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冷たい人 [社会・ニュース]

自己責任論について。

今回のイスラム国邦人人質の件で、危険と分かっていて、なお危険地域に行った人の自己責任だという意見に対し、「冷たい」という言う人(作家の平野啓一郎氏など)がいるが・・・
しかし、やはり自己責任だと思う。もちろん、助かってほしいと誰もが思っているだろう。「自己責任だ」と言っている人もそうだと思う。
が、テロリストに何らかの譲歩をするのかしないのか、ここで「譲歩するわけにはいかない」という人と、「何が何でも助けろ。譲歩しろ」という人に分かれるのだろう。

「何が何でも助けろ」という人は、「譲歩すべきではない」という人を冷たいと思うのかしら? 
「譲歩すべきではない」と考えている人は、おそらく「危険地域に自ら行った自己責任」と思っているだろうから。

後藤健二さんは本当に立派な人だと思う。
だがガイドが強く止めたにも拘わらず、イスラム国が支配する危険な地域に乗り込んでしまったのだし、後藤さん自身「すべては自分に責任がある」というメッセージも残している。自己責任であることは後藤さん自身が納得した上で行ったのだ。

なのに、これにより、日本政府の外交が左右されるようなことになれば、テロリストはまた日本人を狙うようになるだろう。

将来の被害者を生むことは、後藤さんも望んでいないのでは、と推測する。
あそこまで他者に尽くし、危険を承知で「軍事会社を設立しようとし、以前も同じような目にあった湯川さん」を救いに行こうとした後藤さんならば。

自己責任だと言う人に対し、「冷たい」と思う人は、このことについてどう考えるのだろう。
将来、日本人がテロリストの標的になることについては、どうでもいいのかしら。

もしや、「冷たい」と言う人は、自分は善人で心優しい人間だと思っているとしたら、なんというか・・・傲慢だな。

そして、後藤さんに生後2週間の子どもがいることを知って、なんだか・・・後藤さんの価値観には理解できなくなった。海外の恵まれない子供たちを救うことは本当に立派だけど、自分の子どもに対しての責任は考えなかったのか? と。
まあ、日本は恵まれているから、たとえ父親がいなくても、海外の恵まれない子どもよりはマシな生活が送れるだろうとしても・・・

世界の危険な地域の情報を伝えるために、世界の恵まれない人たちのために、友人を救うために、自分の命をかけるのは立派だと思う一方、残される家族のことを思って、踏みとどまろうとは考えなかったのか。

危険が認知できなかったとは思わない。
小泉政権時代、イラクでも同じような事件があった。
日本政府はテロに屈しなかったが、一人の日本人がテロリストによって殺害された。
イスラム国家でも多くのジャーナリストが拉致され、脅迫された国の政府はテロリストと交渉することなく、屈しなかったがために、殺害された。

ところで、後藤さんのことはよく話題になるが、湯川遥菜さんのことはあまり話題にされていないように思う。

おそらく湯川さんについては、ほとんどの人は「自己責任」と思っているからではないだろうか。
そう、湯川さんのように危険な目に合っても懲りずに再度、危険な地域に行く人について、自己責任と言う人に対し「冷たい」と言える人はどのくらいいるのだろうか。
湯川さんは一度目は助かったので、また行っちゃったのかもしれない。

自ら危険な地域に行って、テロリストに拉致され、脅迫される度に日本政府が何か譲歩するようなことがあれば、海外にいる多くの日本人が、これからテロリストのターゲットになるかもしれない。
そして、こういった事件が起きるたびに、日本政府はこのことにかかりきりになり、ほかの案件がおざなりになる。
注目される事件の陰では、命はとられないまでも、多くの被害者が生まれるかもしれない。

それにしても、こうなったのは安倍さんの外交が拙かったからだ、という左派がいるが、テロリストの代弁者のようだ。

日本政府の外交が左右されるような事件に巻き込まれる可能性が高い危険地域に、個人が行くべきではない。行くなら自己責任。冷たいのではなく、それが『筋』であり、ルールだと思う。

それよりも、これを利用し、安倍政権および安倍首相を批判しようと、まるでテロリストの代弁者のようにふるまう左派議員(徳永エリ氏、山本太郎氏、江田憲司氏など)および安倍政権と敵対する者たちのほうが、人間としていかがなものかと思う。
「人質を何が何でも助けよ」と優しい善人を装っているが、安倍さんを批判したいというのが透けて見える。
後藤さんと湯川さんの命を利用しているのは、実はこういう人ではないのか?

また、「自分の家族が人質になっても、譲歩すべきではないと言えるのか?」と鬼の首をとったがごとく、言う人もいる。

この論法は、ほかでも使える。
たとえば、憲法9条改正賛成者や自衛隊の海外派遣に賛成の人に、「じゃあ、ご自分が自衛隊員になったら?」「自分の息子が自衛隊員でも賛成するのか?」と問えばいいのだ。

左派は、この手の手法を利用する一方で、死刑制度について、こう聞かれるのは逆に困るだろう。
「家族が皆殺しにされても、自分の年端もいかない子供が残虐に殺されても、死刑制度に反対ですか?」と。
ま、それでも死刑反対、加害者には償いを終え、社会復帰してほしい、という罪を憎んで人を憎まずという立派な人もいるかもしれないが。

けど当事者の立場になって考えることとは、分けないと、社会は成り立たないのだと思う。

冷たいというより、冷徹。
善人で優しい人は、将来に対しての責任をあまり考えていないように思う。

それでも、テロに屈しないと表明しつつ、日本政府は救出にあらゆる手を尽くしているように思う。
それの足を引っ張るのが、なんとか安倍政権を非難したい人たちかもしれない。
どっちが冷たい人間だろうか。

ただ、危険地域の定義が定まっていないとなると、どこから自己責任になるか、線引きが難しい。


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