おケチ生活 [人生・生き方・生活・人間関係]
昼食しながら何気にテレビをつけたら(・・・うむ、勝間和代さんができるだけ減らせとおっしゃっていた空費=テレビ視聴時間・・・ワイはテレビは「ながら視聴」で、食事をしながら見ることにしておる・・・)、「ケチ夫のケチぶり」を特集していたので、「ワイも相当のケチだが、どの程度のケチぶりか?」とちょっと興味をもって見てみた。
ああ、勝間さんのように効率よくお時間を使い、無駄をなくし、時間も節約・ケチケチでいきたいが、精神的に疲れそうなので、今のところ金銭的ケチでがんばっているハヤシである。
ちなみに、テレビでとりあげていたのは、この本の著者とその夫のことについて、であった。↓
さすがのワイも負けたで・・・と思うところ。
まず、ティッシュを何度も使うこと。
いや、ワイだって、たとえば、ティッシュは半分に割いて、半分ずつ使うとかするが・・・鼻をかんだ紙は再利用はせずに捨てる。
シャワーのお湯がもったいないからといって、「2人シャワー」は絶対に嫌である。
風呂くらい、のんびり一人で入りたい。
シャワーの湯は、わりと使うほうだ。それはケチることはできない。
その代わり、バスタブのお湯はケチケチで、バスタブに寝そべって、なんとか体がつかるお湯の量でOK。夏はもちろんシャワーのみ。
トイレットペーパーだって、あんまりケチケチして、あれが手につくのは、やっぱりいい気分ではないので、そこそこペーパーは使ってしまう。
このへんはゆずれないな。
ティッシュは鼻をかんだ後も何度も使え、シャワーは2人で使え、トイレットペーパーもケチれ、という人とは一緒に生活はできないだろう。
うむ、一緒に生活するならば、お互いの金銭感覚って大事かもなあ。同じケチでも、どの部分にケチであるか、あまりに違いすぎると破綻するかもしれない。
基本的に「自分にとっての快適な生活」は譲れない。
寒いのは我慢するが、蒸し暑いのは我慢できないので、夏場はエアコンもけっこう使ってしまう。
食べ物もどんなに安くても不味いものは嫌である。
が、そのほかならば、ワシも相当のケチである。ワイが勝っているところもある。
テレビで見た限りでは・・・ワイのほうが、豆腐と卵、もっと安く買い物しているぞ・・・
>豆腐400グラム50円以下で買っているし、卵(10個)で100円で買える店はたくさんあるぞ・・・
このケチ夫さん、遠くまで自転車をとばし、安い店を探して買い物をしているらしいが、ワイもそれくらいは当然のこととしてやっておる。数件の店を把握し、チラシチェックは欠かさず、八百屋は数件はしごするし、野菜は安い見切り品を狙い、魚と肉は「半値」になる時間帯を狙って、わざわざ買いに出かける。
新聞に入ってくるチラシ・・・これは新聞代を払ったとしても、このチラシにある「広告の品」はお得だ。
さてさて、安いものを買うようにはしているが、いちおう「国産」にはこだわる。
いや、検査なんかない国産よりも、いちおう検査がある外国産のほうが安全だ、という声もあるようだが・・・とりあえず「国産重視」でいっている。中国産はいくら安くても避けたい。
健康を害して、医療費がかかるようでは、真のおケチとは言えない。
ああ、勝間さんのように効率よくお時間を使い、無駄をなくし、時間も節約・ケチケチでいきたいが、精神的に疲れそうなので、今のところ金銭的ケチでがんばっているハヤシである。
ちなみに、テレビでとりあげていたのは、この本の著者とその夫のことについて、であった。↓
さすがのワイも負けたで・・・と思うところ。
まず、ティッシュを何度も使うこと。
いや、ワイだって、たとえば、ティッシュは半分に割いて、半分ずつ使うとかするが・・・鼻をかんだ紙は再利用はせずに捨てる。
シャワーのお湯がもったいないからといって、「2人シャワー」は絶対に嫌である。
風呂くらい、のんびり一人で入りたい。
シャワーの湯は、わりと使うほうだ。それはケチることはできない。
その代わり、バスタブのお湯はケチケチで、バスタブに寝そべって、なんとか体がつかるお湯の量でOK。夏はもちろんシャワーのみ。
トイレットペーパーだって、あんまりケチケチして、あれが手につくのは、やっぱりいい気分ではないので、そこそこペーパーは使ってしまう。
このへんはゆずれないな。
ティッシュは鼻をかんだ後も何度も使え、シャワーは2人で使え、トイレットペーパーもケチれ、という人とは一緒に生活はできないだろう。
うむ、一緒に生活するならば、お互いの金銭感覚って大事かもなあ。同じケチでも、どの部分にケチであるか、あまりに違いすぎると破綻するかもしれない。
基本的に「自分にとっての快適な生活」は譲れない。
寒いのは我慢するが、蒸し暑いのは我慢できないので、夏場はエアコンもけっこう使ってしまう。
食べ物もどんなに安くても不味いものは嫌である。
が、そのほかならば、ワシも相当のケチである。ワイが勝っているところもある。
テレビで見た限りでは・・・ワイのほうが、豆腐と卵、もっと安く買い物しているぞ・・・
>豆腐400グラム50円以下で買っているし、卵(10個)で100円で買える店はたくさんあるぞ・・・
このケチ夫さん、遠くまで自転車をとばし、安い店を探して買い物をしているらしいが、ワイもそれくらいは当然のこととしてやっておる。数件の店を把握し、チラシチェックは欠かさず、八百屋は数件はしごするし、野菜は安い見切り品を狙い、魚と肉は「半値」になる時間帯を狙って、わざわざ買いに出かける。
新聞に入ってくるチラシ・・・これは新聞代を払ったとしても、このチラシにある「広告の品」はお得だ。
さてさて、安いものを買うようにはしているが、いちおう「国産」にはこだわる。
いや、検査なんかない国産よりも、いちおう検査がある外国産のほうが安全だ、という声もあるようだが・・・とりあえず「国産重視」でいっている。中国産はいくら安くても避けたい。
健康を害して、医療費がかかるようでは、真のおケチとは言えない。
勝間和代VS香山リカその9(ドラゴンボール・・・で語ってみる) [雑記]
この「勝間和代VS香山リカ」シリーズも、「その9」まできてしまった。
ここまでしつこく、ひとつのテーマについて書き続けてきたとは・・・^^;
これというのも、勝間さんのキャラが立っているから、だろう。
「勝間自伝・・・勝間和代はこうしてレベルアップしていった」というマンガにでもしたら、面白いかもしれない。主人公が成長していく物語は、マンガの王道でもある^^;
レベルアップし続け、やがてスーパーカツマーになり、それでも成長し続け、スーパーカツマー2になり、3になり、4になり・・・どこまでいってしまうのか、と心配になるほど、楽しませて欲しいものである。
