも、ちょいと分が悪い・・・ようだ^^;

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勝間和代VS香山リカその4(・・・軍配はどちら) [雑記]

「勝間和代VS香山リカ」のテレビ番組の内容を述べた記事http://news.livedoor.com/article/detail/4531267/を参考にしながら、もうちょっと感想を書いてみよう。

ところで、軍配は・・・この場合は勝間さんに上がるだろう、と個人的に思う。

そう、実は勝間さんの言うことも、香山さんの言うことも、正しい。どっちも「あり」なのだ。

だから、勝間さんに挑んでいる香山さんがどうしても無理が見えてくる。勝間さんの論理を切り崩せない。

もしも、これが反対に、香山さんの「がんばらない論」に、勝間さんが挑んだとしたら、おそらく勝間さんが負けるだろう。香山さんの論理を切り崩せないと思う。

この問題は、挑んだほうが負けである。相手の言っていることを切り崩すのは難しいからだ。

・・・と軍配については、そう思った。

さてさて、熱く語っているが、この「勝間和代VS香山リカ」はマスメディアが仕掛けた一種のお祭りなのだ。
お二人のバトルも、本を売るためのいい宣伝になっただろう。おそらく、それがお二人を含めた売り手側の一番の目的だと思う。
さっそく、今日の新聞にも大きく広告が出ている。

この後はどういった企画でいくのだろうか。
お二人に加え、一般の人や他の有名人で、勝間派と香山派に分かれ、議論する番組がでてくるかも?
売り手側としても、このバトルをこれで終わりにせず、飽きられるまで、とことん利用するだろうと思うのだが・・・

けど、そろそろネットの住人は飽きてきたころかな^^;
ま、せっかくのネタなので、とりあえず、記事を抜粋しながら、感想を述べてみよう。

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勝間和代VS香山リカその3(・・・努力組VSがんばらない組) [雑記]

「勝間和代VS香山リカ」第3弾^^;

このお二人は、テレビでもバトルをしたということで、その感想を述べてみたいと思ったのだが・・・
私はそのテレビ番組を見てないので、その様子が書かれた記事http://news.livedoor.com/article/detail/4531267/を読んだ感想を、前日記からの続きとして書いてみようと思う。

この記事を読む限り、やはり・・・香山さんが勝間さんにつっかかっている印象を受ける。

「努力しよう」「がんばろう」と他者に言うと、「強制するな」「もうがんばることができない」「がんばれというお前こそがんばっているのか?そう言う資格はあるのか?」「上から目線」と反感を買うような気がして、とくに「がんばる」という言葉は私もできるだけ慎むようにしている。
また「がんばることを冷笑する風潮」もあるような気もする。「そんなにがんばって、どうするの?」と冷ややかに見られることもあるだろう。

ただ、気力も体力も落ちてきた私も現在は「・・・がんばれません。ノロノロとラクに生きたいです」である。
がんばっている人を見ると、なんとなく近づきがたい。がんばっていない自分が恥ずかしいし、きっとがんばっている人から見れば、「情けないヤツ」と軽蔑されるだろう・・・がんばっている人の前では、私は萎縮してしまう。
なので、今の私は、がんばっている人に苦手意識も持っている。

とは言いつつ、やはりがんばっている人を見れば、自分もがんばってみよう、と思えることもあるし、がんばっている人は元気を与えてくれる場合もある。

そう、昔は私もけっこうガツガツしてがんばっていた時期もあった。(ピアノの技術の習得など・・・)
もちろん、この「がんばり」はあまり効率がよくなく、無駄ながんばりだったかもしれない。ピアノで得られる収入は微々たるもので、金銭的なことに関しては「利益はほとんど得られなかった」である。

そういったことで、できるだけ無駄をなくして利益を得よう、技術を得よう、収入を得るにはどういった仕事がいいか、時間配分、自分磨きの方などなど、今までの経験で学んだので、その方法を教えます、というのが、勝間さんの言っていることなのだろう。

そして、努力した分だけのご褒美は、誰でも欲しいだろう。ご褒美をいただくと嬉しい、つまり幸福感を得られるのだろう。

「努力することをいいことだ」と訴えることが、「いけないこと」「がんばれない人を切り捨てること」だとはあんまり思えない。
反対に、努力しなくても幸福になれる、とも思えない。

そして、他の方たちも言っていることだが、「努力しなくてもいいのでは」という香山さん自身、努力して医者になったのではないのか、高収入ではないのか、今の立場を得るのに香山さんも相当の努力したのではないか、ということだ。

で、勝間さんは、不幸に陥るリスクを下げるために、そのひとつの対処法として「年収600万円を目指せ」と言っているのだろう。
そう、あくまでも「不幸に陥るリスクを下げるため」であって、年収600万円以下の人は幸せになれない、と言っているわけではないのだ、と思う。
年収600万円以上あれば、子供を抱えている場合、たとえば離婚しても、あるいはパートナーが失職しても、病気になっても、亡くなっても、子供を不自由なく養育でき、余裕ある生活ができるだろう。
扶養者やパートナーが病気の場合も、医療費のことを考えずに、余裕を持って、治療を受けられる。

