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「バターン死の行進」=捕虜虐待についての考察(日本軍は悪だったのか?) [国家・日本近代歴史・戦争関連]

「南京事件考察」http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-12-26に続き、日本軍が捕虜を虐待したとされる「バターン死の行進」について語ってみる。

「目からウロコの太平洋戦争」(河合敦)より。

この本は、中立の立場で、冷静に太平洋戦争について書かれている感じがする。なので、おすすめである。
(やはり、「大東亜戦争を聖戦」と言っている田母神さんは偏っている気もする。それは「自分たちが正義で、敵は悪だ」というアメリカと何ら変わりない。ただ・・・相手を悪に仕立て、自分たちを正当化する、というのは、どの国もやっている「当然のこと」だとは思うけれど・・・)

では「バターン死の行進」=(日本軍の捕虜虐待?)について。
以下、「目からウロコの太平洋戦争」より編集抜粋し、まとめてみた。

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太平洋戦争が始まり・・・
アメリカの東南アジアの拠点はフィリピン群島であったため、日本はフィリピンを攻略する。
マニラを占領した日本軍は、バターン島にいるアメリカ軍を攻撃し、アメリカ軍は降伏した。

日本軍は、4000名以上の将兵を失い、7000名近い負傷者を出す。
降伏したアメリカ軍の捕虜は5万、フィリピン人を合わせると8万を超えた。

日本軍は、捕虜を60キロ離れた捕虜収容所へ移送する。トラックや列車はなく、徒歩である。

日本軍にとっては、60キロ歩くのはどうってことないことだったが、車両による行軍が常識だったアメリカ兵には苦痛であり、「捕虜虐待」に思えたらしい。マラリアにも罹り、アメリカ兵は倒れていった。

しかし近くの要塞が陥落しておらず。捕虜を要塞からの攻撃を守るためには、捕虜を別の場所(60キロ先の収容所)へ移動するしかなかった。そして日本軍も、食糧が不足し、宿泊施設も不足していて、8万の人数を養う余裕など無かった。

60キロ先の別の場所に移動すること、食料が足りないこと、マラリアにかかっても大人数を手当てするような余裕も無く、日本兵だって同様に大変だったことでもあり、これらは仕方なかったことである。
60キロを歩くというのは日本兵にとっては普通のことであり、歩かせたのは捕虜を虐待をしたかったわけではない。
(そもそも、日本を「余裕の無い状態」にしたのは、経済制裁をしたアメリカである)

しかし、アメリカは捕虜を虐待したとして、これを「バターン死の行進」と呼び、捕虜虐待をしたとして日本軍を「冷酷非道の悪者扱い」し、戦後、このフィリピン攻略の責任者だった本間雅春中将は、この「バターン死の行進」の責任をとらされ、銃殺刑に処せられた。

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抜粋まとめ、終わり。

「南京事件」、そしてこの「バターン死の行進」は、日本軍を悪に仕立て上げるため、日本軍側の言い訳をいっさい聞かない、アメリカ側の勝手な「情報操作」だったのかもしれない。

というか、相手を悪に仕立て、自分たちを正当化する、というのは、どこの国もやっていることなのだろう。

日本の近代歴史教育は、これを踏まえて、行われるべきだと思う。

「南京大虐殺」は、あくまでも連合国側の言っていることであり、証拠がないこと、そして当時の状況(中国軍が民間人の振りをして、日本兵を襲ってきたので、民間人を多く殺害してしまった可能性があることなど)も教えるべきだと思う。
この「バターン死の行進」もそうである。

そして、民間人を殺害したことを「南京大虐殺」と呼ぶのであれば、アメリカの原爆投下、東京大空襲、他都市への空襲も、「大虐殺」であり、「東京大虐殺」「ヒロシマ大虐殺」「ナガサキ大虐殺」「日本人ホロコースト」という言葉を使うべきだろう。