ゴクウにべジータがいたように、勝間さんには香山さんがいる。
時にはライバル、敵でもあり、時には共闘して、ゴクウとべジータが地球を救ったように、この日本を良くしていこうと、日本を救おうと協力しあうかもしれない。
そして、べジータがゴクウを「お前がNo1だ」と認めたように、香山さんも勝間さんを認める日がくるかもしれない。
べジータがゴクウにしつこく食い下がったように、香山さんも、しつこく勝間さんに食い下がって欲しいものである。
え?べジータと香山さんはキャラがあまりに遠すぎるって?(いや、その前にゴクウと勝間さんも離れているだろう・・・)
しかし、今のところ、勝間さんのライバルは香山さんしか思い浮かばないので、香山さんにがんばってもらいたい・・・・・・つまり、主人公に対する最高のライバルという役柄ってことで・・・
ゴクウのファンも多いが、べジータファンも多い。もしかしたらべジータのほうがファンが多いかもしれない。
ゴクウが「精神的弱さ」というものがない一方で、べジータは弱さやみっともなさも見せた。ファンの共感を多く得たのは、べジータのほうだったかもしれない。
ということで、香山さんには、スーパーカツマーに対し、ぜひ、スーパーカヤマーとなってほしいのだ。
スーパーカツマーもスーパーカヤマーも、どっちもがんばれ・・・
いや、カヤマーに対しては、がんばりすぎるな、ということで。
・・・で、スーパーカツマーとスーパーカヤマーは手を組んだらいいと思う。
もちろん、これは私の勝手な妄想だけど・・・
もし勝間さんが香山さんをも取り込み(まさにゴジータだw)・・・手を組んだら、補完できて、さらにレベルアップするのでは、と思ったのだ。
勝間さんたち成功者が言う「レベルの低い人と付き合う暇があったら、その時間を別のことに使ったほうがいい。レベルの低い人間は遠ざけろ、付き合う時間がもったいない、自分のレベルアップのために効率よく時間を使え」・・・これは否定できない。
誰もが友人の取捨選択をしているだろう。気が合わなくなってしまった人、つまらない人からは離れ、気の合う人や魅力ある人と付き合いたいのは当然のことだ。
(ちなみに、勝間さんの場合、気が合う人というのは「頭の回転がよく、向上心があって、刺激的な人、目標をもって努力し続ける人、メンタル筋力がある人」ということなのだろう・・・)
切り捨てられるのが嫌ならば、自分のレベルを上げるか・・・それとも、あきらめるか・・・
そうそう、タイトルは忘れてしまったが、スピリッツに連載されていたある青年マンガで・・・
ネットのバーチャル世界にはまっている登場人物が、たしかこんなようなことを叫ぶのだ。
「現実をみろ。俺達はバーチャル世界にしか居場所がない=バーチャル世界でしか受け入れてもらえない。それが現実なんだ」(うろ覚えだが、こんな内容だったと思う)
なんか、分かる気がした。
引きこもりの負け組(と世間から思われている)の人がバーチャル世界にはまることを、世間はよく「現実逃避だ」というが、現実をよく分かっているからこそ、バーチャル世界しか居場所がない、そこでしか受け入れてもらえない、と現実を見ているのである。
でも、「甘えるな、まずは現実社会に受け入れられるように努力しろ」「単なる逃げ口実」と世間は思うだろう。勝ち組の人はとくにそう思うだろう。
が、努力しても受け入れてもらえない人もいるだろうし(・・・努力の仕方が間違っているから、結果が得られないのだ、というのは簡単だ・・・)、努力できない人もいるだろうし、全くやる気がでない人もいるだろう。
・・・努力しても「無駄な努力をして」と呆れられたり、努力している姿を嘲笑される、バカにされる、そして努力が全く報われない・・・そんな環境にいたら、もうどうでもよくなるだろうし、自信もなくなるし、逃げたくもなる。いや、逃げたくても逃げられない場合もあるだろう。精神的にも肉体的にも疲れてしまい、全く気力もでないこともあるだろう。
「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」とエヴァのシンジ君のように唱えても、やっぱりできないのだ。
でも、そういう人も、見下さないでほしい、否定しないで欲しい、というのが香山さんなのだろう。
香山さんは精神科医というお仕事上、そういった世間から「負け組」と称される人たちと接する機会が多いのだろう。
一方、あくまでも憶測だが、勝間さんは、そういった「負け組」の人とお付き合いしたことはないだろう。
だって、勝間さんは自分のレベルに追いつけない人たちを遠ざけ、自分のレベルに見合う魅力ある人たちを選んで、レベルの高い人としかお付き合いしていないのだろうだから・・・
(・・・このことについては「その8」の記事後半を参照するか、勝間本「起きていることはすべて正しい」を読んでみてください。)
なので、香山さんは「(勝間理論は)勝ち組になれなかった人たちを切り捨てている」と発言したのだろう。
切り捨てている、というよりも、もともと勝間さんの眼中になかった、と言ったほうが正しいかもしれない。
勝間さんの周りにはいつも「魅力的なレベルの高い人」しかいないのだ。レベルが低くなってしまった人は、勝間さんから遠ざけられてしまうのだから。
レベルの低い人=負け組の存在は、勝間さんの目に入っていないのだと思う。というか、勝間さんの目に入る機会さえなかったのだろう・・・(と、勝間本を読めば、そう推測してしまう)
(※何をもって、レベルが低い、負け組と定義するのか、というのは置いておいて欲しい。世間一般が感覚としてそう決め付けている価値観ということで・・・本来、人生の勝ち負けはそう簡単に決められるものではないだろうし・・・「幸せ」と同じ、「勝ち負け」も本人の気持ち次第で変わるものだろうから)
おそらく、勝間さんから見れば、そういった努力もしない負け組の人は、理解不能の別人種に思えるかもしれない。
なので、理解不能の負け組に対して、導く言葉、アドバイスする言葉などないのである。あったとしても、おそらく負け組には通じない。レベルが追いつかなくなった友人を遠ざけて、時間を効率よく使って生きてきた勝間さんは、負け組を肌感覚で知る機会がなかったのだから。
そこを香山さんは突こうとしたのかもしれない。
勝間理論は、ある一定レベル以上のすでに勝ち組の人間に向けられたものだと捉えていいだろう。
もちろん、「対象を絞る」のは当然のことなのだ。
