SSブログ

改めて発達障害について [人生・生き方・生活・人間関係]

私は、ミクシー日記と同じ内容の記事をここにも載せていたが・・・
その日記について、ミクシーで「気分が悪い」とのメッセージをもらった。

まず、その「気分が悪い」という怒りの感想をいただいた記事がこちらである。
http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2012-01-04
http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2012-01-11-1

その方は「私ハヤシが、発達障害についてマイナスに捉えて書いた事」について怒りを感じたようだ。

そこで、そのことついての、さらにミクシーで自分が書いた記事を、ここにも編集して転載しておく。(かなり以前の話題であるが・・・)

以下、ミクシーでの自分を発言を転載。

ーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーー
不快な思いをされた方がいたかもしれないということで、お詫びいたします。

「発達障害者が生まれるかもしれないから、結婚しないほうがいい」と読み取ってしまう人もいらっしゃったかも、ということで。
(これは私の文章能力の至らなさが原因だと思います)


テーマはメディアの印象操作、生き方批判、指南についてです。

どう生きようが、プラス面とマイナス面があり、リスクがあり、「こう生きたほうがいい」とはいえない、ということが、この記事の主旨でした。

しかし「発達障害」を軽々しく話題にしたのは良くなかったかもしれません。

ちなみに、発達障害を話題にしたのは、うちの身内にいるからです。

発達障害などを問題を抱えた場合、子どもを責任持って育てる覚悟があって、結婚や子どもを産むことを望んでいるのか?ということで、発達障害を取り上げました。

日記で紹介した痛ましい事件(発達障害の子どもを持つ親が、そのことを苦に子どもを殺してしまった事件)のうちの1つでは・・・

追い詰められた母親は、離婚していたとの話を聞き(まだ他の人の日記の情報で、裏はとってません)、協力的な父親がいれば、このようなことにはならなかったのでは、と思ったり・・・

家族が協力的であるところもあれば、父親が逃げてしまうというケースも聞いたりし・・・ (もちろん、離婚の原因はそれぞれあり、別の原因で別れたのかもしれませんが。)

なので、とくに父親になる男性に「責任を持つ覚悟があるのか?」と思ってしまうのです。
「母親任せになってしまうこと」もよくあるそうだから。

私は自分の身近なことを例にし、
どんな生き方を選んでも、リスクはそれぞれある、ということを言いたかったのですが・・・

「厳しい現実もあるんだよ」ということを言いたくての「発達障害」を話題にしてしまっている感も否めません。

発達障害者を家族に持つことを「リスク」と捉えてしまっているところも正直あります。

しかし、安易に「それでも幸福である、良かった」とは言うことも出来ず、難しいところです。

そして、「不幸だ、産まなきゃ良かった」と思ってしまう母親は、「自分はなんて酷い人間なんだろう」と自分を責めてしまい、ますます追い込まれてしまうケースもあると聞きます。

自分の正直な気持ちが、公にしてはいけない気持ち、だったりします。
同じ障害を持つ人を傷つけるようなことを思ってしまうのです。

「親より早く死んで欲しい」とも思うそうです。
テレビで見た番組でも、障害を抱えた親御さんの、同じ言葉を聞きました。
そして「子どもの死を早く願ってしまうなんて、そう思ってしまうなんて、最大の不幸だ」と。

しかし、そう思ってしまうのも仕方ないと認めたほうが、救われるのではないか、とも思います。

逆に、そう思うことを責めるほうが酷です。

人間、そう強くないので。
やはり、キレイ事では生きていけないところもあります。

なので、これも非常に難しい問題です。

障害について、厳しい現実を書けば、このようなことが出てきます。

しかし、障害者のお子さんをもった親御さんから見たら、やはり傷つけてしまう内容になっていたかも、ということで・・・

「発達障害」については、またいろいろと思うところあり、といったところです。

ーーーーーーー
ーーーーーーー

以下、自分が追記として書いたものをミクシーより転載。

ーーーーーーー
ーーーーーーー

常々思っていたことを追記。
(ま、書き方が冷たい印象を与えるかもしれませんが、うちも身内が障害者ということでお許しを)

障害について、健常者の方が語るとき、たいていの人は遠慮がちに、かなり気遣って発言します。ちょっとしたことが差別発言と捉えられたり、傷つけたりするから、でしょう。

私も「触らぬ神に祟りなし」と思うことがあります。

健常者側が、障害のことを【マイナス】【ネガティブ】に捉えると、障害者側は「傷ついた」といい、過剰攻撃してくることがあります。まるで攻撃する権利があるかのように。

でも、障害者側は基本、支援を受ける側、求める側であり、一方、義務は免除される側です。
支援を受ける側、求める側も、やはり健常者の方へ、それなりに気遣わなければいけないのでは、と思ったりします。

もちろん、誰でもいつか支援されるほうになり得る(不慮の事故、老後、病気など)ので、お互い助け合いということで、支援は求めて当然といえど・・・

他者からマイナスに捉えられるのは否定された気分になり、傷つくといえど・・・

それでも、健常者の方に、理解を求めるべきであって、攻撃してはいけないと。
攻撃すれば、相手は黙ります。でも、おそらく相手は「関わらないでおこう」「触れないでおこう」と思うだけです。

障害はやはり、ある程度「マイナス」「ネガティブ」に捉えられて仕方のないものだ、と私は思います。

それは一般人よりも社会的支援を多く必要とし、社会的義務を免除されていることも多く、社会に何らかの形で助けられているからです。
それは、そういった支援がなければ、苦労があまりに多く、大変でやっていけない、ということでもあります。

苦労が多くて大変なことは、マイナス、ネガティブに捉えられても仕方ありません。

ハヤシさんは「ある生き方だけをマイナスに捉えたりネガティブに捉えたりするな」と言っておきながら、障害をマイナスにネガティブに捉えているのは、どういうことか?リスクとして捉えているのは、どうしてか?・・・というと、そういうことです。

どんな生き方をしようと、ほとんどの人は社会的義務(税金、保険料などの納付)を果たし、社会的に特別な支援は受けていないということで、
それは、つまり【障害者(と面倒をみる家族)ほど大変ではないから、特別な支援を必要としない】ということです。

障害をマイナスに、ネガティブに受け取られても仕方ない・・・そこを受け入れてからでないと、本当の理解は得られないのではと思います。

「普通の一般の人と同じだというのであれば、一般の人よりも大変でないのであれば、すでに幸せであれば、支援は必要ないだろう」と言われてしまいます。

ただ、発達障害への支援は少ないようだし、うちは発達障害者としての支援は受けたことはないけれど・・・(精神障害者として支援を受けています。)
なので発達障害については、支援の方法を社会全体で考えていければ、と思ったりします。
6・2パーセントという高率で生まれてくるというのだから、社会全体の問題として捉えてもいいだろうと思います。

誰でも「弱者」「支援が必要な側」になりうるので、基本的には、支援することには理解してくれるだろうし、

支援が本当に充実すれば、安心が得られ、苦労が少なくなり、障害を持つということが、今ほどマイナスにネガティブに捉えられることも少なくなるかも、とも思ってます
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

圧倒的努力未婚率上昇 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。