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人生いろいろ [人生・生き方・生活・人間関係]

「リストラなう」を読んで、改めて、人生や生活ネタで。
ちなみに「リストラなう」、出版業界に関心のある人ならばおすすめです。


ところで・・・先日、朝日新聞で、今の日本を会社に例えていたけど・・・業績悪化(税収は少なく)していて借金まみれ、なのに未だに無駄遣い、バラまきをしたり・・・最悪の会社であり、破綻は目に見えている・・・いつつぶれるのか、社長や役員(政治家、官僚、天下り官僚)は何も打つ手がなく、足の引っ張り合いをし、あるいは私腹を肥やすために動き回っている・・・社員(国民)はどうしたらいいのか(投票でもう誰を選べばいいのか分からない)、とりあえず自分の生活を守ることだけを考えよう・・・と固唾を呑んでいる感じ。

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「リストラなう」を読んで・・・前日記「どうなる出版業界」http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2011-02-25にも書いたけど・・・光文社って、そんなに給料がいいんだ・・・営業職45歳で年収1100万・・・そして早期退職金5200万円だったらしい・・・もしも退職に応じなければ、年収800万円になるんだとか・・・それでも世間からみれば高給。
出版不況と言われながら、社員にそんな高い給料出して、今までやっていけていたのが、すごい・・・
いやあ、未だに高給取りの社員を抱えて本当に大丈夫なのか?(もちろん会社が儲かっているのであればいいのだけど)

一方NHK番組で、夫婦共働きで夫婦共に非正規・・・夫婦合計年収380万というケースもやっていたっけ・・・

出版社に限らずどんな企業も契約社員という形で人件費を安くあげようとしているみたい。正社員と同じ仕事をさせておきながら、正社員とは待遇が雲泥の差・・・
公立の教職も、同じ仕事をさせられ、非正規非常勤だと年収150万円と聞いたから・・・

正社員との格差があまりに酷いが、正社員がそれだけ恵まれているということであり、それだけ会社としては負担も大きいので、正社員をできるだけ減らしたいところだろう。

業績が悪化しているにも関わらず、正社員の給料はなかなか下げることが出来ず、赤字なのに、社員は年功序列で給料が上がっていくというおかしなことが続き、結局、誰かをリストラするところまでいってしまうのだから。そして、契約社員や派遣社員に正社員と同じ仕事をさせておきながら、正社員の給料と較べたら考えられないほどに安く使い、不公平な待遇をしている。

「リストラなう」でも、リストラされると次の職がなかなか見つからないのは、終身雇用のせいでもあり、もう終身雇用をやめ、もっと雇用を流動的になったほうがいいのでは、と書いてあった。
たしかに、終身雇用と年功序列をやめれば、会社も負担が軽くなり、ほぼ全員が契約社員になれば、同じ仕事をしているのに待遇の差が違いすぎるという不公平はなくなるかもしれない。契約社員の待遇は良くなるかもしれない。雇用が流動的になり、次の仕事も見つかりやすくなるかしれない。

もしかしたら、今の「受験競争」も変わるかもしれない。だって、一流大学から大企業に入っても、雇用が流動的であれば、いつ仕事をなくすか分からず、転職せざるを得ないのが普通のことになれば、受験競争も緩和されるかもしれない。終身雇用や年功序列がなくなり、転職が当たり前の世の中になれば・・・あの「京大に入りたいがタメの、受験生によるケータイを使ったカンニング事件」も小さな問題に過ぎなかっただろう。終身雇用前提で就職するのに有利な一流大学に入るための・・・一生を左右する大学入試での不正だったからこそ、あれだけ大騒ぎになったのだろう。たかがカンニングだというのにだ。本来ならば、大学入試が一生を左右するようなものであってはならないのかもしれない。

けど、終身雇用がなくなり、雇用が流動的になるというのも、厳しそうである。
一部の「優秀な人」を除いて、「いつ仕事を失い、収入が下がるか」不安定な中で生活することになる。

歳をとれば、ま、たいていの人は「能力」が落ちる。時代が変わるのが早く、経験よりも、若さによる順応性、成長力のほうが重視されるようになるのかもしれない。今までの経験など役に立たないことが多くなるかもしれない。
歳をとれば、市場価値が下がるのだ。ある歳から、年収は下がる人のほうが多くなるかもしれない。

しかし・・・「リストラなう」のリストラ迫られるその年収1100万円の大手出版社の社員=今までは終身雇用と年功序列が当たり前の会社にいた著者は、それだけ高給にも関わらず、「次々と結婚し家族を作る同世代の選択がちょっと信じられなかった」と思っていたらしい。「たかだか年収1000万~1500万で」と。