逆に「誰でもやればできる」と、負け組の人たちを含めて万人に向けて本を書いてきた、考えを説いてきたのだ、というと無理がでてくるかもしれない。
が、これからは違う、負け組の人も眼中に入れて理論を展開する、考えを説いていく、ということであれば、私はぜひとも勝間さんを応援したいと思う。
実際、勝間さんは「結局、女はキレイが勝ち」という、今までの堅いタイトルの著書とは違い、ちょっとミーハー的なタイトルで本を出した。ごく普通の一般女性に向けて、勝間読者・勝間ファンを拡大したいという狙いもあるだろう。手っ取り早く、一般女性の注目を得るのなら、「お金を稼ぐ方法」「勉強や仕事ができる方法」よりも「キレイになる方法」を本のタイトルにちらつかせたほうが効果はあるだろう。まあ、本の内容は美容本ではなく、いつもの勝間本らしいが。
勝間さんの理想はやはり、「万人へ、勝間式の考え、やり方など、勝間さんの言葉が誤解なく伝わること」だと思う。
できるだけ多くの人が勝間さんに注目するようにしたいのだろう。
で、「万人」には当然「負け組の人たち」「勝ち組になれなかった人」「希望が持てず努力することを放棄してしまった人、あきらめてしまった人」も入るわけだ。その数のほうが断然多いだろう。
ちなみに、勝間さんはこんな本も出している。
勝間さんは日本社会をなんとかしたいと思っているようだ。(ご自分の活動を社会還元し、寄付の活動もしており、「稼ぐだけ」が目的の人ではないようだ)
もし本気で日本社会の改革したいと思っているなら、多くの人たちの支持が必要だし、勝間さんも「負け組の人」の本当の実情を知らないと、改革は難しいかもしれない。
だから、勝間さんには、負け組を知っているだろう香山さんが必要かもしれない。
勝間さんは残念ながら「負け組」を知らないだろう。だって、自分のレベルに見合わないと言って、そういった負け組を自ら遠ざけ、知る機会がなかったのだから、当然だと思う。(もちろん、机上で「負け組の人」を頭では分かっているのだろうけれど・・・)
そこで、勝間+香山、カツマー+カヤマーである。すなわちゴクウ+べジータ・・・
地球は決してゴクウだけの力では救うことはできなかっただろう。
べジータがいたからこそ、救われたのだ。
カツマー+カヤマー・・・2人で組んで、日本社会をどうにかしようと共闘したら、ちょっと違う展開があるかもしれない。
などという「マンガ的な展開」をついつい期待してしまうのだった。
しかし、聞いた話では、勝間さんはホームパーティの招待状を香山さんに送ったらしいが、香山さんは参加しなかったんだとか・・・
香山さんをそう簡単には取り込めないようだ・・・
まあ、ここで香山さんが勝間さんのホームパーティなんかに簡単に参加なんてしちゃって、その情報がメディアに流れてしまったら、「勝間VS香山」を楽しく見ていた人たちも「やっぱり敵役を演じていただけで、裏では手を組んでいたのか」とシラケてしまう。せっかくの「敵役同士」という最大の売り要素が、これから使えなくなってしまう。
が、ここは頭のいい勝間さんのこと、じっくりと時間をかけて、うまく香山さんを取り込む戦略を考えてくれるだろう。勝間さんならば、きっとやってくれるだろう。
そう、べジータだって、最初からゴクウに協力的ではなかったのだ。
でも、べジータがゴクウを認めたように、カヤマさんもきっとカツマさんを認めてくれる日がくるだろう・・・
がんばれ、カツマー、お前がNO1だっ
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・ああ、ついつい、またDBしてしまった・・・
ここまでしつこく、ひとつのテーマについて書き続けてきたとは・・・^^;
これというのも、勝間さんのキャラが立っているから、だろう。
「勝間自伝・・・勝間和代はこうしてレベルアップしていった」というマンガにでもしたら、面白いかもしれない。主人公が成長していく物語は、マンガの王道でもある^^;
レベルアップし続け、やがてスーパーカツマーになり、それでも成長し続け、スーパーカツマー2になり、3になり、4になり・・・どこまでいってしまうのか、と心配になるほど、楽しませて欲しいものである。
ゴクウにべジータがいたように、勝間さんには香山さんがいる。
時にはライバル、敵でもあり、時には共闘して、ゴクウとべジータが地球を救ったように、この日本を良くしていこうと、日本を救おうと協力しあうかもしれない。
そして、べジータがゴクウを「お前がNo1だ」と認めたように、香山さんも勝間さんを認める日がくるかもしれない。
べジータがゴクウにしつこく食い下がったように、香山さんも、しつこく勝間さんに食い下がって欲しいものである。
え?べジータと香山さんはキャラがあまりに遠すぎるって?(いや、その前にゴクウと勝間さんも離れているだろう・・・)
しかし、今のところ、勝間さんのライバルは香山さんしか思い浮かばないので、香山さんにがんばってもらいたい・・・・・・つまり、主人公に対する最高のライバルという役柄ってことで・・・
ゴクウのファンも多いが、べジータファンも多い。もしかしたらべジータのほうがファンが多いかもしれない。
ゴクウが「精神的弱さ」というものがない一方で、べジータは弱さやみっともなさも見せた。ファンの共感を多く得たのは、べジータのほうだったかもしれない。
ということで、香山さんには、スーパーカツマーに対し、ぜひ、スーパーカヤマーとなってほしいのだ。
スーパーカツマーもスーパーカヤマーも、どっちもがんばれ・・・
いや、カヤマーに対しては、がんばりすぎるな、ということで。
・・・で、スーパーカツマーとスーパーカヤマーは手を組んだらいいと思う。
もちろん、これは私の勝手な妄想だけど・・・
もし勝間さんが香山さんをも取り込み(まさにゴジータだw)・・・手を組んだら、補完できて、さらにレベルアップするのでは、と思ったのだ。
勝間さんたち成功者が言う「レベルの低い人と付き合う暇があったら、その時間を別のことに使ったほうがいい。レベルの低い人間は遠ざけろ、付き合う時間がもったいない、自分のレベルアップのために効率よく時間を使え」・・・これは否定できない。
誰もが友人の取捨選択をしているだろう。気が合わなくなってしまった人、つまらない人からは離れ、気の合う人や魅力ある人と付き合いたいのは当然のことだ。
(ちなみに、勝間さんの場合、気が合う人というのは「頭の回転がよく、向上心があって、刺激的な人、目標をもって努力し続ける人、メンタル筋力がある人」ということなのだろう・・・)
切り捨てられるのが嫌ならば、自分のレベルを上げるか・・・それとも、あきらめるか・・・
