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さらに語る「とある飛空士への夜想曲」「獣の奏者」「風立ちぬ」>キャラの死・戦争について、およびキャラについて。酷い男はどっち? [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

今までも「とある飛空士への~」「獣の奏者」などについて感想述べてきたけどhttp://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2015-04-13、今回はさらに突っ込んで語ってみよう。

「とある~夜想曲」と「獣の奏者」を主に取り上げつつ、ジブリ「風立ちぬ」については・・・「千々石」と「風立ちぬ主人公」、酷い男はどっちか、を綴る^^;

まずは前置き。
作家の宮本輝氏が産経新聞インタビューでこのように発言していた。

小説を書くにあたって大事にしている点。
○『わかりやすく簡単に書くこと、難解な単語や熟語は使わない』

例えば「雨が降った」という表現を難しく書くことはなく、ただ「雨が降った」と書けばいい。難しく表現してうちは、まだまだ・・・ということらしい。

そうか、やはりそうだよな。ちょっとホッとした。
ネットで文章による物語を描いているので、私も「簡単に、簡潔に、わかりやすく、短く表現すること」を心掛けつつも、「情景描写が説明不足、あまりにそっけないのではないか」「もうちょっと豊かな表現をしなくてはいけないのではないか」とも思っていたので。

まあ、「雨が降った」にしても、どのくらいの強さで、というのは表現したほうがいいのかも?
小雨なのか、ザーザー降りなのか、風はあるのか、気温はどうなのか・・・などなど。

○『勇気や希望を与える物語でありたい。暗い小説は嫌い』

長い長い小説を読んで、最後に皆が不幸になったり、別れ別れになったり、というような物語は読みたくない、と。
基本的に「ああ、よかった」=ハッピーエンドが好ましい、と宮本氏は発言されている。

たしかにそうだよな。

すると主人公が最後に死んでしまう物語はどうなのか? という点について、主人公は死んでしまうが、その周りの人たちが救われる、主人公の死を乗り越え、希望をつかむ、主人公の死は無駄ではない、という感じであれば、読み手はショックではあるが、納得はできるのではないだろうか。

その作品が・・・「とある飛空士への夜想曲」「獣の奏者」「永遠のゼロ」だと思う。

ええ~と・・・主人公が最後に死んでしまう話はほかにもけっこうあったはずだが、思い出せない^^;
つまり、この3作品以外、それほど印象に残らなかった、ということでもあるのだな・・・

(「病気もの」も、そういったものがあったはずだけど、なぜか思い出せない。ああ、ひとつだけ、印象に残った話があった。有本浩の「旅猫リポート」だ。途中まで主人公が病気とは分からないので、分かった時はショックだった。心に残った。というか、これ主人公は猫になるのか? すると主人公の死ではなく、主要キャラの死ということになるのかな?)

「闘い」が絡む主人公の死は、「病気モノ」よりも印象に残る。
病気で死ぬのはある種「仕方ない。運命」、けど戦いで死ぬのは「回避できなかったのか」と思うからなのか・・・

ああ、そういえば・・・
私はRPG「クロノトリガー」にはまり、旧サイトで二次創作に励んだことがあるのだが・・・
http://www.rock.sannet.ne.jp/kiga2hon-dayo/mokuji6.html

2004年のことだ。ただし、その時に初めて「クロノトリガー」をプレイしたわけではなく、1995年に発売された当時に、一度プレイしている。が、当時はとくに感じるものはなく、すぐに売ってしまった。

それがなぜ、2004年になってから、クロノにはまったのか・・・
それは「クロノクロス」の存在を、この時、初めて知ったからだ。

「クロノクロス」とは、「クロノトリガー」の続きの世界を描いたRPGだ。
その「クロノクロス」では、「クロノトリガー」に出てきた主人公はじめ主要キャラクターは若くして死んだ、ということになっている。

「ええ? クロノ、ルッカ、マール死んじゃったのか?」
と、びっくりした。
制作者は「これはパラレルワールド。キャラが幸せになっている世界もある」と苦しい言い訳をしていたが・・・^^;

ま、とにかく、クロノトリガーのキャラたちが若くして死んだ、というので、クロノトリガーが気になり、再び触れることになり、はまってしまったのだ。つまり「主人公および主要キャラの死」がきっかけだった。

それほど、「主人公の死」というのは受け手にインパクトを残すのだ。

逆に、主人公を死なせて、あまりインパクトを残せなかったら・・・その作品はちょっと・・・ということだ。
いや、だから、そうそう主人公を死なせてはいけないのだ、とも思う。