たしかに40代バブル世代は贅沢に慣れてしまい(とくに大手出版社に入社できるような階層の人たち)は、自分は仕事に邁進できるように奥さんには家庭に入ってもらい専業主婦をさせ、子どもを持ち、お受験させ、私立進学させ、住宅を購入するのが普通のことであり、それ以下の生活など考えられないのかもしれない。

けど、この著者は「こんなにリスクファクターを増やして大丈夫なのか」と思っていたらしい。森永卓郎氏も提唱していた「専業主婦」「子ども」「住宅ローン」は3大リスクであることを、これだけの高給をとりながらも考えていたようだ。(この3大リスクについては「結婚の条件その4男性の視点」http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-05-24でも語ったっけ)
こんなに高給なのに、そんなことを思っていたのかと驚いた。ちなみに、この著者は独身らしい。今回、本当にリストラにあい、身軽に動くことが出来、養う家族を持っていなかったことだけでも精神的な重みは少なくすんだのかもしれない。著者が危惧していたことが現実となったということなのか。

反対に、専業主婦の奥さんとお金のかかる私立に進学させてしまっている子どもを抱え、さらに住宅ローンを抱えた人は、リストラされるのはキツイだろう。年収が下がろうが会社にしがみつくしかない・・・いや、40歳を超えての再就職は厳しいし、どっかの会社に就職できなきゃフリーで仕事をしろというのはもっと厳しい。
実際、「リストラなう」に出てくるリストラされる家族持ちの社員は、本当に精神的に参っているようだ。

ローンも、終身雇用で給料も下がらないことを前提にして組んでいるので、住宅ローンを抱えている人もほんとうに大変だ。

これからの時代、フリーのつもりで、いかに身軽でいられるか、を考えたほうがいいのかもしれない?
もちろん、就職難で大変な思いをしている若い人はすでに考えているだろうけれど・・・

「会社依存」という言葉はよく聞かれ、批判されることが多いけれど、この光文社では、以前までは社会保険手当て、家族手当、子どものための学資手当などもあって、家族も一緒に会社が面倒見ますってなシステムだったようで、「会社に依存するように仕向けられている」感じがする。
光文社だけでなく、余裕があった大企業はそうなのかもしれない。

ちなみに今は、光文社は「社会保険手当てと家族手当は50パーセントカット。学資手当てなしになったそうだ・・・
しかし、リストラする前に、全社員の給料を下げるとか、手当てをなしにするとか、しなかったのか=できなかったのか・・・とも思う。
リストラをしたがため、残った社員はいなくなった社員の分の仕事もしなくてはならず、あまりの忙しさに心身共に病んでしまう人もいるようだ。

会社に依存するな、会社に頼るな、自立しろ、とよく言われるけれど、そうせざるを得ない時代がくるのかもしれない。依存できるところがなくなっても対応できるように生きていかないといけないのかもしれない。

依存するのは別にいいと思うが、依存対象がなくなる場合があったとき、どうするのか・・・ということなのだな。

ただ、たとえば会社ではなく、フリーで(・・・しかも歳をとれば、その能力は落ちていく可能性が高い。経験値ではカバーできないほど、体力や集中力、順応力は落ちていく)、果たして、どこまで「自立」とやらができるのか・・・自分だけならばともかく、子どもや家族を養うほどの収入は見込めない人のほうが多いかもしれない。

かなり「優秀」でないと、この社会を生き延びていけないのかもしれない?
すると平均的な人は淘汰されていくのも仕方ないのかもしれない?
ま、子どもは養えないと判断する人が多くなるのも仕方ないだろう。

それでも、この光文社の場合、退職金が半端でなく、高額だ。恵まれすぎと思われても仕方ない。
失業保険も出ることだし、当分の間、生活を切り詰めれば、なんとかなるだろう。

けど、慣れてしまった生活の質を落とすのは、なかなか大変らしい。
これからは、多少、収入が多くても、生活のレベルを上げずにいたほうが、後々、辛い思いをしないですむかもしれない。というか、少しずつ下げるくらいで、ちょうど良いのかもしれない。

ま、30代で、夫婦共働きで合計年収380万という世帯もあるのだから、このご時世、贅沢は言えない。(もちろん、会社が儲かっていれば高給も当然だろうけれど・・・歳をとるにつれ、上がり続ける給料というのは、当然ではなくなり、ある時点から下がるのが普通となるかもしれない。