そうそう、タイトルは忘れてしまったが、スピリッツに連載されていたある青年マンガで・・・
ネットのバーチャル世界にはまっている登場人物が、たしかこんなようなことを叫ぶのだ。
「現実をみろ。俺達はバーチャル世界にしか居場所がない=バーチャル世界でしか受け入れてもらえない。それが現実なんだ」(うろ覚えだが、こんな内容だったと思う)
なんか、分かる気がした。
引きこもりの負け組(と世間から思われている)の人がバーチャル世界にはまることを、世間はよく「現実逃避だ」というが、現実をよく分かっているからこそ、バーチャル世界しか居場所がない、そこでしか受け入れてもらえない、と現実を見ているのである。
でも、「甘えるな、まずは現実社会に受け入れられるように努力しろ」「単なる逃げ口実」と世間は思うだろう。勝ち組の人はとくにそう思うだろう。
が、努力しても受け入れてもらえない人もいるだろうし(・・・努力の仕方が間違っているから、結果が得られないのだ、というのは簡単だ・・・)、努力できない人もいるだろうし、全くやる気がでない人もいるだろう。
・・・努力しても「無駄な努力をして」と呆れられたり、努力している姿を嘲笑される、バカにされる、そして努力が全く報われない・・・そんな環境にいたら、もうどうでもよくなるだろうし、自信もなくなるし、逃げたくもなる。いや、逃げたくても逃げられない場合もあるだろう。精神的にも肉体的にも疲れてしまい、全く気力もでないこともあるだろう。
「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」とエヴァのシンジ君のように唱えても、やっぱりできないのだ。
でも、そういう人も、見下さないでほしい、否定しないで欲しい、というのが香山さんなのだろう。
香山さんは精神科医というお仕事上、そういった世間から「負け組」と称される人たちと接する機会が多いのだろう。
一方、あくまでも憶測だが、勝間さんは、そういった「負け組」の人とお付き合いしたことはないだろう。
だって、勝間さんは自分のレベルに追いつけない人たちを遠ざけ、自分のレベルに見合う魅力ある人たちを選んで、レベルの高い人としかお付き合いしていないのだろうだから・・・
(・・・このことについては「その8」の記事後半を参照するか、勝間本「起きていることはすべて正しい」を読んでみてください。)
なので、香山さんは「(勝間理論は)勝ち組になれなかった人たちを切り捨てている」と発言したのだろう。
切り捨てている、というよりも、もともと勝間さんの眼中になかった、と言ったほうが正しいかもしれない。
勝間さんの周りにはいつも「魅力的なレベルの高い人」しかいないのだ。レベルが低くなってしまった人は、勝間さんから遠ざけられてしまうのだから。
レベルの低い人=負け組の存在は、勝間さんの目に入っていないのだと思う。というか、勝間さんの目に入る機会さえなかったのだろう・・・(と、勝間本を読めば、そう推測してしまう)
(※何をもって、レベルが低い、負け組と定義するのか、というのは置いておいて欲しい。世間一般が感覚としてそう決め付けている価値観ということで・・・本来、人生の勝ち負けはそう簡単に決められるものではないだろうし・・・「幸せ」と同じ、「勝ち負け」も本人の気持ち次第で変わるものだろうから)
おそらく、勝間さんから見れば、そういった努力もしない負け組の人は、理解不能の別人種に思えるかもしれない。
なので、理解不能の負け組に対して、導く言葉、アドバイスする言葉などないのである。あったとしても、おそらく負け組には通じない。レベルが追いつかなくなった友人を遠ざけて、時間を効率よく使って生きてきた勝間さんは、負け組を肌感覚で知る機会がなかったのだから。
そこを香山さんは突こうとしたのかもしれない。
勝間理論は、ある一定レベル以上のすでに勝ち組の人間に向けられたものだと捉えていいだろう。
もちろん、「対象を絞る」のは当然のことなのだ。
逆に「誰でもやればできる」と、負け組の人たちを含めて万人に向けて本を書いてきた、考えを説いてきたのだ、というと無理がでてくるかもしれない。
が、これからは違う、負け組の人も眼中に入れて理論を展開する、考えを説いていく、ということであれば、私はぜひとも勝間さんを応援したいと思う。
実際、勝間さんは「結局、女はキレイが勝ち」という、今までの堅いタイトルの著書とは違い、ちょっとミーハー的なタイトルで本を出した。ごく普通の一般女性に向けて、勝間読者・勝間ファンを拡大したいという狙いもあるだろう。手っ取り早く、一般女性の注目を得るのなら、「お金を稼ぐ方法」「勉強や仕事ができる方法」よりも「キレイになる方法」を本のタイトルにちらつかせたほうが効果はあるだろう。まあ、本の内容は美容本ではなく、いつもの勝間本らしいが。
勝間さんの理想はやはり、「万人へ、勝間式の考え、やり方など、勝間さんの言葉が誤解なく伝わること」だと思う。
できるだけ多くの人が勝間さんに注目するようにしたいのだろう。
で、「万人」には当然「負け組の人たち」「勝ち組になれなかった人」「希望が持てず努力することを放棄してしまった人、あきらめてしまった人」も入るわけだ。その数のほうが断然多いだろう。
ちなみに、勝間さんはこんな本も出している。
勝間さんは日本社会をなんとかしたいと思っているようだ。(ご自分の活動を社会還元し、寄付の活動もしており、「稼ぐだけ」が目的の人ではないようだ)
もし本気で日本社会の改革したいと思っているなら、多くの人たちの支持が必要だし、勝間さんも「負け組の人」の本当の実情を知らないと、改革は難しいかもしれない。
だから、勝間さんには、負け組を知っているだろう香山さんが必要かもしれない。
勝間さんは残念ながら「負け組」を知らないだろう。だって、自分のレベルに見合わないと言って、そういった負け組を自ら遠ざけ、知る機会がなかったのだから、当然だと思う。(もちろん、机上で「負け組の人」を頭では分かっているのだろうけれど・・・)
そこで、勝間+香山、カツマー+カヤマーである。すなわちゴクウ+べジータ・・・
地球は決してゴクウだけの力では救うことはできなかっただろう。
べジータがいたからこそ、救われたのだ。
カツマー+カヤマー・・・2人で組んで、日本社会をどうにかしようと共闘したら、ちょっと違う展開があるかもしれない。
などという「マンガ的な展開」をついつい期待してしまうのだった。
しかし、聞いた話では、勝間さんはホームパーティの招待状を香山さんに送ったらしいが、香山さんは参加しなかったんだとか・・・
