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高嶋ちさ子氏のスパルタ教育、なのに・・・ [音楽・ピアノ・ショパン・「音吉君のピアノ物語」]

2月17日
追記その2

朝日新聞にこんなことが書かれていた。
【教育とは、安全に失敗を経験させること】

発表会で失敗していいのだ。その失敗を次に活かせば。
小学校低学年までは楽しんで弾ければそれでいいのでは、と。
小学校高学年になり、失敗すれば、「恥ずかしい」「悔しい」という気持ちが出てくるはず。(出てこなければ、まあ、少なくともプロには向かないだろう)
その気持ちがあれば、失敗は次に活かせると思う。

6歳(小学校低学年)で失敗を恐れさせるのは酷だと個人的に思う。


追記その1

この件で、いろいろ考えさせられた。

子どもに恐怖を与えずに、練習させる、勉強させるには、どうしたらいいんだろう・・・と。
口やかましいだけじゃ、いうこと聞いてくれない子もいるだろうし。 褒めても、そこで安心するのか、やっぱり練習しない。

教える立場になると、今度は「あまりに練習しない生徒」に、無力感。

もちろん・・・言葉を尽くして練習しなければいけない理由を説明し、決して無理なことを要求していない(中学生で、週に3日、30分程度で)のだけど、それも結局はやらず、ほとんど練習しないまま、レッスンにくる・・・当然、先週、やっとできたところが、またできなくなっていて、元の木阿弥、それがずっとずっと続く・・・

やはり徒労感を感じてしまう・・・

生徒の親の方は「楽しくやらせてほしい」「塾やほかの習い事で忙しい」という感じで、子どもに強制的に練習させる親はほとんどおらず・・・(プロになるわけじゃないから、趣味みたいなものだから、親の方も練習よりは勉強してほしいだろうし、口やかましく「練習するよう」に言うことはないのだろう)

なので、高嶋さんほど厳しくするのはあれだけど、ほどほどに厳しくしないと、子どもは練習してくれないよなあ、と思ったり・・・

ただ「練習してくれ」とお願いするのも違うしなあ・・・

なので、「練習ができたら、連絡して、そこでレッスンの日時を決める」というワンレッスン方式に。
当然、練習しないから、そこで事実上、ピアノをやめることになる・・・

たぶん、そうなるだろうな、と私も思いながら、ワンレッスン方式にするのだけど。

基本、もうそこまで練習しないのであれば、ピアノは向かない。言葉を尽くしても分かってもらえないのであれば、仕方ないなと。

怒ることはしないけど、冷たいやり方ではあるかも。

まあ、あくまでも楽器の練習の話。
これが学科の勉強になると、やはり子どもの将来がかかるので、親は大変そう。

先生は生徒を見限ることはできるけど、親は子どもを見限ることはできないから、責任の差がそこで出てくる。なので親はやっぱり大変。先生はある意味、気楽かも、とは思った。

・・・・・・・
2月16日

【今「練習で間違えたくらいであんなに怒るんだから、発表会で間違えたら殺すんでしょ」と泣いてます。】 (高嶋さんの息子が)

https://twitter.com/chisako824/status/686026491193245696
高嶋ちさこ氏のツイッターより

練習でミスすると怒るのか・・・
私なら耐えられないだろうなあ。
(息子さん、6歳くらいらしい? 私は6歳の時は、まあ、遊び感覚で、のんべんだらりとやっていたなあ。間違えることなんて、気にしてなかったし)

本番のミス・・・悔しさなら味わったけど、恐怖は味わったことない。
ああ、けど音高音大の試験は「恐怖に近いもの」だったかなあ。

まあ、教育方法は人それぞれ。
五嶋龍君だって、お母さんの節さん、怖かったもんなあ、レッスン中。

耐えられる子ならきっと有効な方法なのだろう。音楽も嫌いにならないのだろう。

でも、私なら嫌いになるだろうな。
ミスしたくらいでそれだけ怒られるんだとしたら。
そもそもミスしたくてするわけじゃないし。

6歳(たぶん、そのくらい・・・)で「殺す」(親から殺される)という言葉が出てくるなんて、すごいな・・・音楽ってそんな物騒なものなのか・・・と。
高嶋さん、息子をチェリストにでもするつもりなのかしら。
(ただ、高嶋さん、ネタとして話を大きく盛っているのかもしれないが)

ちなみに、へたれなワシは逆に怒ること=叱ることもができない。
なので「教えること」に向いてない。
それに自分には怒る=叱る資格がないと思ってしまう。
けど、子どもってなかなか練習しないから、怒る=叱ることも大切なんだろう。

なので、そのへんは高嶋さんはすごいと思う。
子どもに期待し、それなりのものを要求しているのだろう。
けど、自分自身もとても「できる人」で、失敗しない、自分に自信がある人でないと、子どもにそこまで要求できないよなあ。

6歳、いや6歳でなくても、練習中のミス、私はまあ仕方ないと思ってしまうけど。
つうかミスするから練習するんだよね?

中学生になれば、本人がミスすることを悔しく思うようになるだろうし。
逆にミスしても悔しくならないなら、「合わない」「やめたほうがいい」のかもしれない。

ああ、でも今は私の場合、ミスしても「ま、いいか」だもんな。
それに本番をノーミスで弾けたことなんぞない。

音楽って何だろ?

・・・・・・・

ところで・・・
気になったのがツイッター上の高嶋さんのプロフィール。「自称ヴァイオリニスト」と今現在ある。(2月16日)
なぜ、普通に「ヴァイオリニスト=プロ」と堂々と名乗らないのだろう? 息子にここまで高い要求をしておきながら・・・

ここからは私の邪推。
「自称」と自ら名乗る場合、「自信がない」「逃げ道を作っている」かもしれない。
自信があるなら堂々と「ヴァイオリニスト」とすればいい。

プロのヴァイオリニストを名乗れば、もちろん、ほかのプロと比較される。
たとえば、五嶋みどりとか、諏訪内晶子とか。
そういった本格派と較べられるのが嫌だから、「自称」として逃げているように思えてしまう。

高嶋さんはどう見ても、客からお金をとり、音楽で食っているのだから「プロ」だろう。

いや、べつに「自称」でもいいのだ。気が楽だもの。
「私は自分の実力わかってます、プロを名乗るなんておこがましい」ということを表したくて、そうする人はけっこういる。

それなのに・・・息子に高い要求をするのに、自分は「自称ヴァイオリニスト」と逃げていることに、ちょっと違和感を持ってしまったのだ。そして、それを公表してしまうことに。

もちろん「ネタ」の可能性もあるけれど・・・ちょっと、ちぐはぐな印象を受けた。
いやあ、気楽にいきたいなら、息子も気楽でいいんじゃね? と。

高嶋さんが、自分に厳しいプロの矜持があるなら、堂々と「ヴァイオリニスト」とすればいい。「自称」なんてつけずに。
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