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とりあえずのつぶやき(2011年編その2) [社会・ニュース]

12月12日
柔道オリンピック金メダリストの内柴さんが教え子への準強姦容疑で逮捕された件にて

デヴィ夫人の日記を読み、「昔はデヴィ夫人のようなこういった考えの人が多くて、きっと被害にあった女性は泣き寝入りしたのだろう」と思った。

被害女性はデヴィ夫人のような人によって、さらなる二重被害を受けるのだろう。
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-11099463546.html

ではデヴィ夫人も想像で語っていらっしゃるようなので、以下、私も女子学生擁護の立場で、想像で語ってみる。


まず、男性に憧れや尊敬の念を抱いたからといって、「肉体関係を持ちたい」という女性はそれほど多くないのでは、と思う。デヴィ夫人とは違うのである。

私も学生時代、ピアノの先生に憧れを抱いたが、「肉体関係を持ちたい」などとはさらさら思わなかった。
一緒にいられれば嬉しいし、もしも送ってくれるというのであれば、喜んで送られただろう。
もちろん、相手は先生なのだから、信頼もしていただろう。

それを「隙を見せた」「誘った」と思われるのは困る。
ならば、女性は同性の先生にしか教えを請えない。

そして、特に妻子持ちの男性に対し、若い女性は不倫にそう易々と手を染めることはないと思う。遊ばれて捨てられるのが落ちだから。

しかも女子学生はサークルではなく、「柔道部」に所属しているのだ。

簡単に不倫に手を染める「恋愛体質・恋愛至上主義」=「好きになれば、相手の立場がどうであろうが、肉体関係を持ちたいと考える恋愛最優先」の女性が「柔道部」に所属するだろうか?
すぐに肉体関係を持ちたがるセックス最優先の女性はそう滅多にいないと思う。
そんな女性であれば、「男子受けするような、おしゃれなサークル」に入るだろう。いや、そういうサークルに入っているからといって、不倫OKの(妻子持ちの男性と安易に肉体関係を持ちたがる)若い女性もめったにいないだろうが。

柔道で強くなりたい若い女性が、その道のオリンピック金メダリストの先生(コーチ)に憧れ、慕うのは当然である。
それを即「恋愛感情を持っている」「肉体関係を持ちたがっている」「誘っている」と考えるほうがどうかと思う。

デヴィ夫人のように「たとえ妻子持ちであろうが、憧れの男性と肉体関係を持ちたい」と思う女性は、ごく少数ではないかと思う。

内柴選手もデヴィ夫人のように、そういった痛い勘違いをしていたのかもしれない。なので「合意の上だった」と思ってしまったのかもしれない。

世間様の「恋愛セックス至上主義=若者はとにかく恋愛をするべき=草食系よりも肉食系であるべし=異性とは肉体関係を持つのが普通=皆、セックスしたがっている」としている空気が、そういった勘違いを生んでいるのかもしれない。

ちょっと昔は、女子学生を強姦しまくった早稲田大学サークルの学生らを「「集団レイプをする人はまだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか」と発言した議員もいたくらいである。
強姦犯罪者を【正常に近い】【元気】という大人もいたのである。

もっと昔ならば、男性であれば強姦するのもやむなし、強姦された女性が悪い、とすら思っていたかもしれない。戦前は「姦通罪」は女性だけに適用されていたらしいし。

デヴィ夫人は「私には この日本の英雄である 内柴選手がむやみやたらに このような行為に 及んだとは 思えません。オリンピックを 二連覇する ということが、 どんなに 大変なことか!」と書いているが、それは関係ないだろう。

大変な努力もしたであろう社会的成功者だから性犯罪を行わない(植草さんのチカン事件を思い出す)、とはいえないのではないだろうか。
性犯罪だけでなく、社会的地位のある人の万引き行為、チカン行為もニュースになったりする。(もちろん、チカンは冤罪も多いかもしれないが)

そして、妻子がいる、しかも先生と言う立場で、未成年である教え子に酒を飲ませ、襲うというのは、どう考えてもおかしい。

被害女子学生もデヴィ夫人のような人たちに責められ、ネットなどで名前を晒される危険性があるにも関わらず、それでも訴えたかったのだろうと思う。

大学側があのような会見を行ったということは、内柴選手はかなりのことをしたのでは、と想像する。大学側だって隠したかっただろう。しかし、あのような(被害者は複数いるのではと臭わせるような)会見をしたのである。
相当なイメージダウンだ。大学側にとっても、あのような会見は損でしかない。それでもせざるを得なかったのだろう。


また飲酒の件について。

皆でお酒を飲もうということになれば、まず断れなかっただろう。たとえ未成年でもだ。
ま、普通は「先生の立場」である大人が止めるだろうに、その先生が率先し「皆で飲もう」ということになれば、それを断るような「場の空気をしらけさせても法律を遵守する未成年」がいるだろうか?