香山さんをそう簡単には取り込めないようだ・・・
まあ、ここで香山さんが勝間さんのホームパーティなんかに簡単に参加なんてしちゃって、その情報がメディアに流れてしまったら、「勝間VS香山」を楽しく見ていた人たちも「やっぱり敵役を演じていただけで、裏では手を組んでいたのか」とシラケてしまう。せっかくの「敵役同士」という最大の売り要素が、これから使えなくなってしまう。
が、ここは頭のいい勝間さんのこと、じっくりと時間をかけて、うまく香山さんを取り込む戦略を考えてくれるだろう。勝間さんならば、きっとやってくれるだろう。
そう、べジータだって、最初からゴクウに協力的ではなかったのだ。
でも、べジータがゴクウを認めたように、カヤマさんもきっとカツマさんを認めてくれる日がくるだろう・・・
がんばれ、カツマー、お前がNO1だっ
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・ああ、ついつい、またDBしてしまった・・・
勝間和代VS香山リカその8(・・・今までの「勝間寄りの記事」をちょっと反省) [雑記]
「勝間和代VS香山リカ」お祭り記事がここまで続くとは・・・
けど、関心あるので、まだまだ語ってみる。
そーいえば先日始まったテレビドラマ「エンゼルバンク」に勝間和代さんがチラッと登場しましたね。
モーニングで連載されている「エンゼルバンク」は読んでいるし、テレビドラマもまあまあ面白かったし、「自分の市場価値」というものを考えさせられてしまいます。
で、モーニングの「エンゼルバンク」と連動して勝間さんのコラムが連載されていて(1月7日で、コラムのほうは連載終了したようだ)、それも面白く読んでいた。
おっと、そのへんについては、後半のほうでちょっと紹介するので・・・まずは・・・
今までの「勝間寄り」の記事を反省し、そのことについて書いておこうと思う。
そう、今回はちょっとだけ「香山寄り」だ。香山さんがなぜあそこまで香山さんにかみついたのか、分かった気がしたからだ。
けど、それは後半で詳しく語ることにしよう・・・ちょっと毒が入った内容であるかもしれないので。
さてさて・・・
「努力することは良い」「努力することを勧めて何が悪いのか?」と思っていたが・・・
本当に「努力できない人を見下していないか?努力できない人をダメだと言っていることにならないのか?」ということについて、ちょっと考えてみた。
「努力することは良い」「努力することは大切」って当然のことでしょ、と思うが、あえて考え直してみる。
「努力することは良い」と言ってしまうと、暗に「努力できない人はダメ」と言っていることになるのだろうか・・・
実は、以前、旧ブログのほうで、朝日新聞の「あんまり恋愛しない若者に恋愛することを勧める記事」についてちょっと反論めいたことを書いたことがある・・・
同じやり方で、このテーマもつっこんでみる。
そう「恋愛したほうが良い」という「恋愛」という言葉を、まず「結婚」または「子供をもつこと」に置き換えてみる。
「結婚したほうが良い」「結婚することは大切」
「子供をもったほうが良い」「子供をもつことは大切」
というわけで、これは書き方(言い方)によって(・・・そう、たとえば、「結婚してない人、子供がいない人」を暗に批判してしまったり、見下すような表現をしてしまったり、マイナスに捉えてしまったりして・・・)、「結婚、または子供をもつことができた人のほうが上」という感じがしてしまうこともあり・・・
けど、当然「しない人、できない人」もいるわけで、とくに「子供ができない人」に対し、かなり失礼なことを言っていることになる。
つまり、「恋愛したほうが良い」「恋愛することは大切」というのも大きなお世話ってやつ・・・ってことで、「朝日新聞の恋愛お勧め記事」を切った。
そう、、この「恋愛お勧め記事」は、恋愛しない若者をマイナスに捉え、暗に否定・批判していたので、私は「人の生き方を批判するとは傲慢」と思ってしまったのだ。
もしも「恋愛をしない若者」をマイナスに捉えることなく、批判めいたことを言わずに、単に「恋愛してみればいいのに」ということであれば、傲慢だとは思わなかっただろう。
で、問題は・・・「努力」も同様なのか・・・というのを、チラッと考えてしまった。
「努力したほうが良い」と言って、もしも努力しない者を批判していたとしたら、マイナスにとらえ見下す表現をしていたとしたら・・・「傲慢」ということになってしまうのかもしれない?
こういった「人の生き方」について論じる場合、対象を明確にしないといけないのかもしれない・・・「努力したほうが良い」と言う場合は、「今の自分に不満で、どうにかしたいと思っている人に」ということで、全ての人に対して言ってはいけないのかもしれないな、と改めて思った。
で、本当に欲しいものに対して、お勧めされなくとも、人は動く。
この「恋愛」に関して、若者が昔のバブル時代ほど恋愛にエネルギーを注がないのは、恋愛に対する優先順位が低くなっただけのことではないか、恋愛を最優先しない若者が増えただけではないか、と思ったが、それと同じことが言えるのかもしれない。
「べつに努力しなくていいじゃん」ということは、そこまでして欲しいものがないから、であり、
本当に欲しいものがあれば、それを手に入れる努力をするのだろう。
「恋愛」と同じで、「努力」もできればそれに越したことはないけれど、その人にとってはべつに最優先するべきものでもなく、必ずしなくてはいけないものでもなく・・・
どうしても欲しいものではない場合、それを手に入れるためにそれほどエネルギーをかけなくてもいい、とその人が判断しただけのことだ。
そのことを見下したり、批判するのはおかしい。
けど、恋愛しない自分(または「結婚しない、できない自分」「子供をもたない、子供ができない自分)って、やはり良くないのか、ダメなのか、劣っているのか、と劣等感もつ人もいるのと一緒で・・・
「努力できない自分って劣っているダメ人間」と自分を責め、欝になってしまう人がいるのかもしれない。
世間はやっぱり、恋愛したほうがいい、結婚したほうがいい、子供がいたほうがいい、と暗にメッセージを発している。
それらができてない人を暗に見下したり、「負け組」扱いしているのだろう。
「努力」も同じなのかもしれない。
努力ができない人を、「負け組」扱いし、暗に批判してしまっているのかもしれない。
それに対し、香山さんが反論したのかもしれない。
「努力することが大切」と当然のことを言って何が悪い?と思っていた自分だが、これも傲慢なことだったのかもしれない?