NHKでもやっていたが、少子化対策として、地方自治体も、とにかく若者に結婚してもらおうとやっきになっているらしい。非正規雇用の若者が増えているため、非正規雇用でも、夫婦共働きでなんとかやっていってほしいと考えているようだ。

いやあ、でも結婚させればいいってもんじゃないだろう、と思ってしまう。
非正規雇用では、おそらく産休も育児休暇もとれないだろう。クビである。非正規雇用で子どもを育てながら共働きなんてできるはずがない。
正規の社員だって、会社に余裕がなければ、産休育休はとりづらいだろうし、子どもが病気になったからといっていちいち会社を休んでもいられない・・・余裕のない会社側としては早くやめて欲しいだろう。

保育園と、子どもが病気になっても安心して預けられる施設がない限り、無理である。
そして公立の学校でも、塾に通わずにすむようなレベルの高い充実した授業ができるようにならないと、子どもなんて持てないだろう。教育費が公立学校の授業費のみですめば、かなり負担は軽くなる。でも進学するのに、塾に通わず、今の公立小中学校の授業のみでいいとは、とても考えられないだろう。

まさか、公は、高校や大学進学にこだわるな、とでも思っているんだろうか。
高校、大学にこだわらなければ、教育費は少なくて済むし、高校もレベルにこだわらなければ、塾に行かずとも、どこかの公立高校に入れるかもしれないだろうが・・・そんな環境で学校を卒業したあと、社会に出るのはかなり厳しいのが現実である。

公立学校のレベルアップをはからないと、難しい。
教員の数を増やし、一学級の生徒数を減らし、学力別クラスにすれば、実現可能に近づく気もするが・・・

保育園(病気の子どもを預かってくれる)と、公立学校のレベルアップ、発達障害へのなんらかの対策があれば、もう少し安心できるような気もするが。

ということで・・・
一流といわれる大企業でも、決して安泰ではなく、いつ職を失うか、年収が減るか分からない。

リスクを減らすために、ローンは組まない、専業主婦志向の女性とは結婚しない、子どもは持たなくてもいい、あるいはどうしてもという場合は1人だけ、などなど・・・そういったことを考えるようになるのかもしれない。子どもを持つことは大きなリスクと考えざるを得なくなるだろう。

配偶者がどんな一流の大企業に勤めようと、専業主婦(主夫)志向では生活できない、働かざるを得ない、という時代がやってくるのかもしれない。専業主婦でいられるのは、ごく少数のある特権階級のみ、かもしれない。そして、クビがない公務員・・・

なので、専業主婦を「夫に依存している」と批判などしなくてもいいのでは、とも思う。現実的に、専業主婦を希望しても、その希望はかなえられないのだから。

もちろん、専業主婦になれないのならば無理して結婚をのぞまない(子どもを持つことを望まない)、という人もいて良いと思う。

なにしろ、「サラリーマンを夫にもつ専業主婦」は国民年金を納めずに、受給資格を得られる、というような、優遇された社会システムがあるのだ。その夫がどんなに高給取りでも、夫が妻の分の国民年金を納めるわけでもなく、最初から免除されるのだ。サラリーマンを夫にもつ専業主婦はほんとうにお得なのである。
(もちろん自営業の夫ともつ専業主婦は、自分の年金を納めないといけない。納めていなければ、無年金となる・・・なので、まだ終身雇用制度がかろうじてある会社員の夫をもつ専業主婦になることがお得かもしれない・・・ま、時代は変わっていくし、制度も変わるかもしれない。だって、あまりに不公平な制度だから)

今の時代、共働きをするのに、まだまだ設備は整っておらず、働きながら子育てをするのに、やはり女性のほうが割りを食うことになるのだろう。

「リストラなう」にもこんなコメントがあった。

「2回も3回も育児休暇をとり、保育園に預けた子どもを迎えに行くのに時短を認められ、子どもが熱を出したと言っては有給をめいっぱい消化し、まとまった仕事をさせることができず、また育児休暇をとっている間は派遣で穴埋めするため余計な出費があり・・・景気がいい時はそういう人を雇う余裕もあるけれど、不況のときに、そういう働き方をされては周囲の者はたまりません」と。

こういった中で、子どもを育てながら働くのは無理かもしれない。

そして、余裕がなければ、皆、不満が吹き出るのは当然かもしれない。
皆が疲れている。

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このご時世・・・無理せず、森永卓郎氏の言う3大リスク(専業主婦、子ども、ローン)は背負わずに、身軽でいたほうがいいのかもしれない。

そして、「リストラなう」にも書かれていたが、一度、贅沢な暮らしを経験してしまうと、なかなか落とせず、落とすことが難しい、と・・・なので、最初から生活は質素に、レベルを上げずに、その分、蓄えたほうがいいかもしれない。

