圧倒的努力 [人生・生き方・生活・人間関係]
見城徹氏(幻冬舎社長)の言葉「これほどの努力を、人は【運】と言う」が印象に残った。
とにかく見城さんは「圧倒的努力をする人」らしい。その「努力の内容」を、本で読んだことがあるが、ほんとうに凄まじい努力である。
で、見城さんは、圧倒的なハンデの中で、幻冬舎を立ち上げて、老舗大手出版社に負けない有名出版社にした。
(今、その幻冬舎の小説を2冊読んでいる。幻冬舎の小説は大手出版社と同じくらい話題になるので、私もけっこう読む)
なのに、人は(とくに老舗大手出版社の人たち)は「たまたま運が良かった」と言うらしい。
見城さんは「彼らは本当の努力をしたことがないから、そう言うのだろう」「オレはあんたの100倍、血のにじむような努力をしているよ」と思うのだそうだ。
これに近い言葉を、ヴァイオリニストの千住真理子さんの母親のエッセイで読んだことがある。真理子さんの圧倒的努力を、人は【天才】という言葉で安易に片付けてしまう、と。だから「天才と言う前に、真理子と同じくらいの努力をしてみなさい」と。
言ってることは同じだな・・・
多くの人は、圧倒的努力を「運」や「天才」という言葉で片付けてしまうらしい。
ま、私の場合、マイペースで、自分なりに楽しんで努力をしようと思うが・・・
ところで、その「見城徹氏」と、もうひとり「藤田晋氏」の2人の共著「憂鬱でなければ仕事じゃない」を読んでいるのだが・・・
2人の考えや行動はすごいなあ、と思うけど、自分はついていけない。
若い頃ならば参考になっただろう。藤田さんは私より歳下、見城さんは上なのだけど。
「憂鬱でなければ仕事じゃない」・・・世間で言う「成功」を手に入れたい人は参考になるかもしれない。
ただ、藤田さんのブログの記事
http://ameblo.jp/shibuya/entry-11160236635.htmlは分かる気がする。共感した。
私の場合、圧倒的努力はしていなかったかもしれないが、自分なりの最大限の努力をして、その結果がダメだった場合は、すがすがしい気持ちになれるものである。悔しさがあるうちは、もっと努力ができた、ということなのかもしれない。
でも、その努力に、楽しいところや達成感がないと、なかなか続かないものかも。「それ」が自分に合うか合わないか、というのは、そういったところがポイントになるのかもしれない。
圧倒的努力も難しいが、長く続かせることも難しい。
圧倒的努力を長く続かせることはさらに難しいが、それができた人が「社会に認められた成功者」になるのかもしれない。
ま、必ずしも「成功=幸せ」ではないだろうけど。
ところで、この見城徹さんや藤田晋さん、そして勝間和代さんなど、「成功し続ける人たち」が言うには・・・ 「成功の裏ではたくさんの失敗をしている」んだそう。
成功の数が多いということは、失敗の数はそれ以上に多い、と。
つまり成功者は、【チャレンジの数が、人よりも並外れている】らしい。
打率はそんなに変わらない。
でもチャレンジの数がめちゃくちゃ多いので、失敗も多いけど、成功の数もその分、多いのだと。
つまり、チャレンジの数が多い=努力の量、ということになるのかなあ。
見城さんは「勝負は、勝つときもあれば負けるときもある。成功は【異常なこと】だと思ったほうがいい。」「3打数1安打(3回挑戦し1回成功)ならば上々」と言ってます。
そういった失敗を糧にできる人が、【成功者】になれるのかも。
余談
この話題に対するコメントのひとつに「努力できる環境にあった人が、努力が当たり前だと言えるのだと思う」というのがありました。
それに対する私のレスを転載します。
以下、転載。
努力ではどうにもならないことも、たしかにあるかも。
そして、不公平なことも。
今の時代であれば、親の経済力(=子どもにとっては「運」)で、子どもの教育が左右されてしまい、スタートラインに差ができてしまうってことも、そのひとつかも・・・
こういったことは個人の努力以前の問題ですよね。
そういったところを公平にしていくことが、政治の役割なのかもなあ。
そういえば、見城さんも藤田さんも勝間さんも「高学歴」で、いわゆる家庭の経済環境もそこそこ良かったと察することが出来ます。
そういったことでは「恵まれた人」だと思います。
音楽で言えば、たとえば辻井伸行さん。
目が見えないというハンデがありますが、家庭の経済状況はかなり恵まれていると推察されます。
夜中にピアノが弾ける環境、破格のレッスン料が払える=ショパンコンクールでは川上先生を、(たしか)2週間以上、ワルシャワに滞在させ、レッスンをしていただいた=川上先生の交通費、滞在費、レッスン料はかなりの額だと推測します。
そういったことができる経済力のあるご家庭ということで
もしも親にある程度の経済力がなければ、ピアノを練習する環境すら整えることが出来ず、もちろん海外のコンクールに挑戦できず、努力以前の問題になります。
それでも「恵まれた経済環境を活かしての、全盲というハンデを乗り越えての圧倒的努力」は賞賛します。
なので、人それぞれですよね。
今ある環境の中で、やっていくしかないし、必ずしも「成功=幸せ」ではないし・・・
見城さんも藤田さんも、仕事にエネルギー=圧倒的努力を注いでいる分