と、まあ、そんなことを思ってしまったのだ。
さてさて、後半は、もう少し・・・今度は、「実はかなり厳しい勝間さんについて」、いろいろ語ってみよう。
ここからは、かなり「毒」が入るかもしれない。
勝間本「起きていることはすべて正しい」を読んでみると・・・これにはちょっとキツイことも書いてある・・・
いや、この「勝間VS香山」がなかったら、そんなに気にならなかったかもしれない内容なのだが・・・
この勝間本には・・・
「親しくつきあう友人を、自分の成長(レベルアップ)に合わせ、ある程度入れ替えるほうがいい」
「メンタル筋力(=向上心があり心が鍛えられた人間力・精神力)の弱い友人とは距離をとりながら、フェードアウトして、新しい魅力ある友人へ時間を使おう」というようなことが書いてある。
つまり自分がレベルアップしたら、そのレベルに追いついてない友人とは距離をとれ(=切り捨てろ、と受け取っていいだろう)ということだ。
人とお付き合いするのに、切磋琢磨し、刺激し合い、お互い成長できるような関係がいい、ということで、それには自分と同レベル、自分よりちょい上レベルの人と付き合うほうがいい、よって、自分のレベルに見合わない友人は遠ざけろ=捨てろ、ということなのだろう。
この考え方・・・バブルの頃の、漫画家の故中尊寺ゆっこさんも、たしか同じようなことを言っていたっけ。
友人の顔ぶれが替わってないということは、自分の成長が止まっている証拠だと。
自分が成長するためにも上のレベルの人と付き合えと。付き合う人(友人)は取り替えろと。
けど、関心あるので、まだまだ語ってみる。
そーいえば先日始まったテレビドラマ「エンゼルバンク」に勝間和代さんがチラッと登場しましたね。
モーニングで連載されている「エンゼルバンク」は読んでいるし、テレビドラマもまあまあ面白かったし、「自分の市場価値」というものを考えさせられてしまいます。
で、モーニングの「エンゼルバンク」と連動して勝間さんのコラムが連載されていて(1月7日で、コラムのほうは連載終了したようだ)、それも面白く読んでいた。
おっと、そのへんについては、後半のほうでちょっと紹介するので・・・まずは・・・
今までの「勝間寄り」の記事を反省し、そのことについて書いておこうと思う。
そう、今回はちょっとだけ「香山寄り」だ。香山さんがなぜあそこまで香山さんにかみついたのか、分かった気がしたからだ。
けど、それは後半で詳しく語ることにしよう・・・ちょっと毒が入った内容であるかもしれないので。
さてさて・・・
「努力することは良い」「努力することを勧めて何が悪いのか?」と思っていたが・・・
本当に「努力できない人を見下していないか?努力できない人をダメだと言っていることにならないのか?」ということについて、ちょっと考えてみた。
「努力することは良い」「努力することは大切」って当然のことでしょ、と思うが、あえて考え直してみる。
「努力することは良い」と言ってしまうと、暗に「努力できない人はダメ」と言っていることになるのだろうか・・・
実は、以前、旧ブログのほうで、朝日新聞の「あんまり恋愛しない若者に恋愛することを勧める記事」についてちょっと反論めいたことを書いたことがある・・・
同じやり方で、このテーマもつっこんでみる。
そう「恋愛したほうが良い」という「恋愛」という言葉を、まず「結婚」または「子供をもつこと」に置き換えてみる。
「結婚したほうが良い」「結婚することは大切」
「子供をもったほうが良い」「子供をもつことは大切」
というわけで、これは書き方(言い方)によって(・・・そう、たとえば、「結婚してない人、子供がいない人」を暗に批判してしまったり、見下すような表現をしてしまったり、マイナスに捉えてしまったりして・・・)、「結婚、または子供をもつことができた人のほうが上」という感じがしてしまうこともあり・・・
けど、当然「しない人、できない人」もいるわけで、とくに「子供ができない人」に対し、かなり失礼なことを言っていることになる。
つまり、「恋愛したほうが良い」「恋愛することは大切」というのも大きなお世話ってやつ・・・ってことで、「朝日新聞の恋愛お勧め記事」を切った。
そう、、この「恋愛お勧め記事」は、恋愛しない若者をマイナスに捉え、暗に否定・批判していたので、私は「人の生き方を批判するとは傲慢」と思ってしまったのだ。
もしも「恋愛をしない若者」をマイナスに捉えることなく、批判めいたことを言わずに、単に「恋愛してみればいいのに」ということであれば、傲慢だとは思わなかっただろう。
で、問題は・・・「努力」も同様なのか・・・というのを、チラッと考えてしまった。
「努力したほうが良い」と言って、もしも努力しない者を批判していたとしたら、マイナスにとらえ見下す表現をしていたとしたら・・・「傲慢」ということになってしまうのかもしれない?
こういった「人の生き方」について論じる場合、対象を明確にしないといけないのかもしれない・・・「努力したほうが良い」と言う場合は、「今の自分に不満で、どうにかしたいと思っている人に」ということで、全ての人に対して言ってはいけないのかもしれないな、と改めて思った。
で、本当に欲しいものに対して、お勧めされなくとも、人は動く。
この「恋愛」に関して、若者が昔のバブル時代ほど恋愛にエネルギーを注がないのは、恋愛に対する優先順位が低くなっただけのことではないか、恋愛を最優先しない若者が増えただけではないか、と思ったが、それと同じことが言えるのかもしれない。
「べつに努力しなくていいじゃん」ということは、そこまでして欲しいものがないから、であり、
本当に欲しいものがあれば、それを手に入れる努力をするのだろう。
「恋愛」と同じで、「努力」もできればそれに越したことはないけれど、その人にとってはべつに最優先するべきものでもなく、必ずしなくてはいけないものでもなく・・・
どうしても欲しいものではない場合、それを手に入れるためにそれほどエネルギーをかけなくてもいい、とその人が判断しただけのことだ。
そのことを見下したり、批判するのはおかしい。
けど、恋愛しない自分(または「結婚しない、できない自分」「子供をもたない、子供ができない自分)って、やはり良くないのか、ダメなのか、劣っているのか、と劣等感もつ人もいるのと一緒で・・・
「努力できない自分って劣っているダメ人間」と自分を責め、欝になってしまう人がいるのかもしれない。
世間はやっぱり、恋愛したほうがいい、結婚したほうがいい、子供がいたほうがいい、と暗にメッセージを発している。
それらができてない人を暗に見下したり、「負け組」扱いしているのだろう。
「努力」も同じなのかもしれない。
努力ができない人を、「負け組」扱いし、暗に批判してしまっているのかもしれない。
それに対し、香山さんが反論したのかもしれない。
「努力することが大切」と当然のことを言って何が悪い?と思っていた自分だが、これも傲慢なことだったのかもしれない?