子どもを持つことは、あまり教育費がかからなくなるような社会になるまで、ちょっと考えたほうがいいかもしれない。

共働きをするのにも、子どもを育てながらとなると、現状では本当に厳しい。(保育園が足りない、病気になったときに預けられない、公立学校のレベルが低く、塾に行ったり、私立進学しないと上を狙えない、などなど)

子どもを育てるのにお金がさほどかからなければ(公立学校のレベルアップ化)、共働きをしても無理なく子どもを育てられる環境になれば(保育園や学童保育の時間延長、病気の子供も預かる、など)いいけれど、現状では無理。

そして、大勢いる団塊の世代が、今行われている老人福祉関連の財源を全て食い尽くしてしまうかもしれない。
その後の世代は重い負担だけが残り、非常に貧しい老後が待っているかもしれない。

なので、これからは、結婚せず、子どもも持たず、というのも、ごくごく当たり前の生き方になるのかもしれない。普通の人にとっては、結婚や子どもは未来への投資ではなく大きな出費、リスクとなるかもしれない。

ま、地球規模で言えば、人間は増えすぎなのだし、このままでは、エネルギー資源、水や食糧が足りなくなるというのだし・・・ごくごく選ばれた小数の優秀な人間のみが結婚でき、子孫を残せる、というのも「自然」なのかもしれない。
人間界のためにも、子孫を残せるのはごくわずかな人だけ、というほうがいいのかもしれない。そのほうが理にかなっている気もする。

社会システムは構築し直さないと、大変なことになるだろうけれど・・・

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余談1
「公平なシステム」

そうそう、テレビでやっていたが・・・生活保護も年金も失業保険もすべてなくし、一律、どんな人にも一人10万円を配分するシステム・・・もちろん、その財源確保は税ということで、かなりの増税になるが、シンプルだし、シンプルな分、事務にかかる人件費も安くおさえることがでできる・・・を提唱していた博士がいたが、「なるほど」と思った。公平だとも思う。最低10万は保障するから、あとは自分でやっていけ、ということだ。

国民年金よりも生活保護のほうがずっと良く(医療費が無料というのも、ほんとうに大きい)、国民年金を払ってきた人が、年金も納めず生活保護に頼れる人のほうが高いお金をもらい、そのうえ医療費無料などの手厚い保護があるのは、不公平である。
また年金も破綻しかかっていて、今の若い世代ほど割を食うことになり・・・現在、働きづめでやっと年収300万の若者よりも、退職した老人のほうがたくさん年金(厚生年金、企業年金)をもらっていたりする。そして若者が老人になった時は、すでに年金は破綻し、もらえないか、あるいは、とても年金では生活できない状態となり、その頃は生活保護も破綻しているかもしれない。

受給の額を少なく、医療費も無料は良くない(薬も無料で貰えるので、ネットで横流ししたりしている人もいるらしい)せめて5パーセントくらい負担しては、と思う。

そういうと「人権屋さん」から怒られるが、もしかしたら「人権、人権」と騒ぐ人たちによって、社会保障制度は壊されていくのかもしれない。

せめて、消費を抑え、できるだけ貯金するしか自衛の策はない。

若者が国民年金未納になるのは当然だろう。みんな、情報がいきわたり、生活保護のほうがはるかに得であり、年金を納めても受給開始年齢は上がり、受け取る額もおそらく少なくなるだろう・・・悪ければ破綻・・・そういうことを知っているのだ。
税金のように、強制的に納付させる、納付しないと罰則がある、ということにしないと誰も払わない。
ちなみに、サラリーマンの夫をもつ専業主婦も納付させないと不公平である。

まあ、とにかく、日本の社会保障システムは破綻しかかり、先行き不透明で不安だらけの将来である。

そんなことを考えれば、3大リスクのひとつである「子ども」をもつのはやめておこう、無理だ、と考える人が増えても仕方ないだろう。

けど、1人10万円が保障されれば、なんとかやっていけるかもしれない、と考える人も多いかも、と。
とはいっても、今までのシステムからこういった新しいシステムに移行するのは大変難しいのだろう・・・年金改革も進まなさそうで、どうにもならず破綻するまで、このまんまなのかもしれない。

いつ職を失うか分からない、となると、今の裕福な老人のような厚生年金プラス企業年金生活は無理となり、年金改革も「当事者問題」として皆が考えるようになれば、少しは政治も動くのかもしれない。