それこそ「まじめ」と揶揄され、ノリの悪い奴として、つまらないヤツとして、皆の輪から外され、仲間はずれにされるだろう。
「まじめ」という言葉は、今でもなお、「悪い意味」で使われることも多い。

ところで、デヴィ夫人のブログのコメント欄は、賛同者ばかりで埋まっている。100パーセント賛同者はありえない。理論的に反対意見を述べている人もコメントしているだろうに、そういったコメントは承認せず、のせないようである。偏ったブログという印象を受ける。


もちろん、本当はどうなのか、裁判などによって、分かることもでてくるのかもしれない。
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12月6日
内閣府が「幸福度指標」の思案を発表したとか・・・内容を協議するとか・・・
某コメンテーターも言っていたが、「幸福度をはかるなんてナンセンス」だと、私もそう思う。幸福なんて人それぞれの主観によるので、そんな指標つくって、調査してどうするんだろう・・・そんなことをやっている暇があったら、ほかにやるべきことがあるだろうに、と。税金の無駄遣い。

国民のほとんどが幸福を感じているというブータンも、実情は少数民族が差別されているんだとか(フジテレビでやっていた)、ブータンだって、いったいどういう方法で調査したのか・・・あやふやなものである。
個人個人によって感じ方が違う「幸福」なんてものを、数値化し、計ろうというのはナンセンス。


11月26日
このままでは皇族が少なくなるとのことで、女性宮家問題のことが新聞にのっていたけど・・・
いやあ、伝統を重んじるんであれば、このまま何が何でも男系でいけばいいのに、と思ってしまった。女性宮家が増えるのも困る。皇族に経費をかける経済的余裕はもう日本にはない。

なので、側室制度を復活させればいい。一夫一婦制は欧米のものだろう。だから側室制度もあってもいいのでは、と^^
側室制度があれば、男系維持できるかもしれない(笑)
あるいは今は一般庶民となってしまった元皇族男子と、今の王女や内親王が結婚すれば男系維持できるのだろう。

そもそも皇室制度そのものが、ほんとうに今の社会に合うのか?と・・・
いちおう「人は皆、平等である」というのが現代社会の建前である。皇室制度は建前に反している。
しかし、これは日本古来の伝統だから、ということで皇族だけ別扱いということであれば・・・だったら伝統=男系をしっかり守って欲しいと思う。皇族は特別なのだから、皇族のみ側室制度があっても問題はないだろう。
ヘンに「一般の国民と同じように」となるから、おかしくなるのである。存在が一般の国民と違うということで成り立っているのだから、それを維持して欲しいと思う。


それにしても・・・デヴィ夫人、なかなかに過激だなあ
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-11078455667.html

ただ、雅子妃は皇后の仕事は出来ないだろうと誰もが思っている。
適応障害なのだから無理である。皇室に適応できないから病気になったということだろうから。

http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-11081274801.htmlの記事を読むと・・・
この竹田さんという人もなんだかなあ。
国民が皇室問題に口を挟むのは畏れ多いということは、国民はあきらかに皇族の下に位置しているってことである。
国民は税金を納めているにも関わらず、税金で成り立っている皇室制度のことを言えないとは・・・
いや、だからこそ、皇族は国民が尊敬できる人、国民の上に立つにふさわしい人でなければならないということになる。

留学したにも関わらず遊びで忙しかったためか学業が中途半端になった王女、アル中になった殿下、公務をほとんどしないその殿下の妃(雅子妃ではない)、などなどデヴィ夫人の指摘した皇族以外にも、尊敬できない皇族方がいるような気もするが・・・

雅子妃やその子どもの件といい、尊敬できない皇族がいることといい、印象として、皇室制度は今の社会にとても合わないのでは、と、どうしても思ってしまう。
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