と、まあ、そんなことを思ってしまったのだ。
さてさて、後半は、もう少し・・・今度は、「実はかなり厳しい勝間さんについて」、いろいろ語ってみよう。
ここからは、かなり「毒」が入るかもしれない。
勝間本「起きていることはすべて正しい」を読んでみると・・・これにはちょっとキツイことも書いてある・・・
いや、この「勝間VS香山」がなかったら、そんなに気にならなかったかもしれない内容なのだが・・・
この勝間本には・・・
「親しくつきあう友人を、自分の成長(レベルアップ)に合わせ、ある程度入れ替えるほうがいい」
「メンタル筋力(=向上心があり心が鍛えられた人間力・精神力)の弱い友人とは距離をとりながら、フェードアウトして、新しい魅力ある友人へ時間を使おう」というようなことが書いてある。
つまり自分がレベルアップしたら、そのレベルに追いついてない友人とは距離をとれ(=切り捨てろ、と受け取っていいだろう)ということだ。
人とお付き合いするのに、切磋琢磨し、刺激し合い、お互い成長できるような関係がいい、ということで、それには自分と同レベル、自分よりちょい上レベルの人と付き合うほうがいい、よって、自分のレベルに見合わない友人は遠ざけろ=捨てろ、ということなのだろう。
この考え方・・・バブルの頃の、漫画家の故中尊寺ゆっこさんも、たしか同じようなことを言っていたっけ。
友人の顔ぶれが替わってないということは、自分の成長が止まっている証拠だと。
自分が成長するためにも上のレベルの人と付き合えと。付き合う人(友人)は取り替えろと。
勝間和代VS香山リカその7(・・・無為に過ごす時間) [雑記]
勝間さんの「時間配分」に対する考え方には「なるほど」と思える部分があり・・・
私も自分が使っている時間を「投資」「消費」「浪費」「空費」に分けてみようと思った。
そのことについて書かれた本↓であるらしいが・・・
投資とは、今やらなくてはいけないような緊急性がなく、勉強など将来の自分への投資となる行為。
消費とは、仕事や家事など生活するのに必要な、今(緊急に)どうしてもやらなくてはいけない行為。
浪費とは、やらなくてはいけない行為ではないが、趣味など自分がやりたい行為のことをいうのかな。
空費とは、重要性もなく、漠然と過ごしてしまった無為な時間。
浪費と空費の区別が、自分的にはつきにくいが・・・^^;
無駄に時間を過ごす空費が多いような気がする自分である・・・
で、この「ブログ=記事を書くこと」・・・これは、自分にとって、どれに当たるのだろうか・・・
ブログを書くことを勝間さんが勧めており、「勝間式時間の考え方」では、おそらくブログを書くことは「投資」であり、「空費」「浪費」にはならないのだろうけれど・・・
「ブログをやってみよう」という勝間さんに対して、香山リカさんは「有名人でもないただの人がブログを書いたところで、誰も見ない」と非常に現実的なことをおっしゃっているようだ。
つまりブログを書くことは、単なる自己満足であり、「将来に全く役立たない、必要性もない」ということで、浪費か空費に値するということか・・・
「空費」は減らしたほうがいいという勝間さん、「ブログ書くこと」を勧める勝間さん・・・であるが、実は「空費=ブログを書くこと」な場合、どうすればいいのか、でありますな^^;
いやあ、ブログをやってみるか、と気を取り直していた私には、香山さんの言葉は非常に正しく、とても耳が痛い・・・
「ただの自己満足」「空費、浪費しているに過ぎない」「価値はあまりない無駄な時間を過ごしている」ことは重々知りつつ・・・趣味として楽しむことにしよう・・・
記事をかくことは、とりあえず「考えること」「文章を組み立てること」よって「頭も少々使う」ので、ボケ防止のため=「健康投資」と捉えることもできるが・・・
「誰も見ないお前のやっているブログは無駄、無価値だ」と言われるよりも 、「頭の体操」「勉強」「将来への投資(私の場合、ボケ防止)」と言われたほうが、やる気は上がる。
香山さんの考えに救われる一方で、やはりやる気もそがれてしまうことも・・・
一方、勝間さんは「やる気」を与えてくれる。
勝間さんの「(香山さんこそ)努力できない下々の者(努力しても無駄に終わる下々の者)ということで見下しているんじゃないですか」という反論を思い起こす。
「努力したって(動いたって)無駄に終わることが多い。徒労に終わることが多い」のは頭で分かりつつ、でも、ひょっとして無駄ではないかもしれない、価値がゼロではないかもしれない、という希望をもつことも大切なのでは、と思ってしまったのである。
記事を書く行為は、それはそれは時間をとられる。
このブログを書くことは「空費」かもしれない。良くて「浪費」だ・・・ただ御託を並べて、結局、自分を慰めているだけの行為かもしれない・・・ブログを書くことは、ただ暇つぶしに無為な時間を過ごしているだけなのかも・・・とは思いつつ・・・
あの勝間さんが勧めるのだから、やってみよう、ということで、
この「ブログ記事を書く行為」に関しては、勝間さんの考えに救われているのである。
さてさて・・・
こうして自分が書いてきた「勝間和代VS香山リカ」一連の記事を見ると、どちらにも共感すると言っておきながら、どっちかというと「勝間和代寄り」ではないか、と思う人がけっこういるかもしれない。
たしかに今までは「勝間和代」寄りだったかもしれない。
香山さんは勝間さんの言っていることを悪く取りすぎているのでは、とも思うところもあったからだ・・・
けど、それらの記事を書いてきた時点では、まだ巷に出回っている勝間本を読み切れてなかった。
今現在は、「香山さんがなぜ、あれほど勝間さんにかみついてきたのか」が分かった。
そこで次回は、そのことについて、「香山リカ寄り」で、今まで書いてきた「勝間和代寄りの記事を反省」してみようと思う。
私も自分が使っている時間を「投資」「消費」「浪費」「空費」に分けてみようと思った。
そのことについて書かれた本↓であるらしいが・・・