少子化がもっと進めば、皆が子育てにするにあたって、何を望み、何を欲しがっているのかに、政治家は耳を傾けてくれるかもしれない。借金をして子育て世帯にお金をばら撒き、でも結局は子どもに負債を残す、などということを望んでいる人は少ないのでは、と思う。
教育費にお金をかけなくて済む社会を望んでいるのでは、と思う。

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余談2
「発達障害について」

今、だんだん認知されてきている「発達障害」についても、公のほうで、いろいろ援助が必要かもしれない。
言葉が遅い、行動が鈍い、発達が遅れている、というと、「まさか発達障害では?」と不安で精神的にダメージを受け、育児ノイローゼに陥る人もいるだろう。
すでに発達障害ということで、絶望感でいっぱいの親御さんもいるだろう。

公立学校ではもちろん「発達障害児」を認知しており、ある学校では、先生が話し合い、発達障害児童を先生が分担して面倒を見ようということで、クラス分けを考えるらしい。その先生達の感覚でも、発達障害児の割合6.3パーセントはわりと正しい数字らしい。1クラスに1人か2人、「発達障害」がいるということだ。

なまじ軽い障害だと、周囲からは「障害者」と認められず、いじめられたり、疎外されてしまうことが多い。重い障害者を苛める人はいないが、軽い発達障害だと、「わがまま、自分勝手」「コミュニケーションがとれない。言葉が通じない」「性格がおかしい」と捉えられてしまい、いじめの対象になってしまうという。発達障害は、思考回路も一般人と違うので、考えられないような言動をすることも多い。

また公に「障害者」と認めて貰えなければ、公の手厚い援助や保護も受けられない。
もちろん、社会に出て、仕事ができず(2つ3つと仕事があるとできない。思考回路が違うため、普通のコミュニケーションがとれない)落伍してしまう。
ひきこもりやニート、ホームレスに、この「発達障害」であるケースもかなりある、とも聞く。

それなのに、学校にも行かず、職にもつかない成人の「健常者」は、親の扶養控除から外す、という流れになってきているようで・・・軽い発達障害では「健常者」とみなされ、手厚い保護どころか、親の負担になってしまうのだ。
もし発達障害の子どもを持ってしまったら、親はずっと子どもを扶養しないとならない。実際、ひきこもりでは、この発達障害であるケースがわりとあるらしい。

もちろん、この「6・3パーセントはいるという発達障害者」までも「障害者」として手厚く保護するのに、莫大なお金がかかるだろう。

発達障害についての対策は難しそうだ。「ここからが障害」という線引きが難しいからだ。それでもなにか対策がなければ、不安で子どもを持てない人も出てくるだろう。

ただし、「発達障害」でも社会でやっていけるというシステムがなければ、子どもを持つのに躊躇する人が増えても仕方がない。

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余談3
「モノは買わない」

朝日新聞にも載っていた記事で、「図書館なんかで借りずに、買えよ」「図書館は半年間は新刊の貸し出しをやめてほしい」と訴えていた作家さんもいた。

では、図書館で借りられなくなったら、じゃあ本を買うかというと、どうしても読みたいもの、手元において置きたいと思わなければ、買わない。
今だって、図書館で新刊を借りるには、けっこう待つ。今すぐ読みたい、という本でなければ、図書館を利用することになるだろう。

本を買える人って、やっぱり裕福な人、あるいはマニア、ファンなのだろうなと思ったりする。人気のある新刊本を借りるには、図書館ではかなり待つことになるけれど、別にそれでいい、どうしてもすぐに読みたいわけでもない。
部屋も狭いし、よほど欲しいものでない限り、消耗品以外のモノは極力買わない。

経済的に余裕のない生活をしている者にとっては、そういうことになる。

映画も映画館では見ないし、どうしても見たいものでもレンタルDVDで。
よほど「今すぐ見たい読みたい」というものでなければ、安く上げようとする。

そうすると、ほんと「人にモノを売る」ということが、いかに大変で、厳しいことか・・・と思う。

テレビもほんとうに見なくなった。見るとしても、録画するので、CMは飛ばす。
新聞も若い人はとってないと聞くし、テレビの視聴時間も少なくなってきていると聞く・・・メディア関係はほんとどうなるんだろうね、と思う。

もちろん、まだまだテレビの影響力は大きいし、新聞、雑誌もそこそこ影響力はある。そこにネットが出てきただけのことで、そういった「皆に影響力を与えるもの」が分散するのはいいことだと思う。

ところで、図書館は出版社や著者を脅かす存在なのか?というとそうでもないようで、全国の図書館が買ってくれれば、人気がない本もそれなりに売れるとのこと。

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