年収600万円というのは、こういった場合も想定しての金額だろう。(少なくとも私はそう読み取る)

もちろん、離婚もしなくてすみ、パートナーが失職することもなく、病気になることもなく・・・リスクを抱えずに生活できる人もいるだろう。が、いつどうなるか分からない。

勝間さんは、「年収600万円以上あればひとまず安心」ということで、年収をあげるための方法、努力する方法などを述べているような気がする。

努力して勝ち取る、と言うと、反感をもたれる今の時代・・・
でも、ある意味、努力は基本であり、努力しなくて生きていける人などいないだろう。

もちろん、香山さんも「全く努力しなくていい」と言っているわけではないだろう。

要は「どの程度の努力が必要なのか?」なのだろうが、これも個々のケースで違ってくるのだろう。

がんばっている人に、さらに「がんばれ」「努力しろ」というのは確かに酷だ。
もちろん鬱病などの病気の人にも言ってはいけないことなのだろう。

勝間さんの言っていることに批判的な人は、勝間さん自身のがんばりが、とても超人的なので、「勝間さんのような努力なんて無理、とてもできない」「勝間さんを基準にされては困る」と誤解されているところもあるのではないか、と思う。

そして、おそらく勝間さんの経歴や収入、経験談に、「そこまでしてがんばるのはなぜ?」と思うのだろう。
たぶん、勝間さんは「努力すること」が大好きで、努力することが気持ちいいのだろう、だからあれだけ努力できるのだろう。

また、「お金は大切。収入はあったほうが良い。これは現実」と言い切るところに、ほりえもんを思い浮かべる人もいるだろう。
(前の方の日記http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2009-12-28-2にも書いたが、ほりえもんと勝間さんの思考回路がかなり似ている部分があるような気がする・・・)

けど、お金は大切じゃない、といえば、おそらく「うそつき」「非現実的」と言われるだろう。

事実、昔、私はHPで「お金を稼ぐことを考えるよりも、時間的なゆとりある生活をしたい」と発言したら、「お金のことを考えなくていいなんて・・・いいご身分。余裕があっていいですね。それに較べて、お金のことを心配しないとやっていけない私は不幸だ」というような、とても皮肉に満ちたレスを受けたことがある。

お金が大切、と言っても、お金は大切じゃない、と言っても、反感もたれるのである。

そして、おそらく・・・努力は大切、と言っても、努力は大切じゃない、と言っても、反感もたれるものなのかもしれない。


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勝間和代VS香山リカその2(・・・と「アエラ族の憂鬱」の著者) [雑記]

新聞の広告に「アエラ族の憂鬱」という本がのっていた。


新聞では「バブル世代とロスジェネ世代の考え方が違う」「幸せの概念を考え直すのにいい本」という感じで紹介されていたので、読んでみた。いやあ、前のほうの日記「勝間和代VS香山リカ」の続きのネタにもなるかな、と思って。

まあ、幸せ感は、人それぞれ、気持ちのもちよう・・・論ずるようなものじゃないとは考えているのだけど・・・
↓香山さんが「努力で幸せになれますか?」と勝間さんにつっかかっているようで・・・^^;


また、テレビ番組でも、香山さんと勝間さんは討論されたようである。(私は見なかったが・・・ああ、見たかった^^;)http://news.livedoor.com/article/detail/4531267/

で、↑を読んでみる限り、どちらの言い分も「なるほど」と思えるが・・・
このテーマは、個人個人の状況、ケースで違ってしまい、全体に向けて語れるようなものではないと思った。

というわけで、「勝間和代VS香山リカ」を考えてみるのに、まず、他の人の幸福論とやらを読んでみようと思ったのだ。

が、この「アエラ族の憂鬱」は、それほど面白くなかった。(もち、個人的感想ね)
内容のほとんどは「アエラ」という雑誌に今まで書かれてきた「女性をネタにした記事」についての批判である。

「アエラ」はキャリアウーマンが読む雑誌らしいけれど・・・「アエラ族」と呼ばれるほどの愛読者たちがいるのか?そんなにアエラに影響を受けた人たちがいるのか?
私もたまに図書館でパラ読みするが・・・目くじら立てて批判するほどの雑誌なのか?と思ってしまった。

「週刊誌」なので、そう深く掘り下げた記事が載るはずもなく、売るためには、多少脚色もし、読者の興味をひくように刺激的に大げさに記事を仕立てるのは当然のことで、読者はそれを承知しながら、「ま、こういう女性もいるかもね」と思って、暇つぶしに読んでいるのではないか、と思う。

が、著者は、「アエラ」の記事に影響を受けてきたというバブル世代の生き方に疑問をもち、バブル世代の生き方を危惧しているようである・・・

ちなみに、この本に書いてあるバブル世代の女性の生き方とは、男性に対しタカビーで、仕事バリバリ、趣味にもお金をかけ、華やかに生き、贅沢に慣れてしまい、強欲で、結婚がついつい遅れ・・・と、そんなイメージだ。
そして、そんなバブル世代の女性がついに結婚できず独身のまま、が、この頃の不景気で仕事もうまくいかなくなり、稼げなくなり、でも結婚していないので、居場所がなく・・・そんな生き方が幸せといえるのか、と著者は心配しているようである。