投資とは、今やらなくてはいけないような緊急性がなく、勉強など将来の自分への投資となる行為。
消費とは、仕事や家事など生活するのに必要な、今(緊急に)どうしてもやらなくてはいけない行為。
浪費とは、やらなくてはいけない行為ではないが、趣味など自分がやりたい行為のことをいうのかな。
空費とは、重要性もなく、漠然と過ごしてしまった無為な時間。
浪費と空費の区別が、自分的にはつきにくいが・・・^^;
無駄に時間を過ごす空費が多いような気がする自分である・・・
で、この「ブログ=記事を書くこと」・・・これは、自分にとって、どれに当たるのだろうか・・・
ブログを書くことを勝間さんが勧めており、「勝間式時間の考え方」では、おそらくブログを書くことは「投資」であり、「空費」「浪費」にはならないのだろうけれど・・・
「ブログをやってみよう」という勝間さんに対して、香山リカさんは「有名人でもないただの人がブログを書いたところで、誰も見ない」と非常に現実的なことをおっしゃっているようだ。
つまりブログを書くことは、単なる自己満足であり、「将来に全く役立たない、必要性もない」ということで、浪費か空費に値するということか・・・
「空費」は減らしたほうがいいという勝間さん、「ブログ書くこと」を勧める勝間さん・・・であるが、実は「空費=ブログを書くこと」な場合、どうすればいいのか、でありますな^^;
いやあ、ブログをやってみるか、と気を取り直していた私には、香山さんの言葉は非常に正しく、とても耳が痛い・・・
「ただの自己満足」「空費、浪費しているに過ぎない」「価値はあまりない無駄な時間を過ごしている」ことは重々知りつつ・・・趣味として楽しむことにしよう・・・
記事をかくことは、とりあえず「考えること」「文章を組み立てること」よって「頭も少々使う」ので、ボケ防止のため=「健康投資」と捉えることもできるが・・・
「誰も見ないお前のやっているブログは無駄、無価値だ」と言われるよりも 、「頭の体操」「勉強」「将来への投資(私の場合、ボケ防止)」と言われたほうが、やる気は上がる。
香山さんの考えに救われる一方で、やはりやる気もそがれてしまうことも・・・
一方、勝間さんは「やる気」を与えてくれる。
勝間さんの「(香山さんこそ)努力できない下々の者(努力しても無駄に終わる下々の者)ということで見下しているんじゃないですか」という反論を思い起こす。
「努力したって(動いたって)無駄に終わることが多い。徒労に終わることが多い」のは頭で分かりつつ、でも、ひょっとして無駄ではないかもしれない、価値がゼロではないかもしれない、という希望をもつことも大切なのでは、と思ってしまったのである。
記事を書く行為は、それはそれは時間をとられる。
このブログを書くことは「空費」かもしれない。良くて「浪費」だ・・・ただ御託を並べて、結局、自分を慰めているだけの行為かもしれない・・・ブログを書くことは、ただ暇つぶしに無為な時間を過ごしているだけなのかも・・・とは思いつつ・・・
あの勝間さんが勧めるのだから、やってみよう、ということで、
この「ブログ記事を書く行為」に関しては、勝間さんの考えに救われているのである。
さてさて・・・
こうして自分が書いてきた「勝間和代VS香山リカ」一連の記事を見ると、どちらにも共感すると言っておきながら、どっちかというと「勝間和代寄り」ではないか、と思う人がけっこういるかもしれない。
たしかに今までは「勝間和代」寄りだったかもしれない。
香山さんは勝間さんの言っていることを悪く取りすぎているのでは、とも思うところもあったからだ・・・
けど、それらの記事を書いてきた時点では、まだ巷に出回っている勝間本を読み切れてなかった。
今現在は、「香山さんがなぜ、あれほど勝間さんにかみついてきたのか」が分かった。
そこで次回は、そのことについて、「香山リカ寄り」で、今まで書いてきた「勝間和代寄りの記事を反省」してみようと思う。
勝間和代VS香山リカその6(・・・努力したから、しがみつかないでいられるケースもある) [雑記]
努力によって、幸福になる確率が上がる、という勝間さん
努力しても必ずしも報われず、そのため劣等感に陥り、鬱病になったりして不幸になることもある、勝つことにしがみつくな、という香山さん
さて、私はどちらの言っていることにも共感するが、あともうひとつ、私の経験上「努力したから、後悔もせず、あきらめることもでき、気持ちもすっきりする」ということもあるのではと思う。
そう、努力はそれほど報われなかったが、「努力したんだから仕方ない」とあきらめることができる。すなわち、しがみつかないでいられる。
負けを受け入れることもできるのだ。
劣等感にさいなまれ、自信を失う人もいるかもしれないが、私の場合は「やるだけやったから、もういいや」「あれが自分の限界であった」と受け入れることが出来る。
まあ、一種の燃え尽きというやつかもしれないが、気持ちとしては、そんなに悪くはない。後悔ないのだから、幸せともいえるかもしれない。
努力が報われなかったとしても、こういうケースもあるんだ、ということで。
努力しても必ずしも報われず、そのため劣等感に陥り、鬱病になったりして不幸になることもある、勝つことにしがみつくな、という香山さん
さて、私はどちらの言っていることにも共感するが、あともうひとつ、私の経験上「努力したから、後悔もせず、あきらめることもでき、気持ちもすっきりする」ということもあるのではと思う。
そう、努力はそれほど報われなかったが、「努力したんだから仕方ない」とあきらめることができる。すなわち、しがみつかないでいられる。
負けを受け入れることもできるのだ。
劣等感にさいなまれ、自信を失う人もいるかもしれないが、私の場合は「やるだけやったから、もういいや」「あれが自分の限界であった」と受け入れることが出来る。
まあ、一種の燃え尽きというやつかもしれないが、気持ちとしては、そんなに悪くはない。後悔ないのだから、幸せともいえるかもしれない。
努力が報われなかったとしても、こういうケースもあるんだ、ということで。