事実、原爆投下当時のアメリカ大統領トルーマンは、日本人を野獣と呼び、人間扱いをする気などなかったらしいし、政府首脳も「日本人には民間人などいない。日本人はこの世から抹殺すべきだ」と言っていた人も多かったらしい。
アメリカは「日本民族大量殺戮」を行ったわけで、アメリカもドイツのナチも変わらないのである。

もちろん、アメリカにも、原爆投下に反対する人たちはいた。原爆の威力を知っていた科学者だちは、アメリカ軍がいきなり、民間人が多く住む大都市に原爆を使用したことに、ショックを受けたらしい。威嚇として、まずは、人がいない山林や原野に落とすと思っていたらしい。

ということで、アメリカの「日本人大虐殺」は公然と行われたのである。そして何度も書いているが、アメリカは自分たちがやったことを正当化するために、日本を【この世から抹殺されても仕方のない悪】に仕立てる必要があったのだろう。

とアメリカを否定するようなことばかり書いてきたが・・・
戦前の日本が良いのか?というと、そうは思わない。戦後、アメリカの指導によって、いろいろ改善されてきたことも多いと思う。

戦前の日本と、今現在の日本と、【物質的豊かさ】は置いておいて、社会的にどちらが住みやすいか、どちらの時代に生きたいか?というと、やはり今現在の日本である。

なので、アメリカの全てを否定しようとは思わない。恩恵に与ったところもたくさんあったと思う。

また日本軍を擁護するような書き方をしたかもしれないが、日本軍が酷いことをしたのも確かだろう。

沖縄戦では、民間人に自決用の手榴弾を配布していたことから・・・自決を強要した明白な命令書はなかったかもしれないが、自決するよう指導していただろう。それは結局は、強制したに等しい行為だろう。
自国民の命さえも軽く扱ったのだから、敵国の捕虜や敵国の民間人の命も軽く扱っただろう。
国益のためであれば個人が犠牲になるのは当たり前であり、人権というものが全くなかった当時の日本(軍)が「正しかった」とは思わない。

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追記
岡田元外相(日本政府)は、バターン死の行進=米兵捕虜虐待をしたとして、謝罪していたらしい。
http://www.asahi.com/politics/update/0913/TKY201009130258.html
【「バターン死の行進」外相として初の謝罪 元米兵捕虜に】

仕方ない状況(・・・60キロ歩くのは日本軍にとっては普通のこと。物資がない中、日本軍兵士も大変だったわけで、捕虜を手厚く扱う余裕などなかっただろう)の中で、アメリカ軍の捕虜を苦しめたことを「非人道的な行為」とするのであれば、そのことを日本政府が謝罪するのであれば・・・

日本はアメリカ政府に、原爆投下や東京大空襲をはじめ各都市への空襲に対して、謝罪を求めてもいいのでは、と思った。

もちろん、アメリカ軍の捕虜の方を苦しめたのは事実だろう。
では、なぜそのように至ったのかを考えないといけないのかもしれない。

岡田さん・・・単に「日本軍が悪で、冷酷非道だったから」などと思っていなければいいのだけど。

「南京事件」もそうである。中国軍が民間人の格好をして日本兵を襲うのであれば、日本兵も、中国民間人を疑い、攻撃し、殺害してしまったことは、多々あっただろう。そういった状況があった。
しかも、どのくらいの民間人が犠牲になったのかも不明である。

ところで、「バターン死の行進」で、アメリカ側は「100キロ歩かせた」と言っているようだけど、いろいろ調べてみると、60キロが正しいようだ。

被害を受けた側は、数字を大きめにするものなのかもしれない。
中国の「南京大虐殺」もそうだろう。当初は犠牲者は2万人と言っていたのが、今では30万人ということになっているらしい。http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2010-12-26


さて、この頃「近代(太平洋戦争関連)の歴史観」ネタが多くなってきたが、また、思うところあれば、語ってみたいと思う。
だって、今まで私が教育されてきた「日本の歴史観」が、なんだかとっても偏っているように感じたから。

偏っていると、かならずその反動がくる気がする。
だから偏りをできるだけなくさないといけない、と思う。

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