○「とある~夜想曲」と「獣の奏者」の主人公。より惹かれるのは・・・

「とある~」では主人公の恋人が、「獣の奏者」では主人公の息子が、自己犠牲を覚悟する主人公に対し、心を痛める。

それでも「獣の奏者」の場合、14歳の息子に「生きること」を約束するので、まさか死ぬとは思わなかった。
「とある~」も、恋人に「お前のところへ帰る」とは言うのだけど。その前に「戦いで死ぬことは本望」とも言っている。

では、どっちの主人公に惹かれたか、となると、僅差で「とある」だ。

私的には・・・千々石>エリン

その理由。
「獣の奏者」のエリンは、あまりに「いい人」「理想的な人」「善人」「立派な人」で、欠点が見当たらない。

対して「とある」の千々石は、自分勝手な面がある。恋人を傷つけてでも戦うほうを選ぶ、恋人よりライバルを選んだ、と言っていい。欠点もある人間。

なのでキャラとして、千々石のほうがエリンよりも魅力的に思える。
欠点のないキャラにはあまり惹かれない。嘘っぽいから。


○テーマについて。
「とある~」も「獣~」も素晴らしい。

おそらく、左派は、「とある~」を戦争美化、特攻隊美化、として「右傾化エンタメ」と言うだろうけど、「獣~」だって、ある種の特攻だろう。なのに「獣」は反戦をうたった話として、左派も受け入れているようだ。

けど、「とある」だって戦争の愚かしさを訴えているし、「永遠のゼロ」も特攻作戦を批判している。
が、なぜか「獣」とは違う扱いをされている気がする・・・


「獣~」で一番、評価する点について。

戦争・戦うことを「穢れ」とする人たち=戦う人(兵士、軍隊)を見下しつつも、その人に護られ、富を享受していた一団に対し、「富を手放す覚悟があるのか」と問う点だ。「富を享受したいのであれば、戦いに参加せよ」というような場面がある。

そして、多数決で決めるのだ。戦うのか、戦わないのか。そして「戦う」ことになった。富を手放さないことを選択したのだ。

この場面を見て、左派はどう思っているのだろうか。

私が「獣」を評価する一番の場面でもある。

「とある」でも、「なぜ戦争になったのか」について、原因はあまりに多すぎる、とし単純化していない。「誰が悪いというわけではなく、時代の要求がそうさせた」と主人公・千々石は答える。

「はだしのゲン」のように、お金持ちや権力者が欲をかいて戦争を起こした、などと「単純なお子様的な理由」を並べたりしていない。

当時、人権という概念もなく、欧米諸国の植民地政策が当たり前だった時代、植民地を持っている国々が『ブロック経済』でもって、植民地を持っていない国を脅かしたこと、日本やドイツを経済的に追い詰めていったことなど、原因はほんとうに様々あるだろう。

ロシアも怖かったし、戦々恐々としていた時代だ。

「はだしのゲン」および左派は、日本を「欲をかいたから、戦争を起こした」というのではなく、このように言わなくてはいけない。「日本は貧乏になる覚悟がなかったから戦争をした」と。

もちろん、貧乏になる、ということは、弱者救済はできない、ということでもある。それでも戦わない、と言うのであれば、それはそれでひとつの考え、価値観だろう。

戦争で死ぬのは嫌だけど、病気や貧しさで死ぬのは仕方ない、と思う人もいるだろう。
戦争になれば、さらに貧しくなる可能性だって高いのだから。

そう、上でも触れたように、闘いで死ぬのはショックだが、病気で死ぬのは仕方ない、と受け入れられる人も多い。
だから、左派はそう訴えればいい。「戦いで死ぬよりは、貧乏の方がマシだ」と。

まさに「獣の奏者」が言っていた「富を手放す覚悟がありますか?」だ。

そして「侵略の定義がない」ということは、植民地支配をしていた欧米諸国にとっても都合がいいのだ。だから「侵略の定義はない」のだ。正義は「戦勝国が決めるもの」だから。

従って、「侵略の定義はない」のだから、日本も侵略行為はしていない、ということになるのだ。
いやいや日本は侵略をしたというのであれば、左派は欧米諸国についても批判し、戦争に加担したことのあるすべての国に反省を求めるべきである。日本のみ「悪」とし、日本にのみに求めるのは、日本への差別だ。