、なにかを犠牲にしていると思います。
なので、圧倒的努力ができない人が普通だと思います。
(私は、見城さんや藤田さんの言うことに納得はできるけど、真似をしようとは思いません^^;真似できないし、無理すれば、自分が壊れます)
そして、努力できる環境にいる、ということは「恵まれたこと」なのかも。
とにかく見城さんは「圧倒的努力をする人」らしい。その「努力の内容」を、本で読んだことがあるが、ほんとうに凄まじい努力である。
で、見城さんは、圧倒的なハンデの中で、幻冬舎を立ち上げて、老舗大手出版社に負けない有名出版社にした。
(今、その幻冬舎の小説を2冊読んでいる。幻冬舎の小説は大手出版社と同じくらい話題になるので、私もけっこう読む)
なのに、人は(とくに老舗大手出版社の人たち)は「たまたま運が良かった」と言うらしい。
見城さんは「彼らは本当の努力をしたことがないから、そう言うのだろう」「オレはあんたの100倍、血のにじむような努力をしているよ」と思うのだそうだ。
これに近い言葉を、ヴァイオリニストの千住真理子さんの母親のエッセイで読んだことがある。真理子さんの圧倒的努力を、人は【天才】という言葉で安易に片付けてしまう、と。だから「天才と言う前に、真理子と同じくらいの努力をしてみなさい」と。
言ってることは同じだな・・・
多くの人は、圧倒的努力を「運」や「天才」という言葉で片付けてしまうらしい。
ま、私の場合、マイペースで、自分なりに楽しんで努力をしようと思うが・・・
ところで、その「見城徹氏」と、もうひとり「藤田晋氏」の2人の共著「憂鬱でなければ仕事じゃない」を読んでいるのだが・・・
2人の考えや行動はすごいなあ、と思うけど、自分はついていけない。
若い頃ならば参考になっただろう。藤田さんは私より歳下、見城さんは上なのだけど。
「憂鬱でなければ仕事じゃない」・・・世間で言う「成功」を手に入れたい人は参考になるかもしれない。
ただ、藤田さんのブログの記事
http://ameblo.jp/shibuya/entry-11160236635.htmlは分かる気がする。共感した。
私の場合、圧倒的努力はしていなかったかもしれないが、自分なりの最大限の努力をして、その結果がダメだった場合は、すがすがしい気持ちになれるものである。悔しさがあるうちは、もっと努力ができた、ということなのかもしれない。
でも、その努力に、楽しいところや達成感がないと、なかなか続かないものかも。「それ」が自分に合うか合わないか、というのは、そういったところがポイントになるのかもしれない。
圧倒的努力も難しいが、長く続かせることも難しい。
圧倒的努力を長く続かせることはさらに難しいが、それができた人が「社会に認められた成功者」になるのかもしれない。
ま、必ずしも「成功=幸せ」ではないだろうけど。
ところで、この見城徹さんや藤田晋さん、そして勝間和代さんなど、「成功し続ける人たち」が言うには・・・ 「成功の裏ではたくさんの失敗をしている」んだそう。
成功の数が多いということは、失敗の数はそれ以上に多い、と。
つまり成功者は、【チャレンジの数が、人よりも並外れている】らしい。
打率はそんなに変わらない。
でもチャレンジの数がめちゃくちゃ多いので、失敗も多いけど、成功の数もその分、多いのだと。
つまり、チャレンジの数が多い=努力の量、ということになるのかなあ。
見城さんは「勝負は、勝つときもあれば負けるときもある。成功は【異常なこと】だと思ったほうがいい。」「3打数1安打(3回挑戦し1回成功)ならば上々」と言ってます。
そういった失敗を糧にできる人が、【成功者】になれるのかも。
余談
この話題に対するコメントのひとつに「努力できる環境にあった人が、努力が当たり前だと言えるのだと思う」というのがありました。
それに対する私のレスを転載します。
以下、転載。
努力ではどうにもならないことも、たしかにあるかも。
そして、不公平なことも。
今の時代であれば、親の経済力(=子どもにとっては「運」)で、子どもの教育が左右されてしまい、スタートラインに差ができてしまうってことも、そのひとつかも・・・
こういったことは個人の努力以前の問題ですよね。
そういったところを公平にしていくことが、政治の役割なのかもなあ。
そういえば、見城さんも藤田さんも勝間さんも「高学歴」で、いわゆる家庭の経済環境もそこそこ良かったと察することが出来ます。
そういったことでは「恵まれた人」だと思います。
音楽で言えば、たとえば辻井伸行さん。
目が見えないというハンデがありますが、家庭の経済状況はかなり恵まれていると推察されます。
夜中にピアノが弾ける環境、破格のレッスン料が払える=ショパンコンクールでは川上先生を、(たしか)2週間以上、ワルシャワに滞在させ、レッスンをしていただいた=川上先生の交通費、滞在費、レッスン料はかなりの額だと推測します。
そういったことができる経済力のあるご家庭ということで
もしも親にある程度の経済力がなければ、ピアノを練習する環境すら整えることが出来ず、もちろん海外のコンクールに挑戦できず、努力以前の問題になります。
それでも「恵まれた経済環境を活かしての、全盲というハンデを乗り越えての圧倒的努力」は賞賛します。