で、このバブル世代の女性の生き方を社会先端のトレンドとして煽ったアエラの記事を批判しているのである。

でも、アエラ程度の週刊誌が、バブル世代のキャリア志向の女性に、そんなに影響力をもったとは思えないのだが・・・

というか、アエラだけでなく、マスメディア全体が、バブル時代はとくに、そういった女性の生き方を紹介し、あるいはテレビドラマや小説、映画などの主人公あるいは主要登場人物として描かれたり・・・全体的にいろんな女性たちに影響を与えただろうと思う。

とくに結婚に関しては・・・当時は、恋愛至上主義が世間を覆い、「恋愛して、その相手と結婚するのが良い」とされ、お見合いや結婚相談所の世話になることはなんとなく恥ずかしいという風潮があったように思う。
つまり「自分で相手を見つけることができない」「恋愛もできない」と見られ、つまらない人間、というイメージを植えつけられていた感じがした。
恋愛幻想に陥り、まずは恋愛しなければ、ということで、かえって婚期を逃してしまった女性もいたのでは、とも思う。

ところで、私は、バブル世代の生き方(あくまでイメージね)を良いと擁護しているのではない。
実は、非モテでケチでずぼらで地味でおしゃれでない質素な私は、イメージとして捉えている「贅沢で恋愛至上主義の華やかなバブル世代」が苦手だ。
いやあ、私などバカにされるだろうし、イライラもさせるだろうし、敬遠したい。まあ、向こうも最初から私など相手にしないだろう。

けど、実際、そんな「バリキャリで上昇志向が強く、タカビーで贅沢で恋愛至上主義でおしゃれな華やかなバブル世代」がたくさんいるのか?というと・・・私の周りには別にいない。まあ、私がそういう「華やかな世界」にいないので、周りには見かけないのかもしれないが。

まあ、地味な人たちをちょっと見下していた華やかなバブル世代(あくまでイメージとしてのね)の人たちが、今では心配されたり気の毒がられたりして、反対に見下されるようになるとは・・・世の中、変わったものである。

さてさて、この「アエラ族の憂鬱」に、「勝間和代さん」もネタにされている。
この著書に「アエラは勝間和代氏のようなターミネーターのごとき女性を持ち上げようとしている」というようなことが書かれていた。

いやはや、ターミネーターとは、また・・・

もちろん、勝間和代さんは特別に優れた、努力家の女性だろう。
けど、勝間さんはどういった努力をしているのか、というのは、普通の人間にも参考になるところが多いかもしれない。
だから、人気があるのだろう。とくに上昇志向の強い人たちには。

そして、この著者によれば、「アエラは最近、時代を代表するロールモデルとして選んだのが勝間和代氏である」ということだそうで・・・
で、「勝間和代氏は立派だとは思う。だが、同時に彼女の家族は幸せだったのかとも思う」と著者は述べている。

なんだか・・・大きなお世話ではないか?と、ちょっと勝間さんを擁護したくなる。

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モデル写真修整 [社会・ニュース]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100221-00000003-mvwalk-movi

アメリカで、あまりに痩せすぎのモデルは使わないという方針に対し、「激やせの子を差別しないで」というベッカム夫人だが・・・
差別とは違うだろう・・・ならば太ったモデル、背の低いモデルもいなくては差別しているということになる。
けど現実、モデルというのは背が高く、世間の求める美の基準、理想なのだろうから、その理想からはずれたものはモデルになれないのは当然のことだろう。今まで世間は「激やせ」を求めていたが、方針が変わっただけのことだ。

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モデルを細く見せるためにファッションの宣伝用の写真を加工したりしる企業の姿勢を批判した1月8日の朝日新聞にのっていたモデル写真修整の写真をみたが・・・異様に腰が細く、頭でっかちに見えて、かなり不気味・・・こんなのが宣伝用として使われていたのか、とちょっとびっくりした。
http://www.flickr.com/photos/42024593@N05/4075558487/

で、この写真修整問題で話題になったモデルのハミルトンさんは、「太りすぎで、わが社の服を着こなせない」と言われ、ラルフ・ローレン社から専属契約を切られたという。
ちなみに、身長178cm、体重55キロだという。

これでも、かなりの「やせ」だと思うが、「太りすぎで、服を着こなせない」と言われるのである。
異常な世界である。

身長160cmならば、45キロくらいで「太りすぎ」
身長150cmならば、38キロくらいで「太りすぎ」
といった感じか。

いや、そもそも身長の低いものは着こなせない、ということかもしれないが。

誰に向けて、服を売ろうというのだろう。
ま、病的にやせた女性のみ着こなせる難しい服なのだろう。

「太ったやつはうちの服は着こなせない」ということだから、こういった企業の服は、普通の人は着ない(買わない)ほうはいいのだろう・・・

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