つまり「とある~」の千々石の言っていることが正しい。
「誰が悪いわけではなく、時代の要求がそうさせた」と。

「戦うこと・戦争」について、「とある~」と「獣の奏者」は核心をついている。

が、左派はたぶん、「とある~」は嫌いで、「獣の奏者」は好き・・・なんだろうな・・・けっこう似ている部分、多いのに。

まあ、ただ「とある~」で、特攻(死)を怖がる、迷うキャラが一人も描かれなかったのは、戦争を描く物語としてひっかかるといえば、ひっかかるけど、物語上、それを描く余裕はなかっただろう。
「生き残ることを考えてくれ」というヒロインのセリフが、それに代わる。

もし、端役兵士でもいいから、その場面(特攻を躊躇する、迷う、怖がる)を描いていれば、戦争ものドラマとして左派も納得100点満点だったかもしれない。

逆にそれがないと、「戦争美化、特攻隊美化」と突き上げられる。


○ジブリの『風立ちぬ』の主人公ほうが、「とある~」の千々石よりも酷い男だと思う点について^^;

よくよく考えたら、ジブリ「風立ちぬ」の主人公って、妻になったヒロインの死に目に会ってないのでは? 
あの終わり方はそうだよな。

しかも、ヒロインがサナトリウムに帰った後、会いに行ってないのでは? ヒロインは「自分が病気でやつれて、ひどい姿になるのを見せたくない」ということで、主人公のもとを去ったのだから。

で、妻を追いかける描写もなく、おそらく主人公は飛行機作りに没頭し、夢にまい進し、ヒロインを放ったらかしだ。

主人公がその後、妻を見舞ったと想像しにくい物語だ。

うわあ、なんてひどい男なんだ・・・夫なのに、死に向かっている妻を放っておくなんて。それがたとえ妻の望みであっても、ちょっとそれはないんじゃない?

「とある」の千々石は、生き残って恋人と暮らすことより、戦うことを選択し、恋人=ユキと距離を置こうとし、会ったら余計に傷つけるとし、出立の前、ユキに会うか会わないか迷い、最終的に「会う」という選択をした。

ちゃんと「迷い」が描かれていた。
自分の死後、恋人が強く生きていけるか、思いやっていた。

しかし、ジブリの「風立ちぬ」の主人公に、そういった迷いの場面は一切、描かれてない。
ヒロインが主人公に黙ってサナトリウムに帰った後、主人公は何を思ったのか、も描かれない。

またヒロインも、自分の死後について、千々石のように残った人たちに思いを寄せる描写はない。ただ「自分のひどい姿を見せたくない。きれいなままの姿を夫である主人公に残したい」と、「自分のこと」しか考えてない。で、黙って姿を消す。

人間度から言って、
千々石>>>>>>>>ジブリ風立ちのヒロイン、でもある。

当然、ヒロイン同志で比べるなら・・・
ユキ>>>>>>>>>ジブリ風立ちぬのヒロイン、だ。

「>」の数、もっと多くていいくらいだ。

話を元に戻す。

ジブリ風立ちぬ主人公の、あのラストを見た限り、
主人公は出て行ったヒロイン・妻を追いかけもせず、会いに行くこともせず、おそらく死に目にも会ってない・・・あの淡々とした感じでは迷いもせず、ヒロイン・妻の望む通りにさせた(=生きている間は会わない)、と受け取られても仕方ない。

本当に呆れるほど、キャラもうすい物語だった。

迷いを描いてこそ、人間ドラマなのに。
そういったところを排除したキャラに全く人間味・魅力を感じない。

男として、人間としてのキャラの魅力
千々石>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジブリの『風立ちぬ』の主人公

「>」の数、もっと増やしたいくらいだ。

ついでに主人公としての魅力
千々石>エリン>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジブリ「風立ちぬ」主人公

エリン以下の「>」の数、もっと増やしたいくらいだ。


○「獣の奏者」について。言っていること正しいけど、引っかかった点。

「生き物の性を歪めてはいけない」・・・動物を家畜として飼い、食料とするのは仕方ないけど、子孫を残せない体にしてしまったことを「やってはいけないこと」とし、主人公エリンは人間の身勝さに罪悪感を抱くのだけど・・・
現実、ペットの犬なり猫なり、避妊させていることについて、どう思うんだろうなあ、とふと思ってしまった。これも「性を歪めている」ことになる。エリンから見たら「悪」だな、と^^;ペット飼って、避妊させている人、「獣の奏者」読んで、この点はどう思ったんだろう?

・・・・・

とまあ、好き勝手に語ってしまったが・・・

ハヤシは結局、何が言いたかったのか・・・それは前の記事でも叫んでいたが、なぜ「とある飛空士への夜想曲」が、「獣の奏者」「永遠のゼロ」「ジブリ風立ちぬ」ほどに、世間の話題にならなかったんじゃ~? ということだ。

また機会があったら叫ばせてもらおう。


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