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発達障害について [社会・ニュース]

追記の追記

家族5人殺傷事件の、発達障害だとされる加害者は「悪魔の命令」でやったとのことで、これが本当であれば「統合失調症」の可能性もあるのでは、と思った。
身近にいる統合失調症の人も、よく「悪魔」のようなものが出てきて、それが命令を下し、その命令に従わないといられない、らしいから。
でも、薬でそれは抑えることが出来る。

なので発達障害者がそういった精神疾患のリスクが高いことを告知すれば、もっと早い段階で精神科を受診し、そういった犯罪行為を未然に防ぐこともできたかもしれない、と思った。

Eテレは、そういったことも取り上げて欲しい。難しい問題かもしれないが、大切な問題でもある。

追記
http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201111240043.html

犯罪者を弁護するとき、加害者は「発達障害だった」と言うケースもよく耳にする・・・
本当に発達障害だったかもしれないが、安易に「発達障害の所為」にすれば、発達障害者はますます差別されるかもしれない。

市川拓司さんのような社会的成功者もいれば、犯罪者もいるということなのかもしれないが・・・
発達障害も軽いのから重いのまで、さまざまなのだろうが・・・こういったニュースやテレビ番組を見て、「何でも障害の所為にして」と思う人もたくさんいるだろう。

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11月25日
当ブログ訪問者の【ワード検索】に、【発達障害】が多い。
先日もNHK教育(Eテレ)で、「発達障害」について扱っていたからだろう。そして、またしても作家の「市川拓司さん」が出ていたようだ。(市川さんについては下記にて)

ところで、なぜ、私がこの問題について話題にしているかというと、身近に【発達障害者】がいるからだ。
精神科医は「発達障害者は精神疾患になるリスクが普通の人より高い」と言っているそうだ。精神科にあるパンフレットにもそういう記述がある。ポピュラーな鬱病だけではない。統合失調症へのリスクも高いという。

難しい問題だが、Eテレはそのことも伝えるべきではないのか、と思った。
精神病も早期発見が大事だからだ。

市川さんのような社会的成功者を出し、希望を持たせようとしているのも分かるが(いや、そもそも市川さんクラスを「発達障害」と言うならば、2,3割の人が該当するように思うが)・・・

発達障害は精神疾患もリスクが高く、厄介な障害である、ということを世間に認知させてほしいと思う。

もちろん、そんなことを知らせてしまっては、ますます発達障害を苦に無理心中、あるいは子どもを殺してしまうケースも出てくるかもしれない。
でも、だからこそ社会的なケア、支援が必要なのだ、ということでもあるのだ。
ただし、市川さんクラスも「発達障害だ」とするならば、発達障害者に対する社会的なケアや支援は進まないかもしれない。だって「努力すればなんとかなる。支援など必要ない。障害のせいにするな。甘えるな」と誰もが思ってしまうだろうから。

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4月16日
「発達障害について」追記

「自分は発達障害だ」と思うほうがラクになれることもあるかもしれない。発達障害である、と周囲も認知してくれれば、「障害ならば仕方ない」と思ってくれるだろう。

発達障害にも軽いのから重いのまで広いゾーンがあるのだろう。
しかし、本当に支援が必要な「発達障害者」にとっては、「発達障害を名乗るコミュニケーションが苦手な人」が出てくると困る。
新型ウツという「仕事はできないけど、遊びにはいける」という病気が出てきたことに、本当の鬱病の人は困っているという。本当の鬱病も「わがままだ」と誤解されるから。

市川拓司さんクラスがもし「発達障害」というのであれば、私を含め知人友人の3分の1は「発達障害」だ。全体の6.3パーセントではなく、2~3割が「発達障害」ということになるかも。

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4月10日
この前「発達障害」について、NHK教育テレビでやっていて、自らを「発達障害だ」と名乗る人たちが出ていたのだけど・・・正直、この人たちが発達障害?と疑問を感じてしまった。

発達障害とは「コミュニケーション能力障害、思考回路が違い、人の気持ちも読めず、もちろん空気も読めず、とんちんかんなこともしてしまいがち、自分勝手に見られがち」と私は受け取っているのだが、少なくとも、テレビに出ていた人たちは「コミュニケーションは普通にできている・・・的を得た答えもしているし、端的にまとめて話すことも出来ている。(何が言いたいのかよく分からないということがない、ダラダラ自分だけ長く話すこともない)、空気も読めている=周りも見えている。とんちんかんでもない。じ~っと座っていられて、きちんと人の話が聞けて、どこが発達障害なのだ?」と思った。

「苦手」と「障害」は違うだろう。
努力によって、なんとかできる、普通のレベルにもっていけるってことは、障害とは言えないのでは、と。

「努力すればできるじゃん。なんでもかんでも障害のせいにするな」と・・・発達障害について、これでは世間に誤解を与えてしまうのでは、と思った。

まず、自らを発達障害だと言う作家の市川拓司さん。数々の作品が映画化されている人気作家だ。
作家は不特定多数の読者の共感を得られなければ、人気も取れないし、職業として成立できない。
が、市川さんは多くの人の共感を得ているということだ。つまり人の気持ちも読めるし、人の心もつかめるということだ。思考回路もごく一般の人と同じだ。違うのであれば、共感を得られず、人気作家として、作品が映画化されたりすることもないだろう。私も市川さんの小説を読んだことがあるが、面白かったし、登場人物に共感できるところがたくさんあった。

その上、市川さんは、ちゃんと恋愛結婚もされて、子どももいる。
コミュニケーションができない人は恋愛結婚なんてできないだろう。

市川さんは多動とも言われているようだが、じ~っと座って、テレビカメラに向って、お話していた・・・
それに、作家であれば、じ~っと座って、文章を綴っているだろう。それができなきゃ仕事にならない。

そして、テレビカメラに臆することなく、いろいろと答えていた発達障害を名乗る人たち・・・いや、普通の人でも、テレビの前で、あれだけきちんと的を得たことをしゃべれる人はあんまりいないのでは、と・・・長々と自分に酔ってしゃべることもなく、周りを見ることができ、空気も読めていたように思う。

てなわけで、「障害」を名乗るが、ごくごく普通の人に見えた。
「発達障害者は普通に見えるから困るのだ」と言うけれど、少なくとも、市川さんはじめテレビに出ていた発達障害の人たちは、コミュニケーションはちゃんとできていた。
なのに、発達障害って、じゃあ、どこが「障害」なの?ということで、非常に疑問を感じた。

本当の発達障害は、コミュニケーションができない、努力しようにもできない、とんちんかんな言動をしてしまう・・・と思うのだが。
「努力したからなんとかできるようになったのだ」と言うならば、そもそも「努力してなんとかなる」というのは、コミュニケーションが苦手なだけなのでは、と。

人と違うのは、単に変わっているだけのことで、それで疎外感を持ち、自分は他者とコミュニケーションができない障害者なのだ、と思っているだけではないか・・・

ということで、ほんと「障害」の線引きは難しい。こういった人たちが「障害」を名乗リ出すようになると・・・
ややもすると、苦手=障害と受け取られがちになり、結局、「障害?甘えるな」「努力しろ」ということになってしまう。

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