なので、人それぞれですよね。
今ある環境の中で、やっていくしかないし、必ずしも「成功=幸せ」ではないし・・・
見城さんも藤田さんも、仕事にエネルギー=圧倒的努力を注いでいる分
、なにかを犠牲にしていると思います。
なので、圧倒的努力ができない人が普通だと思います。
(私は、見城さんや藤田さんの言うことに納得はできるけど、真似をしようとは思いません^^;真似できないし、無理すれば、自分が壊れます)
そして、努力できる環境にいる、ということは「恵まれたこと」なのかも。
2012-05-29 16:45
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コメント(11)
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コメント欄が見つからないので、ここに貼ります。
http://astrodiary.blog114.fc2.com/blog-entry-568.html#comment280
このページの一番下をお読み下さい。
by 松浦 (2013-05-28 08:20)
今までコメントがあったこと気づきませんでした。
お返事遅れてもうしわけないです。
ずっと微妙な問題でブログ書いているので、コメントは書き込めないように設定していたので、チェックしてませんでした。
まあ、この問題に取り付かれて、すっかり漫画やピアノの話題から離れてしまいました^^;
by ハヤシ (2013-07-20 17:50)
やっと気づいてもらえました(笑)。
ハヤシさんが今現在漫画やピアノから関心が離れてしまっているのは仕方ありません。
よって、今回はハヤシさんが関心を示しそうな事例を載せました。
by 松浦 (2013-07-21 15:34)
どうもです^^
いやあ、まさかこの私が政治?ネタにとりつかれるとは・・・選挙戦にフィーバーしてしまいました^^;
まあ、でも漫画やピアノを心行くまでやれたのも、今現在の豊かな日本という社会に生まれてこれたからかも・・・てなわけで、国について考えさせられる今日この頃です^^
by ハヤシ (2013-07-22 12:08)
ハヤシさん
久々にコメント返します。
ハヤシさんがコメントを返してくれたのは気づいてましたが、私がすぐにコメントを返すと、ハヤシさんも返し、お互い気疲れするのではと考え、あえてコメントを消しませんでした。
http://astrodiary.blog114.fc2.com/blog-entry-579.html#more
このHPが面白いです。
by 松浦 (2013-08-05 08:18)
>あえてコメントを消しませんでした
あえてコメントをしませんでしたの誤りです。
by 松浦 (2013-08-05 19:25)
松浦さん、お気遣いありがとうございます^^
リンク先の記事、読ませていただきました。
外交は「きれいごと」では上手く行きませんよね。外国との友好関係というのは存在せず、利害関係しかない、ということに多くの日本人が気づき始めたのかも・・・
by ハヤシ (2013-08-15 16:58)
http://astrodiary.blog114.fc2.com/blog-entry-594.html#more
上記のHPのテキサス父親さん、慰安婦は売春婦がおもしろいです。
すでにハヤシさんはご存知かもしれませんね。
でも紙袋の件は爆笑ものですよ(笑)。
by 松浦 (2013-09-06 07:58)
紹介ありがとうございます。
テキサスさん、「慰安婦問題」に貢献しているようですね。私も今まで教わってきた「慰安婦像」と違うことに、改めて驚きました。
もちろん、従軍ですし、そういう職業ですし、慰安所によっては悲惨な目にあった慰安婦もいたでしょう。つまり「個人個人で違う」ということで・・・
慰安婦と同様、ほとんどの戦地では、兵士や従軍看護婦も大変で悲惨な目にあったと思います。
国家は慰安所設置に軍は関わりましたが、強制連行はなかった、国は慰安婦を奴隷扱いしたわけでもなかった、ということは確かだと・・・それでもアジア女性基金で謝罪と補償もしましたし、日本はできるだけのことはやったと思います。もう当時とは全く関係のない世代に負担を押し付けることは間違っていると考えます。
韓国は国益のために、日本からお金を引き出すために、歴史問題を利用しているに過ぎないと、改めて思いました。
by ハヤシ (2013-09-11 15:54)
http://blog.yahoo.co.jp/tankou_2008/37184534.html
武田鉄也の発言です。
中国の歴史はプロパガンダ、韓国の歴史はファンタジーという名言があります(笑)
慰安婦問題で笑ってしまうのは今現在韓国は世界中で韓国人が売春婦として商売をしている事実です。
そういった国が60年前の慰安婦を持ち出しても、説得力がありません(笑)。
by 松浦 (2013-09-12 09:17)
http://yaplog.jp/piano-andante/
これってあっこさんのHPじゃ…
by 松浦 (2014-08-03 07:34)