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少女妊娠出産感動物語=無責任エンタメ=左傾化エンタメ? [本・テレビ番組・ドラマ・映画・マンガ・アニメ]

前回、少女(小中学生)が妊娠し、結局、苦しんで出産して、皆からも祝福されて、ハッピーエンド・・・テーマは命♪ でも、その後の子育てには触れない・・・というドラマや漫画の話に触れたけど・・・

ああ、よく考えてみたら、これって「無責任な左派的きれいごと物語」だなと思った。

せっかく宿った命、中絶は殺人、命は大切に、だから産もう・・・もちろん、これは善であり、正義である。

が、その後の我慢を強いられる子育てについては触れない。
触れたとしても、『周囲の協力もあって、上手くいってます。少女ママも少年パパも仲良く子ども育ててます』『子ども、元気に成長しました』と、サラッと描く程度。

『非現実的ご都合主義な無責任エンタメ』ということで、私はああいった物語は感動もしないし、『命を大切に』というメッセージにも、「じゃあ、その後の子育てを描こうよ。そっちが大事じゃん」と思ってしまう。

そう・・・『非現実的』『無責任』『きれいごと』といえば左派だよなあ、と今にして思ってしまった^^;

現実には、少女ママも少年パパも我慢できるはずがなく、子育ての責任を負えるはずもなく、育児放棄する可能性が高い。とくに少年パパ。

小中学生はもちろん、高校生でも、まあ、ほとんどは我慢できないと思う。

まだまだ遊びたい盛り。
大人のパパでさえ、妻と子を捨て、責任を果たさない者もいる。
だから現実的には、育てる環境になく、自信がなければ中絶するだろう。

少女ママに産ませて、命大切メッセを込めるのであれば・・・産んでみたものの、でも育てられず、少年パパは家族を捨ててしまい、結局、子どもは養護施設へ・・・
それでも産んだことは正しい、「命、大切メッセージ」を込めました、養護施設に行ったからって不幸とは限らない、というところまで描いてほしいよな・・・

少女ママ少年パパが仲良く子育て、子どもは無事に成長・・・は非現実的。
大人のママやパパでさえ「産後クライシス」という言葉があるくらい難しいのに。

けれど・・・少女が、子は産んだものの、親の責任放棄・・・これは「正義」で「善」なのだろうか。これでも「命大切メッセージ」となるのか?

つまり、絶対正義、絶対善、絶対平和・・・ありえないということだ。

もちろん『命は大切だ、その後、育てることができず、その子どもが養護施設に行ったとしてもそれはそれでいい。中絶して命を奪うよりはいい、まず産むことこそ正義」という意見の人もいるかもしれないけど。

そういえば「パラレル・プライオリティ日本編」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/ も静也と理沙は児童養護施設育ちという設定になっているっけ・・・
(保護者を亡くしたため、施設に入った。虐待や育児放棄されたからではない)

親がいなくても子は育つ、という言葉はあるものの、難しい。
もち、不幸になるとは限らないし、物語上では現在、静也と理沙は幸せである。

だからといって、育児放棄は大した問題じゃない、育てられないなら養護施設へ、親がなくても子は育つ、とも簡単には言えないし。

が、養護施設で育つ=不幸、と決めつけるのもよくない。

『命大切』という単純なものではなく、こういったことこそ追求してほしいよなあ。

というわけで『少女が出産、感動、ハッピーエンド』という物語にうすっぺらさを感じてしまうのだ。
つまりうすっぺらい、きれいごと、非現実的・・・って左派的思考に似ているな、と^^;

少女の出産話を描くとしたら・・・結局、育てることができず、子どもは養護施設へ、けど、その子どもは不幸になるとは限らない、そういう描き方がいいのかな。

もち、子どもを産んだ少女のお母さん(おばあちゃん)が、少女の産んだ子供を育て、お父さん(おじいちゃん)が経済的面倒を見て、家族全員で育てる、という話もありである。少女は結局、少年パパではなく、自分の両親に頼り、子育ての責任はほとんど自分の両親にとってもらう、ということになるが。
が、それも結局、元気な両親がいて、出産に理解を示した場合のみ可能な話である。

そして「少女、出産頑張った、偉いね」で終わらず、「責任とれずカッコ悪いね」ということになるが。ま、そもそも人間、かっこよく生きられるとは限らない。カッコ悪くていいのだ。



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